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怒涛の健康診断に疲れきってしまったクルミに、カイは廊下の突き当たりにある自販機で冷たい飲み物を買ってやることにした。

真っ白な壁に、彼女の長い髪が浮いているのが気になって、そっと尋ねてみる。

「その髪、邪魔そうだよな。

 ・・・いつもそんな感じなのか?」

真剣な顔をして、陳列された飲み物を選んでいる彼女は、小さく首を振った。視線は、ずっと自販機の端から端までを行ったり来たりしている。

この分では、質問しても本人の耳にきちんと入っているかも怪しいものだ。半ば呆れながら、微笑ましく思いながら、彼はそっと息を吐いた。


「コウと、ソルは?

 ・・・ウェッジもいないじゃないか」

子どもじゃないのにな、と思いながらも嬉々として缶ジュースを買ってもらったクルミは、ラベルとカイの背中を交互に見ながら、とある部屋へとやって来ていた。

小首を傾げて立ち止まったカイを見上げれば、彼は自分達の部隊の会議室だと教えてくれた。

表札のようなものには、8と表示されている。

そして、ドアを開けて不満そうな声をあげたカイの背中から顔を覗かせたクルミは、3人欠けているとはいえ、男だらけの部屋に圧倒されてしまった。

「コウ君が、ソル君を拉致してトレーニングルームに。

 ウェッジ君は、そろそろ・・・」

タスクが困ったように微笑んで告げると、カイは大きくため息を吐いて部屋の中に入っていく。

待機しているように伝えたはずなのに、と内心で肩を落とす彼は、背後でクルミがどうしたらいいものかと右往左往していることにまで気が回らないのだろう。後ろを振り返りもせずに、どかりとソファに腰を下ろした。

「あ、迷子ちゃん。

 こっち来て座れば?」

入るに入れず、声をかけることすら出来ないクルミに気づいたのはラッシュだ。彼は彼女を手招きして、部屋の中に入るように促す。

彼女はほんの少し戸惑っていたものの、カイが同じように手招きをしたのを見て、頷いて1歩踏み出した。

カーテンが西日を受けて茜色に染まり、柔らかい光を部屋に満たしている。ふんわりと香る瑞々しい緑の匂いに目を遣れば、窓辺にプランターが置いてあることに気がついた。

「ああ、育ててるの」

タスクが細かい何かを手に、苦笑しながら、不思議そうに首を傾けた彼女に教えてくれる。

「苺なんだよ、それ」

いちご・・・と唇だけで呟いた彼女に、リクもまた穏やかな声で苦笑して、誰にでもなく問いかけた。その視線は、彼女と同じように窓辺のプランターに向けられている。

「最初に持ってきたのは、誰だったかな」

「コウさん、でしたよね?」

「意外と乙女なんだよねぇ~」

ラッシュが、もったりとしたクリームの詰まったシュークリームを頬張る手前で、にしし、と思い出し笑いをしながらタスクに同意を求めて、それを聞いた彼は呆れたように肩を竦めた。

クルミはそんな彼らのやり取りを聞きながら、ほんの少し口角を上げる。彼らの言葉が飛び交う様子は、彼女の心をほっとさせた。

「どうぞ」

彼らを観察しながら考えを巡らせている彼女に、スバルが声をかけた。律儀に椅子を引いて、座るように目で促している。

彼女はそれに軽く頭を下げて、そっと椅子に腰を下ろした。

ぎし、と鈍い音を立てるパイプ椅子に座るなんて、一体どれくらいぶりなんだろうか・・・などと、気が遠くなるようなことを思い出しながら。

軍人8人が入る部屋は、それなりに広い。もともとは大きな机と椅子くらいしかなかった殺風景な部屋に最初に嫌気が差したのはコウだった。彼はソファやプランターを持ち込み、それを見ていた他の連中がそれぞれ好き勝手な物を運び入れ、本棚には仕事に全く関係のない本が並び、今では全くもって部屋中が可笑しなことになっていた。

「も、戻りました・・・!」

か細い声のした方へと、視線を移す。もしかして気のせいだったのかと彼女が思っていると、ドアが開いて疲弊しきった表情をしたウェッジが現れた。


「えぇぇ・・・そんなぁ・・・」

リクから、コウがソルを伴って部屋から出て行ったことを聞かされると、ウェッジはがっくり肩を落として椅子に座り込んだ。

机の上に頼まれた飲み物を並べた彼は、机に突っ伏してからしばらく動かないでいる。

「僕が言うのもなんだけどさ、ちゃんと体力づくりした方がいいよね」

タスクが、ぱしぱし彼の背中を叩くと、うっすら呻く声が聞こえた。

・・・軍人さんには、向かないと思う。ぜったい。

クルミは、眉を八の字にして同情してしまう。ウェッジが、コウに人数分の飲み物を買いに走らされていたのだと聞いたからだ。

そして彼の萎れた背中を眺めながら、彼女の知る軍人・・・武器を手に、敵を攻撃する類の・・・は、皆一様に意地悪な顔つきをしていたことを思い出す。

銃を、人殺しの道具を突きつけられたことは、きっと一生忘れられない。一緒に突きつけられた、自分を貫こうとする悪意も。迷いなく引き金を引こうとしている、グローブを嵌めた手も。

全てが、未だに生々しく脳裏に焼きついていた。

子犬のようなウェッジの姿から、どうしてそんなことを思い出したのか分からないまま、彼女はふいに背中を這い上がってきた恐怖に小さく震えた。手の中に収まったままの缶ジュースが、やけに冷たく感じて机の上に置く。

すると、カイが立ち上がって彼女の肩に何かを巻きつけた。彼は、彼女が寒さに震えたのだと思っているらしい。

医師が、彼女の体温が低いことを不思議そうにしていたのを覚えていたからだ。

我に返った彼女は、声を発しようとして喉につかえるものに咳き込む。呼吸を整えようと大きく息を吐いて吸い込むと、ごちゃごちゃに混ざった香水の匂いが鼻をついた。

そしてまた咳き込む彼女の背中を擦り、彼はそっと囁く。

「皆で使ってるものだけど、よかったら」

こくりと頷いた彼女の喉から、ひゅ、と空気の抜ける音がして、彼は彼女なりに礼を言おうとしていたのではないか、と思い至る。

・・・声が出せなくなったのは最近なのか・・・?

彼女が唇だけで独り言を呟いていたことなど、何気ない仕草を観察していた彼は、そんなことを思いながらその場の全員を見渡した。






「寄り道、していいか」という彼の言葉に、彼女はにべもなく頷いた。

彼はそれに少しほっとして、ハンドルを握る。もとより、彼女に与えられた選択肢など、もう存在していないも同然なのだけれど。


コウとソルが戻らないのに痺れを切らせたカイは、少佐から与えられた突然の休暇について説明を始めた。

本来休暇とされていた日に、出勤して欲しい用事が出来たためだと説明を受けた彼らは、明日の休暇を疑いもなく受け入れてくれた。その用事が何であるかなど、気にする素振りもなかった。

そして彼は、クルミにこう言ったのだ。


戸籍の照会が出来るのは、役所機能の働く明日になること。

詳しい事情を今からここで聞くとなると、終わるのはきっと夜中になること。

そうなれば、おそらく帰る家のない彼女は軍の独房に1人きり、身元が照明されていないために監視カメラ付きで過ごすことになること。

少佐からは、そうするように言われているけれど、それではあまりに可哀想だから自分の家に連れ帰ることを提案し、承諾してもらったこと。


彼女は、必死に首を縦に振った。これから夜中の街に1人で放り出されても、行く当てもないと困り果てていたものの、軍の施設に入れられるなど到底耐えられそうになかったのだ。

彼の提案に思い切り肯定の意を示した彼女を見て、彼は罪悪感を抱えながらもほっとしていた。

全ては、少佐からの指示だ。

発見者であり、どういうわけか若干懐かれているらしいカイに、監視と報告を命じたのだ。かの冷徹少佐は、彼女が声を失っていることをまだ疑っている。

そのことには異を唱えてみたものの、この街に住む人間の安全を守るためだと言われてしまえば、カイは頷くしかなかった。

自分達は、外からの脅威に怯えながら必死に、なんとか平和を守ってきたのだ。そしてこれからも、守っていかなければいけない。

その通りだと思いながらも、少佐の疑いように反感を抱いてしまったのだ。

出遭った時には、自分も同じように彼女を警戒して疑って、腰に携帯している小型銃に手をかけたというのに、他の誰かがそうすると、どういうわけか心の半分が反応してしまう。


そんな大人の思惑とは無関係に、彼女は車窓から見える街の様子に、まさに齧りつくようにして見入っている。時折、前や後ろを見たりしながら、なんだか楽しそうに。

「まさか、あんまり車に乗ったことがないとか?」

この時代でまさかそれは・・・と思いながらもカイが尋ねると、彼女は顔の前で手を振る。その表情は楽しそうであるし、同時に呆れているようでもあった。

彼と同じように「まさか」と唇が呟く。

信号待ちのわずかな時間でそんな彼女を見て、彼は胸を撫で下ろしてアクセルを踏む。

年頃の、と形容するにはまだ少し幼いような見た目の彼女でも、男に保護されるだなんて、あらぬ想像をして警戒したら、どう説得すればいいのかと、命令を受けた時には途方に暮れた。

決して断じて絶対に、襲い掛かろうなだんて蟻の触覚ほどにも思いもしないけれど、万が一部隊の連中から想像されたら哀しくて死ねると思った。

だから、冤罪を免れるために会議室で堂々と脅かし・・・もとい、説明したのだ。

自分の家に泊めて監視することになるなど、思いも寄らなかったけれど、彼女自身の選択の結果、何とか命令を遂行出来る見通しが立った。

あとは、優しい振りをして、ただひたすら監視すればいいだけだ。

通勤ラッシュのこの時間、レインの指示によって信号の変わる時間の間隔は操作されていて、車はすぐに信号に引っかかる。

合間合間に助手席に目を遣れば、彼女はビル郡や街路樹、街を歩く人々を眺めていた。

・・・喋れないから上手く説明出来ないだけで、なんでもない女の子だよな。

世の中に溢れる悪意や、社会のしくみの隙間をついて起こる犯罪の存在など、その目には全く映らないのだろうと思わせる幼さに、カイは漠然とそんなことを胸の内で呟いた。


そして車は、彼の特別な場所へと走る。





「ごめん」

車を降りてしばらく歩いたところで、ふいにカイが呟いた。

視線を前に投げたまま立ち止まるから、斜め後ろを歩いていたクルミも自然をその場で足を止める。暮れる寸前の日差しが2人の影を伸ばしているのを眺めながら、彼の言葉の続きを待っていると、彼はゆっくり息を吐いてから振り向いた。

黒い瞳がわずかに揺れているのを、クルミは正面から受け止める。逆光になっているからなのか、彼の表情が皺くちゃに歪んで見えるのを不思議に思って、小首を傾げた。

「ここで、待っててくれないか」

カイには、そう言ってしまう自分は、軍人失格だという自覚がある。

監視を命じられたからには、対象から離れてしまうなど言語道断だ。運転していた時には、何も説明せずに一緒に連れて行けばいい、と思っていたのだけれど、目的地に近づくにつれて、それは出来ないと心が拒否反応を示していることに気がついてしまった。

彼女がもっと危険な匂いを漂わせていたら、決断の天秤の傾き方も違ったのかも知れない。

クルミは彼の言葉に素直に頷いて、手近に見つけたベンチを指差した。

物分りの良い彼女に感謝しながら、彼は頷く。

「ほんと、ごめん。

 なるべく早く・・・10分くらいで戻るから」


遠ざかる背中を見つめていたクルミは、彼の後姿が角を曲がって見えなくなったところで、視線を空へと向けた。白い雲まで茜色に染まった空が、見渡す限りに広がっている。

・・・きれい。

ほぅ、と息を吐き出す。

どこをどうやって走ったのかなど分かるはずもないけれど、ここは小高い丘の上らしい。少し先に、ビルや建物がひしめき合う区画が見えている。

車の中から見た景色は、平和そのものだった。

目覚めて最初に見たものこそ物騒だったけれど、街に入ってからはそういうものは見かけない。街角に一定の間隔で、カイのような軍服を着た男女が立っているくらいだ。

第一、城門のトンネルを抜けて視界に飛び込んできた世界は、色鮮やかだった。彼女と同年代の女の子達は、可愛らしく着飾っていたし、幸せそうに手を繋いで歩く男女も目立った。

スーツを着た人々は物凄い速さで歩いていたけれど、危険なものに追われて逃げ惑っているわけでもないことくらい、彼女が見てもすぐに分かった。

青空の下に出ることなく、身を小さくして過ごす日々は、ここには存在しないのだ。

・・・よかった。

思いを馳せるうち、彼女の右手が無意識に左腕に触れる。ちくりと痛んだのが一体いつのことなのか、彼女には皆目見当もつかない。

胸の内で呟いた薄紫の瞳の端に、じんわりと涙が浮かぶ。零すまいと力を入れると、息が苦しくて堪らなくなってしまう。

・・・よかったんだよ、ね?

大粒の涙が伝った場所が、そよいだ風に触れられて冷たい。





黒く絡まったものが視界に飛び込んできて、彼は慌てて走り寄った。

そして、言葉が零れ落ちる。

「・・・嘘だろ」

日頃の鍛錬の甲斐あってなのか、駆けても呼吸のひとつも乱さない彼は、不本意ながらも目の前のものに動揺してしまっていた。

幼さの残る割に聞き分けのよい彼女が、夜の気配が漂い始めたベンチの上で、すやすやと眠りこけているのだ。


思いもしなかった光景に動揺した彼が、彼女の頬に残る涙の痕に気づくことはなかった。









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