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7-3







日が落ちて、生温かい風が頬を撫でる。

約束の時間の5分前に個室を出たクルミは、きっともうすぐ、と若干緊張した面持ちでレインの前に佇んでいた。

役所機能はすでに受付時間を過ぎており、彼女の他に人気はない。

ここへ来たばかりの時に、数人が急ぎ足で駐車場に向かって歩いていくのを見送っただけだ。

おそらく残業が終わり、家路につくのだろう。

・・・そんなことを、彼女はぼんやりと考えていた。


・・・花火かぁ・・・。


カイの残したメモの内容を思い出し、ため息をつく。

彼は、クルミの希望を叶えてくれたのだ。

それは嬉しいのに、どういうわけか気乗りしない。

せっかくカイが少佐やスバルに話をしてくれたのに、と思えば思うほど、虚しさが募る。


・・・そこまでしてくれるんなら、1回くらい会いに来てくれたっていいじゃん・・・。

・・・わたしだって、カイさんがちゃんと元気にしてるか心配なんだから・・・。


内心で口を尖らせたクルミは、お団子に纏めた髪のおくれ毛を摘まむ。

部隊室に乗り込んで、本人に直接思っていることを素直にぶつけらないのは、子どもっぽいと思われたくないからだ。

別居を開始してからのクルミは、そうやって無意識に背伸びをしようとしている。


日が沈み、夕暮れの残像のような空がだんだんと暗くなってくる。

「スバル、遅いなぁ・・・」

わずかに流れる雲を眺めて、ぽつりと呟いたその時だ。

クルミの前に、体の大きな男が現れた。

「もしかして、クルミ?」




「・・・リク、さん・・・?!」

突然現れた彼に、クルミは思わず声をげた。

驚き過ぎたのか、自分を瞬きもせずに凝視している彼女に、リクは小さく笑ってみせた。

大きな体から発せられる声が思いのほか穏やかなことに、クルミは肩の力を抜く。

「・・・久しぶり。

 元気そうだね」

「はい、えっと・・・」

クルミは、カイがリクを連れて帰った時のことを思い出し、気まずさに視線を泳がせた。

そして、何と言ったらいいものかと言葉を探す。

「あの・・・あの時はごめんなさい」

あの時は、カイが信じてくれたことに安堵したきり、それだけで頭も胸もいっぱいだった。

そんな自分を思い出して早口になり、頭を下げたクルミを見て、リクが首を振った。

「気にしないで」

その言葉に顔を上げた彼女の目に、彼の穏やかな笑顔が飛び込んでくる。

「・・・びっくりはしたけどね」

くすくす笑いを漏らしたリクに、クルミはそっと尋ねた。

どうやら彼が、自身の中であの話を消化したのだと、結論付けて。

「今日は、お仕事は・・・?」

「あ、ああうん・・・今日は夜勤だから・・・」

「・・・あの、だいじょぶですか・・・?」


夜勤だと告げた彼の表情が、わずかに翳った気がしたクルミは、思わず小首を傾げた。

穏やかさの中に、疲れが滲んでいるような気がしてならない。

帰ってきた両親を出迎え、その顔色をじっと見つめる・・・という子ども時代を過ごした彼女だ。

リクの表情が翳り、疲れが滲んでいるというのは半ば確信に近かった。

そして、嫌な予感にも近い。


彼はクルミの問いかけに、曖昧に微笑んで口を開いた。

「毎日暑いからかな。

 ・・・暑いの、苦手なんだ」

「そう、なんですか・・・?」

訝しげに聞き返す彼女に、リクはわずかに口角を上げる。

薄紫の瞳が、何かを探すように見上げてくるのを、受け止めて。

「そういえば、もうカイさんの所で一緒に暮らしてないんだって?」

唐突に変わった話題に、クルミは息を飲んだ。

「え?

 それ、誰から、」

「それで今は、どこに?」

言い淀む彼女の言葉を遮り、リクが尋ねる。

穏やかな物言いの中に言い知れない力強さを感じたクルミは、身を固くして考えを巡らせた。

相手は統治官ではないと分かっているのに、彼と相対している時のような、気味の悪い緊張感に戸惑ってしまう。

そして、何をどう言えばいいのか分からず黙り込んだクルミを見て、リクが言う。

「少佐の家?

 それとも、大佐の?」

「・・・いえ、あの・・・」

戸惑いながら否定したクルミは、このまま質問を重ねられたらそのうち答えてしまうだろう、と観念して言葉を紡いだ。

「少佐の個室、です・・・」

「・・・そっか、少佐の所だったんだね」

小さな声で答えたクルミに頷いて、リクは息を吐く。

それはどこか、安堵を含んでいるように感じられて、彼女は内心首を捻った。

ほぼ同時に、リクとは別の方向から声が飛んできた。

「クルミ、」

呼ばれたのは彼女だ。

クルミは弾かれたように振り返って手を振る。


「ごめん、遅くなった」

「平気平気。

 今、リクさんとお話してたんだ~」

走って来たのだろう、少しだけ息の弾んだスバルに、クルミは手をぱたぱた振って笑顔を浮かべた。

リクと向かい合って話をするのに少し窮屈さを感じていたところだったから、渡りに船だ。

「お疲れさまです」

背筋を伸ばしたスバルに、リクが苦笑いを浮かべる。

「もう退勤したんだろう?

 そんなに畏まらなくてもいいのに」

「いや、そうなんですが・・・」

半分呆れたように言ったリクに、スバルが真面目な顔をした。

話し込んでいる間に、辺りは暗くなりつつある。

クルミが花火の時間を気にしていると、それに気づいたらしいリクが声をかけた。

「スバルとデートなんだよね。

 ごめん、気が利かなくて・・・楽しんでおいで」

「・・・デ?」

一拍遅れて言葉を反芻したクルミは、その衝撃に口を開けたまま呆然とリクを見つめてしまう。

そんなクルミを初々しくて好ましい、と目元を和らげた彼は、スバルに向かって言った。

こちらはデートという単語にたじろいだりはしないのか、と胸の内で呟いて。

「離れないように。

 ・・・中心部はすごい人ごみだった」

「気をつけます」

先輩の忠告に、スバルは真っすぐな視線を返す。

どこか挑戦的にもとれる目を見返したあと、リクはクルミに向き直った。

「クルミも・・・スバルから離れちゃダメだよ」

質問攻めをしていた彼の面影が消えたのを確認したクルミは、素直に頷いたのだった。






隣を歩く少年を見上げたクルミは、ただ黙々と歩くのもおかしい気がして、口を開いた。

「わたしのワガママに付き合ってもらっちゃって、ごめんね」

「ううん、いいよ。

 俺もこういう気分転換が出来て、助かるから」

まずはひと言、と告げたクルミに、スバルが微笑む。

彼の言葉に、連れ回して申し訳ないと思っていたクルミは、肩が軽くなった気分で頷いた。

「ありがと。

 楽しみにしてたんだ、花火」

そして、話題を花火に変えようと言葉を紡ぐ。

「ところでスバル、花火ってどこから上がるの?」

するとスバルは、自分を見上げる薄紫の瞳に目を細めてから、視線を遠くに投げる。

「あっちだよ」

そう言った彼が指差した方向に目を遣ったクルミは、半信半疑で呟いた。

「街の、外・・・?」

「うん」

あっさり肯定したスバルに、彼女は首を捻る。

「え、でも・・・」

「ああ、ナラズモノのこと?」

彼の言葉に、クルミは頷いた。

「街の外は危険だって・・・」

その時彼女の脳裏を翻ったのは、以前見晴らしの塔で見た異形のモノの姿だ。

ゴツゴツとして歪な、やっと二足歩行をしているかのような不安定な動き。

どこに目や口があるのかも、全く分からない姿形をしていた。

「街から離れると、危険だよ。

 ・・・ねえクルミ、それならどうして、この街の中は安全なんだと思う?」

「え?」

「護り木っていう、ナラズモノが嫌う木があるんだ。

 それが街の周囲に植えられているから、奴らは街のそばへは近寄らないらしい」

「・・・そっか・・・そんなのが出来たんだ・・・」

説明に頷いたクルミに、スバルは「だから花火の打ち上げも・・・」と、最初の質問に答える形で話を進める。

彼女は心ここにあらずの相槌を打ちながら、彼の言葉を聞き流し、別のことを考えて始めていた。

すでに辺りは薄暗く、夜の気配が漂っている。






ゆらゆらと揺れながら空へと昇っていった火花が、一瞬夜空に消える。

そして刹那のあと、大輪の花が視界いっぱいに輝きをもって咲き誇った。


ドンッ、という太鼓をお腹に当てて叩かれたかのような衝撃に、クルミを息を詰める。

「・・・ひぁっ」

思わず声を上げた彼女に、肩を並べたスバルがくすくすと笑い声を漏らす。

笑われてむっとしたクルミは、笑うのを隠そうともしない友人をひと睨みして口を開いた。

「何よ~」

「別に、ただちょっと、」

青い瞳に、花火が夜空で弾ける様子が映っている。

睨みつけたつもりのクルミは、不用意にもそれに見入ってしまう。

スバルはくすくす笑うのを止め、笑みを浮かべて小首を傾げた。

「可愛いなって思っただけ」

「か・・・?!」

「うん」

ドンッ、と空気を震わせる音が響いて、絶句していたクルミは慌てて息継ぎをする。

「・・・そりゃどうも」

突然爆弾を落とされた気分になったクルミだったけれど、深呼吸をして夜空を見上げる。


・・・いけないいけない。スバル、女子の扱い上手いんだった。


2人は街の中心部から少し離れた、路地の階段に座っていた。

人出は、通りを辿った少し先に集中している。

車両の進入を禁止した大通りには、ポップコーンやレモネードの屋台が出ており、多くの人で賑わっている。

そして大勢の軍人が喧嘩や迷子、スリなどトラブルのないようにと、辺りを警備しているのをクルミは見ていた。

その中にカイの姿があるのでは・・・と気になって、似たような背格好の人物を見かけるたびに、人にぶつかってしまっていたけれど。


「カイさんも、どっかで見てるかなぁ・・・」

咲いては消える花火を前に、気になって仕方ない彼のことを口走ったクルミは、小さく息を吐いた。

「気になる?」

スバルの囁きに、彼女の頭が迷う様子もなく上下する。

それを見た彼は、困ったように笑う。

そして、そっと手を伸ばした。

「クルミは、カイさんのことが好きなの?」

「・・・ん?」

意識が半分違うことに向いていたクルミは、スバルの手のひらが自分の耳元を掠めたのを感じ取って、我に返った。

頬から首へ、そこを滑るように撫でた指先が、クルミの顎をなぞる。

肌が甘く擦れる感覚に戸惑った彼女は、息を飲む。

夜の風が、生温さを纏って吹き抜けた。

真っすぐに自分を見つめるスバルの瞳に吸い込まれそうだ、と呆然と胸の内で呟いたクルミは、ただ静かに口を開く。

「・・・わたしまだ、好きって何なのか、よく分からないんだけど」

「じゃあ、」

スバルが、彼女の頬を撫で囁いた。


自分を見つめる彼の目がどこか熱っぽく見えて、クルミは頭の芯が痺れていくのを感じていた。

その痺れは、カイと別居の件で揉めた時のことを思い出させる。

あの時は翻弄されて、何が何だか分からないままだったけれど、今は違った。

クルミは鼓動が速く打ちつけるのを耳元で聞きながら、その雰囲気にのみ込まれていく。

恋愛経験がほぼ皆無な彼女には、花火大会の夜に男性と肩を並べて階段に座っている、というこの状況は甘い毒のようなものだ。


「確認、してみようか・・・?」

言いながら、スバルは顔を近づける。

ゆっくりと、忍び寄るように。

大通りの喧騒が、痺れたクルミの耳にぼんやりと聞こえてくる。

図上では絶え間なく花火が打ち上がり、そのたびにスバルの頬が赤や青、黄色に照らされて。

やがてやって来た、彼の吐息が唇に触れる気配に、クルミは弾かれたように顔を背けた。

まるで、磁石の同じ極がお互いを弾くのと同じように。

同時に、刹那の震えを伴って、スバルの動きも止まる。

彼女を突き動かしたのは、嫌悪感というより違和感に近いものだった。

統治官に接近された時のように体の奥底からくる、逃げ出したい、助けて欲しい、という感情とは全く違う何か。

その感情が何なのかはともかくとして、クルミはスバルに触れられるのは違う、と思ったのだった。


「・・・だろうね」

ふいにスバルが手を放し、クルミの頬が夜風に晒される。

彼の手のひらにこもっていた熱の分、彼女の体温が風に奪われていく。

けれどクルミは、それが心地よくすらあった。

取り乱さずに佇んでいる彼女に向かって、スバルは口を開く。

「カイさんにだったら、キスされても平気なんだろうけど」

言葉の最後、呆然としているクルミを見つめて半ば自嘲気味に呟いた彼は、息を吐き出して立ち上がった。

「・・・あの、スバル?」

唯一の有人が気分を害したのだと察した彼女は、慌てて声をかける。

すると彼は、ゆっくりと振り返った。

「うん、何?」

「え、と・・・」

あまりに自然に言葉を紡がれて、声をかけた方のクルミが戸惑う。

実際、声をかけたものの、何を言えばいいのかなどと考えもしていなかったのだ。

そして、少しの間口を噤んでいた彼女は、意を決して口を開いた。

「その・・・スバルって、わたしのこと好きだったの・・・?」


・・・だって、キスって言ったよね・・・?


心の中で呟いたクルミは、まじまじとスバルの顔を見つめる。

すると彼は、ぷっと噴き出した。

「ハッキリ聞くんだね」

「え、だって・・・」

少し前に孕んだ熱などどこ吹く風、スバルは何もなかったかのように振舞う。

そんな彼にクルミは、自分が見当はずれなことを言ったのかと、顔が熱くなる。

恥ずかしそうに俯いた彼女を見下ろして、スバルは笑みを浮かべた。

「ごめん、さっきのは・・・いい雰囲気になったから、つい・・・」

「ん、大丈夫。気にしてない」

「気にもしてないのか・・・」

食いつくように言葉を紡いだクルミに苦笑を浮かべ、スバルが苦笑を浮かべる。

そして、自分ではまるで話にならないのだと痛感した彼は、形すら成さないままに泡となって消えた気持ちを手放すことにして、口を開いた。

「カイさんのこと、」

今一番気にかかっている彼の名前が聞こえた瞬間、クルミは顔を上げる。

そんな彼女に苦笑を深くしたスバルが、言い聞かせるように言葉を選んでいた、その時だ。



「いやぁぁぁっ!」



空気にヒビを入れるかのような女性の悲鳴が、2人の耳に響いた。


刹那、スバルが目つきを険しくして、声のした方向を探ろうと階段を上る。

その途中で、もう一度「誰かっ」と叫ぶのを妨害されているような声が響いた。

通りの向こうからは、花火のフィナーレに沸く人々の拍手と指笛の音が聞こえてくる。

おそらく彼らの耳には、女性の悲鳴など届いてはいないだろう・・・そう思ったクルミは思わず、辺りを見回すスバルに向かって叫んでいた。

「わたし、そこの角のお店の前にいるから!

 スバルはあの人、助けてあげて!」

何が起きているのかなど、彼女には想像もつかない。

けれど、女性が悲鳴を上げているのだ。

きっと怖い思いをしているに違いない。

そんな人を放っておいて良いはずがない。

・・・自分が統治官に執着されていることなど忘れて、クルミはそう言い放っていた。

「でも、」

スバルは携帯を手に、女性の悲鳴を気にしながらも動かない。

今日はクルミと花火を見て、そして送り届けるためにいるのだ。

もちろんそこには、何事もなく無事に、という注釈がつく。

「今クルミと離れるわけには、」

「いいから行って!」

後ろ髪を引かれる思いで階段を下りようとしたスバルに、クルミが言葉をぶつける。

すると、また悲鳴が響いた。




踵を返したスバルの背が遠ざかるのを見送り、クルミは大通りの角に向かって歩き出す。

宣言した通りに、屋台の横に立って、彼が戻るのを待つつもりで。

悲鳴を上げた女性がどうなっているのか、心配で心臓が痛い。

自分も見に行った方が良かったのか、でも完璧に足手まといだ、しかも少佐に怒られる・・・と、ぐるぐると考えを巡らせては動悸に息を切らせてしまう。


だから、頭の中が今しがた起こったことで埋め尽くされているクルミは、全く気が付かなかったのだ。

彼女の背後に、人の気配が近づいていたことに。







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