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6-5







夕日が沈むのをただ眺めていた彼女は、ノックの音に振り返った。

音は、ゆっくりと5回。

少佐に言われた通りの合図に、彼女は何も言わずにドアを開ける。

「大変だったな」

軍服姿のまま訪れたカイを部屋の中へ通し、クルミは内鍵とチェーンをかけた。




「お疲れさまです」

仕事中なのか、退勤した後なのか分からずに声をかけると、カイは小さく頷く。

「ああ、ありがとう。

 ・・・それで、少佐から大体の事情は聞いてきたんだけど、」

クルミは、彼の態度に違和感を覚えていた。

纏う雰囲気は、フードコートで別れた時と変わらないと思うのに、何故か口調が事務的である気がするのだ。

あれから少佐の個室に押し込められたクルミは、この部屋で手につかないながらも勉強をして過ごしていた。

だからといって、自分がカイにソファを勧めるのもお茶を淹れるのも間違っているような気がして、結局立ったまま、彼の言葉を聞いていた。

「大丈夫か?」

彼女を見る目は、いつも通りだ。

「わたしは平気です。

 ・・・ごめんなさい、迷惑かけて」

なんとなく嫌な予感が頭のどこかに居座っていて、クルミは無意識に謝っていた。

沈んだ声に、カイは頬を緩める。

「別に、迷惑だなんて思ってないよ」

彼は彼女の頭に、ぽふん、と手を置き、目を細めた。

「ともかく、これで統治官が君に固執してるらしいことは分かった」

「こしつ・・・?」

クルミが初めて聞く単語に小首を傾げると、カイは小さく笑う。

「・・・気になって気になって仕方ないってこと」

「うぇぇ、キモチワルイ・・・!」

与えられた言葉に身震いした彼女は、しかめ面を晒して首を振った。

クルミが嫌悪感を抱いたらしいことに頷いたカイは、話を続ける。

「彼にどんな思惑があるのかは分からないけど、きっとこれからも接触してくると思う。

 だから・・・、」

そこまで言って、彼は言葉を切る。

カイの顔が逆光でよく見えないクルミは、目を凝らして彼の顔を覗きこんだ。

すると、彼は視線をわずかに逸らす。

クルミはそれに気づかずに、ただ静かに彼が何か言うのを待った。

秒針の音が響く。

刹那の間だというのに長く感じる一瞬が過ぎて、カイは言葉を紡ごうと乾いた唇を開いた。

「少佐の所で生活した方がいい」


「・・・なんで・・・?」

投げ込まれた言葉に、クルミの鼓動が速くなる。

小さな呟きは、答えが分かっているからなのか、非難めいた響きを纏っていた。

それに気づいたカイは、静かに言う。

「少佐の家なり、個室なりで生活した方が安全だからだよ。

 ・・・少佐の養女、って肩書きだけじゃ、統治官は諦めてくれなかった」

その口調は穏やかさを通り過ぎて、彼女を諭すようだった。

薄紫の瞳が揺れるのを見たカイは、ぐっ、と拳に力を入れる。

これは決定事項だ。

少佐と話し合って、最善だと思われる選択をした。

たとえクルミが嫌がって、それが少しの優越感をもたらそうとも、決して覆してはならない。

ひと言告げて口を閉じたカイに、クルミは俯いた。

「でもわたし、カイの所にいたい・・・」

彼女の呟きが、魔の囁きのように彼の心をくすぐる。

けれど彼は、軍人だ。

ふぅ、と息を吐いて、口を開く。

「クルミ、これは少佐の決めたことだよ。養父の言うことは聞かなくちゃ。

 ・・・それに俺も、今のままの生活を続けるのはやっぱり良くない・・・と思う」

「・・・良くない、って・・・だって、この間は一緒にいてもいいって・・・」

クルミが一歩踏み出して、カイの側へ寄る。

すると、彼は戸惑いがちに言った。

「ウチにいればいいと、思ったのは確かだよ。

 俺が保証人になって、クルミの戸籍を取得するつもりでいたんだし・・・。

 でも今は、状況が違う」

「何が違うんですか・・・?」

彼女は必死に食い下がる。

少佐も信用出来るけれど、一番はカイなのだ。

彼と引き離されることが、不安で、嫌で堪らなかった。

・・・その感情が一体どこからやって来るのかは、全く考えもしないけれど。

上目遣いに揺れる瞳を一瞥したカイは、額に手をやった。


確かに、一緒に暮らしていても大丈夫だったのだ。当初は。

けれど本当の年齢が発覚し、それに見合った服装を選ぶようになり、さらには初潮を迎えたクルミは変わった。

体つきが、少しずつではあるけれど女性らしくなった。

それに、信頼出来る人間が側にいる、という安心感と、何より生活に慣れたことが手伝ってか、顔を上げて街を歩くようになった。

そして、よく笑うようにも。

何よりも、どちらかというと彼女が“可愛らしい”に区分されるでろうことが、何よりも人目を引いてしまったのである。

これが保護した当初の彼女であれば、また違ったことになっていたのだろう。


いろいろと考えを巡らせた彼は、ため息混じりに言葉を選ぶ。

「君の存在は、軍の連中の間で噂になってる。

 まあ、当然といえば当然なんだけど・・・」

「・・・それは、わたしも知ってます」

彼の言葉に、クルミは頷いた。

廊下を歩くたび、第8部隊の彼らと昼食を摂るたびに、軍服を着た者達の視線が向けられていることに、彼女は気が付いていたのだ。

もともと自分に向けられる悪意の類には敏感なのだから、それはちくちくと針のように彼女の肌に刺さっていた。

けれど、それに怯えずにいられたのは、カイの存在があったからで。

クルミが頷いたのを受けた彼は、息を吐いた。

「だったら分かるだろ・・・。

 年頃の娘を拾ってきて、養女にした少佐。

 その養女を毎日家に連れて帰る第8の部隊長・・・いろいろ想像は膨らむよな?」


「想像?」

苦々しく口の端を歪ませたカイに、クルミは小首を傾げる。

ほわりとした表情に、彼は内心で舌打ちをした。

中身年齢が追いついていない彼女には、少々難解な表現だっただろうか。

「だから・・・」

カイの苛立ちを含んだ声音に、クルミの頬が強張る。

彼女のそんな反応を見てしまった彼は、湧きあがった言葉を抑え込んだ。

「いや、いい。

 とにかく、クルミはこれから少佐の所で暮らすことになったから」

息を吐いて、こめかみを揉む。

すると、彼女はそっと口を開いた。

「わたし、カイさんに迷惑かけてるのは分かってるけど・・・そんなに・・・?」

「いや、俺は別に・・・迷惑をかけられてたつもりはないけど・・・」

ため息混じりの彼の言葉に、クルミは内心首を捻る。

「・・・わたしを家に置いてて、カイさんの迷惑にはなってなくて・・・。

 でも、統治官がわたしを追いかけるから、だから・・・?」

「そうだよ」

返ってきた短い肯定を、彼女は首を振って拒絶した。

「それなら、わたしカイさんの家から一歩も出ない」

彼女の言葉には、懇願めいた響きが含まれていた。

けれどそれは、カイの苛立ちを大きくするだけだ。

クルミの希望を叶えたい気持ちは、もちろんある。

どちらかといえば、自分の方だってクルミと過ごす時間の心地よさを手放したくないのだ。

それでもカイが少佐の決定に納得したのには、理由がある。


・・・こっちの気も知らないで・・・。


腹の底に居座る黒いものを意識した途端、カイの口からは言葉が発せられていた。

「このまま一緒に暮らしてると、俺も少佐も犯罪者扱いされ兼ねないんだよ。

 それだけじゃない。もしかしたら、クルミも似たような扱いを受けるかも知れない」

「・・・犯罪者・・・」

歪んだ口元から飛び出した台詞に、驚いて呟いたクルミは、ただ呆然とカイの顔を見上げる。

すると、彼は堰を切ったかのように言葉を紡ぎ始めた。

「拾ってきた女の子を、俺が家に連れて帰ってる。

 それを容認してる少佐も、養育者として間違っている。

 そういう噂に尾ひれがついて大げさになれば、統治部が動く大義名分になる。

 そうだな・・・軍が駄目なら、自分達が彼女を保護しなくては・・・ってとこか」

一気に捲し立ててしまったカイは、自分の黒い部分の一端を晒したような気がして、クルミから目を逸らす。

クルミはそんな彼の姿に、なんとなく事の大きさを理解した。

統治部が動く・・・それは、自分を捕まえにやって来ることと同じ意味なのだろう、と。

「尾ひれって・・・どんな噂になったら、カイさん達が悪者になるんですか。

 あ、でもわたしが否定したら、噂もなくなる・・・?」

不満そうに呟いたクルミに、カイは天を仰いだ。


・・・いくら13歳でも、真っ白すぎるだろ・・・。


そんな感想を抱いて息を吐くと、彼は仕方なく口を開く。

胸の奥の方で、少し前とは別の、苛立ちに似た感情が燻ぶるのを自覚しながら。

「俺が、クルミに手を出してると思われてるんだよ」

「手?」

彼が涼しい顔を取り繕って吐きだした言葉とは裏腹に、彼女はまたしても、きょとん、とオウム返しをした。

そして何かに気づいたように、突然憤慨したように顔をしかめる。

「わたし、カイさんに叩かれたことなんかない。

 大体、痣のひとつもないっていうのに、そんな噂が立つなんて・・・」

「・・・痣・・・」

カイは、たったひと言、クルミの台詞を反芻して絶句してしまう。

同時に、これは駄目だと絶望に似た感情を抱く。

「カイさんが、そんなことするわけないのに」

クルミのこの台詞は、カイの中の意地悪心に火をつけた。



「痣か・・・」

夕日の沈んだ空が、暗闇へのグラデーションを放っている。

カイは、ぽつりと呟いて踵を返し、カーテンを閉めた。

薄明るい光がカーテンの向こうから漏れ入るだけの、薄暗い部屋に、彼女は立ちつくす。

「え?」

クルミが戸惑って声を上げると、彼はもう一度彼女の前に立った。

そして、ゆっくりと彼女の目を覗きこむ。

「痕なら、つけるかも知れないけど」

「え?」

意味が分からずに聞き返すクルミを小さく笑ったカイは、少し身を屈めて囁いた。

「ちょっと向こう、向いてて」

「・・・はぁ・・・」

一瞬で普段と違う雰囲気を纏ったカイに戸惑いながらも、クルミはくるりと体の向きを変え、背を向ける。

すると、今度は若干呆れを含んだ声が、彼女の背に降ってきた。

「・・・ほんと、疑わないよな」

どこか楽しそうでもあり、自嘲気味でもあり。

その声音に落ち着きを剥がされたクルミは、振り返ろうとする。

けれどそれは、彼の声に制止された。

「そのまま。

 ・・・こっち、向かないで」

少し鋭くなった口調に、彼女の肩がぴくりと震える。

それを見たカイは、そっと腕を伸ばした。

「・・・カイ、さん」

「何度も言うけど、さん、は要らない」

「ご、めんなさい・・・でも、」

カイの腕に背後から絡め取られたクルミは、自分に起きていることが普通ではない気がして、言葉を続ける。

「・・・抱きつかれたら、大声上げろって・・・。

 相手が怯んだ隙に逃げろって、教わったんだけど・・・」

弱々しく告げて、クルミは困ったように黙り込む。


そんな彼女に苦笑を浮かべた彼は、なるほど、と思った。

いつだったか、無意識に彼女を抱きしめた夜があったのだ。

あの抱擁は、ぬいぐるみの柔らかさを確かめるような、そんな感覚だったのだけれど。

ともかくカイは、あの時にクルミが大声を上げ、自分を突き飛ばして逃げ出した理由が分かった気がした。

両親か学校かは知らないけれど、彼女はおそらく暴漢に襲われた時の対処法を、眠りにつく前に見聞きして覚えていたのだろう。

そしておそらく、抱きつかれた先に待つものを、知らないままなのだ。


「でもカイ、は・・・」

「本当に、」

カイが自分にとって大声を上げるような相手ではない、と分かっているクルミは、密着した彼に戸惑って言葉を切る。

すると彼は、クルミの耳元に唇をつけて囁いた。

「クルミは知らなさすぎるんだよ」

普段よりもずっと低く、ところどころ掠れて響いた声に、彼女が小さく震える。

少し前、スーパーマーケットで感じたものが束になり、大きな波になって自分に襲いかかってくるようだった。

そんな彼女の反応に、カイは喉を鳴らす。

「・・・え、あっ・・・?!」

自分でも両親でもない、腰に回されていた大きな手が体を這い上がってくる。

クルミは自分に起きていることと、これからどうなるのかが理解出来ずに動揺していた。

鼓動が早鐘を打ち付け、耳の辺りが熱くて仕方がない。

口から漏れる息が、悲鳴に変わってしまいそうで怖い。

「カ、カイ・・・?!」

彼は、背後にいるはずだ。

振り返るなと言われてしまった彼女は、ただ彼の名前を呼ぶしかなかった。

「何・・・?」

掠れた囁きが、またしても耳の裏の方で響く。

クルミは息を詰め、背中や腰の辺りを通るさざ波を、やっとのことでやり過ごした。

その間にも彼の手は、そろそろと彼女の体を這っていく。

「クルミ?」

「・・・は・・・ぁ・・・っ」

耳元でくっきりと自分の名前が聞こえ、彼女は無意識のうちに声を漏らした。

そんな自分の声が、聞いたことのない響きを纏っていることに驚愕して、クルミは息を飲む。

大きな手は、散々カイに注意された短いスカートのプリーツを指でなぞりながら、時折くるくると彼女の腿に線を引いていく。

「あ・・・っ」

しゅ、と指が強く擦れると、小さな痛みと一緒になって波がやって来た。

短い声を上げてその波を乗り越えると、今度は別の大きな手が、クルミの胸に指を食い込ませようと覆い被さってくる。

「言ってごらん。

 俺のこと、呼んだだろ?」

少し強めの口調で催促された彼女は、ただ首を横に振った。

何度も、何度も。

生まれて初めて与えられる感覚に、クルミは自分の意識が焼き切れるような気がして、必死に歯を食いしばっていた。

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