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6-1








「ねえ、くるちゃん、くるちゃんて、好きな人いる?」

『はっ?

 ・・・すきなひと?』

「私はねぇ、いるんだぁ・・・」

『い、いるの?』

「くるちゃんは、まだ好きな人いないんだよね!

 わたし、ななちゃんの好きな人知ってるよ~」

「なんで知ってるの?!

 まだ誰にも言ってないのにー!」

「だって、見てれば分かるよそれくらい。

 ちょーバレバレ」

「えぇぇーっ」






頭の中で突然再生された会話に、ペンを握って数字とにらめっこしていたクルミは、思わず息を飲んで硬直した。

何の前触れもなく思いだされた、いつかの友達との会話。

好きな人の話をして盛り上がる輪の中で、全く溶け込めずに居心地が悪かったのを思い出す。


・・・クルたん、なんて・・・大佐が言うから・・・。


冷房のきいた図書館フロアで勉強していた彼女は、足元から冷えがくるのを感じて、机の上に広げていた勉強道具を片づけ始めた。

個別ブースは、それなりに混み合っている。

彼女と同じように卒業認定試験を受ける者なのか、それとも受験生なのか・・・ともかく、誰もが集中しきっているようで、彼女が手早く荷物を纏めて席を立っても、一瞥すらしなかった。




カウンターにIDカードを見せ、図書館フロアを出る。

勉強道具で重いカバンを片手に、クルミは自分のIDカードをなんとなく眺めた。

先日、少佐からもらった身分証明書である。

軍やレインの関係者は仕事中に提示する機会があるらしく、首から下げていたり、胸ポケットにクリップで留めていたりと、さまざまだ。

普通は、銀行のキャッシュカードと同じように財布の中にしまっていたりする・・・と、カイが説明してくれたのを思い出したクルミは、それを財布の中にしまう。

万が一失くしてしまおうものなら、再発行が面倒なばかりか、少佐からこってり絞られるのは目に見えている。


・・・いろいろびっくりしたけど、まさか名字がないなんて思わなかったよ・・・。


長く続く廊下を歩きながら、IDカードに記載された識別番号を思い出して、クルミはそっと息を漏らした。

彼女のカードに記載された番号は、少佐のものと同じだ。


・・・あの時は、目が覚めたばっかりで、わけ、分かんなくて・・・。


恐怖や戸惑いの中で声を失った彼女が、咄嗟にリクの手のひらに書いた文字は“来海”だった。

けれど漢字を2文字書いたところで読めないと言われ、慌てて英語を綴った。

するとアルファベットが通じた途端に、急に話が進んでしまったのだ。

それはクルミにとって、思いもしない展開だった。


・・・カイさんが信じてくれたのは、良かったけど・・・。

・・・ちょっと、疲れちゃったなぁ・・・。


蛍光灯の照らす廊下は、どこか寒々しい。

ヒールのあるサンダルにようやく慣れた彼女が歩くたびに、コツコツと高い音が響く。

その音は、彼女の口から漏れた小さなため息をかき消してくれる。


体の辛い1週間が過ぎると、それに反比例するように心の重さが増していた。

初めての生理期間、クルミはひたすら家に閉じこもって、気だるさや体の痛みをやり過ごしながら、勉強に励んでいた。

となると、日中は当然家に1人きりになる。

静寂が嫌でつけたテレビの画面から流れてくる情報には、何一つ馴染みがなかった。

知らないものばかりが目と耳から流れ込んでくると、自分が世界に1人きりになったことが身に沁みて、じっとしているのが怖くて堪らなかった。

それに比べれば、小さな頃、両親の帰りを待つ間に感じていた孤独などちっぽけなものだった、とクルミは思う。

本当の孤独の中に放り込まれた今は、頭の中が真っ白で、実は自分が存在していると思うのは大きな嘘なのではないか、と思うのだ。

だから、カイが夕暮れの頃に戻ると、ほっと胸を撫で下ろす。

彼の目に自分の姿が映るのを見て、まだ生きているのだ、と胸を撫で下ろすのだ。


「・・・勉強、しなくちゃ」

鼻の奥がつんと痛くなる予感に、クルミは重いカバンを持ち直しながら呟いた。







昼をだいぶ過ぎたフードコートは、人気もまばらだ。

クルミは入り口に立てかけられたメニューボードを眺めつつ、隅の方の、ゆっくり出来そうな席が空いていないか視線を投げる。

一番警戒しているのは、ツヴァルグ統治官の存在だ。

「・・・ぜっったい、会いたくないもん」

周囲に誰もいないことを確認したクルミは、呟きながら肩を落とす。

絡め取るような視線も苦手であるけれど、それよりも、少佐とカイから“出来るだけ統治官には関わらないように”と言われているのだ。

統治官の興味がクルミに向けられているらしいことは、全員一致の見解だった。


・・・大体ね、おじさんには興味ありませんよー。

・・・わたしのこと、怪しんでるみたいだし、気をつけなくちゃ。

・・・アルメリア送りだなんて、冗談じゃないよね。


そんなことを考えて、クルミが小さくため息を吐いた時だ。

ふいに、背後から声がかけられた。

「・・・クルミさん?」

「・・・っ?!」

驚いて息を飲むのと同時に振り返ったクルミが見たのは、不思議そうに小首を傾げて佇む、スバルの姿だった。


「ごめん、驚かせてしまったみたいで」

苦笑しながらクルミの隣に腰掛けたスバルの手には、飲み物の載ったトレーがある。

フードコートの入り口で突っ立っていたクルミに声をかけたスバルは、ごく自然に彼女を誘い、ごく自然に肩を並べて座れるカウンター席に彼女を座らせた。

若干18歳なれど、女性への対応は母親の教育の賜物である。

「はい、どうぞ」

スバルはミルクティーの入ったカップを差し出して、クルミを見た。

視線を送られた彼女は、戸惑いながらも小さな声で礼を言って、カップを受け取る。

「ありがとう、ございます・・・」

「いいえ。

 ・・・今日は、図書館に行かないの?」

トレーを横に置いたスバルは、自らもカップを手にクルミに微笑みかけた。

するとクルミは、カップの中身に息を吹きかけながら答える。

「ちょっと寒くて・・・それで、温かいものでも飲みながら勉強しようかと思って・・・」

「そっか」

スバルは、ここ数日のことを思い出しながら、彼女の言葉に相槌を打った。



ある日突然、カイがクルミを伴って部隊室へやってきた。

そして少佐が彼女を養子に迎え、スクールの卒業認定試験を受けさせることにした・・・ということを聞かされたのだった。

養子の件を聞いた時も驚いたけれど、年相応に変身した彼女を見るのは初めてで、その場にいたほぼ全員が呆気に取られてしまったのを覚えている。

息を飲む、というのはああいうことを指すのかと、変に納得してしまったりして。

けれど、そんな部下達に向かって、上司であるカイは言い放った。

“レインの中で会うことも、あるかも知れない。その時は、よろしく頼む”・・・と。

よろしく頼む、の意味はよく分からないまでも、その言葉をしっかり覚えていたスバルは、フードコートの入り口に立ちつくしていたクルミを発見し、声をかけたわけだ。

偶然見かけた時に、放っておくのは違う気がする・・・という、そんな気持ちで。



「・・・少佐の執務室まで、送ればいいかな」

半ば独り言のように呟けば、隣でクルミが激しく首を振った。

「そそそそそれはちょっと」

その慌てぶりが可笑しくて、スバルが小さく噴き出す。

仕事中は愛想の欠片もない彼だけれど、今は年相応に柔らかい表情を浮かべている。


・・・この人、笑うんだ・・・。


驚きにパチパチと瞬きを繰り返したクルミは、まじまじとスバルの顔を覗きこんだ。

初めて部隊室に入った時に、今のように構ってくれなかったカイに代わって、クルミに椅子を勧めてくれたのは彼だった。

「・・・な、何?」

肩を並べていた彼が、若干体を引く。

「ううん・・・何でもないです」

クルミは首を振って、温かいミルクティーをひと口啜る。

ほぅ、と息をついている彼女を、スバルが一瞥した。

「クルミさん、」

「さん、は・・・要らないです。

 ・・・スバルさんの方が、年上だもん」

スバルの言葉に、クルミがぼそりと呟く。

すると、彼はクルミが困っている気配を感じて、苦笑した。

「・・・でも、女性だから」

「女性・・・って、わたしまだ16歳ですよ・・・」

正確には、未だに13歳の自覚があるのだ。

体は勝手に歳をとるけれど、なかなかそれに気持ちが追いつかないのが現実だった。

そういうわけで、女性扱いされることに違和感のあるクルミは、半ば呆れたように囁いた。

かといって子ども扱いされることに反感を抱いてしまうことには、目を瞑って。

「・・・じゃあ、お言葉に甘えて・・・。

 お互いフランクになるっていうのは、どうだろう。トモダチ、ってことで」

友達という言葉に、彼女は胸を弾ませた。






「スバルは、セントラルの人だったんだね」

「うん、一応」

「テレビでセントラルの様子を見たけど、すっごく都会だったなぁ・・・」

クルミがカップを傾けながらスバルを見上げると、彼が苦笑する。

カウンター席でお互いに顔を見合わせているのは、少し首が痛くなりそうだけれど、クルミは打ち解けた何気ない会話が楽しかった。

気持ちの上では歳は近くないのだけれど、現実には2歳年上の彼だ。

友達、という言葉の通りに、まるでクラスメイトになったかのような親近感が湧いてくる。

足をぶらぶらさせながら話をしていると、苦笑していたスバルが時計を一瞥した。

「・・・そろそろ、カイさん達が見回りから戻る頃だ」

「今日も、見回りしてるんだね」

「うん・・・氷ヶ原が溶けだしてるから」


・・・そうだった・・・氷が溶け始めたんだった。


スバルの言葉に、クルミが視線を落とす。

先日ニュースになった氷ヶ原の件は、もはやこの街で知らない人はいないほどの珍事である。

自分が眠っていた場所であるだけに、彼女にとっても関心の高い事象だ。

クルミは自分の動揺を悟られないように、速まる鼓動を宥めながら息を吐いた。

「危ないことは、ないのかな」

「今のところは」

「・・・そう・・・」

静かに囁かれた言葉を聞いて、彼女は声が震えそうになる自分を叱咤する。

そして、カップの中身が波立つのを誤魔化すように、一気にミルクティーを飲み干した。



「スバルは、今日はお休みなの?」

何気ない会話をやり直そうと、クルミは口を開いた。

彼女の声色が明るくなったのを感じたスバルは、首を振って言う。

いくらか気まずそうに視線を逸らした彼を不思議に思って、クルミは小首を傾げる。

「夜勤なんだ。

 ちょっと早く来て、図書館で本でも借りようかと思って・・・」

「やだ、ごめんっ。今すぐ行って!」

その台詞を聞いて慌てたクルミが、思わずスバルの服の裾を掴んで引いた。

「気にしないで。

 まだ読んでない本も部隊室にあるし・・・」

くいくい、と服が引っ張られる感覚に笑い声を漏らしながら、彼が慌てるクルミを宥める。

「ほんと、気が回らなくてごめんー・・・」

自分の服の裾を掴んだまま項垂れた彼女を見下ろして、スバルは苦笑した。

・・・そこまで申し訳なさそうにすることもないのに、と。

そして、俯いたクルミに何と言葉をかけようか、とスバルが考えを巡らせていると、ふと、入り口に人の気配を感じて視線を投げた。


一瞬、視線がかち合う。

「あ・・・」

ばち、と痛みを伴うような音がしたのは、気のせいだろうか。

「・・・カイさんっ」

スバルが呆然と声を漏らしたのを聞いたクルミは、顔を上げて視界に飛び込んできた彼の姿に、ぱっと顔を輝かせた。

思わずカイの名を呼んだクルミの声を片方の耳で聞き流しながら、スバルは、自分を射るように見据えて靴音を響かせる上司の姿に言葉を失っていた。

何故か、殺伐とした空気を纏っている。

そして彼は、肩を並べて座っている2人の前までやって来て、その足を止めた。

彼は、片手を腰に当てて、どこか憮然と彼女の名前を呼んだ。

「クルミ」

「おかえりなさいっ」

「・・・ん」

クルミの挨拶に頷いた彼は、弾んだ声には静かに応えて、スバルをじっと見据える。

そして、口を開いた。

「スバル」

「は、はい」

仕事中でも数回・・・最近ではクルミを保護した時だ・・・しか見たことのない、カイの険しい表情を目の前に、スバルは口の中が乾いてゆくのを感じていた。

何を言われるのかと思っていると、カイはわずかに瞳を揺らしてから言葉を続けた。

「彼女に何かあったのか?」

表情とは裏腹に静かな声色で問いかけるカイに、スバルは慌てて首を振る。

「いえ・・・、」

「図書館が寒くて、ここで勉強しようと思って来たら、声かけてくれて・・・」

スバルの言葉を遮るようにして、にこにこと笑顔を浮かべたクルミが言う。

「ね、スバル?」

小首を傾げた彼女に、スバルが曖昧に頷く。

クルミは、頷いたスバルの視線がカイにくぎ付けになっていることには気づかない。

「そうか」

カイは、固まっているらしいスバルから視線を剥がして、にこにこと上機嫌なクルミの顔を見つめて頷いた。

彼の瞳に自分の姿が映りこんでいるのが分かったクルミは、今までと何かが違うような気がしながらも、嬉しくてつい言葉を続けてしまう。

「それで、いろいろお話してて・・・あっ」

「うん?」

穏やかな相槌に、言葉を切ったクルミが目を伏せた。

「・・・勉強、全然してないや・・・」

「たまにはいいんじゃないか?」

「うーん・・・」

頬を緩めるカイとは対照的に、クルミは眉根を寄せる。

そんな彼女を見て息を吐いた彼は、そっとその手を伸ばした。

そのまま、ぽふ、と彼女の小さな頭を軽く叩く。

「いいんだよ。

 そんなに急がなくても、これから時間はたくさんあるんだろ」

「あ・・・」

カイのひと言に、クルミの顔が上がる。

「・・・だろ?」

「ん・・・そ、ですね」

ふにゃりと笑みを浮かべた彼女に、カイも頬を緩める。

そんな上司を見ていたスバルは、動揺しそうになる自分を叱咤して、息を詰めていた。

これは部隊の皆に話していい類の出来事なのだろうか・・・と、考えながら。


「ほら、帰るぞ」

スバルが一瞬意識を逸らしている間に、カイがクルミに手を差し出していた。

小首を傾げた彼女に、カイが差しだした手をひらひらさせている。

少しの間をおいて、その手に掴まるようにと言われているのだと思い至ったらしいクルミが、遠慮がちにその手を取った。

そして、ぶらぶらさせていた足を床につけようとした、刹那。

「・・・あ、わぁっ、」

上体が傾いだ。

慣れないヒールが、床を滑ったらしい。

こういう時、人の目には起こっていることがスローモーションに映る。

そんなことを思い出しながら、慌てたスバルが手を出そうとした瞬間。

驚きに小さな悲鳴を上げたクルミの体は、カイの腕の中にあった。

「・・・っぷ、」

「っと・・・」

一瞬息を詰めたカイが、声を漏らす。

腕の中で体を強張らせたクルミが、力を抜くのが分かる。

「大丈夫?」

クルミの足が床にきちんと着くのを見届けたカイは、そっとその腕から彼女を解放した。

コツ、とヒールの音が響く。

腕からクルミが離れる刹那、シャンプーの匂いが漂った。

その甘い匂いに頬を緩め、目を細めたカイが、目を丸くしているクルミの顔を覗きこむ。

すると、彼女は我に返ったように何度も頷いた。







「スバルとね、友達になりました」

「・・・トモダチ、ねぇ・・・」

「ん?」

「いや・・・。

 良かったな」

「はいっ。

 初めての友達です・・・!」

「・・・いきなり呼び捨てなんだな?」

「それ、わたしも思ったんですけど・・・だって、彼はわたしより年上だし・・・。

 でもスバルが、お互いフランクになろうって」

「なるほど・・・スバルが、か」

「はい、友達になろうって言ってくれて」

「・・・そうか。そういうことか・・・スバルの奴・・・」

「ん?

 ・・・何か、ダメでした?」

「いや、いいよ。

 ただの友達も大事だ」

「はい!

 スバルにもっと友達紹介してもらおうかなぁ・・・」

「・・・もっと?」

「出来れば女の子で」

「・・・あ、ああ・・・女の子ね・・・」

「・・・え?」

「いや、何でもない」

「あれ、でも、」

「ん?」

「・・・カイは、どうして呼び捨てなんですか?」

「え?あ、ああ・・・どうしてだろうな・・・?」

「やっぱり、さん付けしてもいいですか?」

「・・・ダメ。

 さっきも咄嗟にさん付けで呼んだだろ」

「だって、友達じゃないもん」

「ああ、友達ではないよな。

 今さら友達に区分されるのも、癪な話だし」

「しゃく?」

「ああうん、なんでもない。

 ・・・ほら、着いたぞ」









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