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風を切って草原を走りぬけ、丘を越えて東の街へ辿り着いた軍用車は、ゆっくりと徐行運転で城門を通り抜けている。

クルミは、冷たくて湿った匂いを吸い込んで咳き込み、ほんの少し涙目になりながらトンネルの先に見えてきた景色に目を凝らした。薄暗い所から出て眩しいのはカイもコウも同じはずなのに、何ともなさそうなのはどうしてだろう・・・と思う。

そして、眩しさに慣れた頃になって彼女は街の喧騒や、物や人の多さに圧倒される。

じっと街の様子を見つめたままの彼女の唇が、小さく開いていくのを隣で見ていたカイは、ふっと息を漏らしてそれを見ていた。

幼さを感じさせる眼差しを微笑ましく思うのと同時に、やはり街の人間ではなかったのかと、心に影が落ちてくる。

街の人間ではない・・・ならば一体、どうしてあんな場所に倒れていたのか。絡まってぼさぼさの髪は不可解だけれど、外見や服装は街の少女達とそれほど変わらない。

どこかの街に暮らす人間で、家出でもして来たのか。けれど、こんな少女が1人で出歩くことなど不可能に決まっている。そんなこと、物心ついた子どもなら皆知っていることだ。

「おい」

蹴り起こされたことは根に持っていないらしいコウが、ちらりと視線を後ろへ投げた。

考えに耽っていたカイは、一旦思考の海から上がることにして口を開く。

「レインに戻ろう。

 見回りと、迷子の保護の報告に行く」



真っ白な廊下を、蛍光灯が照らしている。

その中を、カイの背中について歩いているクルミは、なんだか病院みたい、と緊張に波打つ鼓動を宥めながら思っていた。

消毒液の匂いが漂っていてもおかしくないような、不思議な、時間の流れがなくなってしまったかのような空間に、不安になる。カイの背中との距離がこれ以上離れてしまったら、自分が時間の流れから置いていかれてしまうような、そんな気持ちになるのだ。

そして彼女が、いつまでこうして歩くのだろうかと思い始めた頃、ようやくカイの足が止まった。真っ白な壁に、金属で出来たドアノブがある。

「・・・今から、」

クルミを一瞥して、カイが囁いた。

「俺の上司に報告する。

 きっと何か質問を受けるだろうけど、素直に知っていることを答えて」

ピンと緊張の糸が張られたのを感じた彼女は、いくらか顔を強張らせて頷く。

彼女の緊張を見て取った彼は、内心で苦笑しながらもドアをノックした。

その音が体の中心を揺さぶるような感覚に否応にも緊張が高まった彼女は、胸の前で手を組んで、ぎゅっと握り締める。

部屋の中から返ってきた声は、男のものだった。


「失礼します。

 見回りから戻りました」

カイの言葉に、椅子に腰掛けていた男は顔を上げた。そして、おや、と口の中で呟く。

「・・・それは?」

「氷ヶ原の手前で保護しました」

早速自分の話題になっていることに、クルミは俯いていた。いや、部屋に入る時から目が合うのが怖くて下を向いていたのだ。カイの靴だけを頼りに、打ちっぱなしのコンクリートの床を、綱渡りでもするかのような慎重さで恐々と辿って。

「あんなところで・・・?!」

男の声が、驚きに掠れる。

「倒れていました。

 街の人間では、ないようです」

カイは、眠りこけていたと言うのをやめておくことにした。あの場所にいたことですら、驚くようなことなのだ。その上、寝入っていただなんて。

男は信じられないというような表情のまま立ち上がり、彼女の前まで大股で歩いてくる。そして、無遠慮に彼女の顎を掴んで、顔を上げさせた。

驚きのあまり感情が昂ぶっているからなのか、男は力加減を間違えていた。彼女の顔が、ぐに、とおかしな形になりながら上へと向く。

ひっ、と息を吸ったクルミは、視線だけでカイに助けを求めた。似たような場面を、カイとも過ごしたような気がしたけれど、少なくとも彼は自分を傷付けなかったことを、彼女はきちんと覚えているのだ。

「・・・少佐、怯えています」

上司に進言するのを一度だけ躊躇いながらも、カイはそっと言葉を紡いだ。

すると、穴が開くほどクルミを見つめていた男は、ややあってから手を下ろす。そして、カイへと視線を投げた。

一方、解放された彼女は、やっと止めていた息を吐き出した。そして、俯きそうになる顔をなんとか上げたまま、男の顔を見る。

少佐、と呼ばれた男は、カイよりもずっと年が上のようだった。顎には髭がたくさん生えているし、髪には白いものが混じっているのが分かる。

・・・お父さんより、おじさん。

彼女がそんな感想を抱いていると、少佐と目が合う。手を離してはくれたものの、その目は険しくクルミを射抜こうとしているようだった。

思わず身構えていると、カイが口を開く。

「彼女は、声が出ません。

 喉を潰されているようではありませんが・・・出せないようです」

「本当か?」

少佐の訝しげな声色に、彼は頷いた。

「少し痛めつけたら、案外簡単に声が戻るかも知れないぞ」

「・・・出てくるのは悲鳴でしょう。言葉ではありません」

彼女が息を飲んだ気配に、カイは反省していた。

倒れていたと言えば、少なからず少女に対して同情するなり、慮ってくれると踏んでいたのだが。やはり少佐は少佐だ。自分にも同じ年頃の娘がいようが、自分の父の旧友であろうが。

片方の眉を器用に上げた少佐の視線を受け止めてから、彼は彼女をちらりと見た。不安げに揺れる紫色の瞳は、縋りつくように自分を見ている。

車から街を見渡して煌いていたのが同じ瞳だったことを思い出して、カイは少佐と視線を合わせて口を開いた。

「部下は、彼女に対して何も感じなかったようです。

 ・・・私はそれを信じて、彼女を保護しました。

 あんな場所で人を保護するのは初めてのことなので、指示を仰ぎに」

「なるほど」

カイの言葉に、少佐は顎鬚を撫でながら頷いた。

しばらく考える素振りを見せてから2人の傍から離れて、机の上に置かれた電話の受話器を取る。少佐は、ボタンを押してすぐに短く言い放った。




クルミはメモ帳とペンを片手に、少佐の執務室に来た看護師のような女性に連れられて、医務室へやって来ていた。

「健康状態に問題がないか、簡単に診察してもらって来い」というのが少佐の主張で、彼女がカイを見上げると、少し間を置いてから頷かれた。

そして、メモ帳とペンを渡されたのだ。

カイは少佐に報告があるからと部屋に残っている。

これからどうなるのだろう、と彼を見上げていたら、少佐は彼女のぼさぼさな頭に手を置いて「診察が終わったら迎えに行かせる」と笑った。

あんなに怖いのに笑うのか・・・と思ったクルミは、初めて喋れなくて良かったと思った。もし声が出ていたら、思わず心の声が口から飛び出していただろうから。

「さ、服を脱いで。

 下着も、全部ね」

看護師風の女がクルミが医務室に入るなりカーテンを閉めて、言った。

そのひと言に、四方をクリーム色に囲まれて戸惑っていた彼女は、あんぐりと口を開ける。そのまま看護師を振り返れば、目が合って肩を竦められた。

「だって、しょうがないでしょ。

 肌の出てる部分だけ見たって、何が何だか分からないじゃない。

 ・・・大丈夫よ、先生は女性だし・・・ほら、ぱぱっと」

言いながらカーテンの向こうへ消えていった看護師を、恨みがましそうな目で見送ったクルミは、メモ帳なんか要らなかったんじゃないか、なんて頭の片隅で考える。自分の意志を伝える場面なんて、この先どれくらい用意されているのだろうか。大体、健康診断というのものは裸で受けるんだったか。

そして、もそもそと服を脱いでいると、カーテンの向こうに人の気配がした。

「開けるわよ~」

年若い声が聞こえるのと同時に、ジャッ、とカーテンが開けられる。

返事をする前に人が現れた衝撃に、クルミは息を飲みこんで固まった。恥ずかしさに、つむじの辺りまで熱が突き抜けて、気が遠くなりそうだ。

「あららら、大丈夫?」


「うーん、体温はずいぶん低めねぇ」

あれから散々な辱めを受けたクルミは、やっと病衣を身に纏うことを許されて、医師の前に用意された椅子に腰掛けていた。

倒れていた、という報告から、彼らは外傷から性的な暴行の有無までを確認しようとしていたのだ。何しろ声を失っているのだ、相当な心の傷を負わされた可能性を疑わないわけにもいかない。

もちろん声を失った原因を探るなら、カウンセリングを受けさせることも視野に入れるべきだと医師は考えていたのだけれど、それはクルミ本人にでなく少佐への報告として届けるつもりでいるのだ。

ちなみに当のクルミが「こういうの、セクハラっていうんだっけ」などと考えていたことは、誰も知らない。やはりメモ帳は、あまり活躍しなかった。

その後は、聴力や視力、身長と体重、体脂肪など、ありとあらゆるものを調べていった。そして、真っ赤になって羞恥を耐え忍び、吸盤を体に取り付けられたりヘッドホンをしたり、狭い箱のような場所に入れられたりしていた彼女は、くたくたになって椅子に座っている。

残念ながら、今は指一本動かす気力もない。

体温計の示す数値が、平均よりもかなり低いことに医師は訝しげに眉をひそめた。

「もしかして、だから倒れてたのかなぁ・・・」

ぶつぶつと呟く医師を目の前に、彼女は思い当たる節があった。精神的に磨耗しきっている今では、全く説明しようなどとは思わないのだけれど。

やがて考え込んでいたらしい医師は、ため息混じりにこう言った。

「とりあえず、健康体だね。

 体温の低さが気になるけど・・・。

 血液検査の結果が出るまでは、健康体ってことにしとこう」



くたくたになった体を動かして着替えていると、話し声が聞こえて思わず手を止めた。そしてすぐに、カイが迎えに来たのだということに思い至る。

急いで服を着て、勢いよくカーテンを開けた。

「じゃあ、結果は少佐にお願いします」

「おっけー」

医師と会話していたカイは、乱暴な音を立てて開いたカーテンに驚きつつも、中から飛び出してきた彼女の様子に目を瞠る。

「・・・健康診断って、体力測定じゃないですよね」

誰にでもなく呟いたカイの目には、クルミが少し痩せて見えた。







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