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5-4







「・・・っ」

息を止めた瞬間に、下腹部に刺すような痛みが走った。

クルミは顔を歪め、浅い呼吸を繰り返す。

すると今度は、鈍い痛みが襲う。

「・・・こわいよぉ・・・っ」

頭の中はパニックだ。

得体の知れないことが、自分に襲いかかってきている。

自分は死ぬのだろうか・・・そんな考えすら、脳裏をよぎった。

「・・・ぃ・・・っつぅ・・・」

そして歯を食いしばった瞬間、それは起こった。




痛みの合間に感じたのは、寒気だった。

恐怖などからではなく、単純に寒さを感じたのだ。

下腹部を擦っていた両手が、自然と両腕を擦る。

脂汗が体温を奪っていったのかと思ったクルミが、額を伝ったものを拭った時だ。

きぃぃ、と金属同士のぶつかるような、不快な音が耳に響いた。

「・・・あ、やだ・・・っ」

何が起こるのかが分かったクルミが、青ざめる。

その刹那、痛みと寒さに震える彼女の足元から、氷の蔦が生えた。

ぱきぱき、めきめき・・・と、蔦の先端が割れては伸びてを繰り返す。


・・・どうしよう・・・?!


初めてカイの前で声を出してしまった夜と同じように、氷の蔦が絡まり合いながら驚き戸惑うクルミを包みこもうとする。

冷気は白い渦を巻き、氷の蔦はバスルームの隅にまで伸びてゆく。

まるで、部屋全体を凍りつかせようとしているようだった。

「待っ・・・」

咄嗟に手を伸ばそうとした彼女は、蔦の棘に触れそうになって手を引っ込める。


・・・何でなの・・・?!


悔しさ半分、怒り半分の気持ちで引っ込めた手を握りこむ。

歯を食いしばると、忘れていた下腹部の痛みがぶり返した。

「・・・っ」

体の中が捩じられる感覚に、眩暈がする。

ぎゅぅぅ、と自分の中の何かが収縮しているのが分かって、クルミは浅い呼吸を繰り返した。

そうしている間にも、氷の蔦は鳥籠を編むように絡まり合いながら、彼女を囲い込んでいく。

「・・・おねが・・・、やめ・・・っ」

何とかしなくては、とクルミの口からうわ言のような声が漏れ出た時だ。





「大丈夫ですか?!」

声と同時に、ドアが強く叩かれた。


・・・大佐・・・!


助かったという気持ちと、今開けないで欲しいという気持ち。

ほっとした刹那、緊張に心臓が縮みあがった。


・・・どうしよう?!


ぱきん、と伸び続けていた氷の蔦が折れる。

その音すら漏れ聞こえていないかと、クルミは不安に泣きそうになった。

感づかれてはいけない。

見られるなんて、もってのほかだ。

「どうしました?!

 ・・・クルミさん、返事して下さい!」

ダリア大佐の切羽詰まった声に、クルミの気持ちが焦る。

返事をしなければ、きっとドアは強引に開けられるだろう。

中で倒れているかも知れない、と大佐が考えても不思議ではない。

けれど、今、この瞬間に飛び込んで来られては困るのだ。

おそらく氷の蔦は、彼女を攻撃するだろう。

それくらいのことは、クルミにも見当がついた。

流れ出た血をどうにかしたい、でも大佐を中に入れることは危ない・・・そう考えて、口を開いたり閉じたりしていると、ふいにクルミの体に纏わりついていた冷気が消えた。

それは出現した時と同じように、突然の出来事。

「・・・ぁ・・・」

絡まり合った蔦が、照明の光を受けて輝きながら、ぱきん、と音を立てて割れていく。

そして、その全てが虚空へと溶けて消えた次の瞬間、バスルームのドアが開いた。






「落ち着かれました?」

紅茶を淹れ直した大佐に問われ、クルミはこくりと頷いた。

ほわほわと立ち昇る湯気と茶葉の香りを吸い込むと、鈍く痛む下腹部のことを忘れられそうだ。


バスルームのドアのロックを、持って来たコインを使って開けた大佐は驚いた。

クルミが、血のついた下着を手に、真っ青な顔をしていたからだ。

自分は何かの病気で死んでしまうのか、と涙声で尋ねられた時には、噴き出してしまったけれど。

どことなく幼い印象の彼女だけれど、まさか生理が来ていなかったとは・・・と内心驚きつつも、まずはシャワーを浴びさせた。

血を見て動転してしまったクルミを落ち着かせるために、足を伝っていたものを綺麗に洗い流させたのだ。

その後のクルミは大佐の言葉に真剣に耳を傾けた。

大佐は丁寧に体の仕組みを復習し、それにまつわる用品の使い道なども説明したのだった。


そして今、やっと2人で落ち着いてお茶を飲んでいる。

「私の所にいる間で、良かったですねぇ」

しみじみ言葉を紡いだ大佐に、クルミも息は吐いた。

「・・・ありがとうございました。

 下着・・・新しいの買って、返します」

「お気になさらず」

ぺこりと頭を下げ、申し訳なさそうにしているクルミに大佐は微笑む。

ノート越しの会話をしていた時は、なかなか伝わりづらいものがあったけれど、こうして声に出して会話をしていると育ちが良いことがよく分かる。

大佐から見て、クルミは不思議な少女だった。

・・・少佐からは詮索するなと言われているから、何かを尋ねようとは思わないけれど。

「あ、」

クルミは、あることに気づいて声を上げた。

微笑んで彼女を見ていた大佐が、何かと小首を傾げる。

「でもわたし、お金持ってない・・・」

肩を落として呟いたクルミの顔を、大佐が覗きこんだ。

「気になさらず、ね?」

「でも・・・」

優しくかけられた言葉に、クルミは言い淀む。

「お金、たくさんかかっちゃって」

「少佐から、聞いてますでしょう?

 ・・・レインから補助が出るんです。

 一応養育者が管理することになってますが、クルたんのためのお金なんですから」

だから気にしないで、と諭すように大佐が言うのを聞いて、クルミは渋々頷く。

頷くしかないのだ。

首を横に振ったところで子どもが我儘を言っているようなものだ、と自分でも分かっていた。

両親と暮らした時間の中で染みついた、大人の顔色を観察してしまうクセは、体だけが16歳になったところで抜けることはないらしい。

大佐を困らせるのも違う、と思ったクルミは静かに紅茶を含んだ。

下腹部の鈍い痛みとの付き合いを思うと、なんだか頭まで痛くなりそうだった。









控えめなノックの音に、大佐はそっと立ち上がった。

気配を消してドアに近づき、覗き穴から訪ねてきた人物を確認する。

ドアの向こうにいるのがカイだと分かって、彼女は物音に注意しながら鍵を開けた。


「ありがとうございました、大佐」

「お疲れさまです」

敬礼に、大佐が頷きで応える。

柔らかい雰囲気を纏う大佐に、カイも頬に入れた力を緩めて口を開いた。

「・・・クルミを、迎えに来ました」

「ええ、ご苦労さまです。

 ・・・どうぞ、中へ」

大佐がカイを中へ招き入れる仕草をすると、彼はゆるゆると首を横に振った。

「いえ、私はここで」

クルミが世話になったとはいえ、上司の、それも女性の個室に入りこむのは気が引けるのだ。

半分仕事のようなものなのだから、本人から勧められれば気兼ねする必要はないのだと頭では理解している。

けれど、なんとなくカイは足を踏み入れるのを躊躇った。

すると大佐は、困ったように眉を八の字にして、小さく笑う。

「クルたん、寝ちゃったんです。

 ・・・私では抱き上げられませんから、お願い出来ます?」

「ね、寝・・・?」

「ええ、お腹と頭が痛いみたいで。

 ああいうのは個人差がありますから・・・。

 お薬を飲んで、」

「熱が?」

頬に手を当てて小首を傾げて話していた大佐の言葉を遮るように、カイが尋ねる。

大佐は、もともとゆっくりした口調が止められて、ぱちぱちと目を瞬かせた。

そしてひと呼吸おいて、カイの質問の意味を理解する。

答えようと口を開いたその顔には、苦笑が浮かんでいた。

「いえ、ああ・・・もしかしたら、少し。

 でも大丈夫ですよ」

「・・・医務室へ連れて行きます」

「あらあら・・・」

焦りを含んだ声に、大佐が呆れたように肩を竦める。

「まあ、ともかく中へどうぞ」


ベッドの中で熟睡しているらしいクルミの寝顔を目の当たりにして、カイは大きく息を吐いて胸を撫で下ろした。

見た感じは、普通に寝入っているように見える。

「連れて帰る前に、お話があります」

紅茶を準備している大佐は、クルミの寝顔を穴があくほど見つめているカイに苦笑しながら言った。

頬に触れようかどうしようかと、片方の手を握ったり開いたり・・・傍から見ていると、とても滑稽なのを本人は気づかないらしい。

それが、大佐の苦笑を誘う。

彼の視線が大佐へと向けられた。

大佐は咄嗟に頬を引き締めて、笑いだしたくなるのを咳払いして誤魔化してみる。

「何でしょうか」

部下らしく敬語を遣ってはいるものの、カイの態度からは何だか面白くない、という雰囲気が滲み出ていた。

そんな彼に、大佐はソファを指差して微笑み、言いづらそうに囁いた。

「・・・来ちゃったんですの・・・アレが」

頬が赤くなりそうなのを必死に堪えている大佐を、カイが訝しげに見つめる。

「は・・・?」

一体、何の話をしているのか。

もともと綿雲のような、決して掴めない雰囲気を纏った大佐だけれど、今回は本当に何が言いたいのかが分からない。

カイは素直な反応をしたことを申し訳なく思いつつも、大佐に視線を向けた。

「ですから・・・」

口ごもった大佐が、きっ、とカイを睨みつける。

その瞬間、悪いことをしたわけでもないはずなのに、彼の胸の中に追い詰められる何かがあった。

戸惑いに何も言えなくなっているカイを睨みつけた大佐は、その口を開いて息を吸い込んだ。

「女のコの日が来ちゃった、ということですっ」

大佐にすれば、大幅な譲歩だった。

同性同士の会話であるならまだしも、相手は男性・・・しかも、部下だ。


・・・はぁ?!


一方カイは、心の中で思い切り不満げな声を上げていた。

決して、失礼な態度を取りたくて取っているわけではない。

無自覚にも、今、カイの頭の中には“体調が悪くて薬を飲んで眠っているクルミ”がいるのだ。

とにかく医務室へ、という気持ちが先立って、自分が大佐の部下で、軍人であるということが忘れ去られそうになっているだけで。


そうなった原因の一つには、クルミの語った過去にある。

彼女は眠りにつく前に、“何か得体の知れない、大人はかからない類の病を患っていた”と言っていたのだ。

もしかしたら、体が弱いのかも知れない。

もしかしたらその病が、また彼女を襲ったのかも知れない・・・。

そんな想像が、大佐の言葉を聞いた瞬間に脳裏を駆け巡ったのだ。


いまいち反応のよろしくないカイを目の前に、大佐は淹れたばかりの紅茶を差し出すことも忘れて、大きくため息を吐いた。

この男と同じ屋根の下で生活させて、大丈夫なのだろうか・・・と。

もはや目線が完全に母である。

大佐は腰に手を当て、カイにいくらか険のこもった視線を向けた。

その決意の滲む目つきに、カイが若干怯む。

「生理が来たんです、クルミさんに!」

普段の大佐からは想像もつかないほどの早口で捲し立てられ、カイは目を大きく見開いた。

そして、間をおいて、やっと言葉の意味することに思い至る。

居た堪れなさに、口元を覆って視線を彷徨わせた。

そんなカイを見て、やはり理解していなかったか、と肩を落とした大佐は言った。

「・・・もう、少しは察して下さい・・・!」

顔を手で扇ぎながら、棘のある言葉を投げつけた大佐は、気を取り直して咳払いをする。

とりあえずクルミに何が起きているのかを、知ってもらうことは出来たのだ。

「ですから・・・ともかく・・・。

 クルたんは、お腹と頭が痛くて、薬を飲んで寝ているんです。

 必要だと思われることに関しては、私からお話してありますから・・・」

「では私は、何をすれば・・・?」

言葉を選びながら話す大佐に、いくらか冷静さを取り戻したカイが尋ねた。

病気でないのだと分かって、焦りに似た気持ちはどこかへ消えてしまったらしい。

久しぶりに自分が軽く取り乱したことに気づいて、内心苦笑いが止まらないけれど。

「そうですね・・・」

大佐の方は、苦笑を隠すつもりはないらしい。

突然冷静になったカイを見て、可笑しそうに頬を緩めて言った。

「病気ではないとはいえ、辛い方は本当に辛いみたいですからねぇ。

 ・・・クルたんの様子を見て、声をかけていろいろ聞けばよろしいのでは?」






眉間にしわを寄せて寝息を立てるクルミの顔を、カイはなんとも言えない気持ちで見下ろしていた。


退勤時間は、早朝4時。

一緒に夜勤を担当していたコウとリクが、カイに早めにあがるようにと提案したのだ。

特にリクは、クルミともある程度の面識があるだけに、強く勧めてきた。

カイは軍服から私服に着替えて、大佐の個室へとクルミを迎えに行ったのだ。


事情を聞いたカイは、起こしては可哀相だとクルミを抱き上げた。

自分の上着で彼女の体を包み込んで、揺り動かさないように神経を集中する。

掛けてやった上着が軍服で、少し埃っぽいのか。

そのせいで眉根を寄せているのか・・・などと思いつつ。




“いいですか、クルミさんは女性なんですから”

“体はもう大人なんです”

“ちゃんと気遣ってあげて下さいね”

車に向かう途中も、大佐の言葉が頭の中をぐるぐると回り続けている。


・・・体が大人なのは、もう十分思い知ってるんだけどな・・・。


途方に暮れた気持ちを意識した途端、腕の中が重くなった。

それに内心ため息を吐きつつ、カイは腕に力を込め直して歩く。

とりあえず、家に帰ったら彼女の体が冷えないようにリビングに毛布を用意しよう・・・などと、そんなことを取りとめもなく考えながら。









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