5-2
「じゃあ次は、」
店員の頬が引き攣るほどの量の参考書や問題集を購入し、車に積み終えたカイがクルミを振り返って言った。
「服を買いに行こうか」
「服っ?」
車の後部が、本の重みでわずかに下がっているのを呆然と眺めていたクルミは、カイの言葉に驚いて我に返った。
「でももう、十分持ってます」
首を振って遠慮すると、カイが苦笑する。
「今持ってるのだけだと足りないだろ。
・・・“お父さん”からも、参考書のことと服のことは頼まれてるんだ」
意味深な笑みを浮かべたカイに、“お父さん”が少佐のことだと思い至ったクルミは絶句した。
カイは、少佐とクルミの義理の親子関係が成り立った際に、いくつか頼まれごとをしていた。
まず、独学で勉強をさせること。
16歳だというからには、今からスクール通いをするのは現実的ではない、というのが少佐の考えだった。
それから、服を買い与えること。
自分は13歳のままだと思い込んでいたクルミが、少し前にカイに買ってもらった服は、幼すぎて悪目立ちしてしまう。
ある程度学力を身につけたらスクールの卒業認定試験をパスして、仕事を得なくてはならないのだ。
そのためにも世の中に溶け込めるよう、3年間の精神的なギャップを埋める必要がある。
なかなか難しい課題ではあるが、外見を整えていくうちに中身が追いついてくるのを期待して、少佐はカイに指示を出していた。
「まあそういうわけだから、服を買いに行くよ。
あ、参考書も洋服も、少佐からのプレゼントだから。あとでお礼を忘れずに」
絶句したクルミをよそに、カイは早口で言いながら運転席のドアを開ける。
「ほら乗って」
目を見開いて固まっていた彼女は、カイに急かされてようやく助手席のドアに手を伸ばした。
デパートの立体駐車場に車を止め、中層階にある女性服のフロアへ向かう。
エレベーターのドアが開いた瞬間、クルミは目の前に広がった光景に息を飲んだ。
「この服を買ってもらった時のお店とは、全然違いますね・・・」
歩きだしたカイの半歩後ろから声をかけたクルミに、彼は小さく笑う。
今持っている服は、量販店で間に合わせに買ったものなのだ。
「あの時は、13歳なんだと思ってたからね」
「・・・なんか、わたし・・・ここに居ていいのかなぁ・・・」
なんとなく場違いだと感じたクルミが呟くと、カイはそっと手を伸ばした。
そして、歩の緩んだ彼女の背をやんわり押して、フロアをのんびり歩く。
気後れしたクルミを苦笑しながらも、カイは辺りを見回す。
それぞれのブランドのブースから、店員達がこちらに視線を送っている。
目が合うと、彼女達はにっこり微笑むか、気まずそうに視線を逸らした。
・・・早いとこ、変身させるか・・・。
胸の内で呟いて、彼女の背に添えた手を意識したカイは、視線を前へ投げる。
彼女達の形容しがたい眼差しに晒されたクルミは、彼の手に促されるまま、黙って下を向いて歩いていた。
世界の流行は、季節ごとに目まぐるしく移り変わる。
デパートの婦人服売り場は、夏の暑さなど素知らぬ顔でマネキン達が着飾って、華やいでいる。
カイは色鮮やかな主張の強いブースを避け、いくらか落ち着いた雰囲気のブランドのブースを選んで、クルミの背を押した。
今回のテーマは、大人の階段、なのだ。
「何でも好きな服、選んでいいよ」
とん、と押されて一歩前に出たクルミは、その言葉に戸惑ってしまう。
「何でもって・・・ここ、高そうです・・・」
言いながら手近にかけられている服の値札を摘まんだ彼女は、そこに書かれた数字に目を瞠る。
そうして言葉を失っていると、後ろからカイが囁いた。
「金額のことなら心配ないよ。
未成年の養子を迎えると、レインからの補助が出ることになってる。
それに、これも“お父さん”からの指示だから」
・・・だからって・・・。
再度登場した“お父さん”に若干抵抗を感じつつも、クルミは渋々頷く。
ここでカイを困らせても、どうしようもないのだ。
「とりあえず、1週間分揃えよう」
頷くと頭を撫でられて、クルミは上目遣いにカイを見上げた。
「お嬢様は、抵抗を感じる色はありますか?」
店員は、1週間分の着回しと聞いて、俄然やる気に満ちた目をクルミに向けた。
その熱い視線に気圧されたクルミは、試着室の前のソファで携帯をいじっているカイに、目で助けを求める。
けれど彼は、肩を竦めただけで何かを言うつもりはないらしい。
クルミはカイの助け船を期待するのを止め、おずおずと口を開いた。
「ピンクと赤は、苦手です・・・あと、紫・・・」
「分かりました!」
にっこり笑って頷いた店員が、くるりと踵を返してラックにかかる服を何着か手に取る。
試着室に敷かれたラグの上に立って、その様子を見ていたクルミは、小さく息を吐いた。
そんな彼女に、カイは携帯から視線を上げる。
「・・・値札と睨み合ってるクルミが悪いと思う」
「う・・・だって・・・」
頷いたきり、いくつか服に触れては値札をチェックして、固まって・・・を繰り返しているクルミに、痺れを切らせたカイが、店員を呼んだのだ。
店員はカイの期待通りに、“お兄さんはこちらで、お休みになって下さいね”とソファを勧めてくれ、その上張り切ってクルミの服を選んでくれている。
当の本人だけが置いてきぼりになっている感は否めないが、長時間ここで女性物の服に囲まれているのはやはり、気まずかった。
「お待たせしましたー!
それじゃあ、まずはコレから試着してみましょうか」
息を弾ませた店員が戻り、2人の間に入る。
カイからは、服を渡されたクルミの表情は窺えない。
「う」という声は聞こえたけれど、とりあえず嫌だ、とは言わなかったらしい。
試着室のドアが閉められて、中からは布同士が擦れる音が漏れ聞こえてくる。
カイは手にしていた携帯に視線を戻して、パズルゲームの続きを楽しむことにした。
「あのぉ・・・」
小さな、若干情けない声が聞こえて、カイは視線を上げた。
ドアが少しだけ開いて、そこからクルミが片目を覗かせている。
「・・・何やってんだよ、出てくればいいだろ」
変質者みたいだぞ、とカイが言いかけた時だ。
2人が言葉を交わしているのを聞きつけた店員が、駆け寄ってきた。
そして、ぐい、とドアを開ける。
「きゃ、わぁっ」
ドアノブを掴んでいたらしいクルミが、引っ張られた反動で勢いよく試着室から飛び出した。
片足がラグからはみ出した格好のまま、固まっている。
「・・・やっぱり~」
店員が手を叩いて、喜びの声を上げた。
それが耳と通り抜けていくのをそのままに、カイは口を開く。
いや、口が開いてしまっていることに、本人は気づいていないらしい。
「お似合いですねぇ・・・お嬢様は、黒とか茶色よりは、ネイビーがいいかも知れません」
そう言って、店員はプリーツの入った紺色のスカートを指差す。
ウエストのサイズや着用感についてあれこれ質問されて、首を振ったり頷いたりしていたクルミは、ソファで口を開いたまま固まっているカイに声をかけた。
「あの、カイ・・・」
「・・・あ、え?」
「おかしくないですか、これ・・・?」
心配そうに尋ねるクルミに、カイは携帯をポケットにしまいながら、首を振った。
そんな彼のことを、一歩離れた所から店員が必死に頬に力を入れて、眺めている。
「似合ってる。
・・・やっぱり、服で雰囲気変わるもんだな」
ぽつりと呟いたカイを見て小首を傾げたクルミは、とりあえず“似合っている”という表現にほっとして、息を吐く。
「お兄さんのOKも貰えたことですし、どんどんいってみましょう!」
店員の楽しそうな声に、クルミも思わず頬を緩めた。
「うーん・・・それはちょっと違うような・・・」
「そうですかぁ?
モテ要素がたくさん入ってるのになぁ・・・」
「なおのことダメだ」
店員の説明を、カイが一刀両断する。
目の前で交わされるやり取りに、クルミは言葉を失っていた。
正確には、若干疲れていた。
これで何着目だろうか。とっかえひっかえ、次々に服を持ってこられては着替え、の繰り返し。
携帯をしまったきり、ソファに腰掛けて監督さながらに試着したものにチェックを入れていたカイは、いつの間にか試着室のドアを開けると、そこに立っていて。
・・・この格好、冷房効いてると寒いかも・・・。
ショートパンツから伸びる足を手で擦っていると、視線を感じてクルミは顔を上げた。
「・・・ん?」
カイが自分を見ていたのだと気づいた彼女は、もう店員との議論は終わったのだろうかと、小首を傾げる。
するとカイが、店員に向かって口を開いた。
「とにかく、これはいらない」
かちっと合ったはずの目を逸らされて、クルミは内心で首を捻る。
なんだろう・・・などと考える暇もなく、店員が次の服を持って来たのを受け取ると、勝手にドアを閉められて困惑してしまう。
・・・これ、いらないのかぁ・・・。
決して嫌いなデザインの服ではなかっただけに、カイに一刀両断されて若干落ち込んだクルミは、胸の中で呟いてファスナーに手をかけた。
そのままするりとショートパンツを脱いで、次に控えているパンツに足を突っ込む。
お金を出してもらう立場としては、“これ欲しい”などとは言えないのだ。
この間買ってもらったジェリービーンズとは、わけが違う。
小さく息を吐いて袖を通し、髪を整える。
試着室の中の鏡で後ろ姿をチェックしながら、クルミは自分の姿がずいぶん大人っぽくなったことに気がついた。
・・・わたし、こんな服が着られるくらい、大きくなったんだ・・・。
全身の映る鏡の中で、佇んでいる自分。
彼女は、一歩それに近づいて覗きこむ。
顔立ちがいくらかほっそりした気はしていたけれど、なんだか足や腕までもが、ほっそりと伸びた気がしてきた。
そうなると、ついさっきまで着ていた服が、ずいぶん子どもじみて見えてしまう。
クルミは、鏡の中でどんな顔をしていいのか分からずにいる自分でも、周りからは女性として見られているのかも知れない、とぼんやりと考えた。
・・・16歳に見えるもんだな・・・。
素直な感想を胸に、カイは息を吐いた。
ソファに腰を沈めて、足を組む。
最初の試着を終えて飛び出してきたクルミを見てからというもの、もう携帯のゲームで時間を潰そうなどとは思えなくなっていた。
ドアを開けた時に引っ張られたからなのか、紺色のスカートは膝からずいぶん上の丈で、少しだけ捲れていて。
襟ぐりの開いたキャミソールに、半袖のパーカーを合わせた店員のセンスは良かったと思う。
彼女にとてもよく似合っていた。
少し露出が増えただけで、クルミの見た目と実年齢に差がなくなったような気がしたものだ。
・・・でも、ショートパンツはダメだろ・・・。
最初の短いスカートですら、やりすぎ感が否めなかったというのに、足のほとんどを出されてしまっては困るのだ。
その上、無防備に小首を傾げて下から覗きこまれては、一体どんな顔をすればいいというのか。
・・・誰か女性に、家庭教師でも頼むか・・・。
途方に暮れて息を吐いたカイは、意識を遠くへ投げる。
するとその刹那、脳裏にクルミの姿が浮かぶ。
・・・さ、最低だ。
思わず頭を抱えた彼の頭の中を埋め尽くすのは、服を変えた途端にクルミの胸に視線が吸い寄せられてしまった、自分の失態だった。




