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5-1








「・・・クルミ。

 朝ごはんの準備はいいから、出掛けるよ」

寝起きの髪を無造作に纏めて階段を下りて来たクルミは、すでにリビングで新聞を読んでいたカイに呼び止められた。






ゴブレットに注がれる水に見惚れたクルミを、カイが小さく笑う。

クルミが、彼の浮かべた笑みにすら気づかず店内に視線を走らせていると、水を注いでいた店員がメモを取って踵を返した。

テーブルに置かれたメニューに集中しないクルミに代わって、カイが適当に見繕ったものを注文したのだ。

「・・・どうした?」

ぽかん、と口を開けたまま店内を見渡すクルミに、カイは小声で囁いた。

すると彼女は、視線を目の前に戻す。

そして耳に入ったのと同じくらいに、声を落とした。

「こういうお店、本当に小さい時にしか来たことなくって・・・」

「そうなの?」

カイが短く問い返すと、彼女は静かに頷いて視線を投げる。

2人の案内されたテーブルからは、通りを行き交う人の波が見えた。

「こういうお店は、軍人さん達しか入れなかったから」

「・・・そっか」

ドアチャイムを鳴らして店に入ってきた客が、店員に案内されて2人の側を通る。

クルミはそれを、眩しそうに見つめていた。



「う、」

驚きに目を大きく見開いたクルミは、次の瞬間瞳を輝かせた。

「わぁぁっ」


・・・そんなに感動しなくても・・・。


小さくカットされたフルーツと、ホイップクリームが大げさなくらいにトッピングされたパンケーキを目の前に、歓喜の声を上げたきり言葉を失っているクルミを、カイは内心苦笑しながら眺める。


・・・外見と中身のバランスがおかしいから、やっぱり浮くよなぁ。


この街に住む16歳ならば、レイン付属の養成校に通っていても不思議はない。

小等部の6年間、中等部の3年間を卒業すれば、それぞれが働くなり専門校に入学するなり、おそらく人生で初めての選択をするのだ。

父親を15歳で亡くした彼は、迷うことなく養成校に入校することを選んだ。

残された家族3人が生きていくには、自分が軍人として出世することが正しい道だと思えたから。


・・・精神年齢を、どうにかして実年齢に近づけないと・・・。


居合わせた他の客が、訝しげな視線をクルミに投げかけていることに気づいたカイは、昨晩思ったことを再認識しながら息を吐いた。

ほとんど同時に自分の頼んだBLTサンドが届けられて、カイは口を開く。

「とりあえず、食べよう」

目をキラキラさせて、パンケーキに感動していたクルミは、カイのその言葉に勢いよく頷いた。





口に入れると、ふわりとクリームがほどけて消える。

残るのはフルーツの酸味と、パンケーキの香ばしい風味だ。

「・・・おいひー」

クルミは、器用にそれらを同時に口に入れ、さらに感想を紡ぐ。

顔には、満面の笑みが浮かんでいる。

「それは良かった」

そんな彼女の様子を見ていたカイは、苦笑しながら言った。

「クルミ、」

「ふぁい」

誕生日がやって来たのかと思うほど豪華なパンケーキを、夢中で味わっていたクルミは、口を動かす合間に返事をして視線を上げる。

それがまた可笑しいカイは、失笑して頷いた。

「あ、うん。食べながらでいいから聞いてて」

そのひと言に、彼女の手と口が動き出す。

カイは、彼女の耳だけは自分に向けられていると信じて、言葉を続けた。

「俺、今日夜勤なんだ。

 20時出勤で、明日の早朝5時退勤の予定で・・・。

 いろいろ質問はあると思うけど、とりあえず聞いてて。

 ・・・ええと、俺の出勤までに服と問題集を買いに行こう。

 クルミが社会に出るには、通信教育でスクールの卒業認定を受けないといけなくて、って。

 意味、たぶん分からないよな・・・」

自分にとって知っていて当たり前の言葉を紡いでいたカイは、クルミがきょとん、と首を傾げていることに気づいて口ごもる。

そして、瞬きを繰り返すクルミに向かって、もう一度ゆっくりと口を開いた。

「まあ、要は・・・これから毎日問題集で勉強して、ペーパーテストを受けること。

 それに合格したら、何かしらの学校に通うか、仕事を見つけよう」

「仕事?わたしが?」

彼の言いたいことが分かったクルミは、思わぬ展開に思わず訊き返した。

どっしりと皿を埋め尽くしていたパンケーキは、もうほとんど食べ終わっている。

フォークで転がっているブルーベリーを拾って、口に入れる寸前だった。

見事に動きを止めたクルミを見て、カイが曖昧に笑う。

「いや、まだまだまだ、先の話になりそうだから気にしないで」


・・・まだ、一回多いし。


自分が“話の内容が難しくて理解出来ない子ども”と言われたような気分になったクルミが、黙ったまま眉根を寄せた。

それがまた、カイの苦笑を誘うとも知らずに。

「・・・とりあえず今の生活に慣れるまでは、勉強漬けになると思う」

「べんきょう・・・」

あまりいい思い出のない単語に、クルミの肩が下がる。


・・・数学、嫌いなんだよねぇ・・・。


内心でため息混じりに呟いたクルミが、顔をしかめているのを見たカイは、食後のコーヒーを啜りながら言った。

「でも全部、クルミの将来のためだからさ」

ありきたりな宥め文句しか出てこない自分に、カイは内心でため息を吐く。

視線を遣れば、案の定クルミは呆けたようにカイを見つめていた。

きっと、腐るほど言われて呆れているんだろう・・・そう思いながら、カイが他の言葉を探していると、ふいにクルミがフォークを置く。

皿の上には、まだ苺が残されていた。

「・・・そう、か」

何か気のきいた言葉はないかと考えていたカイは、聞こえてきた小さな声で我に返る。

「わたしにも、将来がある・・・」

独り言のように呟いたクルミは、そっと目を伏せた。

一瞬カイの目には、彼女が泣いているように映って、鼓動が跳ねる。

泣かせてしまったのか、と焦る気持ちが背中を滑り落ちて、同時に、急に大人びて見えたクルミの表情に戸惑ってしまったのだ。

そんな、息を飲むような思いをしているカイのことなど露ほども知らずに、クルミは顔を上げて微笑んだ。

「・・・じゃあ、勉強頑張ります」

そのひと言で、カイは知らず知らずのうちに強張ってしまっていた頬から力を抜いて、息を漏らして頷いた。








“スクール参考書”という本棚の前で、カイが手早く目についた参考書を抜き出していく。

「“小等部算数・4年生程度”・・・って、4年生?」

渡された本の帯に書かれた文字を読んで、自分の目を疑ったクルミは、思わず目を擦ってもう一度本を見た。

書かれている文字は、時間が経っても同じだ。


・・・4年生って、少数とかじゃなかった・・・?


見間違いではなかったのだ、とクルミががっかりしていると、横で棚の上へと手を伸ばしていたカイが囁いた。

「買うだけ買って、覚えのないところから勉強していこう」

自称13歳が、4年生の問題集が必要であると判断されたことに愕然としていると、カイは小さく笑って本を掴む。

「意外と忘れてることって、あるかも知れないし。

 それに、本当に必要なければとばして構わないんだから」

「むぅ・・・」

諭すように声をかければ、クルミが小さく唸って口を噤んだ。

そんな彼女を見て、カイは頬を緩める。

どうやらクルミが困ったり、怒ったりしているのを見ると、気持ちが和むらしい。


・・・いやいや、子ども苛めて和んでどうするんだ・・・。


そう思い直して、無意識に緩んでいた口元を引き締めたカイは、さらに中等部の参考書を選ぶために手を伸ばす。

クルミは、苦笑していた彼が、急に真面目な顔になって本棚を見据えたことを不思議に思いつつも、その後について、一歩を踏み出した。




棚を移動しながら、参考書を集めてどれくらい経ったのだろうか。

参考書を何冊も抱えて、さすがに疲れたクルミは大きく息を吐きながら、隣で難しい顔をしているカイの横顔を見つめていた。

胸の中は、とても穏やかだ。


頭の中では、“買い物中は離れないこと”という約束をおまじないのように繰り返していた。








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