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4-5








肌がちくりと痛むのは、ひんやりとした冷たい空気に晒されたからではない。

自分の中の何かが、内側から警告を放っているからだということを、クルミは知っていた。




茄子を棚に戻したその手が、声をかけられて驚いたせいで、びくついたのが分かる。

「あれ、人違い・・・じゃないよね?」

生温く、夏の夜風のように腕や首に絡みつくような声。

優しく慈愛に満ちているのに、その声を辿ると知らない場所へ引きずり込まれそうな、声。

クルミは、棚へ向けたままだった手で動悸のする胸を押さえた。

呼吸を整えながら、動揺を顔の下に隠す。

そして、内心で勢いをつけて背後に立っているはずの人を振り返った。


「ああ、やっぱり」

にっこり微笑んだまま小首を傾げ、統治官が言った。

「この間は驚かせてごめんね」

飛び出した言葉に、咄嗟に首を振る。

統治官はそんなクルミの様子に苦笑しながら、彼女の手を取った。

そのまま、やんわりと力を込めてその手を引く。

「他のお客さんの邪魔になっちゃうから。

 こっちにおいで、ね?」

楽しそうに弾む彼の声を片方の耳で聞きつつ、クルミはおぼつかない足取りで、言われるまま数歩前に出た。

他の客の邪魔にならずに済んだのなら助かったと思うものの、自分の手を掴んだ大きな手が気になって仕方ない。


・・・苦手なんだよなぁ、こういう人・・・。


棚の前からどいたのだから、手を離して欲しい・・・そう言うべきかどうかを考えたクルミは、結局口を噤んだまま俯いた。

ここで声を出すことは、いい結果を生まないのではないかと考えて。

そして何も言わず、わずかに力を込めて引っ込めようとしたクルミの手を、統治官が大きな手に力を込めて引き戻した。

力を込めて引いていた反動で、ぐらりとクルミの体が傾ぐ。

統治官にぶつかるのだけは避けたい彼女は足を踏ん張ったけれど、結果逃げようとした時よりも彼に近づいてしまった。

目の前に統治官のバッジがあることに、体が硬直してしまう。

すると、彼が声を落として囁いた。

「君の手・・・いつもこんなに冷たいの?」

きらりと光るバッジに目を奪われている間に、クルミの手が彼の両手に包まれる。

自分の手が冷たいだなんて、感じたことはない。

クルミは咄嗟に首を振って統治官の言葉を否定するけれど、彼は小さく笑う。

「君にとっては、これが当たり前なんだろうけど・・・」

半ば独白に似た彼の呟きは、手の感触が気になって仕方ない彼女には、聞き取ることが出来なかったらしい。

不快感を募らせたクルミの表情が、いよいよ曇り始めた頃だ。


「クルミ」

硬い声が耳に飛び込んできて、クルミは思わず顔を上げて声の主を探した。

目覚めてから一番多く聴いてきた声を探すのは、今の彼女にとっては難しいことではない。

カートを止め、足早にこちらへやって来るカイの姿を見つけたクルミは、不快に歪みそうになっていた口角を上げた。

咄嗟に、その名を呼ぶ声が出かかる。

「・・・っ」

けれどカイが顔を顰めてわずかに首を振るのを見て、彼女は喉元までせり上がった声を、寸でのところで飲み込んだ。

数分前に声を上げかけて我慢した自分を思い出して、クルミは彼が近づいてくるのを待つ。

ツヴァルグ統治官は、背後から聞こえた声に内心で舌打ちをした。

これほど早くに、彼がクルミを探しにくるとは思わなかったのだ。

舌打ちをした胸の内で、仕方ない、と息を吐いた統治官は、穏やかな微笑みを浮かべ直してカイの方を振り返った。

クルミは、統治官の気が自分から逸れたのを感じて、思いきって手を抜きとる。

勢い込んだ割にあっけなく、するりと抜けて自由になったことに少し驚きながらも、彼女は捕まっていた手をぷるぷると振った。

両手で包まれていたからなのか、なんだか手が熱い。


「こんばんは、第8部隊長」

「彼女が何か、失礼でもしましたか?」

柔らかい声で投げかけられた挨拶を無視したカイは、自分よりも少し背の高い統治官の目を、射るように見据えた。

敵意と懐疑の間をとったような目つきをしたカイに、統治官は口角を上げる。

「いや・・・失礼なことをしたのは、どちらかというと私の方かな」

その言葉に目つきが一気に険しくなったカイを、統治官が小さく笑う。

「少し前に、図書館でね。

 たまたま買い物中にクルミを見かけたから、声をかけて謝っていただけだよ。

 ・・・そんなに怖い顔、することないと思うけど?」

笑みを含んだ声に、クルミも統治官の背後で顔をしかめた。

わざとカイの気に障るような言い方をしているような気がするのだ。

彼女は自分も統治官と対峙しようと、その背後から飛び出してカイの隣に並ぶ。

ポニーテールが揺れ、クルミの手がカイの服の裾を握った。

「申し訳ありません。この顔で生まれてきてしまいましたので、お許し下さい」

不遜な態度をとったカイが、事務的に言い放つ。

統治官は苦笑しながら曖昧に相槌を打って、クルミに視線を投げた。

その顔は、にこやかだ。

「君の声が聞きたいなぁ・・・。

 そうだ、今度ゆっくり、お茶でもしようね」

すると、思い切りクルミが首を横に振る。


・・・絶対、嫌!


カイは自分の服にしわが寄るのを横目で見て、口を開いた。

「・・・彼女との話が終わっているのでしたら、失礼します。

 買い物をしている途中でしたので」

真っすぐに統治官を見据えたカイは、有無を言わさぬ雰囲気を放ちながらクルミの手を取る。

それはあっという間の出来事で、クルミが小さく息を飲む暇もなかった。








どさり、と重い音が静かな家の中に響く。

玄関に荷物を置いたカイは、大きく息を吐いた。

「まさか、こんなに早く統治官が接触してくるなんて思わなかったな」

「・・・ごめんなさい」

靴を脱ぎ揃えたクルミが、食材の入った袋の1つを持ち上げて言う。

申し訳なさそうに小さな声を発した彼女を一瞥すると、カイはその手で彼女の頭を撫でた。

艶のある黒髪が、照明の光で輪を作っているのを見て微笑む。

「クルミが悪いわけじゃないだろ」

囁きに、彼女の頭が小さく上下する。

それを見て息を漏らしたカイは、荷物を持って彼女をキッチンへ促した。


クルミが、買い込んだ物を次々に冷蔵庫に詰めてゆく。

カイは野菜や果物で彩られていく冷蔵庫の中を見て感心しつつも、楽しそうに笑顔を浮かべてスーパーの中を歩いていた彼女の姿を思い浮かべていた。

微笑ましいのと同時に、なんだか心許なく感じてしまう。

これは好きか、あれは好きか・・・そんなことを尋ねる時の、彼女の髪の不規則な揺れが、彼の気持ちに波を立てる。


・・・中身が、まだ13歳ていうのもな・・・。


最初は、いくら主張したところで13歳ではないだろう・・・くらいに思っていたのだ。

だから、彼女を信じると決めてからは“歳の割に落ち着いている”ように感じていた。

13歳だという割には、家事もこなすし、しっかりしている。

けれど16歳だと知らされた途端に、彼女の姿と仕草がちぐはぐに噛み合っていないような、なんとも言えない違和感を覚えてしまって。


・・・13歳から16歳の間って、一体何してたかな、俺・・・。


体だけでなく心も成長するには、一体何をしたらいいんだろうかと考えて、カイはため息を吐いた。

男と女では興味の対象も何もかもが違う。自分に分かるはずもない。

大体、彼女の心が成長したからといって、それがどうしたというのか・・・。

そんなふうに、カイが考えることを放棄しようとしていたのと同時に、クルミが振り返って彼に声をかける。

「・・・カイ?」

「え、あ・・・うん?」

「ううん、何でもないですけど・・・ぼーっとしてたみたいだから」

玄関先で沈んだ声をしていた彼女は、きょとん、とした表情を浮かべてカイを見ていた。

我に返った彼は、慌てて頭の中をちらついていたものを消す。

そして、口を開いた。

「クルミ、」

「はい?」

食材の入っていた袋を纏めながら、彼女は小首を傾げる。

この仕草だ・・・と、カイは胸の内で息を吐いた。

自分が、16という数字を通してクルミを見ると、どうにも落ち着かなくて困る。

「しばらくの間は、買い物中は離れないように」

「・・・はい」

いくらか厳しい口調になったカイを見て委縮したクルミは、小さな声で返事をした。


・・・なんか今の、お父さんのお説教みたい。


クルミが素直に返事をしたことに内心ほっとしていたカイは、彼女が胸の内でそんなことを呟いていたなどと思いもしないのだった。





「それで、これからなんだけど・・・」

食事を終えてリビングでくつろぎながら、カイはあることを考えていた。

クルミは、話し始めた彼に無言で目を向ける。

「少佐の家で、暮らしてもいいかな、とは思ったんだけど、さ・・・」

「む、むりです・・・っ」

少佐の養子になったのだから当然、という考えは、クルミにはないらしいことを悟ったカイは、苦笑いしながら手を振った。


・・・少佐には、黙っておいた方がいいだろうな・・・。



どうやら少佐は、彼女に“お父さん”と呼んでもらいたいらしい。

そう言われたと、クルミが困惑しながら教えてくれたのを思い出して、笑みが深くなる。

試行錯誤をしながら、養女に慕ってもらおうと頑張る姿を見てしまったからには、今の彼女の反応は口外しない方がよさそうだ。


カイはそう思うのと同時に、クルミが自分の家から出て行くのを望んではいないらしいと察して、頬を緩める。

「うん、無理強いはしないよ」

そのひと言に、クルミは明らかにほっとした表情を浮かべて頷いた。

そこまで避けられるなんて・・・と、少佐を少し気の毒に思ったカイは、彼女の頭を撫でて言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「でも、少佐もクルミのこと、助けたいと思ってる」

「それは、分かります・・・でも、」

言葉の外で“怖がるな”と言われたのを感じたクルミは、膝の上で両手を握りしめた。

俯いた彼女の声は、どこかくぐもって聞こえる。

「軍人さんが、怖いんです・・・てゆうか、軍服着てる男の人、怖くて」

「それは・・・眠りにつく前に、怖い思いをしたってこと?」

ぐ、と体を強張らせたクルミを見て、カイが声を落とす。

「ああ、いいよ、無理に聞こうとは思ってない。

 それに、クルミがウチにいてくれると、俺も嬉しいんだ」

「そう、ですか・・・?」

なんとなく、自分の存在を認められたような気になって、クルミははにかむ。

すると、カイは彼女の頭を撫で続けていた手を止めて、にやりと笑った。

「・・・レトルトや冷凍ものの世話にならないで済むからさ」

「もぉーっ」

嬉しさに膨らんだ気持ちが萎んで、クルミが目を細める。


「・・・ぅわっ」

驚きにくぐもった声を上げたのは、カイだった。

間髪入れず、ドタバタと足音が階段を伝っていく。

そして、“茄子出してやるーっ”という小さな叫びが聞こえて、続いてドアが閉まる音が響いた。

カイはそれらの音を暗闇の中で聞きながら、押しつけられたクッションを剥がして息を吐く。

「・・・やっぱり、精神的にも16歳になるべきだ・・・」




複雑な気分で呟いた彼は、もう1杯コーヒーを飲もうと立ちあがった。








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