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4-4







少佐の発言に、2人は凍りついた。


「・・・え?」

先に声を出したのは、クルミだ。

言われたことを頭の中で繰り返して、そして、聞き返した。

「養子になったらどうだ、と言ったんだ」

ため息混じりの少佐が、もう一度同じことを口にした瞬間、クルミは咄嗟に言葉を発していた。

「や、やだ・・・っ」

ぷるぷると首を振って、それに合わせてポニーテールが揺れる。

その顔には、怯えというよりも純粋に嫌なのだという意思表示が宿っていて、少佐は額を手で押さえて項垂れた。

父親が16歳という年齢の娘から拒絶される時の心情は、おそらくカイには理解出来まい、と思いながら。

ましてそんなクルミの姿が実の娘とだぶって見えてしまったなどと、口が裂けても言えない。

少佐は、自分で思っているよりも傷ついた心を隠して、顔を上げた。

こういう時の無表情は、長年の仕事の賜物である。

そして、何か言ってやれ、とカイに目で言う。


すると、その視線を受け取ったカイは、戸惑いがちに口を開いた。

「ええと、クルミ?

 とりあえず、少佐がどうしてそう思うのか聞いておこうか」

語りかけた先はクルミであるはずなのに、彼が見ているのは少佐だ。

そのことを不思議に思いながらも、クルミは彼と少佐を交互に見遣って頷いた。

カイがそう言うのなら、頭ごなしに拒否する必要もないのかと、そんなふうに考えて。

「養子にしよう、って言うにはちゃんと理由がある・・・ですよね、少佐」

カイが、言いながら少佐に視線を投げる。

何かから立ち直ったらしい少佐は、頷いて口を開いた。


「ああ。

 クルミはまだ未成年だからな・・・自分の戸籍を作るためには、保証人が必要になる。

 保証人の審査も必要で・・・まあ、それに関しては私でもカイでも、問題ないだろう。

 ・・・養子になる、という選択をすると、今度は保証人が必要なくなる。

 だが、養育者は、養子が成人するまでの一切の責任を負うことになるわけだ」

そこまで話した少佐は、一度言葉を切ってクルミを見る。

16歳だと判明したものの、それは体の年齢であって、実際には彼女は13歳なのだ。

それを頭の隅に留めながら、彼は話をしようと思っていた。

すると、クルミがゆっくりと頷く。

とりあえず、ここまでの説明は理解出来たのだろう。

少佐は真剣な眼差しを向けるクルミを好意的に見つつ、続きを口にする。

「保証人は、戸籍を申請した者が、戸籍を取得するのに値することを保証する人間。

 戸籍の申請者が、戸籍を取得すればそれで関係は終わる。責任も、何もなくなる。

 つまり書類上は、誰にも守られず自分の力で生き抜く必要がある、ということだ。

 ・・・養育者は、養子にした者が健全に育ち、成人するまで責任を持つ義務が与えられる。

 まあ、自分の子どもとして責任を持つ、ということだな」

「・・・クルミ、意味分かった?」

少佐の説明を、眉根を寄せて聞いていたクルミを見ていたカイは、堪らずに口を挟んだ。


彼は彼で、複雑な心境だった。

クルミの過去を聞くまでは、自分が保証人になって戸籍を取得させるつもりだったのだ。

けれど今は、それではクルミを守るのに不十分だと思っている。

突然未成年の少女が、自分の戸籍取得の申請をする。

親に捨てられ施設で養育されているわけでもなく、家出少女でもない。

勘当されて、やけになったわけでもないのだ。

レインの戸籍課の者が不審に思って当然。統治官へ報告が上がって当然のケースだろう。

各地の統治官達は、統一統治が乱れるようなことを嫌うから。

そうなると、クルミが審問にかけられる可能性も否定出来ない。


「わたしが自分で戸籍を持つと、守ってもらえなくなる。

 養子になったら、お父さんとお母さんが出来るから、守ってもらえるってこと・・・?」

首を捻りながら、自問自答するように言葉を紡いだクルミに、カイが頷く。

「・・・そう。

 成人は18歳だけど、いまから大人と同じように扱われるか・・・それとも、あと2年

 義理の両親のもとで大人になるまで守ってもらうか・・・」

「想定される事態としては、」

言葉を足そうとしたカイを遮るように、少佐が言った。

「保証人の力を借りて戸籍を取得した場合、ツヴァルグ統治官が出向要請をしてくるだろう。

 そうなると、クルミが1人で統治官と面談することになる。

 だが、養育者がいれば交渉することも出来るし、最悪でも面談に同席することが出来る」

「よく分かりません・・・」

少し言葉が難しく感じたクルミが、カイを見上げる。

薄紫の瞳は、険しく細められていた。

カイはそんな彼女の頭を撫でて、微笑む。

彼女にとっては、自分が無事に生き延びることが、言うなれば両親からの遺言なのだ。

それを考えると、好感が持てた。

「突然現れた女の子が戸籍を申請したら、怪しまれるよな。

 そうしたら統治官に報告がいって、クルミは呼び出しをくらうだろう、ってこと」

噛んで含めるように説明するカイを、食い入るように見つめてクルミは頷いている。

「でも、そうなっても養育者がいれば、クルミが統治官に呼び出された時に一緒に行って、

 話をすることが出来るんだよ、って話。

 要は、統治官の質問に、クルミが自分で答えなくても大丈夫ってこと・・・かな」


「・・・呼び出し・・・」

自分がツヴァルグ統治官と1対1で話をする機会があるかも知れない、と理解したクルミは、悪寒が走る腕を擦った。

脳裏に蘇るのは、図書館で歴史書を閲覧していた時の、あの場面。

名を名乗って、握手をして。そして、手の甲を撫でられたという、不快な記憶。

その時のツヴァルグ統治官の眼差しが、温く絡みつくようで逃げ出したのだ。

ああいう種類の緊張感をもう一度味わうのかと想像したクルミは、小さく身震いしてしまう。


どうやら良くないことを想像しているらしい、と彼女の様子から察した少佐は、そっと口を開いた。

「未成年が戸籍を取得すると、レインが観察処置をすることになってる。

 成人するまでの間、何度か面談をすることになるだろうな。

 ・・・だから、養子になった方が安全だと思うんだが・・・」

一度拒否されているからなのか、その口調は最終的にずいぶんと控えめになってしまう。

どうして自分が迷子ごときの顔色を窺っているのだろう、とぼんやり考えながらも、少佐はクルミが何か言うのをじっと待っていた。

そのクルミは、テーブルの上に視線を這わせて呟く。

「・・・少佐は、ほんとに・・・」

小さな声が、テーブルの上を転がって少佐に届いた。

新兵だったら、声が小さい、と叱り飛ばすのに、などと考えながらも、彼は静かにクルミが言葉を零すのを聞いている。

「ほんとに、わたしの話、信じてくれるんですか・・・?」

頼りない声でそう尋ねたクルミに、少佐はなんと答えればいいのかと考えを巡らせた。

カイがちらりと自分のことを一瞥するのを、見ない振りをして。

そして、ひと呼吸置いた少佐は、しっかりした口調で言った。

「・・・正直、現実離れしていて戸惑っている。

 だが出来る限り信じて、助けてやりたいと思っている」

少佐の正直な言葉は、クルミにとっては少し抽象的だ。

白でも黒でもない、はっきりした言葉でない答えに、どんな顔をしたらいいのか分からない。

それでも、気分が落ち込むことはなかった。

隣に腰掛けているカイが、ほんのり微笑んで自分を見下ろしているからだ。

彼が微笑んでいるのなら、少佐が悪いことを言ったのではない、と思えた。






それからほどなくしてクルミは、「お願いします」とぽつりと呟きながら頭を下げた。


言うことを出し切った少佐は黙り込んでいたし、何やら考え込んでいる様子のカイは、やはり口を閉じたままテーブルを見つめていて。

静寂が占めた空間に、突然落ちてきた言葉に、男2人は我に返る。

そして、それが養子の件を了承する言葉だと気づいた少佐は、短く息を吐いて肩から力を抜き、カイは曖昧に微笑んだままクルミの頭を撫でた。


その後は、話があっという間に事務的な内容に移って、クルミは促されるままにサインをし、少佐が事務員を呼び付けて、その日のうちに手続きが終わるように“お願い”をしたのだった。


かくして、彼女は少佐の養女として、その身分を保証されることとなる。

・・・なるのだが。









首を傾け、肩を回すたびに、ごきごき、と鈍い音が響く。

カイはその音に驚いて、足を止めた。

押していたカートの中で、ミルクがたゆん、と波を立てる。

「大丈夫・・・?」

「・・・目がしょぼしょぼする・・・」

言いながら目元とぐりぐりと指で押したクルミは、瞼の裏に文字の羅列が浮かび上がる気配に、慌てて目を開いた。

これは今夜、夢に見て魘されるかも知れない・・・と、内心でため息を吐く。

「少佐の部屋で、一体何してたんだ?」

「・・・お勉強、です。

 図書館の本を、いっぱい読んでて・・・」

訝しげに尋ねたカイに、クルミは遠い目をして答えた。

その視線の先にあるのは、棚いっぱいに並ぶ野菜だ。


・・・あの野菜も、図鑑に載ってたなぁ・・・。


カイが勤務終了後に迎えに来るまでの間、クルミは少佐の執務室で“お勉強”をしたのだ。

国語や数学ではなく、早くこの街に馴染めるようにと、少佐が図書館のタブレットを職権を利用して取り寄せてくれたのである。

怖くなくなったとはいえ、たとえ養父と養子になったとはいえ、クルミには少佐と会話をするだけの勇気がなかった。

もともと強面で軍服を着た男性が苦手なのだ。

その上、少佐のような雰囲気の大人と、密室に2人きり・・・気の小さいクルミは、ひたすら何かを読んで時間を潰すしかないわけで。


・・・さすがに地図は、字が細かくて疲れた・・・。


少佐なりの配慮だと分かっているからこそ、必死にいろいろな物に目を通し続けたクルミは、ごろごろ、しょぼしょぼする目元を揉みながら、ため息を吐いた。

「・・・目薬、買って帰るか」

自分の勤務中にクルミが何をしていたのかを想像したカイが、苦笑混じりに言う。

クルミはそれに頷いて、見覚えのある野菜の並ぶ棚に向かった。




瑞々しい葉物野菜と、色鮮やかな緑黄色野菜をカートの中にそっと下ろしたクルミは、ムラのない紫色を纏った茄子を手に取って、小袋の入れる。

そして、視線を上げて目に留まった果物の棚へと足を向けた。

その後を、カイがカートを押しながらゆっくり追う。

複雑ながら、クルミが少佐の養子として保護下におかれたことが、彼の気持ちを緩めていた。

口元には微笑みすら浮かんでいることを、カイ自身は気づいていないけれど。

「冷蔵庫、充実させちゃえ」

子どもの頃から両親に代わってキッチンに立つことが日常だった彼女にとって、食料品売り場は心躍る場所だ。

クルミは、後ろからカイがついて来ていることを意識しながら、爽やかな香りを漂わせるオレンジやグレープフルーツ、甘い匂いのマンゴーを次々に手に取る。

鼻唄混じりになりつつ、目の留まったものを小袋に詰め終えたクルミに近づいたカイは、細い肩の後ろから覗きこんで呟いた。

「うわ、」

その声が耳元で響いて、クルミが肩をびくつかせる。

びりっと何かが走った気がして、耳から喉にかけて痒くて仕方ない。

「そんなに買うのか?」

「・・・っ」

思わず空いている方の手で首を押さえたクルミは、耳元で聞こえた声の低さに戸惑った。

周りに聞こえないように声を落とさなくても、店内にはBGMがかかっているし、大体誰も自分たちの会話など興味もないだろうに・・・などと、半ば非難めいた気持ちになる。

後ろからゆっくり腕が伸びてきて、クルミが持っていた果物の小袋を掴む。

クルミの目には、その仕草がやけにゆっくりに映る。

続いて、鼻先をくすぐった香水の匂いに心臓が一度だけ、思い切り跳ねた。


・・・何、なになになに?


一瞬口から心臓が飛び出すのかと、ひやりとしたクルミは、混乱する頭の中を宥めながら、恐る恐る後ろを振り返る。

「・・・びっくりした・・・」

そこには、すでにクルミに背を向けてカートに果物を入れる、カイの姿があった。




ごろごろと袋詰めされた果物の必要性に悩みながらも、彼はクルミの選んだものを、何も言わずにカートに入れていく。

「カイは、好き嫌いはありますか?」

やがて肉類のコーナーへ差し掛かって、クルミが尋ねた。


同居を開始してまだ数日であるものの、彼女はあの家のキッチンは自分が取り仕切るつもりでいることに、カイは感謝の念すら抱いている。

1人きりになってしまって以来、冷凍食品やレトルト食品を食べ続けた舌が、彼女の作る温もりのある食事をどれほど美味しく感じたことか。

いや、昨今のそれらが美味しく、安全で栄養面を考慮して作られていることは知っている。

長いこと世話になったのだ。

けれど、やはり人の手で作られて、会話をしながら口に運ぶ食事の美味しさには、敵わないのではないかと彼は思ってしまう。


・・・美味しいものを、美味しく感じるようになれた、ってことか・・・。


自分がどんな1年を過ごしたのかを内心で自嘲したカイは、クルミが小首を傾げて自分を見上げているのに気づいて、我に返った。

好き嫌いを訊かれたのだったと思い出して、視線をカートの中へ走らせる。

「あ、うん・・・茄子はちょっと、苦手。なんだけど、別に・・・」

「そうなんですか?!

 ごめんなさい、ちゃんと聞いてから入れればよかったです・・・」

カイが申し訳なさそうに囁いたのを聞いたクルミは、咄嗟にカートの中に転がっていた茄子を取り出した。

そして、もと来た方を指差す。

「わたし、戻してきますね」

「それなら一緒に、」

すでにクルミの体は、踵を返している。

顔だけで振り返りながら、手を振って一歩踏み出してしまう。

カートの方向転換をしようと、カイが腕に力を入れた時には、クルミの背中がどんどんと遠ざかり始めていた。

「・・・意外とフットワーク軽いんだな・・・」

諦めたカイが苦笑混じりに呟く頃には、クルミが売り場の角を曲がるのが見えた。






・・・茄子が苦手なのか・・・覚えとこうっと。


今日もキッチンに立つ気満々な彼女は、茄子を片手に唱えながら売り場の角を曲がって、野菜の棚へ向かって歩いていた。

ひんやりと冷気の漂う場所で、周りの仕事帰りらしい人々が腕を擦りながら野菜を選んでいるのを横目に、クルミは茄子を戻す。

すると、コツコツという靴音に続いて、ふいに背後に気配を感じた彼女は小さく息を吐いた。


・・・もう、また後ろから・・・。


あの声をもう一度至近距離で聞いてしまうのは、困る。

だからまた喉のあたりが痒くなる前にと、早々に振り返ろうとした彼女は、かけられた声にその体を硬直させてしまった。

「こんばんは、クルミ」

柔らかい声が、悪寒を走らせる。

振り返ろうと決めたはずの体が、思い通りにならないのを感じたクルミは、ただ、鼓動が速くなって息苦しい胸を押さえるしかなかった。








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