4-3
“16”という数字を凝視して固まったクルミの表情を、カイは横目でちらりと窺う。
顔面蒼白とは、こういうことを指すのかと、変に感心しながら。
「・・・まあ、」
ひと時の沈黙を破ったのは、少佐だった。
クルミが血の気の引いた顔で用紙を食い入るように見つめているのに対し、顔色ひとつ変えずに泰然と構えている。
彼は、特別感情のこもらない声で言う。
「妥当な数字だろうな。
・・・13歳で通すのは無理があると思っていた」
「それは、まぁ・・・私も同感ですが」
もっともな言葉に、カイが控えめに同調した。
そして、ちらりとクルミを一瞥する。
「クルミ?」
囁きに、彼女は見向きもしなかった。
用紙の一点を、瞬きすら忘れたかのように見つめている。
少佐は肩を竦め、カイは少し声を大きくして呼びかけながら、彼女の肩を揺すった。
「おい、クルミ?」
薄紫の瞳が、動揺したようにゆらゆらと揺れる。
その揺れが次第に大きくなり、瞬きをした彼女は視線を彷徨わせ、唇を動かした。
言葉になる寸前の吐息が漏れる。
その声を拾おうと耳を澄ませたカイは、体を寄せて彼女の口元へ耳を近づけた。
「ん?」
クルミの手の中で、用紙がくしゃりと歪む。
「ちがう・・・」
浅い呼吸を繰り返す彼女は、小さな声で言葉を紡ぐ。
「そんなわけない」
短く呟いて用紙から顔を上げたクルミは、すぐそばで彼女を見ていたカイを振り返った。
「13歳なのに!
わたしは嘘なんかついてない!」
薄い用紙の片隅で、16という数字が踊っていた。
クルミは、それが自分を小馬鹿にしているように見えて、真っ白に染まった頭に血が上ってくるのを感じて瞬きをする。
そして、何かが噛み合わない感覚に耐えきれなくなった彼女は、すぐ近くで心配そうな眼差しを向けていたカイに向かって言い放った。
自分が13歳であること。
嘘をついてはいないことを。
勢いこんで、用紙を放り出してカイの胸倉を掴みそうになる。
そんなクルミの肩を、彼は咄嗟に掴んで押さえた。
「とりあえず落ち着こう、大丈夫だから・・・」
ぐ、と肩に力をかけられて我に返ったクルミは、短く息を漏らす。
そして、手のひらの熱で歪んだ用紙をテーブルの上に置いて、視線を彷徨わせた。
・・・わたしが覚えてない3年間があるってこと・・・?
13歳で繭の中で眠りについた自分を、彼女は覚えている。
その時、両親が泣いていたことや、たくさんの、太陽の光を鈍く反射する銃口が、自分に向けられていたことも。
・・・あの時のわたしは、絶対に13歳だった。
・・・それなら、眠ってる間に3年分も、体が成長したってこと・・・?
動悸のする胸を押さえて考えを巡らせていると、ふいにクルミの肩が軽くなる。
カイが手を離したのだと分かった彼女は、そっと視線を上げた。
黒い瞳は、静かに彼女を見下ろしている。
吸い込まれるような黒に、父と母を思い出したクルミは、そっと口を開いた。
「繭の中に入る前は、13歳だった・・・。
少し前に誕生日のお祝いをしたから、覚えてる・・・。
・・・わたしの好きなもの、お母さんが作ってくれて。
いろんなものが高くて、お店の物も少なくて・・・だからゴメンね、って言ってた。
その前の年は、小さくてもケーキ、買えたから・・・」
話しながら、彼女の脳裏に浮かぶのは、静かな部屋を笑い声が埋める誕生日の光景だ。
温かみがひとつもない、戦況報告や国民への呼びかけをするような、偏ったニュースばかりだからと、テレビはつけなかった。
好きな人はいないのかと尋ねた母親に、クルミが首を振って、父親が満足そうに頷いていて。
特別なごちそうが並ぶわけではないけれど、3人で笑い合った優しい記憶。
そんなことを思い出しながら、クルミは目を伏せた。
いくら浸っても、もう帰ることの出来ない遠い日だ。
「この診断結果は、データに基づいて年齢を算出してるんですよね・・・?」
言葉を切ったきり、口を閉じてしまったクルミを見遣ったカイが、少佐に尋ねる。
すると、それまで黙って2人のやり取りを見ていた少佐が、小さく息を吐いた。
「おそらく。
まあ、彼女の身体が実年齢よりも3年分老化している、ということも考えられるが・・・。
その年齢で身体が老けているというのも・・・成長が遅れるという話はよく聞くが・・・。
・・・おい、」
慎重に言葉を選んでいた少佐は、その途中で目を伏せたまま静かになったクルミを一瞥する。
少しばかり呼びかけが雑なのが、少佐の素なのだと理解した彼女は、特に驚く様子もなく静かに視線を上げた。
薄紫の瞳が怯えることなく自分を見返したのを確認した彼は、そのまま言葉を続ける。
「身長は、記憶に残っているものと変わりないのか?」
「身長・・・?」
すぐに言われたことの意味が理解出来なかったクルミが、瞬きをして小首を傾げていると、横から手が伸びて、テーブルの上に置かれていた用紙を拾い上げた。
カイは、手にした用紙に書かれている数値を声に出して読み上げる。
「158センチ、って書いてあるけど」
どうなんだ、という意味を込めて彼が視線を送ると、クルミが頭を抱えた。
「どうした・・・?!」
慌てたカイが、丸まった彼女の背に手を当てる。
すると、絞り出したような声が屈めた体の隙間から聞こえてきた。
「・・・伸びてる・・・!」
「覚えている身長は、いくつなんだ?」
衝撃を受けたらしい彼女には構わず、少佐が問いかける。
頭を抱えている彼女は、彼の目が真剣な色を湛えていることに気付かない。
クルミは、くぐもった声で、記憶に残っている自分の身長を呟いた。
「・・・145センチ・・・」
「嘘だろ、ち、」
思わず半笑いで口走ったカイを、クルミが顔を上げて思い切り睨む。
背中に彼の手があろうが、そのカイに世話になっていようが、個人の尊厳を傷つける発言を許すわけにはいかないのだ。
・・・ちっさいとか、傷つくでしょ!
・・・男子って、そういうこと平気で言うんだから!
自分に抜け落ちた記憶があるかも知れない、というところは頭の片隅に追いやったクルミの目の前で、カイが小さく咳払いをした。
そして、苦笑する。
「・・・ごめん。
でも、女の子は小さい方が、」
「それ、全然フォローになってません。
育ち盛りの女子には禁句です。
あと10年したら嬉しいかも知れないですけど!」
取り繕ったカイが、クルミにひと思いにばっさり切り捨てられる光景を静観していた少佐は、大きく息を吐いた。
「そういうのは、家に帰ってからにしろ。
・・・いろいろ追求したいところだが、まずは戸籍を作ろう」
低い声に、カイが息を飲む。
クルミも、それまでの重々しい空気を思い出して居住まいを正した。
「戸籍・・・?」
言葉を反芻したクルミに、彼は頷いて口を開く。
「ああ」
事も無げに肯定した少佐を、彼女が目を大きく見開いて見つめる。
カイが戻るまでに話したことが、脳裏に蘇ったのだ。
薄紫の瞳いっぱいに自分を映しているクルミを、少佐は小さく笑った。
鼻で笑うのでなく、口角を上げて、ごく自然に。
仏頂面で、威圧感を漂わせていた少佐が、自分に向かって笑みを浮かべたという事実に、クルミも思わずほおを緩めてしまう。
「信じてくれるんですか・・・?!」
嬉しさに、声が踊り出しそうなのを堪えてクルミが問いかけると、少佐は少し視線を逸らしてから呟くように肯定した。
「ああ」
「ありがとうございます・・・!」
間にテーブルが横たわっていて、抱きつくことは叶わないけれど、そうしたいくらいにクルミは嬉しかった。
本当に抱きついてしまったら、少佐は低い声で威圧するだろうと思いつつも。
「・・・この歳になって、生きた都市伝説に出会うとは思わなかったが・・・」
照れ隠しのようにぼそりと呟くのを聞き流して、クルミはカイを見上げる。
すると、一番最初の理解者は、目を細めて頷いた。
自分の中に、小さな違和感があることには目を瞑って。
「良かったな」
「はい・・・!」
その時だ。
「そこで考えたんだが・・・」
感無量、とでも言うかのように満面の笑みでカイを見つめていたクルミの耳に、思いもよらない少佐の言葉が響いた。
「私の養子になるという選択肢は、どうだろう」




