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3ー1




テレビの画面の中、華やかな格好をした女性キャスターが明日の天気図を指して、にこやかに天気の解説している。

キャスターの話では、明日もよく晴れるという話だと片耳で聞き流したクルミは、横目で新聞に目を通しているカイを盗み見た。


クルミの戸籍は、この街にはなかった。それ自体は、本人が思っていた通りである。

しかしカイの話では、戸籍に関してはセントラルに問い合わせることになるそうだ。

その後の展開を想像したクルミは、遅かれ早かれ彼にだけは真実を告げるべきだと、考え始めていた。



部隊の部屋で戸籍について話をしたカイは、“もうしばらく、自分の家に滞在するように”と少佐から命令を受けていることを打ち明けた。

それは半分本当で、半分は渋る少佐を説得して決まったことだ。

彼は、少女に監視を付けるなら、自分が面倒を見ながら・・・といった内容のことを少佐に願い出た。

そして、何かを隠しているらしい少女がカイの側にいることを渋る少佐は、ある条件を出して、彼の言葉に頷いたのだ。



「明日、」

新聞から視線を上げたカイが、ちょうどノートに手を伸ばそうとしていたクルミを振り返る。

クルミは咄嗟に手を引っ込めて、小首を傾げた。

そんな仕草をした彼女の言いたいことが「何?」だろうと察した彼は、表情を和らげて、そっと言葉を紡ぐ。

「仕事に行ってる間に、クルミは図書館でいろいろ見てきたらどう?

 家に居てもいいけど、それじゃ暇だろうし・・・」

カイの言葉に、クルミがもう一度小首を傾げた。

その様子に、彼は少し間をおいてから口を開く。

「気になったものなら、記憶を取り戻す手掛かりになるかも知れないし。

 何でもいいよ。ファッション雑誌でも、絵本でも」

クルミは少し前に引っ込めた手を伸ばして、ノートを広げペンを走らせた。

『戸籍、なくても、利用出来ますか?』

ふいに湧いた望みに、彼女は言葉を綴る。

図書館で手当たり次第に目を通したら、自分の知りたいことが少しでも分かるかも知れない。

書き終えたものを覗きこんだカイは、頷いて笑う。

「大丈夫。

 俺のカード貸すから、何でも好きなものを閲覧しておいで」

『わたしのカードじゃないけど、問題ないですか』

慎重に確認しようとする彼女に、彼は何度も頷いた。その顔には、苦笑が滲んでいる。

「問題ないよ。

 少佐も、クルミが俺のカードを使うってこと、承諾してくれてる」

その苦笑混じりの言葉を聞いた彼女は、戸惑いながらもノートに“ありがとう。そうします”と言葉を綴ったのだった。





風呂に入ってリビングに戻ると、やはり彼女は眠りこけていた。

カイはそっと息を吐いて、小さく纏まったその体を掬い上げる。

首からかけたタオルが彼女に当たって、目が覚めてしまわないだろうかと心配しながらも、彼はゆっくりと階段を上って、今は亡き妹の部屋のドアを開けた。

この部屋に入ることに抵抗がないとは言えない。乗り越えたのかと問われれば、まず間違いなく首を横に振っているだろう。

その自覚がある彼は、とはいえ妹と入れ替わりのように現れた少女の体が冷えてしまっては可哀相だろうと、そっと彼女をベッドに横たえた。

黒い髪は、妹のハルミとは全く違うのに、どういうわけか視界に入っているだけで呼吸が楽だ。

・・・ほんと、よく寝るよ・・・。

規則正しい呼吸に合わせて、胸が上下するのを眺めながら、そんな感想を抱く。


・・・でも、クルミは生きてるんだよな。

・・・生きろって、言われたんだよな。


両親が彼女を逃がす際に、娘に向かって“生きて”と告げたという話を思い出した彼は、そっと息を吐いた。

それは彼自身が1年前に心の底から、自分の命と引き換えにしてもいいと思えるほどの強さで願ったことだ。

だから余計に、少女に感情移入して絆されてしまったのだと、彼は自分で分かっていた。

「ごめん・・・」

黒髪が月明かりを反射している。

もし手で梳いたなら、きっと滑らかな手触りが心地よいだろう、と彼は思う。

それなのに彼が手を伸ばさないのは、単なる身代わりでしかないと分かっているからだ。

「・・・ごめんな」

自分が守れなかった妹の、代役。やり直しの身代わり。

それを手に入れた瞬間は、心に空いてしまった穴がふさがったようで満たされていた。

けれど、少し冷静になった途端に罪悪感が押し寄せる。

きょとん、と小首を傾げて、言われることにただ頷く姿を見ていると、自分を信じて欠片も疑う様子を見せない少女に申し訳ない気持ちになった。

それでも、彼は彼女を傍に置きたいと望んでしまう。


・・・利用してるなんて、最低だな・・・。


胸の内での独白は、重いため息に変わって零れた。





かちゃ、と小さく遠慮がちな金属音が響いて、クルミはうっすらと目を開いた。

耳を澄ませば、ぎし、と階段が軋む音が聞こえる。

一瞬考えを巡らせた彼女は、ふわりと体を起こした。

彼が再びやってくる気配はない。

そっと息を吐いて、彼女はベッドから降りた。慎重に、決して階下にいるであろう彼に気取られないように。


窓の外には、月が見える。

・・・あの月は、ずっと変わらないのかな。

・・・満月の時は、お月見、したよね。

懐かしくもあり、切なくもある。

もう帰ることの出来ない故郷と両親を思い出した彼女は、そっと目を伏せた。

決して楽しい思い出ばかりではないのだ。

両親は仕事が忙しくてあまり一緒に過ごす時間がなかったし、13歳になったばかりの頃には、すっかり世界の様子がおかしくなっていた。

それでも帰りたいと願うのは、確かに自分の居場所があったと思うからだ。自分が何者なのかを、鏡のように映し出してくれる人達が、周囲にいたから。

黄色人種にしては色素の薄い彼女の手が、そっと腕を押さえる。

・・・氷ヶ原、ナラズモノ・・・セントラル、レイン・・・。

知ったばかりの単語を反芻しては、重くのしかかるものに苦しくなって、彼女はゆっくりと息を吐きだした。

そして、同じようにしてゆっくりと息を吸い込む。

月明かりに顔を上げて、そっと口を開いた。


「ごめ・・・さい・・・」


か細い声は、たとえ隣に立っていたとしても全ての音を拾うことは出来ないほどだ。

静かな、長いこと閉めきられていた部屋の壁は、彼女の小さな囁きを吸い込んでゆく。

かすかな、吐息のような囁きは、きっと階下の彼には聞こえるはずもない。

彼女は手で顔を覆った。


「・・・ごめんなさい・・・」




嗚咽が漏れそうになるのを堪えながら、彼女はほんの少しの間だけ泣いた。








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