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2-6








「え・・・?」

カイが身を乗り出して、パイプ椅子が軋んだ音を立てる。

穏やかな平日の喧騒は、窓の外だ。


クルミが綴った言葉にもう一度目を通して、彼は尋ねた。

「・・・どういう意味?

 ずいぶん、思い詰めた台詞だけど」

訝しげな眼差しが、声の出せない彼女の負担になることも分かっている。

それでも、彼は問いかけていた。

頭の中で、少佐との会話がぐるぐると回る。嫌な予感を伴って。

彼女は、その存在が認められていないという現実を突きつけられて、改めて自分がどうするべきなのかを考えていた。

両親には、生きろと言われている。もちろん、彼女自身もそうするつもりでいる。

けれど、そのためにどうしたらいいのかを、誰が教えてくれるというのか。

彼女は、行くあてのない怒りに似たものが燻ぶるのを感じながら、ペンを握りなおした。

『わたし、どうなるの・・・?』

彼には、彼女が考えながら言葉を綴る姿が、不安から言葉が見つからないように見えてしまう。

不思議なもので、少佐が彼女を疑う言葉を紡ぐごとに、自分が味方になってやらなければ、と漠然と思い始めていた。

そして、動揺しているらしい彼女を落ち着かせるためにと、気づけば口を開いていた。

まずは年長の自分が落ち着いて、一緒に今後のことを考えるべきだ、と思いながら。

「とりあえず・・・戸籍の件は、セントラルに問い合わせることになると思う」

『セントラル?』

ノートに聞き取った単語を綴りながら、彼女は聞いたことがあるのを思い出した。

確か・・・と記憶を手繰り寄せて、大佐が口にしていたことに思い至る。

「セントラルっていうのは・・・そうだな・・・。

 世界大戦、っていうのは、覚えてる・・・?」

カイの言葉に、クルミが頷きを返す。

それを見届けた彼は、そのまま説明を続けることにした。


「世界大戦のせいで、世界中の生き残った人達が住む場所を失って。

 そうだな・・・確か、もともとは今の倍近く、居住用の土地があったはず・・・。

 で・・・、残された少ない土地をめぐる争いや、集落同士の諍いが起きないように、

 戦勝国が全ての土地を管理することにした。

 ・・・そうして出来た、世界中を統治するための大きな街が、セントラル。

 この島の、ずっと東にあるんだ」


説明は、右から入って左へ抜けていく。

彼女は相槌も打たずに、ただ黙ったまま別のことを考えていた。


・・・世界が、半分しか残ってない・・・。


「そういえば、見晴らしの塔で何か言いかけてたよな?」

カイの問いかけに、クルミは我に返った。

考え事に耽ってしまっていた自分を見透かされたような気がした彼女は、慌てているのを隠しながら、塔で何を話していたのかを思い出す。

『今の話で、十分です。ありがとう。』

「そっか・・・なら、いいんだけど」

もし、彼女が肉声で言葉を紡いでいたなら、彼が不審に思うこともあったかも知れない。

彼女は彼があっさり頷いたのに、こっそり胸を撫で下ろした。

そして、そのままノートにペンを走らせる。

『セントラルに聞いたら、戸籍、見つかりますか』

彼の視線が文字を追っていくのを見ていた彼女は、返ってくる言葉をじっと待つ。

薄紫の瞳が緊張に険しくなるのを、ノートに視線を落としている彼は気づかない。

「うーん・・・」

眉間にしわを寄せて首を捻りながら、彼は言葉を紡いだ。

その表情は、どこか申し訳なさそうだった。

「セントラルなら、各地のレインで登録された戸籍も調べられるけど・・・。

 でも正直、見つからないと思うよ」

言いづらそうに吐きだされた言葉に、彼女はペンを握り直す。

『どうして?

 もしかしたら、この島の、他の街かも・・・』

「それは、ないと思うんだ」

綴りかけを止めるように言い放たれた言葉を聞いて、彼女は手をぴくりと震えさせた。

「見ただろ、ナラズモノ・・・。

 あれは世界中を徘徊してるんだ。この街の周りも、他の街の周りも。

 ・・・だから、たとえ親が一緒でも、他の街からやって来たとは考えられない」

彼は、手を止めた彼女の瞳を覗き込んだ。

薄紫の瞳が揺らいだことに、若干の罪悪感を抱きながら、続きを口にする。

「だから言ったんだ。

 もしかして、自分の名前だと思ってるものが、間違ってるんじゃないかって。

 ・・・クルミっていうのは、どこかで聞いただけの架空の名前なんじゃないのか?」


無意識に、ペンを握る手に力がこもる。爪が食い込んで痛いのを無視したクルミは、その気持ちのままカイの瞳を睨みつけた。

そのひと言が、自分の全てを否定するような気がしたのだ。

彼にしてみれば、“恐ろしい体験から精神を守るために記憶障害になった”彼女が、早く平穏な生活を取り戻せるようにと考えた末の、1つの可能性の話だったのだけれど。

そんなことは知る由もない彼女は、全身の毛を逆立てた猫のようになって、わずかに体を後ろへと傾けて彼と距離を取ろうとしている。

もちろん握ったペンは、離さずに。

『わたしは、クルミです。

 もしかしたら13歳じゃないかも知れない。けど、名前は・・・』

名前を消されたら、自分が自分でなくなる・・・そんな気がしたのだ。だから、彼女は必死に言葉を綴ろうとしていた。

自分がクルミであることを証明するものが何もないことが、もどかしい。

『名前は、わたしは・・・』

視線を彷徨わせながら、自分の内側に何か残るものがないか探る。

けれど彼女は、今すぐ彼に話せることを何も見つけられずに、そっとペンを手放した。

「クルミ・・・」

結局カイの瞳を正面から見続けることも出来なくなって、彼女は俯いてしまう。

切り揃えたばかりの髪がさらさらと流れて、その表情を彼の視線から隠す。

そうなってやっと彼は、もっと言葉を選ぶことが出来たはずだ、と気がついた。

そして、そっと、労わるような声色で囁く。

「悪かった・・・。

 セントラルでの検索結果が出るまでは、もう考えないようにしよう。

 ・・・ごめんな」

言葉の最後に、流れる黒髪を撫でる。すると、彼女は静かに、小さく頷いた。


沈黙の合間を、窓の外の喧騒が埋めていく。

お互いに黙ったまま・・・といっても、彼女が声を発することはない。

彼は口を閉じたきり、視線を彷徨わせていた。

それは、彼女の気分を害した自分を責めているのではなく・・・。


口にした謝罪に彼女が頷いた瞬間、彼の中ではある変化が起きていた。

どういうわけか、昔、妹が苛められて帰って来た時のことが、思い出されてしまったのだ。

あの時も、落ち込んで涙混じりに言い分を主張する妹の頭を撫でてやった。そして、その頭が小さく上下するのを見て、ほっとして。

ふわりと堕ちてきた既視感に目を瞠った彼は、そのあとすぐにやって来た気持ちを、なぜだか素直に受け止めた。


彼の唇が、柔らかく弧を描いてゆく。

半ば自嘲気味にも思える吐息を吐きながら開いた口は、ずいぶんと小さな声を発した。


「ハルミって、言うんだ」

穏やかな口調に、張り詰めていた空気を解いたクルミが視線を上げる。

瞳だけで先を促すと、彼は口調の通りに穏やかな表情で微笑んだ。

「妹の名前。

 春の、海・・・って意味らしい」

見たこと、ないんだけどな・・・と付け加える彼を横目に、彼女はペンを握った。

『いい名前』

早く伝えたい彼女は、綴る文字が殴り書きのようになってしまったのも無視して、ノートを彼に見せる。

それにも微笑んだ彼は、ひとつ頷いて続けた。

「ちょっと、似てるだろ。クルミと、ハルミ。

 ・・・響きが」

こくりと頷く彼女。

ハルミ。きっと“春海”だと、頭の中で文字を変換する。

「だから、ごめん・・・」

静かに、穏やかに謝られた彼女は、何事かと目をぱちぱち瞬かせた。

ついさっきの言葉とは、全く違う意味のように聞こえてしまったのだ。

この人が言いたいのは一体何なのだろうかと、ただ、それだけを考えて。

クルミの反応に苦い笑みを噴出しそうになるのを抑えながら、彼は言葉を選んでいく。

「君が妹と入れ替わりで、俺のとこに来たように思えて仕方ないんだ」

言われたことの意味が掴めない彼女は、小首を傾げて彼の瞳を見つめた。

すると、彼は自嘲めいた笑みを浮かべる。

それが自分に向けられたものではないことを、彼女は漠然と感じ取っていた。

息をするのにも気を遣うような、不思議な緊張感に鳥肌が立つ。

「死んだ父さんがどこからか俺を見てて、“次は守れ”って、試してるような気がする。

 すごく身勝手な解釈で、クルミにはいい迷惑かも知れないけど・・・」

そこまで言った彼は、次に口にする言葉を選んで、選んで・・・そして、告げた。

「絶対に、クルミの味方でいる。信じるし、記憶を取り戻す協力もする。

 そういうのが、“守る”ってことになるのか分からないけど・・・。

 でも、そうしたいって、思ってる」



抽象的な言葉は、意味を探ることを許さない響きがあった。

少なくともその時の彼女は、自分に向けられた正体不明の好意に戸惑いながらも、条件反射のように、こくこくと頷いていたのだった。







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