2-4
「それで、統治官は何と仰って?」
「ええっと・・・」
「ああ、いや、いいです。
とりあえず持ち帰った資料を」
「はいはい、えっと、えっと・・・」
「・・・もういいですから封筒ごと下さい」
立ち上がったまま大佐と少佐の会話を聞いていたクルミは、2人の不思議な雰囲気に目を奪われてしまっていた。
隣に立つカイは、慣れているのか何食わぬ顔でそれを眺めている。
少佐のこめかみに青筋が見えるような気がしたクルミは、どうかそれが自分に向きませんように、と念じながら、彼らの会話が終わるのを待った。
そもそも見晴らしの塔でモニターを見ていたところに、呼び出しの電話をかけてきたのは少佐なのだ。戸籍の照合をする前に、大佐との面会の時間が取れそうだから、と。
「ごめんなさい少佐さん・・・」
「もういいです。
それよりも、今朝お伝えした迷子の件を片付けましょう」
ふわふわした雰囲気の大佐は手にしていた封筒を渡すと、しゅん、と項垂れたあと、上目遣いに少佐を見つめる。
そんな様子は日常茶飯事なのか、少佐はずっとため息混じりだ。
・・・少佐の方が、強くて偉そうに見える・・・。
周囲の視線が自分に向いていないのをいいことに、クルミが彼らを交互に見つめて考えていると、難しい顔をしている少佐と目が合った。
その目の奥が光ったような気がしたクルミは、思わず半歩後退りする。顎を掴まれて頬を潰された時の光景が、脳裏をよぎった。
そうして、わずかに怯えに似た表情を浮かべた彼女を見ていた少佐は、そっと目を細める。
「・・・昨日の迷子か」
唐突な言葉に、それがどういう意味なのかと立ち尽くしていると、隣でカイが苦笑するのが聞こえてきた。仰ぎ見ると目が合って、彼の苦笑が深くなる。
小首を傾げたまま訝しげに彼の顔を覗き込んでいると、おもむろに少佐が近づいてきた。
「なるほどな。
・・・あとで申請書を提出しておけよ」
何かに納得したように頷いてから、カイに向かってひと言告げる。
「はい」
どうやら2人の間では、会話は成立しているようだと踏んで、クルミは内心憮然としてしまう。
いつもそうだ。大人は彼女自身が理解しているか、などということはあまり気にしない。
・・・わたしに、選ばせてくれたら良かったのに・・・。
「・・・クルミ?」
名前を呼ばれて我に返った彼女は、脳裏に翻った記憶を振り切るように、何度か瞬きをする。
全く関係がない人同士のやり取りを見ていただけなのに、遠い記憶を思い出してしまった自分が、不思議でならなかった。
そして、心配そうに黒い瞳を揺らす彼に微笑んで、何でもないとでも言うつもりで、ゆっくりと首を振った。
「この子が、氷ヶ原の手前にいたっていう・・・?」
気づけば目の前には大佐が立っていて、不思議そうに彼女を見下ろしている。その目は好奇の色に満ちていた。
「へぇ・・・へぇぇ・・・!」
吐息がかかるくらいの近さで、頭の先からつま先まで見つめられて、彼女は自分の顔がほんのり赤く染まっていくのを感じて俯く。
眼鏡越しだからなのか、視線が遠慮なく注がれているような気がしてならない。どれくらい見つめられていたのか、いっそのこと逃げ出したいとクルミが思い始めた頃、カイが静かに口を開いた。
「見回り中に発見しました」
「・・・本当、ですか?」
大佐が、彼の言葉に少佐を仰ぎ見る。
「とりあえず、座って話そう」
そう言った少佐は、やはり難しい顔をしていた。
「聴取の内容は、書面で提出してもらうとして・・・」
「はい」
頷いたカイを一瞥した少佐は、その横に座ってペンを握りしめているクルミに視線を移す。
その鋭い視線を受け止めた彼女は、背筋を伸ばして短く息を吐く。
「これから戸籍の照会に行ってもらうが、その前に、少し話をしたい」
その言葉にごくりと生唾を飲み込んで、彼女は頷いた。
昨日はもう少し怖かったと思うのだけれど、今、目の前に座る白髪交じりの軍人は座っているからなのか、いくらか穏やかに見える。
「カイ、」
視線を彼女から外さずに言葉を投げた少佐は、カイが続きを待っているのを感じ取ると、そのまま迷いなく言葉を続けた。
「君からの報告と、見解は後でゆっくり聞く」
「・・・、わかりました」
何かを言いかけてやめたカイが、そっと少佐から視線を外す。
そのやり取りが意味するところなど知りもしないクルミが、内心首を捻りながらカイの表情を窺っていると、少佐が身じろぎする気配に現実に引き戻される。
「君の名前は彼が呼ぶ通り、クルミ、か」
質問に、クルミはこくりと頷く。
それは、自分と両親を繋ぐ名前だ。今までに何度も名乗った名前。
確かに少佐に向かって名乗ったことはないけれど、カイが何度も自分を呼ぶ場面を見ているだろうに、どうして今さら・・・と、不思議でならない。
クルミが小首を傾げて感情を表現していると、少佐は苦い顔をして頷いた。
「いや、名前を偽る意味などない、とは思うんだが・・・。
・・・年は?」
次の質問に、彼女は両手を使って答える。右手の人差し指と、左手の中の3本を立てて。
真面目な顔をして、向かいに座る軍人2人に見せると、大佐が目を丸くして口を開いた。
「ずいぶん老けてるんですねぇ」
場にそぐわないほどの間の抜けた声が、クルミに突き刺さる。
年齢的に、老けているだの若いだのという言葉が特に感情を揺さぶることはないけれど、それでもあまりに驚かれると、何か悲しかった。
綿菓子のような、ふんわりと甘い雰囲気で言われると、なおさらだ。
「わたくし、16くらいかと思ってました」
「そうだな・・・養成校の新入生と同じくらいに見える。
・・・年齢を偽ったところで13では、な・・・」
昨夜のカイの反応を経験していたクルミは、昨夜の彼とのやり取りを思い出しながらノートに言葉を綴っていく。
『13歳の誕生日をお祝いしたのは、覚えてるんです』
「覚えている・・・?」
訝しげな顔をする少佐を一瞥したカイが、そっと口を開いた。
「発言しても・・・」
「どうぞ?」
クルミの仕草を観察していた大佐が、微笑みながら頷く。基本的に、のんびりした性格なのか、少佐がカイの言葉を後で必要としていることなど、お構いなしのようだ。
にっこり微笑んだ大佐の隣、しかめ面をして腕組みをしている少佐が、何かをぐっと堪えるように眉間に力を入れた。
「彼女は、記憶障害を負っているかも知れません。
見晴らしの塔へ行ってきましたが、街の様子に見覚えもないようですし・・・。
それどころか、氷ヶ原もナラズモノも、覚えていないようです」
少佐の態度に気を取られていたクルミは、カイが話し始めたことに気付いて、自分の言葉をノートに綴っていく。
『気づいたら、あの場所に倒れてて・・・。
お父さんとお母さんが“逃げて”って・・・それは覚えてて・・・』
「そうか・・・」
言葉を目で追った少佐が呟いて、ノートから視線を上げる。
「自分の誕生日がいつなのか、それすら覚えていないのか?」
半ば責めるような口調に、クルミは俯いた。そして、唇だけで『ごめんなさい』と呟く。
「覚えているのは、自分の名前と恐怖の記憶だけか・・・」
「カイ、」
戸籍照合をするために大佐がクルミを伴って部屋を出たところで、難しい顔をした少佐が口火を切った。
「はい」
静かな口調の中に厳しいものを感じて、彼は返事をしながら居住まいを正す。
女性2人がいなくなった部屋は、どこか寒々しい気がしてしまう。
「ひと晩過ごしてみて、どうだった」
「誤解を招くような表現をしないで下さい」
至極真面目な表情で尋ねられて、一瞬呆気に取られてしまったものの、カイも至極真面目な表情を作って反論する。
それに喉を鳴らした少佐は、やはり静かに尋ねた。
「主観で構わない。
彼女の様子や、君の感じたことを聞かせてくれ」
「わかりました・・・。
それじゃ、最初にお伝えしておくべきなのは・・・」
重苦しい雰囲気と、少佐の視線がまっすぐに向けられていることに鼓動が速くなるのを感じながら、彼は言葉を重ねる。
「少佐のことですから、お気づきかも知れませんが・・・。
私は、自分がすでに彼女に同情してしまっている自覚があります」
「ああ。だろうな」
無表情に彼の自白を受け止めた少佐は、その言葉に対して否定も肯定もしない。それは、敢えて白状した彼を俯かせた。
「私情を挟んでしまい、お恥ずかしい限りです」
「いや、それでいい」
「・・・それは、どういう・・・?」
呟くように口にした疑問に、少佐がすぐに答えることはなかった。足を組んで、背もたれに体重を預ける。
そして、大きく息を吐いてから、口を開いた。
「君が絆されたと分かった彼女が、何か行動を起こすかも知れないと思った」
「彼女が、この街に害を為すことはないと思いますが・・・」
間髪入れずに言葉を滑り込ませたカイの脳裏に、今朝目が覚めた時のことが翻る。風邪を引くといけないから、と彼女は自分に与えられた毛布を取ってきて、彼にかけてくれていたのだ。
さりげない優しさも、疑おうと思えば疑えるけれど・・・。
他にも髪を切って軽くなったらしい頭を傾けたり、見晴らしの塔から草原を見渡して目を細める姿を思い出したカイは、複雑な気持ちを抱えて俯く。
・・・いやいや、そんなことは思い出さなくてもいいって・・・。
わずかに表情を変えた彼を一瞥して、少佐は苦笑いした。
「きっちり絆された君が言ってもな。
・・・まあ、あの様子なら今のところは、特に危険視する必要もなさそうだが・・・。
とりあえず、君の見た彼女を教えてもらおうか」
少佐が肩を竦めて言うと、カイは視線を右へ左へと彷徨わせてから口を開く。
「正直、普通の女の子というか・・・そのへんの、同年代の子たちと変わらないですよ。
ナラズモノを見て恐怖に固まった時は、知らないことに驚きましたが・・・」
「なるほどな・・・大体は把握出来た。
銃を持った連中に追われて、両親が彼女を逃がして、おそらく絶命している、と。
そして、彼女はそれ以外のことはほとんど覚えていないらしい、ということか」
そして、彼が昨日の出来事を思い出しながら話すのを聞いていた少佐は、話がひと段落したところで、相槌を打っていた口を噤んで、カイを見据えた。
その瞳に、強く光る何かがあるような気がして、彼は思わず息を飲む。
「やはり彼女は、何かを隠しているんだろうな・・・」
「え・・・?」
思わず聞き返すと、少佐は言葉を選んで紡ぐ。
「君が聞いた話では、彼女は命の危険に晒されて、なおかつ両親を失っているんだろう?
だが、それにしては落ち着きすぎている。
本当に彼女が両親を失っていたとして、記憶が散らばっているとして・・・だ。
・・・まだ13歳だというのに、不自然なほど平然としているとは思わないか。
その点に関しては、私は違和感だらけだ」




