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重い頭をもたげて、ため息を吐く。

自分の部屋で眠ったのは、どれくらい前のことだったか。古びたソファを新しいものに換えたのは、確か自分が昇進した時のことだった。あの時は、1人欠けた家族を喜ばせたくて、自分にも家族を守ることが出来ると証明したくて・・・。

何度となく押し寄せては引いてゆくものをやり過ごして、彼の横たわる場所だけが歪に沈んでしまっているソファから足を下ろした。

カーテンを開けながらも、また、ため息が彼の口を突いて出る。

こんな自分になったのは、一体いつからだろう。

ぼんやりと考えながらリビングのカーテンを全て開け、薬缶を火にかけた。

「もう、1年か・・・」

こんなふうに朝を迎え続けて、1年が経ったのだ。

それは感慨深いようでもあるし、呪わしくもあった。

複雑な思いを抱えるこの青年にとって、今日は特別な日だ。





「あー、今日も平和だなー」

ごうごうと音を立てて風を割いて走る車のハンドルを握る青年は、不機嫌そうに眉をしかめた上司の表情もどこ吹く風、気持ち良さそうに大声を張り上げて話す。

残念なことに、この青年は運転は上手いのにお喋りなのだ。

「あおーい空、ひろーい草原」

黙って前を向いて運転しろ、と何度注意しただろうか。上司である彼は、全く打ちのめされる気配のない部下に、数年前から辟易していた。本当に、黙ってさえいてくれたら良い部下なのだ。

運転技術も射撃も長けていて、おまけに兵士としての勘も良い。だから、余計に残念だった。

特に今日は。

「・・・ぉあ?!」

部下のひときわ大きな声に、長いこと沈黙していた彼は、さすがに視線を投げた。

「一体何だ・・・」

風を切る音が邪魔をして、2人の会話が成り立たない。

せっかく自分から尋ねたというのに無視か、と半ば屈折した思考回路で導きだして取った行動は、やはり半ば強引だった。


べちん。


「いてぇ!」


ぎぎ、ぎぎぎぃぃ・・・!


「こんなとこで停めてんじゃねぇ!」

「てめぇが殴ったからだろーが!」

およそ上司と部下の会話とは思えないやり取りをする2人の後方へと、何台かの車両が停車する。飛び出すようにして降りてきた、草色の軍服を着た男達が集まってくる。

部隊単位での移動の際には、何台かの軍用車に分かれて乗り込むことになっている。1台に全員が乗って、その車両が動かなくなった場合に困ったことになるからだ。

後頭部を押さえて罵声を浴びせた部下に向かって、集まった中の1人がこわごわと口を開いた。

「あのー、コウさん・・・?」

「ぁあ?」

コウさん、と呼ばれた運転手は、苛立ちを隠すことなく振り向いた。

呼びかけた方は、半泣きだ。兵士らしからぬ、小さな悲鳴が上がる。

軍用車には、屋根も窓もない。それが悪かった。コウの迫力ある表情を隔ててくれるものは何もない。

「カイさん、どうしたんですか」

半泣きになった兵士とは対照的に、瞬きひとつせずに問うた者と視線を合わせた彼は、軽く手を振って言った。

「こいつが突然大声を上げたから、思い切り叩いてやっただけだ。

 ・・・ったく、こんなとこに停めてどうするんだ」

横ではまだ、コウが極悪人のような表情のまま、半泣きの兵士に向かって凄んでいる。わざと、気の弱い彼を困らせて楽しんでいるのだ。

「おい、コウ」

カイに険のある声で制止されたコウは、気の弱い兵士を最後に一瞥するその時に、にやりと口角を引き上げた。そして、口を開く。

「人が倒れてた、ような気がした」

そのひと言に、場が凍りついた。

この広い草原に人が倒れている・・・それが何を意味するのかを、彼らは身をもって理解しているからだ。

瞬時に緊迫した空気に包まれて、カイは否応なしに跳ね上がった鼓動をそのままに尋ねた。

「どの辺りだ?」

「えーと・・・」

場に似合わない声色で視線を巡らせたコウは、やがてある方角を指差して答える。

「あっち、だっけな。

 距離的なこともあるだろうが、小さかった気がする。

 ・・・だからたぶん、人間だと思う」

「こんな所に、ですか」

「おおおおおうえん呼びますか・・・?!」

冷静な方の兵士と、半泣きな方の兵士が交互に話しかけてくるのを一瞥したカイは、どう部隊を動かすべきが考えを巡らせた。

上司が突然黙り込むことに慣れている彼らは、吹き抜ける爽やかな風を受け流しながら周囲の様子を見渡す。風が少し乱暴に吹き付けるのはいつものことで、その中に錆びた鉄の匂いや生臭さは混じっていない。

半泣きだった兵士は、とりあえずそのことに落ち着きを取り戻して深呼吸した。自分達に危険が迫っているとは、考えにくいと実感したからだ。

冷静な方の兵士は、もしかしたら風下に脅威がいるのかも知れない、と考えていた。それくらいに、彼は用心深いのだ。時折それが、彼の行動を必要以上に制限するほどに。

そして態度の大きな、自分が部下である自覚のないコウに至っては、ほとんど何も考えていない。彼はいつも、行き当たりばったりだ。

「隊を分けよう。

 コウ、スバル、ラッシュは俺と一緒に人影の確認へ。

 ソル、リク、ウェッジ、タスクさんはここで」

始終冷静なスバルは少しあどけなさの残る顔をきゅっと引き締めて頷き、ラッシュはキレの良い返事を返す。また、コウは片手を上げて了解の意を表した。

それを見届けて頷きを返したカイは、待機を命じた4人に向かって口を開く。

「タスクさん、お願いします。

 ウェッジ、」

ウェッジと呼ばれたのは、先程まで半泣きだった青年だ。スバルと年を同じくする彼は、幼さの残る顔を強張らせてカイを見た。

うろたえながらも、真っ直ぐに上司を見るところは子犬のようだと、カイは常々思っている。決して口には出さないが。

「何か“匂ったら”すぐタスクさんに言うように」

「は、はいっ」

こくこく頷く彼にカイは内心苦笑しながらも、頼む、とだけ伝えて別の青年に向き直る。

「それから、リクも。

 “あれ”を感じたら、頼む」

「了解です」

リクと呼ばれた青年が、静かな声色を返して頷く。

「一応聞いとこうか。

 僕らが何かしらの危険に晒される予感がしたら、退避していいのかな。

 もちろん、そっちに連絡入れて」

「ええ。お願いします。

 自分達の安全を優先して下さい。

 判断は、タスクさんに一任します」

カイが部隊長を務める第8部隊で一番の年長者であるタスクは、こうして隊を二分する際に判断を任されることが多い。こんな場面にはすでに何度も直面しているが、部隊長であるカイの方針を聞いておくのは彼の常だ。

タスクが頷いていると、横から別の青年が声をかけた。

「カイさん達は、ウェッジもリクさんも連れて行かなくて大丈夫?」

「こっちは野生児がいるから」

「あー、第6感的な?」

「おいソル」

「いやいやいや、今のはカイさんの方が失礼だと思うんだけどな!」

コウが殴りかかる振りをすると、線の細い青年・・・ソルが、首を竦めてリクの背に隠れた。リクは体格が良いためなのか、穏やかでコウが絡んだりしないせいなのか、彼らの防コウ壁になることが多い。これも、この部隊ではよくあることだ。

緊迫した空気が少し緩んだことに、カイは息を吐く。

自分の受け持つ部隊は、彩り豊かだ。どうしてこう、変わった者ばかりが集まってしまったのか。自分には変わったところなど何一つないというのに・・・。

カイはそんなことを考えて、軽く頭を振った。

こんなことをしている場合ではないのだ。もし民間人が倒れているのだとすれば、大変なことになるだろう。早く確認しなくてはならない。

「いつまで遊んでんだ、行くぞ」

「おぅ・・・って、いってぇ!」

コウの耳を掴んで引っ張るカイを、間違いなくこの部隊の部隊長だと皆が思っていることをまだ本人は知らない。

彼の部隊は、確かに彩り豊かだ。しかし、その中心たる自分が駐留軍で数少ない、コウを御すことの出来る人間の1人であるということを、彼自身は特別視してはいないのだ。



軍用車は、人影を探しながらゆっくりと草原を進む。

街道から外れれば自然と凹凸に揺られるものだが、この辺りは大昔の世界大戦で一面焼け野原になった場所だという。見回りルートには、いくつかの大きなクレーターがあるが、それ以外は平坦な土地だ。

安全すら確保されていれば、子ども達が思い切り駆け回ることが出来る良い遊び場になるだろう。もちろん、それは叶わぬ願いなのだが。

「な、オレの耳千切れてね?」

「いいから黙って運転しろ」

頭を傾けて引っ張られた方の耳を見せようとするコウに、カイが握りこぶしを突き出す。めり、と音が聞こえたような気がしたものの、コウの機嫌を損ねると面倒だと分かりきっているラッシュとスバルは、お互いに一度視線を交えたあと、あさっての方へと逸らした。

「・・・あ」

ふいに声をあげて、カイが車から飛び降りる。

思わず息を飲んだ彼らは、ふわりと草原に着地する様子を見て胸を撫で下ろした。同時に、そのまま駆け出す上司に少し呆れてしまう。

養成校では、上司よりも前に出て安全を確保すること、と教わるのだ。他の部隊の連中がそうしているのも知っている。他の部隊では上司に車から突き落とされることもある、という話だが。

コウがカイの名を呼びながら車を停め、飛び降りた。

ラッシュとスバルも機関銃を手に、周囲を警戒しながらカイの走っていった方へと急ぐ。自分たちの前を行くコウが、特に周囲を警戒しているふうでもないことに、2人はほっとしていた。自然と足並みが緩やかになっていく。

ソルが別れ際に言っていたように、コウは第6感・・・カイ曰く、野生の勘が優れているのだそうだ。その彼が特に周囲を気にするふうもなく進んでいるのなら、敵に出くわすことは今のところなさそうだ、と思えたのだ。


一方真っ先に飛び降りたカイ本人は、目の前に横たわるものを見て絶句していた。

・・・なんだよ、これ。

胸の内で呟いて、彼はただ目の前に倒れている少女を見下ろして、立ち尽くす。時折吹き付ける風が足元の草を揺らして、その先にある少女の黒い髪を滑らせていく。

髪は黒いのに、カイはどうしても目の前の少女に触れることが出来なかった。本当ならば息があるかどうか、怪我はないか確かめるべきなのだと分かっているのに。

指先が冷たくなっているのが自分でも分かる。足が動かない。息が、胸が苦しい。

脳裏に翻りそうになるものを懸命に抑え込んでいると、突然背中を叩かれた。

「ぐっ・・・」

叩かれて胸が痛んで苦しくなったカイは、思い切り振り返って怒鳴る。

「いっ・・・てぇな!」

「しっかりしろよ、部隊長」

いつの間にか追いついたコウが囁いて、倒れている少女の傍に跪いた。絡まり合って彼女の顔の半分を隠してしまっている黒い髪を掻き分け、見つけた白い首筋にその手をそっと当てる。

彼の言葉に我に返ったカイは、じわじわと湧いてくる悔しさや惨めさを奥歯で噛み殺して膝を折った。刹那の間だというのに息が詰まった彼は、どういうわけか祈るような気持ちになってしまう。そして、いつかのやり直しのようだと気がついた。

「生きてる」

コウの短いひと言に、呼吸が楽になる。

「・・・そっか」

自然を頬が緩んだ自覚もないままに、カイがそっと彼女に手を伸ばす。

そんな彼の様子を一瞥したコウがわずかに目を細めていると、後から追ってきていた2人が合流した。

「ずいぶん時間がかかるじゃねーか」

からかい半分の台詞に、彼よりも少し若い2人はびしっと背筋を伸ばす。

そんなやり取りを背中で聞いて、コウを諌めた方がいいような気がしつつも、カイは少女の手首を取って血管が脈打つのを診ていた。頬に触れて、ある程度の体温が保たれていることも確かめる。

肌の出ている部分・・・といっても、腕と胸元くらいのものだが・・・には、特に傷があるようにも思えないし、血の匂いもしない。

「おい」

もしや、と頬をぺちぺち叩けば、少女の瞼がぴくりと動いた。

「え、叩いちゃうー?!」

思わず、といったふうに声をかけたのはラッシュだ。

コウが後輩たちに絡む時間は終わったのだろうか、と頭の隅で考えながらも、カイはもう一度彼女の頬を軽く叩いてみる。

普段は控えめで、必要以上に言葉を発しないスバルもカイを止めようと声をかけた。

「あの、一応女性、」

「寝てたら、いつもこれだけど」

言い訳めいた発言をしたカイに、コウがほんの少し赤らめた頬を隠すように顔を逸らして言う。

「お前それ、どんなシチュエーションで・・・」

「お前は何を想像してんだ・・・」

がっくり肩を落としていると、ふいに傍らで何かの動く気配がした。



じんじんと痛む場所を手探りで探し当て、手を当てる。

彼女は眩しさに顔を顰めながら、耳元でうねる髪をそのままに風の音を聞いた。生きた音に、頭の中がぐわんぐわんと揺さぶられる。

眩暈に似た感覚が消えず、思わず目を擦っていると、突然手がいうことを聞かなくなった。

熱いくらいの温もりを感じて、それが何なのか目を凝らすのに、一向に見えてこない。もどかしくて頭を振っていると、今度は頭がいうことを聞かなくなった。こめかみの辺りが痛い。

「なんだこのコミカルなやりとりは・・・!」

鼓膜にぶつかってくる人の声が、びりびりと耳の中で反響している。それがどうしようもなく不快で、彼女は思わず顔を顰めた。

「おい」

最初に聞こえた声よりも、もっと間近で声がする。それが解った瞬間、彼女を煩わせていた何かが綺麗に消え去った。


「・・・っ?!」

驚いて、仰け反りそうになる。

突然はっきりした視界に、感覚。世界の全てが突き刺さるようで痛い。

彼女の視界に、数人の男が飛び込んでくる。

聞こえていた人の声は、この人間達のものだったらしいと気がついた。そして同時に、その手には武器らしきものが握られていることにも。

心臓がぎゅっと掴まれてしまったかのように、痛い。

悲鳴が突いて出そうになった刹那、思い切り口を塞ぐ。体の中に渦巻いた恐怖が暴走して、口から飛び出してきそうだった。

彼女が必死に何かを抑えていると、カイが近づいた。もともと彼女と目線の高さを同じようにしていたのだ、最初から近いものが、もっと近くなったことに彼女はさらに慌てた。

口を押さえた彼女は呼吸が乱れるのも構わず、咄嗟に立ち上がって駆け出そうとする。しかし、どういうわけか足腰に力が入らない。くにゃりと歪んで、まるで軟体動物のようだった。

結局、ほんの少しだけ腰が浮いて、尻餅をついただけだ。

そんな彼女を冷静に見ていたのは、意外にもコウだった。

・・・なんだこの小動物。

起き抜けに追い詰められて逃げようともがく様子に、彼は呆れて内心ため息を吐いた。

もう少し肉付きの良い、年頃の娘くらいだったら興味をそそられることもあったかも知れないのに、とがっくり肩を落としてしまうあたり、彼が部隊長になれない理由でもある。基本的に、彼は任務に真面目ではない。

「兎か、子犬か」

「子犬は、ウェッジなんじゃないっすか」

ぽつりと零した呟きに、ラッシュがひと言添える。

「なら、兎ですか」

同じように、カイの少女への扱いに呆れていたらしいスバルが呟く。

「・・・あー・・・あれだ。

 タスクさん達の方に連絡入れろ。もうすぐ、そっち戻るって」

少女とカイの、ほぼ無言の攻防が続いている中、コウのひと言に頷いたスバルが通信機を取り出して、その場から少し離れて行く。ラッシュもそれに付き添って離れる気配を感じながら、コウはため息混じりにカイに声をかけようと口を開いた。


その瞬間、乾いた音が辺りに響いた。


ぶるぶると震える、決して大きいとはいえない手。

呆気にとられたような表情をしたカイの頬は、ほんの少し赤くなっていた。







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