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学校生活初日

 慣れない男子の制服に違和感を持ちながら、2―B、その教室におそるおそる入ってみた。

いつもより早かったせいか、まだ誰もいないようだ。席は・・・と女の自分が座っていた机の中を探って、置勉していた歴史の本を引っ張り出してみると、確かにそこには“溝内”とはっきり書かれている。その字は、角ばったでかい字で、紛れもなく自分の字だった。

 

でもまさか、今の自分が昨日までの理沙という名前だなんてありえない。きっと他の名前があるはずだ。

  

ため息をついて、締め切った窓を丁寧にひとつずつ開けていくと、一番端の窓から外をぼんやり眺めた。この世界は何も変わりはしない・・。ただ、自分の存在だけが最初っから男だという設定になていまっているだけで、いつもの町の風景、いつもの教室、そのまんまだ。

「ガラガラガラ」

ドアの開く音がした。誰か入ってきたようだ。

振り向くと、昨日まで一緒に弁当を食べたり、テレビのたわいもない話をしたりした河上美穂だった。

「おはよう。」

おもわずいつものように話しかけてしまってから、直後にハッとした。美穂が真っ赤になっている。しまった、自分は男だった・・!

「お・・おはよ・・。」

なるべく目を合わさないようにしながら、美穂は自分の席に荷物を置くと、逃げるように教室を出ていってしまった。

「そっか・・、男だったんだ・・・。」

そのことに驚きながら、しばらく呆然と突っ立っていた。そしてため息ばかりついてしまう。誰か、本当に助けて欲しい。自分はいったい誰なのか?どんな人間なのか?

「コーキ!おっす〜。」

開いたドアからひょっこり現れたのは見覚えのある顔だった。

「なーにやってんのー?こんなとこで一人で。」


そうだ、こいつは同じクラスの北野哲平、いつも騒がしいそのヤツだ。でも、結構子供っぽい性格とその童顔さが女子に受けて、モテているその一人である。

「え、あ、ちょっと早く来すぎて・・。」

「・・?なんか今日のコーキおかしくない?」

哲平は顔をしかめる。そうか、俺はコイツと仲がいいのか!っと納得しつつ、“コーキ”という言葉が妙に気になった。コーキ・・・ひょっとして俺の名前?

「お前こそなんで今日こんなに早いんだよ?

極力顔色を変えないように努力してみるが、きっとボロが出ていることだろう。

「な〜に言ってんだよ。昨日、オレが顧問に怒鳴られて、『お前は一週間便所掃除だ!』って言われたの見てただろ?」

哲平は重そうなスポーツバッグをどしっと床に置くと、近くの机の上にひょいっと座った。

「あ、そういやそうだったかな・・?」

いやいや、まったくそんなこと知らないって。

とにかくここはいつも通りのように平然と接するしかない。

「大丈夫?ホントなんか変だよ?」

哲平は心配そうに顔を覗き込む。な、なんとかしなければ!とっさにそう思った。

「じ、実はだな、その・・・。」

これ以上妙に思われないようにするにはどうすべきか。つたと冷や汗が流れ落ちたような気がした。

「実は?」

「実は・・、今朝起きたらいろんなことが思い出せなくてさ・・。」

これはあまりに嘘っぱちすぎてボツだなと思いながらも、ため息をつきかけたその時、

「え!属に言う、あの“記憶喪失”ってやつ?」

なぜか哲平は目をキラキラ輝かせて身を乗り出して聞いてくる。

「どっか頭打ったとか?何も覚えてないの?」

そうだ。こいつは好奇心の塊だと、学校でも有名だったのだった。

「いや、どこかで打った覚えはないんだけど、自分の名前も忘れちまってさ・・。」

哲平も驚きを隠せないようだ。

「ま、まじで?

 じゃ、じゃあオレの名前とかも覚えてないわけ?」

正直、ここまでこんな話を信じてくれると思ってもみなかったものだから、少し嬉しかったりもした。

「北野哲平、好奇心の塊。とにかく落ち着きがない。」

「はへ?覚えてるじゃん。なんで?」

哲平はたたっと黒板に走り寄ると、すっかり

ちっこくなった白チョークを手にとって、何やら書き始めた。

「溝 内 航 紀 ・・・?」

これが俺の名前・・。コーキっていうのは航紀という字だったのか。

「これはコーキの名前!あと何が思い出せないの?」

哲平はチョークをひとまず置くと、手についた粉をぱんぱんと払い落とした。

「他にも色々だよ。」

そうこうするうちに、他の生徒が登校してきたようだ。廊下がガヤガヤを騒がしくなり始めている。哲平はさっと黒板の字を消すと、今度は急に真剣な顔で言った。

「コーキさあ、それってやっぱ病院行って診てもらわなきゃだよ。オレはそう思う。」

きっと哲平とオレは本当に仲がいいんだなあと、第三者の目で見ている自分自身が、とても変な感じだ。

「いっぺんさあ、リューチにも相談してみようぜ。それから病院行こう、オレもついてってや るから。」

「リュ、リューチ・・?」

哲平はまさかという顔をした。

「リューチも忘れちゃったのかよ!?」

もう一度よく考え直してみるが、リューチなんて名前のやつなんか思い出せない。

「ホント大丈夫・・?重家龍一だよ、覚えてないの?」

重家・・・。まさか、あの重家龍一と俺が友達だったとは!そいつは、昨日までの自分が密かに思いを寄せていた、そのまさかの人物だった。思わずクラクラして頭を抱え込んだ。

「コーキ!どうしたの?」

昨日まですれ違うたびに顔を真っ赤にしていた、あの重家龍一が、今日の自分では友達だって!?考えが全くついていかない。ついていくはずがない!

「ちょっと、保健室で休んでた方がいいよ。ホラ、立てる?」

別段どこも体調は悪くはなかったのだが、考え込んでいる姿が、哲平にはよほど具合が悪く見えたらしい。あまりに心配するものだから、とうとう俺は一日を保健室のベッドの上で過ごすハメになった。重家龍一こと、リューチが姿を現したのは、五間目の休み時間のことであった。相変わらず、例の“大寝坊”というやつだそうだ。

不思議なものだ。俺自身が男だと自覚したと途端、どういう訳かはわからないが、リューチに思いを寄せていた昨日までの自分が嘘のようだ。心底いい友達だなんて思ってしまう自分がそこにいた。そして、ふとあることに気がついた。俺も女の子に興味があったりするのだろうか、っという何気ない疑問だった。その考えは、この後哲平とリューチに脳神経外科に連行されるそのときまで続くことになる。



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