不思議な本
その日、部活が早く終わったので、私は帰りにずっと入ってみたいと思っていた小さな古い本屋に寄ってみることにした。ドアの曇った窓から中を覗いてみると、中は薄暗く、古ぼけた本がぎっしりと本棚に並んでいる。もともと映画好きの私は、前に見たネバーエンディングストーリーのような不思議な本に出会えるのではないかと、密かに心の中で期待を膨らませていた。部活を終えてすっかり遅くなったいつもなら、店の中の灯りも消えて閉店してしまっているのだが、今日はまだ店を開いているようだ。ドアを思い切って引いてみると、ついていた小さな鐘が「カランカラン」と懐かしいような音を立てた。
「いらっしゃい。」
店の奥からは予想とはえらく違った、太ったやさしそうなおばあさんが出てきた。もっと難しそうな顔をした、頑固なおじさんが出てくるのではないかと内心ビクビクしていたのだ。私はとりあえず軽くお辞儀をして、店の中をじっくりと見て回った。中は外から見たほど狭くなくて、古いには古いのだが床下や棚もきれいに掃除してあった。どれもこれも古くて分厚い本ばかりで、難しそうなものばかりだ。
「何かお探し?」
店のおばあさんは親切に私に聞いてくれる。
「いえ、得に探してる本っていうのはないんですけど、何かおもしろそうなのがあったらな
〜って・・。何かお勧めの本とかってあります?」
私がそう訪ねると、おばあさんは目を右や左にちろちろ動かして、何か考えている様子だ。
「あなたのような若い学生さんがおもしろいと思う本・・・そうだねえ・・。」
おばあさんはあっと思い出したような顔をして、クルっと方向転換すると、本棚の右下の墨の 「あったあった、この本よ。」
おばあさんはよっこらしょと立ち上がると、一冊の紙を束ねて作ったような、すっかり表紙のはげた分厚い本を私に微笑みながら見せた。
「この本はね、アタシがずっと若かった頃に、おばあさんにいただいた本なのよ。」
おばあさんは懐かしそうにその本の表紙を指でなぞった。
「とっても不思議な本なのよ。読んだ人に道を示してくれる、本当にステキな本。」
おばあさんはその本を私にそっと手渡した。
「えっ、そんな大事な本売り物にしちゃっていいんですか?」
私は慌てておばあさんにその本を変えそうとした。もちろん、不思議な本だってことに興味がなくはなかったが。
「ふふふ、いいのいいの!もっといろんな人にその本を読んでもらいたいの。あなたのような学生さんは、きっと悩みもたくさんあるでしょ?その本はきっとあなたの役に立つはずよ。」
おばあさんは私から本を受け取ろうとはせず、後ろで手を結んでしまった。
「いいんですか、ホントに?」
おばあさんはこっくりとうなずいた。そして近くにあった丸椅子を引っ張り寄せると、ころころした身体でよっこいせとそこに腰を下ろした。私がその本をじっと見つめていると、おばあさんは静かに話し始めた。
おばあさんは昔、この本をもらってすぐに夢中で読んだそうだ。当時、初恋をして、誰にもそのことを相談できずに悩んでいたおばあさんを、とにかく惹き付けるだけの魅力がそこにはあったのだと言う。
「本当にこの本にはずいぶん助けられたよ。
アタシの欲しかった答えが、全部そこに書かれていてねえ・・・。」
私は急にその表紙がはげて茶色くなった本が、あたたかいような気持ちがした。
「この本、大切にします・・!
おいくらですか?」
鞄から財布を取り出そうとすると、おばあさんは慌ててその手をそっと添えた。
「いいえ、お代は結構よ。そう言っていただけるだけで十分です。」
おばあさんは優しく微笑むと、そのまま私を店の外に送り出してくれた。
「また来ます。」
そう言って店を出た私は、なんだか心配になった。本当にこんな大切な本をただでもらってもよかったのかと。
その夜、私はさっそくその本を読んでみた。表紙を一枚めくると、そこには題名も何も書かれておらず、目次さえもない。いきなりそこからぎっしりと細かい手書きの文で始まっているのだ。そこで確かに不思議な本だと私は感じた。ゆっくりと読み進めていくと、だんだんこの本がどんな内容かがわかてきた。どうやらこれは、古い中国の一人の青年の話しを誰かが日本語訳した物のようだ。出てくる人物はすべて中国の人の名前になっている。この本自体よりも、書かれている内容の方がずっと古いということがわかった。その内容は、青年が生まれてからの成長を描くものであった。今の私からすれば、この訳された日本語さえも読むのが困難であったが、不思議にも苦になることなくどんどん読み進むことができた。そのうち夜も更け、知らぬ間に私は眠ってしまっていた。




