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真実

日曜日の午前中、ニューヨークのリューチから手紙が届いた。

彼は筆不精であったから、この一通を書くのにきっと何枚もの便箋を無駄にしたのかもしれない。机に向かいながら、むしゃくしゃしつつ何度も紙を丸めているリューチの姿が目に浮かぶようだ。それ程までに、この手紙は貴重な一品で、俺は密かに生涯これを額縁にでも入れて保存しておこう、なんて考えながら、封を切った。


   

  『航紀、連絡が遅くなって悪かった。哲平は勝手にニュークに来てしまったことに

   怒って拗ねてるんじゃないか?

   だとしたら、また迷惑を掛けるな・・・。』



(まあな、ちょいと一揉めあったんだけど。ま、これはリューチには黙っとくか。)

手紙の内容に、思わず1人心の中でツッコミを入れてしまう。



  『お前のことだから、色々と心配してることだと思う。

   だから、報告だけはしておくことにする。

   でも、この手紙を読んで、余計に心配するようなことはしないでくれ。』



さすがにリューチ、俺のことをよく分かっている。

俺が心配症で、毎日学校帰りに重家自宅に寄ってから帰っているなんてことも、ひょっとしたら予想しているのかもしれない。だとすれば、それは見事な大当たりである。そういった行動の理由は、なんとかリューチの近況報告が自宅に入ってないだろうかと考えた結果からのものだった。

御蔭で、おばさんとは以前にも増して半友情とも言え、半親子愛にも似た奇妙な関係を育むことができた。できれば、連日連夜心配で睡眠のとれていないおばさんのことを、せめて俺や哲平と同じくらい気遣ってあげて欲しいものだ。



   『あんまりいい報告ではないが、まだまともにケイトと話せていない。

    というよりも、話もしてもらえていないと言った方がいいかもしれ

    ない。けど、必ず何とかして、けじめはつけるつもりだ。』



この手紙を書いているときのリューチの気持ちは、きっと孤独と不安でいっぱいだっただろう。俺がこの立場なら、きっと耐えられなくなって、哲平やリューチの待つ日本にすぐさま帰ってきてしまっていると思う。誰も頼る者のいない地に独りで暮らすことの辛さを、俺はまだ予想もできていない。


 

   『当分、また連絡しないと思うけれど、心配しないように。

    最後に、哲平の住所を覚えていなかったせいであいつに手紙

    を出せない。だから、ぜひ伝えておいて欲しい。』



2行空いたその次の行を読んで、思わずはっとする。



    『ニューヨークの空は日本の空と繋がっている。

     だから、空を見上げるとお前らの元気が降ってくる。

     今の俺はそれに支えられている。

     ありがとう。』



決して弱音を吐くことのなかったリューチの、自らの弱い部分を曝け出した最初で最後の出来事だった。考えていた以上に、ニューヨークでの生活は、リューチを精神的に痛めつけているようだ。ただ、いつも俺たちの兄貴的存在の彼が、俺と哲平がその存在を必要としているのと同じように、俺達のことを必要としてくれていることに、心底嬉しく思うと同時に、胸が苦しくなった。


「航紀、ちょっと来てごらん!すっごい懐かしいもの出てきたわよ〜。」

母親が階段の下で呼ぶ声がする。

「ねーえ、こーうーきー!」

手紙を読んでしんみりきていた時だったから、この場違いなふざけた母親の声に苛立ってしまう。

「ああ、もう!わかったから、すぐ行くって!」

面倒臭い気持ちが80パーセントを占め、今、自分のコピーロボットがあれば、迷わずそれに行かせるのに。なとど空想を膨らませる。


仕方がないので、よっこらせと重たい腰を上げ、母親の呼ぶ下の部屋に向かった。

「もう、何?」

これ以上ないという程のスロースピードで階段を降りて、部屋に入ると、目を覆いたくなるまでに散らかっていた。いつもはきっちりと真ん中に置かれたテーブルが、すっかり部屋の隅に追いやられ、フローリングに敷かれたカーペットの上に、無理矢理にこじ開いたと思われる、空のダンボール箱が数箱と、残りのスペースを覆い隠すように散乱したアルバムの真ん中で、うつ伏せに肘をついた形で寝っ転ぶ母親の姿があった。彼女はどうやらアルバムを見ているようだ。

ユニクロのスポーツバンツに、結婚当初に買ったと思われる伸びきったトレーナーを着ているその姿は、どこかの誰かに似ているような気がする。

はて、あれは一体誰だっけか。


「見て、写真整理しようとしたらね、すんごく懐かしいアルバムが出てきたの。」

母親が見ているアルバムを指さすので、屈みこんで見ると、3歳位の男の子の写真がきれいに並んでいた。

「なに、これ?」

もう少しじっくり見ようと、母親と同じ姿勢になってアルバムを覗き込む。

「これ、あんたよ。こんな時期あったのねえ、今じゃこんなに大きいけど。」



  これが俺!?


写真の男の子は、ウルトラマンのTシャツを着て、父親に肩車してもらっている。その次のページは両親に遊園地に連れて行ってもらった時の写真のようだ。

「へえ・・・、俺ってこんなだったのか・・・。うわ、このとき母さん若!」


こんな風に近くで2人して話をするのは、思えば本当に久しぶりのことだった。

女のときは、よく2人で買い物に行ったりしたものだった。そんなことを思い出すと、なんだか少し淋しい気持ちになり、懐かしい気持ちになった。


「ね、すごいでしょ。じゃあさ、これも見てごらん。」

母親が手に取ったアルバムは、今度は表紙が変色して黄色くなっているものだった。

表紙をめくると、まだ生まれて間もない赤ん坊の入浴写真が何枚も納められている。

顔も猿みたいに真っ赤で、決して可愛らしいとは言い難いものだったが、それは確かに男の赤ん坊だった。


「これも航紀よ。生まれたときはこんなに小さかったんだから。」

母親が静かな口調で話し始める。

「航紀が生まれる前、お母さんは風邪を拗らせて熱を出してしまってね、お医者さんに、もしかするとあなたに後遺症が残るかもしれない、って言われたことがあったの。そのとき、心配で心配で、毎日泣いて過ごしたのよ。けど、生まれたあなたは、後遺症もなく、元気な赤ちゃんで、今でも本当によかったってときどき思うのよ。」


何かずしっと重いものが胸にぶち当たった気がした。

自分を生むのに、母親はどれだけ大変な思いをしてきたのだろうか。

心も体も痛めながらも、懸命に俺の幸せと健康を願い続け、やっとのことでこの世に産み落としてくれたのだ。彼女の苦労は計り知れない。



    こんな大切な命なのに、俺は間違って生まれてきたなんて・・・。

    


「そんなに辛い思いをしたのに、途中で子供を産むのが嫌になったりしなかったの・・・?」

やっとのことで俺は母親に疑問をぶつけることができた。

「あなたがお腹の中にいるってわかった瞬間から、生まれるまでの10ヶ月間、一度だってそんなことは思わかったわ。あなたが少しずつお腹の中で育っていくことが毎日の喜びだったし、早く会いたいとばっかり願っていたもんよ。」

母親は、にっこりと笑いながらパタリとアルバムを閉じた。

―と、その瞬間、再び自分の中で何か引っかかった。

以前哲平とリューチが家に泊まりに来た日に感じた引っかかりと同じものだった。


「10ヶ月・・・。」

思わず口から言葉が漏れる。

「10ヶ月がどうかした?」

不審そうに母親が見つめる。


そして記憶の片隅から、ある記憶が甦ってきた。


中学のときに習った保健の授業の内容である。

そこでは確か、生命の誕生について勉強したように思う。

そのときも、あのゴリラのような体育教師も、妊娠から出産までの期間は10ヶ月だと言っていた覚えがある。


「いや、なんでもない・・・。」

慌てて口を噤むと、はっとした。



   やっぱり、何か引っかかると思った・・・!!!

   早くリューチに連絡しないと。



こうして俺は、ふとしたことから、とんでもない事実を知ってしまったのである。

    

  


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