気持ち
リューチがニューヨークに発ってから、ちょうど1週間が過ぎた日のこと、6限目のHRで、来月の修学旅行の班決めをすることになった。
「5、6人のメンバーで班を編成してください。」
修学旅行委員が面倒臭そうに教卓の前に立って説明している。
「コーキ、コーキ!もち同じ班だよな!」
とたたっ、と身軽な走りで駆け寄ってきたのは、相変わらずの哲平だった。その手には、いかにもやる気満々と言った様子で、メンバーの名前を書き込む為のシャーペンとルーズリーフがしっかりと握られている。
「あ・・・、うん。」
俺は、机の中に隠していたポッキーの1本を爪楊枝のように咥えたまま、さほど興味も関心もないような返事をした。
「えーと、やっぱリューチもメンバーっしょ。」
そう言うと、哲平は熱心に、持っていたルーズリーフに俺とリューチの名前を書き込む。その様子を見て。ふとリューチがいないことに寂しさを感じた。
「そうだな・・。もしかして、修学旅行までには帰ってくるかもしれないしな。」
長いこと咥えたままでいたせいで、チョコレートが半分溶けかかっているポッキーをポリポリと食べながら、はてと考えた。
そう言えば、他のメンバーってどうなるんだろ。
そんな考えに追い討ちを掛けるように、修学旅行委員が説明に言葉を付け足した。
「えーと、ちなみにメンバーは必ず男女混合になるようにしてください。」
そういい終わると同時に、教室中が急に熱気を帯びたように騒がしくなった。ひょっとすると、室温が3度程上昇したんじゃないだろうか。皆、高校での修学旅行と言う大イベントを、少しでもいい物にしようと必死なのだ。
「ど、どうする?誰誘う?」
「チャンスだよ!やっぱあの子誘っちゃおうよー!」
なんて言うピンク色の女子の声や
「おい、お前あの子呼んで来いよ〜。」
「バカっ!声がでかいんだよ!」
なんて言う興奮気味の男子のからかい声が飛び回っている。
「ねーねー、コーキ。オレ達はどうする?」
呆れたように机に突っ伏したまま、またもや次のポッキーを齧っている俺の前に立って、哲平が少々焦りながら言う。
「え?俺はもう誰でもいいよ。考えるのが面倒臭いし。」
反応の薄い俺の様子を見て、哲平が見るからに拗ねているのがわかる。
「なんだよ〜、つまんないの。」
口を尖がらせながら、すぐ隣の机にひょいっと座ったまま、哲平は黙り込んだ。
周囲はどんどんメンバーが決まっていくらしく、少しずつ耳障りなざわめきが落ち着いてきた。
「まだ班のメンバーが決まっていない人は挙手して下さい。」
気だるそうに、修学旅行委員が教卓の前でぐるりと教室を見回しながら言った。彼の心境はきっとこんなものだろう。
(なんで僕がこんな面倒臭いことしなきゃいけないんだ。あのときジャンケンでパーを出して いたら、今頃は気楽にできたのに・・・。)
「はいはいは〜〜〜い。」
大声で返事をしながら手を挙げたのは、机の上に座ったまま、足をぶらぶらさせている哲平だった。
手を挙げているのが哲平と気付いた途端、再び教室が騒がしくなった。
「えーっ!!」
あちこちからそんな声が飛び交う。まさか、あの人懐っこい哲平が余っているなんて、誰も予想できなかったのだろう。逆に、すでに先約があるものと踏んで、誰も誘わなかったに違いない。
「あ、ちょうど3人同士で人数もぴったりだし、オレ達河上さん達と組むよ。」
そう言った哲平の言葉に、思わずポッキーを齧る口を止める。
河上・・・?河上って、美穂・・・?
哲平の言っていることにいまいち理解できなくて、机に伏せていた頭を少しだけ上げて、教室の端っこで、手を挙げている3人の女子を見た。
美穂!?朋美!?小百合!?
そこには、なんと女のときに仲の良かった、美穂と、大桑朋美、山部小百合が居たのだ。
それを見た途端、なぜか口元がにやけている自分がいた。
別に、何か可笑しかった訳ではないけれど、ただ単純に、嬉しさという感情が、腹の底から込み上げていたのだ。人間、嬉しすぎると変な行動を起こすことがたまにあると言う。
俺は嬉しかった。
またあの3人と一緒に行動することができることが何より。
その日の帰り、部活を休部している俺は、哲平より一足先に帰路に着いた。
最寄りのバス停までやって来ると、すでに同じ制服の学生達が列を作っていた。
その中に、数人で話をしている学生達の間に挟まれて、居辛そうにしている1人の女の子がいた。
「あ・・・。」
ちらりとその女の子が近くの公共時計を見上げた瞬間、はっとする。そのときに見えた横顔は、河上美穂、その人だったのだ。
「河上さん!」
席替えの後、すっかり打ち解けた美穂に対し、ますます複雑な気持ちが募る中、俺は彼女を見掛けて声をかけずにはいられなかった。
「み、溝内君。」
俺に気が付いた美穂は、相変わらず驚きと恥ずかしさの入り混じったような表情をした。いくら以前に比べて打ち解けたとは言え、普段はほとんど男子と接触の無い美穂にとって、やっぱりまだ慣れない部分も多いのだろう。困ったときにする、手の平で顔を覆うように隠すしぐさを見て、ほんの少し淋しい気持ちになった。でも、そんな俺の気持ちとは裏腹に、美穂は照れ臭そうに、すっと列を抜け出すと、列の最後尾に並ぶ俺のすぐ後ろに並び直した。
「よかった、1人じゃ居辛かったの。」
美穂は家庭科部員だが、週2回の活動日以外は帰宅組だった。
「溝内君、今日部活は?」
自分からこんなに話してくれることは、男になってから初めてのことだった。
「ああ、俺今休部中なんだ。」
無理して話しているのだろうか、顔が少し赤い。それにつられて、俺もなんだか照れ臭くなる。
「休部?どうして?」
決して口数は多くないが、美穂はいつも鋭い所を突いてくる。
「えーっと、たまには休憩しようと思って。」
あんまり記憶喪失だとか何とか言って、美穂にいらぬ心配を掛けさせるのもどうかと思って、とっさにこんなことを言ってしまった。
美穂は、底抜けの心配性なのだ。
「そっか・・・。溝内君でも休憩したいときってあるんだね。私もときどきそうだか ら・・・。」
そう言ってふっと溢した彼女の笑みになぜかドキリとした。
その瞬間、自分の顔が火照っていることに気が付いた。
この感じ、前にもなったことある・・・。
ドキドキして、顔が火照るこの感覚、これは以前にも同じような経験があった。でも、いつのことだか思い出せない。
そのとき、美穂が鞄に付けていたキーホルダーをぽとりと落とした。
それを拾おうと俺が屈み込む。
あ・・・。リューチだ・・・。
ふと昔の、同じような場面を思い出した。
理沙だったとき、リューチが寝ぼけて机から落とした筆箱を拾ってあげた出来事だった。
そのときの心臓のバクバクと、顔の火照りときたら、本当にとてつもないものだった。
でも、たった今、美穂のすぐ横で、これとよく似た感覚に陥っている俺がいる。
も、もしかして俺・・・美穂のこと・・・!?
そして、皮肉にもとうとう俺は自分の気持ちに気付いてしまったのだ。もう後戻りはできない、どうしようもない気持ちに。
「修学旅行、楽しみだね。」
そう言った美穂の言葉に、俺は必要以上にドギマギしていた。