旅立ち
俺の家でのお泊り会以降、リューチは柄にもなく、学校に1度の遅刻もせずにやってきては、変わりなく時間を過ごし、ぴったり1週間後、出発の挨拶無しにニューヨークへと発って行った。
あまりにもあれ以来、この話に関することを何も口にしないので、俺自身もあれはリューチの悪い冗談だったのではないかと思い始めていた矢先のことだった。予告どおり、リューチは学校にピタリと顔を出さなくなったし、当たり前だが、携帯に電話やメールが入ることもなくなった。
「ねえ、最近リューチどうしちゃったんだろうね。」
哲平が携帯をパタンと閉じながら言った。
珍しく今日は部活が休みだとかで、俺と哲平は帰宅を共にしていたのだ。そして思わずドキリとしてしまった。
「風邪なのかな。」
ぶつぶつと顔をしかめながら、あれでもない、これでもない、と考え込んでいる哲平は、突然あっと気が付いたように手を叩いた。
「そうだ!連絡もつかないことだし、オレ達で今からリューチん家にお見舞いに行こうぜ!」
そうと決まれば話は早い、とばかりに足を速めた哲平は、俺の異変に気が付きふと足を止めた。っと言うのも、俺の足は相変わらずゆっくりとした動きからスピードを上げようとしないので、哲平との距離が大きく開いてしまったからだ。
「哲平、無駄だよ。」
ポツリと言った言葉を、哲平は理解できないのか、口をぽかんと開けている。
「何言ってんだよ、コーキ。無駄な訳ないじゃんか。」
哲平は少し怒ったような口調で、開いてしまった距離を縮めるように、ゆっくりとこちらへ歩みながら言った。自分自身もまだ、リューチがニューヨークに行ってしまったことに対して、信じたくない気持ちがあったせいか、どことなく自分に言い聞かせるような言い方になっていた。
「無駄なんだ。リューチはいない、日本には。」
哲平の表情を見るのが怖くて、じっと自分の靴を見ていた。
「ど、どういうことだよ?」
心なしか、哲平の声は少し震えている。
「リューチは、ニューヨークにケジメをつけに行ったんだよ。」
そして、俺自身の声も震えていた。
「ニューヨーク・・・?なんだよそれ、すぐ帰って来るんだろ?」
哲平の顔さえ見ないが、今の哲平の顔は、今にも泣き出しそうになっているに違いない。ただならぬ気配を感じ取って、何となくよくない知らせを予感しているのだろう。
「いや、まだ分からないけど、相手の女性に謝罪して、話し合って・・・それで結婚も考えて るって・・・。」
そう言い終わって、やっとじわじわとその事実が現実味を帯びてきた。
もう2度とリューチと学校生活を共にできないかもしれない、それどころか、会うこともない かもしれない・・・。
そんな不安がブクブクと腹の底から湧き出してきて、頭の中をめちゃめちゃに引っ掻き回した。
「コーキ、なんでオレには一言も言ってくれなかったんだよ!」
不安がぐるぐると渦を巻いてフラつく頭で、やっとのことで哲平の顔を見ると、哲平の唇はワナワナと怒りで震えていた。
その目は、まるで飼っていた鳥を不注意で他人に逃がされたうような眼つきで、俺に対する思いをまざまざと物語っていた。
「お・・俺だってそんなこと信じたくなかったんだよ!」
感情の高ぶりの末、抑えきれなくなって飛び出した自らの言葉が、ごめんの一言でなく、こんな無責任な言葉であったことに、自分でも驚いた。
「ああ、そうかよ。コーキとリューチはいつもこれだ。いつもオレはガキ扱いかよ!」
男になってからの記憶が少ししかないと言えども、哲平がこんなに本気で怒る姿は初めて見た。いつもの空元気で明るい哲平から想像できるはずもなく、なんだか急に大人びて見えた。
「オレだけ何も知らないで、リューチを行かせちゃったのかよ。嘘だろ・・・!?」
リューチに言われた通り、哲平にこのことを話さなかったのは間違いだったと、心底後悔した。もし、万が一リューチがこのままニューヨークから帰って来ないとすると、哲平とリューチはまともに別れの挨拶さえしていないことになる。こんな中途半端な別れ方があっていいはずがない。
「違うんだ、哲平。リューチも俺もお前をガキ扱いなんかしてない。ただ、2人とも信じたくな かっただけなんだ。」
今になって、リューチがなぜ哲平にこの話を黙っていて欲しいと言ったのかをよくよく考えてみると、やはり、リューチ自身も哲平との別れが惜しかったせいなのだろう。哲平1人がいるだけで、その場の空気がパッと明るくなる、そんな不思議なこの男を、どれだけ必要としているかは言うまでもない。それでなくても、リューチは孤独な過去の過ちにけじめをつける為、たった1人でニューヨークに旅立たなければならなかったのだ。そんな時に哲平に引き止められたりなどすれば、せっかくの決心も揺らいでしまう、そうリューチは考え、決断したのだろう。
「ごめん、コーキ。オレ・・・本当はこんなこと言おうとしたんじゃないんだ。」
哲平は思わず口走ってしまった言葉に、心底後悔したように唇を手で押さえながらしゅんと下を向いた。
「哲平は悪くない、言わなかった俺が悪いんだ。」
俺たち二人は下を向いたままとぼとぼと歩き始めた。
「へへ、どっちみちリューチのことだ、オレに言ったらうるさいから黙ってろってコーキのこ と脅したんだろ?」
さっきまであんなに怒っていた哲平は嘘のように、照れ臭そうに笑いながら言った。
「げ、バレてた?」
俺も動揺を隠そうと、わざと明るい口調で言った。そこから15分程はギグシャクした空気が流れたが、もう5分もすれば、2人はもう2度とその話題に触れなかったし、いつも関係に戻っていた。しかし、互いの心の中は、口に出さねども、リューチのことでいっぱいだったことは確かだ。