リューチの過去
いつもの帰り道、リューチと別れ際に、ある誘いを受けた。
「航紀、来週の日曜暇あるか?」
俺達は毎日30分間バスに乗った上に、約20分間の徒歩で登下校している。その50分の間に言わずに、こんな別れ際に突然切り出すなんて、忘れていたのだろうか?全くリューチにしたら珍しい。
「ああ、暇だけど?」
リューチは急にモゴモゴと口ごもり始めた。
「来週俺の誕生日でよ、お袋がぜひお呼びしろってうるせえんだよ、来てやってくんね?」
よっぽどこのことを言うのが恥ずかしかったらしく、下を向いて小石を蹴飛ばしている。
「あはは、いいよ!行く行く。」
ちょっとリューチの違う一面を見てしまったようで嬉しかった。
「哲平は試合で来れねえって言ってたし、航紀まで来れねえってことになったら、お袋めちゃ めちゃヘコんで大変なことになるとこだったぜ。」
リューチはほっとして胸を撫で下ろした。なんでも、以前に哲平と俺がリューチの家に行ったときに、ひどくおばさんに気に入られてしまったのだそうだ。
そういう訳で、俺はこうしてここ、リューチの家でご馳走になることになった。今ここで一言言わせてもらえるのなら、とにかく“家がでかい!”と言いたい。もう一言二言付け加えるなら、“リューチのおばさん綺麗すぎ!しかも料理美味すぎ!”っとまあこんな感じだ。だって、どう見たってリューチの母親は35歳前後にしか見えないし、子供がいるようにはどうやったって見えない。それに抜群にお洒落で、リューチからは考えられないない程上品なのだ。リューチの話し方からすると、こんなにキレイな母親がいるなんて、誰も想像できないだろう。それに、なんと言っても料理が美味い!どれも洋風料理で、どこかのレストランのシェフがキッチンに隠れているんじゃないかと思ったくらいだ。
でも、あえておばさんに指摘するとしたら、挨拶代わりの“キス”だ。今日も俺が家に招き入れられたときに、
「航紀くん、いらっしゃいー!」
なんて言いながら、訳もわからないうちにぶちゅっと一発頬にされてしまった・・・。
あのリューチがどうもこのおばさんに頭が上がらないのが、なんとなくわかる。
「今日、哲平ちゃんが来られないなんて、おばさんすごくショックだわ〜。」
「しょうがねえだろ、アイツ試合なんだから。」
リューチはフォークでウインナーを突き刺しながら言った。
「そうねえ。航紀くんが来てくれただけでも感謝しなきゃね。」
おばさんはちょっと残念そうな顔でリューチの顔を見る。
「そういえば、龍ちゃんも航紀くんもバスケット部なのに試合は大丈夫なの?」
ギクッ、以外におばさんは鋭い・・・。
「いや、あの、俺休部中なんですよ。」
リューチをちらっと見ると、いらんことを!っとばかりに顔を渋めている。
「あら、そうなの?じゃあ龍ちゃんも休部中?」
この様子じゃ、リューチはあまり学校のことなんかをおばさんに話してないようだ。
「ま、そのようなもんです。」
リューチが答えようとしないので、代わりに俺が答えておいた。
「ふうん、龍ちゃん学校のこと全然話してくれあいもんだから、おばさん知らなくっ て・・。」
おばさんは困った顔で俺に愚痴をこぼす。リューチは相変わらずうっとおしそうにしている。なんだか俺の方が気を遣ってしまう。しかし、おばさんは、リューチに構わずリューチの子供の頃の話を始めてしまった。俺もリューチのことをもっと知りたかったし、興味があったので、思わずその話に聞き入ってしまった。でも、リューチが話に加わることはまずなかった。ときどき顔色をうかがってはみたが、不機嫌そうに一人黙々と食べている。おばさんの話によると、驚いたことに、おばさんとリューチは、父親の仕事の関係で、13歳までアメリカのロスに住んでいたのだそうだ。
「この子ね、小さい頃からピアノをやっててね、コンクールでも何回か賞を貰ったのよ〜。」
リューチがピアノ!?信じられない!
「でも、高校に入ってからはめっきり弾かなくなっちゃったもんだから、おばさんすごくもっ たいなくって・・・。」
リューチはいらんことばかり言いやがってとばかりに、わざと食器の音を立ててハンバーグをつついている。
「あとね、小さい頃から近所の子とよくバスケットをして遊んでたもんだから、よっぽど好き なのねー、こっちの学校でも迷わずバスケット部に入ってね。」
おばさんはウキウキしながら話しているが、俺はリューチから発せられるピリピリするようなイライラを肌で感じてドキドキしていた。でも、リューチがなぜバスケが好きなのかがちょっとわかった。
「今、おじさんは?」
俺は何気なく聞いてみた。
「ええっと、今はロスに娘といるのよ。会社を経営してるものだから。」
わかった!リューチの家がなんででかいのか、おばさんの洋風料理が特別美味いのか!おいおい、父親がロスで社長かい!そりゃ金持ちだわ。でも、ある疑問が浮かび上がった。なんでおばさんとリューチだけが、日本に戻ってきたんだ?これはなぜか聞いてはいけないおうな気がして、俺はあえて聞かなかった。でも、こんなに大きい家に2人・・。あまりに不自然な話だ。もしや、離婚・・?
「それにしても、航紀くんを見ていたら思い出すわあ。」
おばさんはニコニコしながら机にひじをついて俺をじっと見つめる。
「アレックスくんに雰囲気がそっ・・」
「いい加減にしろよ!!」
リューチが突然怒鳴った為、おばさんはびっくりしている。急に立ち上がった勢いで、机の上のコップが倒れ、床が水浸しになった。
リューチはナイフとフォークを持ったまま、怒りで肩を震わせている。こんなに怒ったリューチを見るのは初めてだった。いつも冷静なリューチが、まさかこんなに取り乱すなんて・・・。
「ガチャン!」
リューチは持っていたナイフとフォークを机に投げつけると、椅子を蹴飛ばして、ツカツカと早足で部屋を飛び出して行ってしまった。
「私・・・、ついはしゃいじゃって、おしゃべりがすぎちゃったのかもしれないわ・・。」
おばさんは深刻な顔をして考え込んでいる。
「リューチ、いったいどうしたんですか?」
そろそろ怒るのではないかと予想はしていたものの、ここまで激怒するなんて思ってもみなかった。よっぽど気に障ることがあったのだろうか。俺には、“アレックス”という名前にひどく敏感に反応したように見えた気がした。それに、しつこいようだが、どうして2人だけ日本に戻ってきているのかが気になってしようがない。
「ホントごめんなさいね、せっかく来ていただいたのに、こんなことになっちゃって。」
おばさんは立ち上がると、リューチがこぼした水を、お手拭用のタオルで拭き取り始めた。
「いえ、それは構わないんですけど、おばさんは大丈夫ですか?」
見ると、おばさんの手は濡れたタオルを持ったまま止まっている。
「おばさん・・・?」
おばさんは目に涙をいっぱいに浮かべて、じっと動かない。
「こんなこと言ったら、またあの子に怒られるかもしれないんだけど、航紀くんと哲平ちゃん はね、あの子が日本に戻って初めて気を許したお友達なの・・。だから、どうしても知って おいて欲しくて・・・。」
俺と哲平がリューチの初めて気を許した友達?何にもしなくたって慕われるあのリューチが・・?
「俺もぜひ知りたいです。」
俺には何の迷いもなかった。もうこれ以上、哲平の時のように、何もできないのは絶対に嫌だ!ただ、そういう思いでいっぱいだった。おばさんはタオルをその場に置くと元の席に座って、話し始めた。
「あの子、ロスで学校の先生を妊娠させてしまったの・・・。」
それは、あまりに強烈な一言だった。俺は、五階建てのビルの屋上から、鉄の桶を頭に落とされたぐらいの衝撃を受けた。一瞬自分の耳を疑った。
「相手の方は、当時22歳でね、その日、龍一はクリスマス会で先生の家にお呼ばれしていた の。それで、本人もよく覚えていないらしいんだけど、どうやら飲み物の中にアルコールが 入ってたみたいで、それで酔っ払って羽目を・・・。」
俺は言葉を失った。はっきり言ってちょっと
見損なった・・・。でも、当時13歳だったんだ、仕方のないことだったのだろうか?
「その後、周囲の目がガラリと変わってしまって、私と龍一は逃げるようにこっちへ戻ってきたの。」
まるで外国の映画のような話だ。
「今、その人はどうしてるんですか・・?」
しかし、この質問に対するおばさんの答えは、再び俺に大きな打撃を与えた。
「今、ニューヨークの方で龍一の子を育てているそうよ。」
この若さにして、リューチにはすでに子供がいる・・・。これは1日では考えが追いつきそうもない!
「じゃ、じゃあ、さっきのアレックスって・・?」
リューチが激怒する程だ、何かあるはず。
「アレックスくんは、龍一の幼馴染でね、先生の弟さんなの。」
俺はハッとした。これで全てが1本の糸のように繋がった。リューチが大好きなバスケにあまり打ち込まなくなった理由、ピアノを止めてしまった理由、アレックスという名前にひどく敏感な理由・・・。
いつもリューチは俺と哲平に悟られないように、一人でずっとこの重すぎる過去を背負っていたのだ。きっと俺がリューチの立場なら、ここまで強くは生きられないだろう。現実を忘れようとばかりするだろう。でも、リューチの場合、過去の過ちとして、ニューヨークにしっかりと子供が存在しているのだ。知ったところで俺にはどうしてやることもできないが、一緒にこの過去の過ちを共有することで、精神的にリューチの支えになってやることくらいならできるんじゃないか、そんな気がした。いくら悔やんでも過ぎてしまったことは変えようがない。でも、これからリューチができることがきっと何かあるはずだ。