何も知らない俺
「最近さ、コーキ河上さんとよく喋ってるよね。」
哲平にもそう言われてしまう程こないだの吉住事件以来、美穂とはかなり話すようになったのだ。
「相変わらず山崎さんからもほとんど毎日メールが来るしな。」
「まじ!?鬼じゃん!」
食堂で俺は卵丼、哲平はカキフライ定食、リューチはきつねうどんを食べながら、いつもの実咲ネタで盛り上がっていた。
「航紀、そりゃもういい加減メール返さねえ方がいいぞ。」
リューチが割り箸を伸ばして哲平のカキフライを1つくすねた。
「あ!オレのカキフライ盗るなよー!」
哲平が意地になってリューチのうどんの器を奪い取って、がむしゃらに食べ始めた。
「おい、哲平!お前食い過ぎだ、なくなるじゃねえか!!」
っとまあこんな感じでいつも通りのテンションだ。
「北野哲平くんいる!?」
食堂の入り口辺りで、誰かが哲平を探し回っている。
「おい哲平、誰かが探してるぞ。」
暴れていたリューチと哲平の動きが止まり、哲平が首を伸ばして向こう側を見ようとしている。そこへ、あちこち聞きまわってやっと見つけた様子で、担任の杉田がこちらへ早足でやってきた。
「北野くん、ちょっと大変なことになったのよ。すぐに自宅に帰るようにと親御さんからお電 話があったの。」
哲平はガタッといきなち立ち上がったと思うと、急いで食堂を出て行った。
「哲平ん家、どうかしたんですか?」
俺は思い切って杉田に聞いてみた。
「君たちは北野くんと仲がいいから、なんとか支えになってあげてちょうだい。
さっき、北野くんのお爺様が事故でお亡くなりになったの。」
リューチは箸をかちゃりとテーブルの上に置いた。
「二人とも知っていると思うけど、北野くんの家は早くにお父様が亡くなられて、お爺様とお 母様に育てられたようなものだから、きっと今回のことで落ち込んでしまうんじゃないかと 心配してるのよ。よろしく頼むわね。」
俺は知らなかった。哲平の父親が早くに亡くなったということを、知りもしなかった。哲平のことを知ったつもりでいい気になっていた自分が、初めて何1つ知らなかったことに気付いて、急にただの友達面した馬鹿に見えてきた。
俺はいったい何を期待してたんだろう?
数日やそこらで、哲平やリューチのことを全部理解できるはずなんて、最初っからなかった。なのに、俺はいったい何を・・・?
次の日、哲平は通夜の為、学校を休み、その次の日に俺とリューチが葬式に招かれた。
「溝内くん、重家くん。」
哲平の家の玄関の前で、後ろから誰かに呼びかけられた。
「今日はわざわざ来てくれてありがとね。」
黒い着物を着た50代位の女の人は言った。
「おばさん、哲平の様子はどうですか?」
リューチがこの人をおばさんを呼んだということは、どうやらこの人こそが哲平の母親であるらしい。
「案外平気そうにお葬式の準備とか色々と手伝ってくれてたんだけど、さっき部屋に戻ったっ きり出てこないのよ。」
「そうですか、じゃあまた後で俺達が様子見に行ってみます。」
案外平気?そんなことはないはずだ。確実に哲平にとって大きな打撃になっていることは、この俺にでも分かる。
「ええ、そうしてもらえると助かるわ。ほら、あの子、4人兄弟の末っ子でしょ?おじいちゃ ん子だったもんだから・・・。あ、よかったらお線香あげてってくださいね。あなた達のこ と、おじいちゃんお気に入りだったから、きっと喜ぶわ。」
哲平にとって、祖父の存在は、父親と同じくらい大きなものだったんだなあ。
そんなことを思いながら、俺は線香をあげた。実際、俺は以前に哲平の祖父と会ったことがあるはずだが、このことも知らない。写真を見たところ、どことなく哲平と似ている。とても人柄のよさそうな人であった。リューチも何も言わずに線香をあげていた。
「哲平。」
俺とリューチは、哲平の様子を見に、部屋までやってきたのだった。部屋の隅で小さくなったまま動かない哲平の姿がそこにある。
リューチはそれでも何も言わず、静かに歩み寄ると、近くで腰を降ろした。
何も言わないリューチの優しさを、痛いほど感じた。
リューチは黙って胸のポケットから煙草を取り出した。
「・・じいちゃん、ひき逃げだったんだ・・。」
哲平がうずくまったままボソッと呟くように言った。リューチは黙ったままライターで煙草に火をつけた。
「お前、なんでおばさんの前で平気なフリしてんだよ。」
リューチの一言はズシッと重かった。
「実際全然平気じゃねえじゃねえか、なんで平気なフリしてんだよ。」
心なしか、いつもよりも口調が厳しく、怒っているようだ。哲平は初めて顔を上げた。泣いてはいなかったが、いつもの元気のカケラさえもその表情からは感じられなかった。
「一番辛いのは母さんだから、オレがしっかりしなきゃ・・・。」
哲平は自分に言い聞かせるように言った。
「何バカなこと言ってんだよ、お前も同じ位辛いくせに。」
リューチの言葉はいつも皮肉っぽいが、人の気持ちを開放させるような、そんな不思議な力を持っていると思う。
「アホか。葬式っつうのは、死んだ人の為に泣いて送ってやる日なんだよ。お前の兄貴や姉貴は向こうで声出して泣いてたぞ。我慢すんじゃねーよ。」
心が痛かった。俺は、リューチのように、哲平に何一つ言葉をかけてやれなかった。俺はこの二人の優しさに甘えすぎていたんだ。自分から何も知ろうとはしなかった。これはきっとその罰なのだ。
リューチは思っていた以上に大人だった。女のとき、この重家龍一に惚れてしまっていたのも無理はない。今の俺でされも、この男にひとく憧れを抱いてしまった程なのだから。
この後、哲平はリューチにしがみついて泣きじゃくり、夕暮れ時に引き剥がすのが大変だった。今度は二人で俺の家に泊まりにくる気らしい・・・。
言い忘れていたけど、この一週間後に、ひき逃げ犯は無事逮捕されたそうだ。