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9話 「檻を壊す者」

 王都ラルカの軍司令部。


 エルネストとラウルの二人は、連名の抗議書を携えて参謀本部の扉を叩いた。


 対応したのは、参謀次長のトレント准将。

 銀縁の眼鏡の奥に、事務官の目がある。

 戦場……実戦をを知らない目だ。


 そして、この男がナヴァロの所属する派閥の長だ……ヴェルディア王国侯爵でもある。


「蒼炎隊のサラサールとバルガスです。先日の農村鎮圧作戦について、正式に抗議いたします」


 エルネストは抗議書を机の上に置いた。


 文面はエルネストが一晩かけて書いた。

 感情を排し、事実だけを並べた書類だ。


 第一に、蒼炎隊への命令は「武装解除」であり、武装解除は完了していた。

 第二に、陸軍による即決処分の事前通達は蒼炎隊に一切なかった。

 第三に、拘束済みの民間人に対する銃殺は、軍法第12条に定める「無抵抗の捕虜への不当な処遇」に該当する。


 論理で固め、感情は1文字も入れなかった。


 トレント准将は書類に目を通し、眼鏡を押し上げた。


「……なるほど。整理された文書だ。法務部門が書いたのかと思った」

「私が書きました」

「優秀だな、サラサール。さすがは伯爵家の御曹司だ」


 エルネストはその言い回しに引っかかった。

「優秀」と評価しているのは文書の質ではなく、家格のほうだ。


 この男は軍人ではない。貴族だ。

 ずっと貴族の中の世界だけで戦ってきて、敵も世界も、その枠組みの中にしかいない。


「抗議の内容について、ご見解を」

「見解はこうだ。陸軍の行動は、上の命令に基づいている。蒼炎隊への事前通達がなかったのは遺憾だが、命令系統が異なる以上、通達義務は発生しない」

「つまり、合法だと?」

「手続き上は問題ない、という意味だ」


 エルネストの隣で、ラウルの呼吸が変わった。


「手続き上は問題ないだと? 抵抗できない人間を銃殺するのが合法だってのか!」

「バルガス隊員。声を抑えろ」

「抑えられるわけがないだろう! あいつらは鍬を握っていただけの農民だ! 武器を捨てて、拘束されて、抵抗する力すら奪われた状態で撃たれた!」

「静かにしろ、と言っている」


 トレント准将の声は穏やかなままだった。


 穏やかすぎた。

 怒りも動揺もない。


 まるで、蝿が飛んでいるのを見ているような目だった。

 常識が……住んでいる世界が違いすぎる。


「反乱の鎮圧は国家の安全保障に関わる問題だ。個々の事例について感情的な議論をする場ではない」

「感情的なのは誰だ! 命令を出した側が感情的じゃなかったと言えるのか!」

「ラウル、落ち着け」


 エルネストが低い声で制したが、ラウルは唇を噛んで、拳が震わせていた。

 落ち着く気配など微塵もない。


 エルネストは准将に向き直った。


「准将。抗議書の受理だけでも確認させてください。記録として残すことが重要です」

「受理はする。だが、回答には時間がかかる。上との調整が必要だ」


 調整。

 つまり、握り潰すための時間稼ぎだ。


「了解しました。回答をお待ちしています」


 エルネストは敬礼した。

 ラウルは敬礼しなかった。


 退室して廊下に出ると、ラウルが壁を殴った。


「今のやり取りじゃ全部握り潰される。分かってるだろ。なんで敬礼なんかした?」

「記録を残すためだ。正式に受理された抗議書は消せない。握り潰されても、受理番号が残る」

「番号が残って、何になる」

「いつか、必要になる」


 ラウルはエルネストを睨んだ。

 睨んで、それから目を逸らした。


「……酒を飲みに行く。付き合えネスト」

「報告書がまだ――」

「付き合えと言っている」


 エルネストは口を閉じた。

 ラウルの声に、拒否を許さない響きがあった。


   ◆ ◆ ◆


 抗議書の結果は、3日後に出た。


 グレゴリオ隊長が、全ての責任を負うことになった。


「蒼炎隊隊長として、部下の統率に不備があった。鎮圧作戦における連携の不足は、全て隊長である私の責任だ」


 グレゴリオは軍法会議の場で、そう述べた。


 抗議書の中身には一切触れなかった。


 陸軍の行動を問題視する文言は、全て自分の統率不備に書き換え、部下を守るために、自分の名誉を差し出した。


「隊長! 何をしているんですか!」


 軍法会議の後、廊下で追いかけたエルネストに、グレゴリオは静かに言った。


「お前たちの抗議書は正しい。正しいからこそ、通らない。この国で正しいことを言う人間は潰される。だが、お前たちが潰されるわけにはいかん。この国が本当に終わる」

「だからといって、隊長が犠牲になる必要は――」

「必要はある」


 グレゴリオの鉄の目が、エルネストを射貫いた。


「蒼炎隊には、お前たちが要る。老兵は退場する時期だ。遅すぎたくらいだ」

「遅すぎた、とは」

「呪文を唱える暇があったら、鉛の弾を避ける訓練をしろ。それが私の最後の命令だ」


 グレゴリオは背を向けた。


 その背中は、いつもより小さく見えた。


「隊長……」

「違うな。蒼炎隊最後の隊長はお前だ、エルネスト・サラサール。幕を引くのはお前だ」


 グレゴリオはその言葉だけを残して、廊下の向こうに消えていった。


 下った審判は不名誉除隊。

 四百年の歴史を持つ蒼炎隊の隊長が、部下を庇って軍を追われた。


   ◆ ◆ ◆


 そして、二人にも処分が下った。


 エルネスト・サラサール。処分保留。


 ラウル・バルガス。ティアナ島嶼郡の駐留軍への左遷。植民地治安活動に従事せよ。


 ティアナ島嶼郡はティアナ海峡にある、ヴェルディア王国の植民地の島々の総称だ。


 諸外国の植民地が次々と独立運動を起こして、国家として独立した影響を受けたのだろう。

 以前から何度も反政府の抵抗運動が起こっている。


 その度に鎮圧部隊を派遣してはいるが、何度も反乱が再発する鉄火場のような場所だ。

 

 二人は同じ抗議書に連名で署名した。

 同じ場で、同じ相手に、同じ抗議をした。


 結果だけが、違った。


 伯爵家の嫡男は守られ、庶民の出は切り捨てられた。


「……家格か」


 処分の通知を受け取った詰所で、ラウルが呟いた。


 怒りではなかった。

 もっと冷たいものだった。


 今のこの国は、得体のしれない「何か」に突き動かされている。


「鎧を着ろとお前は言ったな。着たよ。一人称も直した。襟のボタンも閉めた。それでも、中身を見る前に鎧の出来で判断される」

「ラウル。私は――」

「お前のせいじゃない。分かってる」


 ラウルは処分通知書を丁寧に畳んだ。

 破り捨てるかと思ったが、そうしなかった。


「鎧の話は間違ってなかった。ただ、鎧の材料が最初から違っていたってだけだ。お前のは鋼で、オレのは錆びた鉄だ」


 エルネストは何も言えなかった。


 家格に守られた。

 その事実が、胸の奥で鉛のように重かった。


 同じ抗議をして、同じ覚悟で挑んで片方だけが守られる。

 それが正義であるはずがない。


 だが、正義でないものが現実としてまかり通っている。


 この国に……正義は残っているのか?

 エルネストは心の中で問いかけるが、もちろん答えなど返ってこない。


「……すまない」

「謝るな。お前が謝ると、余計に惨めだ」


   ◆ ◆ ◆


 その翌日。


 今度はカミラだった。


「退役が決まった。来週付けで蒼炎隊を離れる」


 詰所で、カミラは淡々と告げた。


 予告されていた婚約の話が、ついに現実になったらしい。


 北部バルド高地のバルブエナ子爵家。

 蒼炎隊の解散が近いと察したカミラの親が、娘を退役させて政略結婚に差し出したらしい。


「……時期が悪すぎる」


 エルネストが呟いた。


 グレゴリオ隊長が追われ、ラウルが左遷され、そしてカミラが去る。

 立て続けに蒼炎隊の柱が折れていく。


 明らかに、裏で何かが動いている。


 おそらく始まりは、港町トレインで貴族の密輸品が見つかった事件だ。


 事件の裏を探るべく動いたことが、狭い世界で権力闘争を続けてきた貴族は、それを自分の縄張り荒らしととらえたのだろう。


 蒼炎隊を潰すために、全て仕組まれていた。

 このタイミングで次々と事件が起こるのは、そうとしか思えない。


「時期の問題じゃないわ。いつかこうなると、分かっていた」


 カミラは窓の外を見ていた。

 訓練場の赤土が、午後の光に照らされている。


「ネスト。正直に聞くけど。私が辞めることについて、どう思う」


 エルネストは少し間を置いた。


 正直に言えば、引き止めたい。

 カミラは優秀な隊員だ。戦力として失うのは痛い。


「前にラウルは一緒に逃げてくれと言ってくれた。その時は断ったけど、もし、あなたが今、同じ言葉を言ってくれるならば――」

「――それは言えない。逃げることが幸せに繋がるとは到底思えない」


 カミラの目が、一瞬だけ揺れた。


「魔法の時代は終わる。安全な場所で守られて生きるのが、今のお前にとっては正しい選択だ」

「……そう。やっぱり、そう言うのね」

「事実を言っている。イネスの分析を聞いただろう。新型銃が量産されれば、魔法使いの優位はなくなる。子爵家の庇護の下にいるほうが――」

「――分かってる。分かってるわよ、そんなこと」


 カミラの声が一瞬だけ震えた。


 ただし一瞬だけだった。

 すぐに押し殺した。


「あんたはいつもそう。正しいことを、正しい順番で言う。反論の余地がない」

「反論してくれて構わない」

「反論できないから腹が立つのよ」


 そのタイミングで扉が開いて、ラウルが入ってきた。


 カミラとエルネストの顔を見て、一瞬で状況を察した。


「……カミラも退役か」

「ええ。来週で」


 ラウルの拳が握られた。


「お前は本当に望んでるのか。それ」

「望んでない。でも決まったの」

「決まった? 誰が決めた。お前の親か? 子爵家か?」

「両方よ」

「お前自身は――」

「――私に選択権はないって、前に言ったでしょう!」


 ラウルがエルネストに向き直った。


「お前は何と言った?」

「安全な場所で守られて生きるのが正しい選択だ、と」


 ラウルの目が、変わった。


 怒りではなかった。

 もっと深い場所から来る何かだった。


「正しい選択? 誰にとっての正しさだ。カミラにとってか? 親にとってか? それとも、お前にとってか?」

「感情で判断するな。現実を見ろ。魔法の時代は――」

「――終わる。知ってるよ。何度も聞いた」


 ラウルが一歩、前に出た。


「だがな、エルネスト。カミラの幸せは、ここでオレたちと戦うことだったはずだ。違うか、カミラ」


 カミラは答えなかった。

 答えない代わりに、唇を噛んだ。


「違わないだろ。お前が一番分かってるはずだ。蒼炎隊で戦うことが、お前の誇りだっただろ」

「誇りだけでは生きていけないのよ。現実の話をしてるの」

「現実? 檻に入れられることが現実か?」


 檻。


 その言葉が、詰所の空気を凍らせた。


「檻の中にいれば死なない。私、前にそう言ったわよね。覚えてる?」

「覚えてるよ。今でも納得してねぇけどな」

「納得しなくていい。ただ、事実よ」


 ラウルはエルネストに向き直った。


「お前はこれでいいのか。カミラが檻に入れられるのを黙って見送るのか」

「黙って見送るのではない。現状で取れる最善の選択だと判断しているだけだ」

「最善の選択。正しい選択。合理的な判断……お前の口から出る正論は、いつもそんな言葉ばかりだ」


 ラウルの声が、低く沈んだ。


「お前の正論は正しい。いつも正しい。正しいから誰も反論できない。だがな、エルネスト」


 ラウルは拳を握り締めた。


「お前の正論は檻なんだよ。正しさという名の檻だ。その中に人を入れて、蓋をして、『これが最善だ』と言い切る。閉じ込められた人間の気持ちなんか、考えもしない」


 エルネストは動かなかった……動けなかった。


「次に誰かが檻に入れられそうになったら……」


 ラウルの声は静かだった。


 怒鳴るのをやめていた分だけ、言葉が重かった。


「オレは檻ごと、ぶっ壊してやる」

「2人とも、やめて」


 カミラは静かな声でそう言った。

 怒っていない。泣いてもいない。


「私のことで喧嘩しないで。お願いだから」


 カミラは2人を見て、小さく笑った。


「ありがとう。2人とも、私のことを考えてくれてるのは分かってる。方法が違うだけで」


 カミラは訓練場に目を向けた。


「来週まで、まだ時間はあるわ。最後の訓練、付き合ってくれる?」


 ラウルが頷いた。

 エルネストも頷いた。


 訓練場の赤土が、夕日に染まっていた。


 蒼炎隊の柱が、また1本、折れようとしていた。

 

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