7話 「沈みゆく船」
アデラと別れた翌日、エルネストはグレゴリオ隊長に密輸調査の続行を申請した。
もちろん、情報源や、調査対象が貴族ということも伏せてのことだ。
「上からの通達で貴族への調査は打ち切られた。知っているな」
「知っています。貴族を調べるとは言っていません。先日の密輸ルートの残存調査です。蛇と短剣は潰しましたが、その関連組織に動きがあるようです」
グレゴリオは申請書を一舐めした後に、鉄の目でエルネストを見据えた。
「建前としては筋が通っている。だが、本音は別だろう」
「本音はありません。昨日の調査の継続です」
「……好きにしろ。ただし、何が出てきても知らんぞ。覚悟の上でやれ」
グレゴリオは書類に署名した。
署名しながら、小さく付け加えた。
「蒼炎隊とはいえども、あくまでも軍の一部隊に過ぎん。そして、軍の上層部にも貴族はいる。その領分に踏み込めば、必ず報復が来る。分かっているな」
「分かっています」
「分かっていて行くのか」
「密輸の調査ですから」
グレゴリオは溜息をつき、それ以上は何も言わなかった。
エルネストは軍帽を被り直して、隊長室を後にした。
◆ ◆ ◆
手がかりは、トレインの密輸組織から押収した帳簿の中にあった。
蛇と短剣が仲介していた品目の中に、記号だけで記された取引が数件あった。
品名なしだが、金額だけが異常に大きい。
イネスに頼んで暗号を解析させると、取引先は王都ラルカ内だと判明したことが、今回の調査の切っ掛けだ。
「密輸組織が潰れても、取引の相手は消えていない。別の仲介者を探すか、直接取引に切り替えるか。どちらにせよ、動いているはずだ」
エルネストはイネスの分析を受け取り、ラウルとカミラに作戦を伝えた。
「密輸ルートの残存を追う。王都の貴族街周辺で不審な物資の移動がないか、張り込む」
「それで、ラウルが変な仮装で出てきたのか」
エルネストとカミラは貴族街でも目立たない服装で出てきている。
ラウルについては、相応しい服を持っていないということだったので、エルネストが自宅に招いて、そこで服を貸した。
エルネストの服は寸法がまるで合わなかったため、父親が昔に着ていたという服を引っ張り出して着せている。
それでもなお、肩幅が足りないために、服に着られている感はあるが、軍服のままでウロウロするよりは目立たないだろうという考えだ。
だが、カミラはそんなラウルの姿を見てずっと首を傾げていた。
「そんなに似合ってないか?」
「意外に合ってるんだけど、やっぱり寸法がね。ちゃんとした採寸をして服を作らせれば合うかも。軍人上がりの政治家みたいで」
「オレに政治は無理だよ。一生現場で頑張らせてもらう」
ラウルは否定の意味で手を振った。
「そうだ、忘れていた。カミラが着てきた今日の服は似合っている」
「私が教えた言葉を、急に思い出したみたいに言われると困るんですけど。その分だと使いこなせなかったでしょう」
「私自身の言葉で話せと言われた」
「ああ……」
エルネストがそう説明すると、カミラは手を顔に当てて大きく息を吐いた。
「それで、怪しい動きは見つかってるの?」
「ある。貴族街の外れに御用聞き商人たちが利用している倉庫街がある。性質上、日中にしか使用されないはずだが、何故か深夜に荷の出入りがある」
「周期はトレインの密輸と一致しているってわけか」
「申請は、貴族御用達の高級品を狙う賊の調査で出している。密輸品の出所は、全て盗品だったと結論付けられたので、警備の厳しい貴族の邸宅からではなく、倉庫から盗まれたのではないかという解釈だ」
「裏手に取ったってわけか」
「そういうことだ。論理を積み上げていけば、必ず矛盾を突ける。ただし」
エルネストはここで言葉を切った。
「具体的にいつ頃に取引が行われるのかまでは掴んでいない。何日か巡回を続けることになるのは確定なので、覚悟して挑んでくれ」
「ということは、この窮屈な服をしばらく着ないといけないわけかよ」
「あまり掛かるようならば、顔の利く仕立て屋に寸法直しを依頼しよう」
「そういうことじゃねぇよ。こういう格式張った服は窮屈だって言ってるんだ」
◆ ◆ ◆
5日ほど巡回捜査を続けて、ようやく怪しい動きを察知することが出来た。
深夜にナヴァロ家という貴族宅に、荷車に積んだ木箱をいくつか運ばせているのをラウルが目撃した。
わざわざ深夜というのが気になったので、翌日に調査を行うことにした。
深夜の活動ならば、目立たないような貴族の服を着る必要はない。
蒼炎隊の隊服に着替えて張り込んいると、深夜にその貴族の邸宅から、黒ずくめの男たちが、荷車を押しながら出てきた。
気付かれないように尾行をすると、荷車は貴族街の裏手へと向かっていく。
表通りの華やかさから一本路地に入っただけで、空気が変わった。
石壁に蔦が這い、排水溝から湿った匂いが立ち上る。
貴族街の裏側は、表ほど磨かれていない。
地下倉庫の入口は、古い石段を降りた先にあった。
倉庫は重い鉄扉で閉ざされているが、中に人がいることは明白だ。
鍵は開いたままだし、隙間から微妙に明かりが漏れている。
「通風口へ。そこから音が聞こえるはずだ」
エルネストが指示を出すと、カミラが石畳から突き出た煙突のような筒に耳を当てた。
「声は複数。3人か4人……荷を動かしてる音もする」
エルネストとラウルは頷いた。
「手筈通りだ。ラウルは裏口を押さえろ。カミラは私と正面から入る」
「オレはすっかり裏口担当だな」
「了解。逃がさねぇよ」
ラウルが一辻先にある、地下倉庫のもう一つの出入り口に消えた。
地下倉庫は、利便性や、何らかの理由で片側の出入り口が詰まった時にも困らないように、辻をまたいで両側に出入り口が作られている。
中に入る連中がどちらから飛び出すか分からない。
30秒。ラウルが裏口に回り込む時間を数える。
エルネストは通風口の前で葉の付いた生木の枝に魔法で引火させ、それを通風口に差し込んだ。
その後に一言、通風口に向かって叫ぶ。「火事だ!」
入口で少し待つと、出入り口の扉が勢い良く開いて、煙と共に、ゲホゲホとむせこみながら、四人の男が飛び出してきた。
三人は黒ずくめの男だ。それは良い。
問題は四人目だ。
50代後半で仕立ての良い上着に、銀の頭のステッキ。
松明の光に照らされた顔は、蔑みで歪んでいた。
ビセンテ・デ・ナヴァロ子爵。
木箱が運び込まれたナヴァロ家の当主だ。
エルネストは名前を知っていた。社交界で何度か顔を合わせている。
密輸の調査に来たつもりで、密輸組織の残党か、新しい仲介者を見つけるつもりだった。
だが、貴族が直接取引をしている現場に踏み込むことになるとは、想定していなかった。
「待て、貴様は……」
「蒼炎隊だ。密輸取引の現行犯で、全員捕縛する」
「なんだと!? 私を誰だと思っている!」
ナヴァロ子爵が杖を構えた後ろで、黒ずくめの男2人が短銃を腰につけていたホルダーから抜いた。
だが、抵抗があることは予想済みだ。
エルネストが弾道予測魔法で軌跡を確認し、展開した障壁魔法で全て防ぐ。
二射目が来る前に、カミラが冷静に捕縛を放って子爵以外の三人を拘束した。
「深夜の倉庫に怪しい取引をしているやからが貴族の振る舞いをしているから何だと?」
「私はビセンテ・デ・ナヴァロ子爵だ。無礼であろう」
ナヴァロが何故か自己紹介を始めた。
それで何が有利になるわけでもない。
エルネストは、何故こんなところにいて、何をしているのかを問うただけだ。
「ご本人であるという保証が取れません。こんな時間に、こんなところでコソコソと何をしていたのかを教えてください」
「そうか、お前、サラサール家の若造だな! 軍服などという野蛮なものを着て、私の正当な商談を邪魔するつもりか?」
「ナヴァロ子爵。あなたの言う商談とは、何の取引ですか? こんな時間に何を? 何故使用人に任せずに自ら取引を?」
「何ってそれは……」
うまい言い訳をすぐに思いつかなかったのか、ナヴァロ子爵は口ごもった。
「倉庫内を改めさせていただきます」
倉庫内には木箱が整然と並んでいた。
開いた蓋の中から見えたのは、銀の燭台、古い地図、骨董品に紛れた革袋、そして家紋が入った銀食器などだ。
だが、エルネストの目が止まったのは、木箱の中身ではなかった。
机の上に置かれた、丸めて紐で閉じた何かの書類だ。
「骨董品の売買だ。見れば分かるだろう。銀の燭台、古地図、美術品。全て正規の取引だ。この時間にやったのは、船で輸送する関係だ」
「船で輸送するから何だと?」
「そう、金額だ。取り扱う金額が大きいために自ら取引に出る必要があった。この時間と場所なのは賊を警戒してだ」
ナヴァロの言い訳はかなり無理があるものになってきていた。
「では、これは?」
エルネストが書類の巻きをほどくと、軍需工廠の押印が見えた。
容易に複製が出来ないように、桁数の多い数字による手書きの命令番号も入っている上に型押しも添えられている。
軍の正式な書類だ。
それが複数枚ある。
「骨董品に軍の図面は付きません。これは密輸ではなく、軍事機密の流出です」
ナヴァロの顔色が変わった。
だが、すぐに持ち直した。
「黙れ、それは古い資料だ。機密でも何でもない」
「工廠の押印は今年度のものです。命令番号の8桁目から16桁目に入る数字は書類受理日を入れる規定です」
ナヴァロの地位では、書類に命令番号を自ら記入することはないので、気付かなかったのだろう。
エルネストが合図を送ると、背後の石段からカミラが滑り込んだ。
木箱の封を確認し、品目を手早く記録していく。
同時に、裏口で物音がした。
「逃げようとした奴が2人いたので、こっちは抑えた」
ラウルの声が暗闇から響いた。
取引相手の商人だろう。逃走を図ったがようだが、ラウルに捕まった。
「書付、金貨、図面、輸出入記録……証拠としては十分ね」
カミラが手を止めた。
ナヴァロの顔から、余裕が消えていた。
代わりに浮かんだのは、追い詰められた動物の目だった。
「いいか、小僧。私はトレント侯爵の派閥に連なる身だぞ!」
ナヴァロは銀のステッキを小刻みに鳴らしながら叫んだ。
「トレント閣下は侯爵にして陸軍准将。貴族と軍の両方に睨みが利く御方だ。無礼を働けば、君の父上にだって影響が及ぶ。蒼炎隊などという時代遅れの部隊など、すぐにでも解体してくれるわ!」
侯爵にして准将。
貴族の世界と軍の世界、両方に足を置く男。
あの抗議書を握り潰すであろう男の正体が、敵の口から零れた。
だが、エルネストは表情を変えなかった。
「脅迫を記録に追加しておきます」
「貴様――!」
「ナヴァロ子爵。軍事機密の漏洩は国家反逆罪に該当します。身柄を拘束させていただく」
カミラが捕縛魔法を放とうとしたところ、エルネストはそれを制した。
ナヴァロは貴族だ。
家格で劣るカミラが手を出せば、後でややこしい事態に陥る可能性が高いからだ。
だからこそ、伯爵家の嫡男、エルネストがハンカチを細く巻いて紐にした上で、ナヴァロの両手を後ろ手に回し、親指同士を縛り付けた。
「覚えていろ、サラサール! トレント閣下の派閥が黙っていないぞ! 貴様らのような時代遅れの魔法使いなど、すぐに潰してやるからな!」
負け惜しみが地下倉庫に反響した。
虚しい響きだった。
◆ ◆ ◆
地上に出ると、ラウルが壁に背を預けて待っていた。
裏口で捕まえた2人の商人は、ラウルの捕縛魔法で拘束されて、転がされている。
「随分と時間がかかったようだが、中には誰がいた?」
「ナヴァロ子爵本人だ。使用人や関係者ではなかった」
「子爵? 貴族が直接取引してたのか」
「ああ。軍の図面まで流していた。使用人に任せられないはずだ。もし、その情報が漏れたら、それだけで軍に……この国から居場所が消えるからな」
ラウルが目を細めた。
「……まさか、そこまで腐っていたとは。あの家紋入り銀食器を見た時は、貴族も金に困ってるんだなくらいだったんだが」
「私も驚きだ。まさか、機密書類まで海外に流そうとしていたとは」
ラウルの拳が握られたが、壁は殴らなかった。
その代わりに、静かに言った。
「ネスト。この国の貴族は、自分たちが乗っている船を自分で沈めてる。分かるか。船底に穴を開けて、水が入ってくるのを見ながら、金目のものだけ抱えて救命ボートに乗り換えようとしてる」
「……的確な比喩だな」
「比喩じゃねぇよ。事実だ」
ラウルは空を見上げた。
星が出ていた。貴族街の上にも、下町の上にも、同じ星が出ている。
「沈む船に残されるのは、泳げない奴らだ。農民。労働者。下町のガキ……救命ボートなんか用意されてない連中だ」
エルネストは答えなかった。
答える言葉が見つからないのではなく、ラウルの言葉が正しすぎて、付け加えるものがなかった。
「行くぞ。報告書を書かなければならない」
エルネストが促すと、ラウルは視線を戻した。
「……ああ。行こう」
3人は貴族街の裏通りを抜けた。
表通りのガス灯が、磨かれた石畳を照らしている。
美しい街だ。
だが、その美しさの裏側に何があるかを、3人とも知ってしまった。
◆ ◆ ◆
翌日。
報告書を提出したエルネストを、グレゴリオが呼び出した。
「読んだ……貴族が軍事機密を流出させていた。密輸調査の結果として、な」
「はい」
「密輸調査の建前は崩れていないが、中身は貴族の犯罪だ。上がどう動くか、分かっているな」
「揉み消される可能性が高いと思います」
「いや、揉み消しはされない。ナヴァロ子爵という人物がこの一連の罪を全て被って、この国から消える。トカゲの尻尾切りだ。更に『上』には届かない」
グレゴリオは椅子の背に体を預けた。
「ナヴァロがトレント准将の名前を出したそうだな」
「はい。脅迫の中で」
「トレントは侯爵家の当主にして陸軍准将。貴族社会と軍の両方に根を張っている。蒼炎隊が手を出せる相手ではない」
「分かっています」
「分かっていない。お前は何も分かっていない」
グレゴリオの声が、低くなった。
「この事件はナヴァロ個人の仕業で終わるが、体面を汚された『上』は報復に来る。お前の家に。蒼炎隊に。全員に」
「覚悟の上です」
「覚悟? 覚悟で何が守れる。覚悟だけで動いた先に何がある。お前は頭のいい男だ。感情ではなく論理で考えろ」
「論理で考えた結果です。軍事機密の流出を放置すれば、国防に穴が開く。穴が開けば、守るべき民が死ぬ」
グレゴリオは黙った。
しばらくして、溜息をついた。
「……報告書は提出する。正式な記録として残す。だが、それでこの密輸事件は終わりだ。そして、これ以上の独断は許さん」
「了解しました」
「了解した顔ではないな……まあいい。行け」
エルネストは敬礼して退室した。
ナヴァロは罪には問われなかったが『急病のため』に、国境近くの標高が高い山地にある施設で『療養』することになった。
王都の邸宅は必要なくなったため、国が接収した。
そして、やはり報復は来た。
ナヴァロの脅迫通り、トレントの派閥が動いた。
蒼炎隊への予算が削られた。任務の優先度が下げられた。
直接的な処分ではない。じわりと、首を絞めるように。
だが、エルネストは後悔していなかった。
正式な報告書として、提出された事実が記録で残った。
これが、いつか、必要になる日が来る。
そう信じるしかなかった。




