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6話 「古木と土」

 貴族街は、夕日を受けて金色に輝いていた。


 煉瓦造りの邸宅が並ぶ通りに、傾いた陽が差し込んで、壁を琥珀色に染めている。

 鉄柵の向こうには手入れの行き届いた庭が広がっている。


 この一角だけは、港町トレインの錆びた空気も、下町の淀んだ路地裏も、まるで別の国の出来事のように遠い。


 エルネストは貴族街の端にある小さな教会の前で足を止めた。

 そこが待ち合わせの場所だ。


 約束の時間を告げる大聖堂の鐘が鳴ったが、それでも待ち人は来ず。


 仕方なく、壁に背を預けて、鳩が歩き回る動きを観察しながら待った。


 たまに石畳の間に嘴を差し入れているが、あそこには何があるのだろう。

 虫が隠れているのだろうか? それとも、何かの種が落ちているのだろうか?


 くだらないことを考えているうちに、石畳を叩く靴音が近づいてきた。


 軽い足取り。少しだけ急いでいる。

 

 体重は軽い女。背は低い。

 履いている靴は、踵が長いハイヒール。


 たまに何かを振り回すような音が鳴るのは、手に小さい鞄を持っているかだろうか?


 エルネストは軽く頭を振った。

 仕事の警戒状態がまだ解けていない。


 つい、僅かな物音から、その主の情報を拾おうとしてしまう。


「遅くなってごめんなさい。着替えに手間取って」


 貴族令嬢のアデラ・モンテスが、息を弾ませながら現れた。


 アデラは普段着ではなかった。

 淡い青のドレスに、白い手袋。髪は丁寧に結い上げられ、耳元に小さな真珠の耳飾りが揺れている。


 教会の前で幼馴染に会うだけの装いではない。


「……随分と気合いが入ってるな」

「たまには良いでしょう。久しぶりに会うんだもの」


 アデラは少しだけ頬を染めた。

 それから、エルネストの服装を見て、わずかに目を伏せた。


 エルネストは薄汚れた軍服のままだった。


 襟のボタンは上まで詰め、帽子は例の穴を塞いだものの、作戦から戻ったままで着替えてきてはいない。


「……軍服なのね」

「ああ。任務の帰りだからな。着替える暇がなかった。この後もまだ報告と書類作成が残っている」


 これは嘘ではないが、本当でもなかった。


 着替える暇はあった。着替えようと思わなかっただけだ。

 書類もそこまで急ぎではない。翌日で十分だ。


 ただ、着替えない、あくまで仕事の延長で会うという理由付けをしたかっただけだ。

 故に氷の仮面も外さない。

 素の自分を見せるなというのは家の教えだ。


 アデラは一瞬だけ唇を噛んだが、すぐに笑顔を作った。


「いいわ。散歩でもしましょう。この辺り、夕暮れが綺麗なの」

「散歩の前に、聞きたいことがある」


 エルネストが尋ねると、アデラの足が止まった。


「……聞きたいこと?」

「トレインから戻ったばかりでね。少し、貴族の内情について教えてほしい」


 アデラの表情から、笑顔がすっと消えた。

 消えて、代わりに浮かんだのは、諦めに似た静かな失望だった。


「……そういうこと。今日は仕事なのね」

「仕事というわけでは――」

「――いいの。分かってたわ。ネストが私に会いたいって言う時は、いつもそう」


 アデラは結い上げた髪に手を触れた。

 無意識の仕草だった。

 30分かけて整えた髪を、自分で確認するような、そのような動きだ。


「散歩しながらでいいかしら。せっかく着替えたんだもの。ここで立ち話は寂しいわ」

「ああ。もちろん」


 2人は並んで歩き始めた。

 肩の距離は、拳ひとつ分。近いようで、遠い。


 何か選択を間違えたのだろうか?

 エルネストは自問自答する。


 そして気付いた。

 言わなければいけない言葉をまだ言っていない。


 カミラに殴られ、ラウルに笑われながら教えられた言葉だ。

 女性に会えば、まず最初にこう褒めろと教えられている。


「良いドレスだ。似合っている」

「……ありがとう。それがあなたの言葉じゃないのが残念だけど」


 カミラに教えられた言葉だが、返事は素っ気なかった。

 

   ◆ ◆ ◆


 貴族街の裏通りは、表の華やかさとは違う静けさがあった。

 人通りが少なく、石壁に蔦が這い、古い噴水が音もなく水を零している。


「トレインで、密輸の拠点を潰した」


 エルネストが切り出した。

 前置きなしに。それがエルネストのやり方だった。


「密輸? 物騒ね」

「ダルク連邦の新型銃が流入していた。仲介していた連中は潰したが、その倉庫から、貴族の家紋入りの銀食器や金塊が出てきた」


 アデラの足が、半歩だけ遅れた。


「……それで」

「上は盗品として処理した。貴族は関与していない、と。だが、被害届が1件も出ていない」

「出すわけないでしょう。自分で売ったものを盗まれたとは言えないもの。真面目に取られて本当に調査なんてされたらそっちのほうが困るんだから」


 エルネストが足を止めた。


「やはり、そうか」

「噂は前からあったわ。没落を恐れた貴族たちが、私財を売り払ってるって」


 アデラは噴水の縁に腰を下ろした。

 真珠の耳飾りが、夕日を受けて光った。


「買い手はダルクの商人。表向きは骨董取引だけど、裏では、売った金で別の国に土地を買ったり、海外に資産を逃がしたりしてる」

「ダルクと取引している貴族は、何家くらいある?」

「数えたことはないけれど……私が知っているだけで、10は下らないわ。もっと多いかもしれない」


 エルネストは噴水の反対側に立ったまま、腕を組んだ。


「他に海外勢力に便宜を図っている貴族は?」

「さすがにそれは分からないわ。だって、バレたら外観誘致、国家反逆罪なんですから。そこは必至で隠すでしょう」

「それもそうか」


 さすがにアデラにそこまで危険を負わせるわけにはいかない。

 嗅ぎまわっていることに気付かれると、アデレが危険になる。


「グラーシェとの繋がりは?」

「あるわ。ダルクとは別の筋で。グラーシェの思想家を匿っている貴族がいるという噂もある。革命の火種を自分の領地に招き入れてまで、グラーシェとの取引を望む家がある」

「自分の領地に火をつけるようなものだ。正気とは思えない」

「正気じゃないのよ、もう。船が沈むと分かったら、沈む前に荷物を降ろすでしょう。彼らにとって、この王国はもう沈みかけの船なの」


 噴水の水が、静かに流れ続けていた。


 壊れているのかと思ったが、水量が極端に少ないだけだった。

 枯れかけて、それでもまだ流れている。


「アデラ。正直に聞く。モンテス家は関わっているのか?」


 アデラの目が、一瞬だけ揺れた。


「……うちは、まだ手を出していないわ。父が頑固だから。でも、親戚筋の何家かは、もう動いてる」

「そうか」

「ネスト。あなたの実家は大丈夫なの?」


 エルネストは少し間を置いた。


「サラサール伯爵家は古い家だ。古い家ほど、船から降りるのが遅い。今のところは、という留保つきだが」


 本家は今のところそうだ。


 ただし、分家についてはその限りではない。


 港町には、親戚筋の家紋が付いた品もあったのだから、無関係だとは言い切れない。


「今のところは、ね」


 アデラが小さく繰り返した。


   ◆ ◆ ◆


 2人は裏通りを抜けて、高台の見晴らし台に出た。

 ここからは王都ラルカの全景が見える。


 旧市街の屋根が夕日に染まり、その向こうに王宮の尖塔がそびえている。

 大聖堂の鐘が、遠くで鳴った。


「綺麗な街ね。いつ見ても」


 アデラが手摺に手を置いて、街を見下ろした。


「綺麗だが、足元は腐りかけている」

「ネストらしい言い方」

「事実だ」


 実際にその通りだ。


 見晴らし台からは、建物の陰……常に薄暗く汚れた下町の景色は見えない。


 そこで荒んだ生き方をしている市民の姿も含めて、まるで存在していないかのように巧みに隠されている。


 港町トレインの建物の影と同じだ。


 あそこも物陰にグラーシェのポスターが貼られたり、反政府的な落書きがあちこちに書かれていた。


「そう、事実よ。この国の足元は、もう白蟻に食い荒らされた古木と同じ。外側は立派に見えても、中は空洞」


 アデラは手摺から手を離して、エルネストに向き直った。


「それを確かめに来たんでしょう。王国を守る価値があるのかどうかを」

「王国は守る。市民たちも守る。それが蒼炎隊だ」

「それで、その『王国』という括りに貴族は含まれているの?」

 

 エルネストは肯定も否定もしなかった。

 法と秩序を考えると、貴族も守られるべきだ。


 管理するものがいなくなって、各人がまとまりなく動けば、たちまち混沌で満たされる。

 そうなれば、国というものは崩壊してしまう。


 幼い頃からそう教えられてきた……だが、それは本当に正しいのだろうか?


「価値なんて、最初からなかったのかもしれないわね」


 アデラの声は静かだった。

 怒りでも皮肉でもない。ただ、見てきた現実を並べているだけの声。


「守られるべきなのは、腐った木の幹ではなくて。その下で踏みつけられている土のほう……民のほうじゃないかしら」


 エルネストの胸の奥で、何かが軋んだ。


 トレインの路地裏で、ラウルが言った言葉が蘇る。


 ――信じるんだよ。他に信じるものがないから。


 蒼炎隊(ソルフラマ)は王国の剣だ。

 王国を守るために存在する。


 だが、王国そのものが腐っているなら。

 王国を守ることは、民を守ることに繋がるのか。


 ――守るべきは国か? 民か?


 答えは出なかった。

 出ないまま、夕日が沈んでいく。


「……アデラ。ありがとう。聞きたいことは聞けた」

「そう。お役に立てたなら、光栄だわ」


 アデラの声に、かすかな棘があった。

 エルネストはそれに気づいた。気づいたが、触れなかった。


「怒っているのか」

「怒ってないわ。ただ、少し寂しいだけ」


 アデラは耳飾りに触れた。

 真珠が夕日の最後の光を受けて、一瞬だけ輝いた。


「久しぶりに会えると思って、着替えて、髪を整えて、母の耳飾りまで借りてきたのよ。馬鹿みたい」


 エルネストは何も言えなかった。


 アデラの気持ちに気づかないほど鈍くはない。

 だが、気づいた上で、応えることはできない。


 応えてしまえば、アデラを巻き込む。

 蒼炎隊の人間が抱えている泥の中に、この人を引きずり込むことになる。


 だから、自分は氷の仮面を被り続ける。


 個人の感情を出すな。

 弱き民を守るための剣となり、悪を焼き尽くす炎であり続けろ。


 それが貴族に生まれた自分の責務であり、蒼炎隊である自分だ。


「ネスト、あなたは昔から、大事なことほど言わないのよね」

「……自覚はある」

「自覚があるなら直しなさいよ」

「直し方が分からない」


 アデラが、少しだけ笑った。

 怒りと諦めと、それでも消えない何かが混じった笑みだった。


「帰るわ。暗くなる前に」

「送ろうか」

「いいわ。一人で帰れる」


 アデラは数歩歩いて、振り返った。


「ネスト。この国が割れた時、あなたの家と私の家が、同じ旗の下にいられる保証はないわ」

「……どういう意味だ?」

「そのままの意味よ。沈む船から降りる順番は、家によって違う。私の家が先に降りるかもしれない。最後まで乗っているのは、あなたの家みたいな頑固な古株だけ」

「それは脅しか」

「忠告よ。気をつけて」


 アデラは背を向けたて去っていった。

 靴音が石畳に響いて、小さくなって、消えた。


 エルネストは見晴らし台に一人残された。


 王都の灯りが、ひとつ、またひとつと点いていく。

 美しい夜景だった。


 だが、その灯りの一つ一つの裏側で、何が行われているかを、エルネストはもう知っている。


 貴族が家財を売り払い、外国に金を逃がしている。

 民が銃を手に取り、王国に反旗を翻している。

 その両方に、大国の影がちらついている。


 守るべきは国か、民か。


 アデラが国を裏切った時に撃てるのか?


 それがカミラなら? 隊長なら?


 ……ラウルなら?

 

 その問いに、まだ答えは出ない。


 だが、ひとつだけ確かなことがあった。


 何を守るにせよ、蒼炎隊がなければ守れない。

 杖を振る力がなければ、選ぶことすらできない。


 エルネストは帽子の穴の跡に触れた。


 ――まだ、振れる。この杖が折れるまでは。


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