3章7話 「作戦前夜」
ラウルから直接口約束は聞いていたが、エルネストに命令書が届いたのは昼前だった。
軍の詰め所の廊下は、朝からずっと人が行き来している。
ティアナから帰還した駐留軍が本国軍に合流したことで、人数が倍近くに膨れあがったためだ。
廊下に人が溢れ出した分だけ、煙草の煙と革靴の音が濃くなっていた。
エルネストはラウルの執務室の前に立つと、中でラウルとホアンが何やら話しているようだった。
会話中のようだったが、任務にも関係ある話だと、エルネストは扉を開けた。
ラウルが机の前に立ったまま命令書を読んでいた。
ホアンが壁際に立って腕を組んでいる。
オルロフは窓の外を向いたまま、動かない。
ティアナの革命軍本部で見たものと同じ光景がそこにあった。
「来たか少佐。丁度、作戦の話をしていたところだ。ホアン、確認の意味も含めて最初から説明を頼む」
「承知しました」
ホアンが命令書をエルネストに渡した。
そして、机の上に広げている地図の上に目印替わりに木製の駒の位置を動かし始めた。
「バルド高地で武装蜂起が発生した。農民と炭鉱夫が中心で、共和国の徴税官を追い出して三つの集落を占拠している。正規軍は北部の貴族派残党の件で手が離せない。革命軍に鎮圧を依頼するとのことだ」
ホアンは地図の上の集落の位置にそれぞれ駒を置いていく。
「人質は出ているか?」
「徴税官が一人、逃げ遅れて拘束されている。暴行を受けた形跡はない」
「農民が人質を傷つけるとは思えないが……規模は?」
「集落を合わせて五百人ほど。武装は猟銃と農具が中心だが、炭鉱で使われているダイナマイトも武器代わりに使えるだろう。ダルク製の密輸品もわずかだが、確認されている」
ラウルはエルネストを一瞥してから、また命令書に視線を戻した。
「治安警備隊としての任務は?」
「現地の軍事的判断は私に一任してもらう」
「そちらが軍事的判断をするなら、法的判断は私がする。それで構わないか」
「同じ軍内で派閥争いをするつもりはない」
短い確認だけで話が終わった。
ティアナの頃と変わらない、二人の間の速度だった。
ここで、オルロフが周辺地図の上に、詳細な地形図を広げた。
バルド高地の地形図だ。
北部山岳の細い道が複雑に絡み合って、要所に三つの集落が記されている。
「山岳地帯だけあり、主要街道ですらかなり狭く、武装した軍隊だと、通行するだけでも難しいでしょう。ティアナのアミルーシュでやったような奇策は行えません」
「あれは戦力差を覆すためにやったことが、たまたま状況にハマっただけだ。何度も使えるものではないことくらい分かっている。それに、今回は周辺の地理に詳しい地元住民もいない」
ラウルがそう返すのをオルロフは分かっていたようだ。
オルロフの細い指が地図の上に描かれた等高線の円と円の間を複雑に動いた。
「見ての通り、街道は山を削ることが困難だったため、『谷』に沿う形で作られています。その地形のせいで、夜から朝にかけて濃い霧が発生します。行軍には相当影響が出るでしょう。また、防壁などを作られると、それを撤去するのにかなりの時間が食われます」
「時間が掛かるとどうなる?」
「民衆でも軍に対抗することが可能だというメッセージが国内中に伝わる……つまり、各地で同様の武装蜂起が発生する可能性が高まります。それと……」
オルロフはここで一度言葉を切った。
「資金が掛かりすぎます。今回は革命軍と旧王国軍の合同で二千の出兵を用意していますが、作戦完了が一日遅れるだけで給金と食費が二千人分がかかると思っていただきたい」
「軍事費が掛かりすぎることを共和派が嫌がるということか」
「その通り。無駄飯食らいというレッテルは、将来的に軍事費の抑制……軍縮に繋がり、『私達』の首を絞めることになります」
オルロフは「私達」を強調して言った。
当然グラーシェの管理官としての意味を込めているのだろう。
「首謀者の拘束、抵抗者の鎮圧、人質の解放。この三点が達成されれば、任務は完了です」
その上で、オルロフは勝利条件の説明をした。
「抵抗者の鎮圧という表現は曖昧だ。武器を置いた者は不問にする。それを条件にしたい」
「共和国政府の命令書にはそこまでの裁量は記載されていません」
オルロフの声は低く、平坦だった。
「首謀者については拘束の後に共和国政府へ引き渡します。処分は政府の判断に委ねる」
「……分かった」
ラウルが一度だけ頷いた。
書類に署名して、ホアンに渡す。
ホアンは受け取った書類を一度確認してから、引き出しに入れた。
その動きの中で、引き出しの中に別の書類があるのがエルネストの目に入った。
差出人の記載がない封書だ。
ホアンはそれには触れずに、引き出しを閉めた。
「出発は明朝です。今夜中に装備の確認を」
会議が終わって、全員が部屋を出た。
ただ、ラウルだけが一度だけ窓の外を見た。
バルド高地の方角には、曇り空が低く垂れ込めている。
◆ ◆ ◆
出発の準備が進む中、エルネストは一人、中庭に出て、バレンティと合流した。
作戦の詳細を伝えるためだ。
石畳に枯れ葉が積もり、雑草も生え放題で荒れていた。
王国時代には手入れが行き届いていたはずの庭が、今は誰も手をつけていないようだった。
「庭師も辞めたか解雇されたか……」
「弱い熱風の魔法で焼いてやれば済むんじゃないですか?」
「建物に延焼したらどうするつもろだ?」
「難しいものですね、魔法って」
バレンティが今更ながらの事を言いながら、近くに生えていた雑草を力任せに引き抜いた。
「隊長、バルド高地って行ったことありますか」
「ない。地図でしか知らない」
「農業に向いた土地じゃないんですよね。霧のおかげで水分だけは多いけど、石が多くて土の質が悪い。育つのは芋とか豆ばかりで、雑草も生えてきたりもしない」
バレンティは何度も雑草を引き抜きながら言った。
「税金が高くなって、それでいて炭鉱の賃金は減額……それで書類を出して待てと言われたら、確かに蜂起する気持ちは分かります」
「お前はそれでも農業をやるつもりか」
「南の方でやるつもりですよ。バルド高地は野菜を育てるのには向かない」
笑いそうになってやめた。
笑う場面ではなかった。
「行くぞ。準備を終わらせてくれ」
「……隊長、その人たちは本当に敵なんですか」
エルネストは答えなかった。
バレンティも答えを待たずに荷物を持ち上げた。
◆ ◆ ◆
島民兵への出撃前の説明が、詰め所の裏手で行われていた。
ラウルが兵たちの前に立っている。
エルネストは少し離れた場所から、その背中を見ていた。
島民兵の大半は、ティアナ島嶼郡の出身だ。
ヴェルディア王国に植民地として支配されてきた島の、農民や漁師の子が大半を占める。
彼らが今、本土の農民を鎮圧しに行く。
「バルド高地の農民が蜂起した。貧しくて、追い詰められた連中だ」
ラウルの言葉に反応して、島民兵に、ざわざわとどよめきが走った。
「島と似たような状況だ。政府のおかしな政策のせいで生活が追い込まれ、それでも何とか平和的に解決しようと嘆願書を出して待ったが、何も変わらなかった。だから立ち上がった。そこまでは全く同じだ」
静寂が落ちた。
「それでも、命令を受けた。行く。オレたちの軍隊が、そんな連中の声を抑え込みに行く」
誰も動かなかった。
動けなかったのかもしれない。
そんな空気の中で、一人の島民兵が手を挙げた。
ティアナの漁村の出身で、いつも船の先頭に立っていたという男だ。
「俺たちが行かないといけない理由は何ですか?」
「この革命軍が行かなければ、他の部隊が向かう。元王国軍がバルド高地で何をするか、想像がつくだろう。だから、貴族の抵抗勢力の相手ではなく、あえてこちらの任務を優先した」
男は手を下ろした。
隣の男と目を合わせて、また前を向いた。
「行くのは、オレ達が共和国軍より先に着くためだ。そういうことだ」
ラウルは仮面を被って鎧を着た、軍の司令官相手の時とは言葉が違う。
昔のラウルに近い言葉で島民に訴えていた。
「かつての自分達と同じ境遇にある市民がいる。それを助けなくて良いのか」と感情に訴える話が続く。
言葉は以前と同じように聞こえた。
だが、何かが昔と違っていた。
人が良くみんなに好かれていた下町のラウル・バルガスではない。
あくまでもティアナ駐留軍の司令官としての演説だ。
無残に処刑されたホセの姿が脳裏に浮かんで、エルネストは帽子の鍔を指で正した。
論理としては正しい。
ただ、正しければ十分かどうかは、また別の話だ。
◆ ◆ ◆
出発の前夜、ラウルとエルネストは同じ廊下にいた。
互いに用事があって廊下に出てきただけで、待ち合わせたわけではない。
それでも、足が自然に並んだ。
しばらく二人で歩いた。行き先はない。ただ歩いた。
蒼炎隊にいた頃、任務前の夜にやっていたことと同じだった。
節約のために明かりが止められた通路を、窓から差し込む月明かりだけを頼りに進んだ。
「バルド高地の連中は、お前の言う通り三週間待って動かなかったんだな」
ラウルが言った。
エルネストへの質問ではなく、確認だった。
「書類の記録がある。窓口への申請が八件。全て処理待ちのままだ」
「八件か」
「最後に提出した日付は、蜂起の四日前だ」
ラウルが足を止めた。
「……なぜ知っている」
「調べた。バレンティが言い出したんだ。行く前に現地の事情を知っておいた方がいいと」
ラウルは廊下の先を向いたまま、少しだけ黙った。
「あいつもなかなか育ったな。昔は指示しないと動かないやつだったが」
「褒めても何も出ない」
「褒めてはいない」
また歩き出した。
「ラウル、首謀者に話を聞いてほしい。そして、その場で処刑ではなく、王都へ移送した後に裁判を受けさせて欲しい」
「それはするつもりだ。ただし、連中が抵抗してきて、こちらの部隊に死者が出たらその限りではない」
「それは……」
「元島民たちも、仕官した兵士たちも大切な仲間だ。そんな仲間たちが踏みにじられても笑って許せるほど、オレは大きな人間じゃない。必ず報いは受けさせる」
廊下の端で足が止まった。
「報いか」
「そうだ、報いだ。神も国も悪人を処罰出来ないのならば、誰かがやるしかない……私がそれを成し遂げる」
ラウルの顔には何の表情も浮かんでいなかった。
ただ、明かりがなく真っ暗な通路の先を見ている。
「神はとっくに死んだよ。幻想の時代は、人間がとっくに終わらせた」
「ああ、知っている。だから、神はもう人間を助けてはくれない」
エルネストは真横にある窓から外を見た。
月は明るいのに、通路は何故にこれほど暗いのか。
二人とも何も言わずに別の方向へ歩き出した。
廊下に、それぞれの靴音だけが残った。




