3章5話 「恩人の反乱」
宿舎の扉を叩く音がしたのは、夜明け前だった。
エルネストが扉を開けると、そこにはニコラス・カスティーユが立っていた。
蒼炎隊の元隊員であり、下町で盗みを繰り返していた孤児のラウルを拾い上げて、軍の教育隊に入れた男でもある。
エルネスト、ラウル、カミラの三人入隊と同時に加齢による体力の衰えを理由に引退したので、同時に隊員だった時代はないが、教育隊時代には色々と世話になった。
60を過ぎた体は、かつて蒼炎隊にいた頃より少し縮んで見える。
それでも背筋は伸びていて、目だけは昔のままだった。
「十年ぶりでしょうか? お久しぶりです」
「もうそんなになるのか? 時が経つのは早いものだ。あの鼻ったれのバルガスも司令官になるわけだ」
ニコラスはそこでむせ込んだ。
あまり体調は良くないようだ。
「上がってください。ラウルも呼んできます」
「いや、すぐ行かなければならない。話だけしていくよ」
ニコラスは廊下に立ったまま、声を落とした。
「共和国が貴族からの接収を始めた。予定よりもはるかに早い。貴族の土地だけじゃない。教会、商人、地主。税を納めていた者でも、共和派の覚えが悪ければ書類一枚で持っていかれる」
「知っています」
エルネストも、つい先日に王都でも教会からの接収を目撃したばかりだ。
脱税を理由にしていたが、書類、手続き方法、強制徴収を行うのは全て臨時雇いのゴロツキ。
問題しかなかった。
「カルロスを知っているか? ラウルの孤児院に毎月食料を届けていた地主だ」
「名前だけは」
「先週に農地を全部接収された。仕方なく、家族で街に出てきたが、仕事がない。蓄えも差し押さえされたようだ」
エルネストは答えなかった。
「仲間と一緒に政府庁舎の前で訴えを起こす。三百人は集まる予定だ。暴力は使わず、意見書を届けて、声を訴えるだけだ」
エルネストは一拍置いた。
「法的に動きます。異議申し立ての書類を出せば、接収の取り消しを求める手続きが――」
「書類ならば先週には出したよ。だが、共和派は動かない」
「人手不足で事務作業は破綻していました。人が増えれば処理されるはずです」
「どうかな? 上が握りつぶす構造は、王国時代と何も変わっとらんよ」
ニコラスの声は穏やかだった。
責めているわけではなく、ただ、この国の事実を語っていた。
「それに、待てる者ばかりではない。カルロスの子供たちはもう三日、まともに食っていない」
「デモ、規模によっては政府が介入する理由になります。エスカランテ中将の時と同じです。今の共和国が公然と政府批判をした相手に何をするか、私には――」
「――分かっている」
ニコラスが静かに遮った。
「だから話しておきたかった。お前を巻き込みたくない。ただ、黙って行くのも違う気がしてな」
踵を返す前に、ニコラスが振り向いた。
「カミラにはここへ来る前に会ってきた。ラウルは元気でやっているか?」
「もちろん元気です」
「それなら良かった」
それだけ言って、階段を下りていった。
足音が遠ざかって、石畳に消えた。
◆ ◆ ◆
朝になってエルネストが担当部署の窓口に飛び込んだのは、開庁と同時だった。
「財産接収の不服申し立てについて、緊急で受け付けてほしい」
「不服申し立ては、上位委員会の判断が必要になりまして」
「上位委員会に繋いでくれ」
「現在審議中の案件が優先で、新規受付は来週以降に――」
やはり他と同じく行政がまともに機能していない。
悪意がないだけに文句を言っていく先がない。
「別の窓口はあるか」
「3階の第2庁務室が管轄になるかと」
3階へ行った。
「こちらは接収後の資産管理が担当でして、接収の可否については――」
「どこだ」
「……2階の第4庁務室になるかと」
2階の第4庁務室の担当官は、エルネストの顔を見て少し首を傾げた。
「先週も同じ案件で来られた方がいましたよ」
「私ではない」
「ああ、帽子が違いますね。その方は帽子に穴が……いえ、失礼しました」
エルネストは帽子のつばを一度だけ下げた。
「受け付けてもらえるか」
「書類をお預かりします。ただ、回答には相応の時間が」
「いつだ」
「早くても、2週間ほど」
受理印が押された。
空欄は空欄のままだった。先日と同じだ。
担当官の後ろに書類が山積みなのも同じ。
むしろ山は更に高くなっていた。
廊下に出て、エルネストは窓から広場の方角を見た。
まだ何も起きていないが、人が集まり始めているかもしれない。
あるいは、もう集まっているかもしれない。
ティアナ駐留軍の詰め所に向かった。
「大佐は会議中です」
門前払いなのは明白だった。
◆ ◆ ◆
ラウルの執務室に、報告が入ったのは昼前だった。
「政府庁舎前広場に、約三百名が集結。元貴族、旧王国軍人、没落した地主が中心です。武器の確認はされていません」
「よくあるデモだろう。豆鉄砲の音でも鳴らせばすぐに散っていく。麦をつつきに来る鳩と同じだ」
ラウルは書類に顔を落としたまま答えた。
ホアンに至ってはまるで聞こえていないかのように、書類に注釈を書き加えている。
「ダメです。それで引かなかったので、ここへ報告に来ました」
「私に報告する内容ではないだろう。警備隊の自己判断でいい」
「それが、政府に対する政策要望書を受け取れと首謀者から連絡がありまして」
「時間の無駄だ。警備隊に任せると言ったはずだ」
「それが、首謀者はニコラス・カスティーユです。元・蒼炎隊の隊員です。退役持は中佐。陸軍内にも親派が多く、未だに影響力があります」
ニコラスの名前を聞いたラウルが机を音を立てて叩き、椅子から立ち上がった。
ケイポ将軍から受け継いだペンが机から転がり落ちるのもまるで気にしなかった。
「なんでだ!? 故郷に帰って退職金で悠々自適に過ごしていたジジイがなんで王都にいる? なんでデモなんてやっている!」
ホアンは書類を整理する手を止めた。
「落ち着け。こんなことで取り乱すのは司令官として失格だ。失望させるな」
「取り乱してなどいない。ニコラスは軍内部にも大きな影響力がある。ここで何か起これば、波紋が広がる」
「……理屈は合っている。爺さん一人に恩を売るだけで、旧王国の軍を抱き込めるならば、圧倒的に得だ」
ホアンは納得したのか、また書類に目を戻した。
ラウルが飛び出そうとしたところ、オルロフが机から落ちたペンを拾い、ラウルに突き付けた。
「職務を続けてください。貴方の命令通り、ここは警備兵に全て任せます」
「武器もない。声を上げているだけだろう」
「相手は元蒼炎隊でしょう。文字通り一騎当千。単騎が一軍をも凌駕する。それは、他ならぬ貴方がティアナ駐留軍相手に証明してしまった」
ラウルは少しだけ怯んだが、なおも続けた。
「魔法で対抗するつもりなら、とっくにやっているはずだ。それをしていないということは、武力を使うつもりはない。だから、解散させれば済む話だ」
「そうです。だから警備兵に任せます。続けるようならば首謀者は逮捕して処刑。悪質ならば全員処刑……規定通りです」
オルロフの声は低く、平坦だった。
「ティアナ駐留軍が共和国の内政に手を出せば、協定が崩れる。グラーシェへの説明が立たない」
「警察権は先日与えられたはずだ」
「それは、警備隊に代わって捜査する権利です。既に発生している事件に介入する権利ではありません」
「それはグラーシェの都合か?」
「あなたの都合でもある。この国は未だ革命の途中。ここで同じ派閥の人間同士、仲違いは困ります」
ラウルは答えなかった。
窓の方へ歩いた。
広場が少しだけ見える。
「ニコラスに何かあれば、ただでさえ薄氷の上にかろうじて残っている旧王国派の軍人たちの心は更に離れるぞ」
「そのために私たちがいます。今までの支援を無駄にしないでください」
「声を上げただけの人間を、共和国はどうする?」
「共和国が規定に沿って処理する。それだけのことです」
「それだけのこと? それは……どこの共和国の法なんだ?」
オルロフは返事をしなかった。
ホアンはオルロフをチラリと見た後に、書類棚から新品の便せんを取り出した。
外交官も使用する、公式外交ルートでも使用される特性の便せんだ。
そこにペンで何やらおもむろに書き始めた。
二通の手紙が完成したところで、それを持って退室していったが、ラウルもオルロフも気にもしていなかった。
ラウルは窓の外を見ていた。
石畳の広場は、端の方しか見えない。
それでも、ラウルは見ていた。
◆ ◆ ◆
デモは2時間も持たず、エルネストが駆けつけるより先に収束した。
共和国の正規部隊が広場を取り囲み、解散を命じた。
ニコラスたちは抵抗せずに、その場で両手を上げてそれに応じた。
それで終わり。
流血はなく、全員が、その場で拘束された。
エルネストが書類を持って拘置所に向かったのは、夕刻だった。
「面会を求める。被収容者のニコラス・カスティーユに」
「面会は不可です」
「法的根拠を示してくれ」
「被収容者は政府反乱軍の認定を受けました。現在、通常の面会規則は適用外となっています」
「示威行動だ。武力行使は一切なかった。それを反乱軍と認定する根拠が――」
「認定は政府の判断です」
担当官は申し訳なさそうな顔をした。
悪い人間ではないのだろう。
ただ、どうすればいいか分からないだけだ。
「処分は、いつだ」
「……明朝、執行予定です」
エルネストは動きを止めた。
「何故そんなに早いんだ? 裁判があるはずだろう」
「いえ、上から達しがあっただけですので」
「上から?」
担当官の手の中には書類がある。受理印の押された書類が。
期日は明朝まで。
その時間で覆せる手続きが、何一つ思い浮かばなかった。
◆ ◆ ◆
翌朝の広場は、冷えていた。
野次馬が端の方に集まっていた。見ている者も、見ていない者もいる。目を背けている者もいる。
エルネストが広場に着いた時、ニコラスはすでに処刑台の前に立っていた。
後ろ手に縛られている以外は、昨日の朝と同じ立ち姿だった。
背筋が伸びていて、目だけが昔のままだった。
目が合った。
ニコラスは笑わなかった。表情も動かなかった。
ただ、静かに頷いた。
昨日の朝、「話しておきたかった」と言った時と、同じ顔だった。
銃声が、広場に響いた。
鳥が飛び立つ音がした。
それから、静かになった。
エルネストは動かなかった。
書類を持ったまま、広場に立っていた。
群衆が散っていく。
石畳を踏む足音が、少しずつ遠くなる。
風が吹いて、誰かが置いていったプラカードの端が、石畳の上を滑った。
どれくらいそこにいたのか、分からなかったが、気づくと、広場にはエルネスト一人になっていた。
◆ ◆ ◆
明朝、ティアナ駐留軍の詰め所からの呼び出しがエルネストの元に届いた。
「大佐がお呼びです」
「どのような用事で?」
「詳細は直接ご確認ください」
ラウルに会うのは、下町での蒼剣団の取締り以来のことだった。
エルネストは軍服を身にまとい、上着を手に取った。
帽子を被る前に、一度だけ親指で穴をなぞった。
ラウルが……ティアナ駐留軍が動く。
それが何を意味するのか、エルネストにはまだ分からなかった。
◆ ◆ ◆
同じ時刻、ホアンの元にも連絡が届いていた。
2国の領事館宛に出した手紙だ。
その両方からの返事があった。
一通の封書は紙一枚に一行だけ文章が書かれていた。
「こちらは予想通り。ダメで元々だから仕方がない」
ヴァロワ共和国連合からの封書はビリビリに破いて、ゴミ箱に投げ捨てた。
残しておいても意味がない。
そして二通目の封書を開封する。
こちらもただ紙一枚に一言書かれているだけなのは同じだったが、ある程度の勝算はあった。
こちらも内容はホアンの予想通りのものだった。
ただし、プラスの意味だ。
手紙は丁寧に折りたたみ、ティアナ駐留軍の今後のために、また新しい書類を作成していく。
「強さの基準がどれだけの人や物を動かすことかという話なら、最強はこのペンと紙だ」




