3章1話 「共和国の朝」
選挙の開票から早くも三か月が経った。
共和派の三党、自由党、左翼党、社会党による連立政権の樹立。
最初の議会招集で過半数を取得した共和派が出した要求は国王の退陣、並びに共和国制への移行だった。
それを受けた国王フェリシアーノ2世の退任演説は、拍子抜けするほど短かった。
「余はこの国の未来を、諸君の手に委ねる」
最低限の言葉だけを残して、翌週には夜逃げするように王宮を出た。
王家がどこへ行くのかは発表されておらず、二日ほど話題になったが、船に乗り込む国王を見送った群衆の数は、新政権の発足式より少なかったという。
王家への信用などどこにも残っていなかった証明だ。
アルバロ・メンドーサによる軍事政権のイメージが強く、国王はその後ろでただ置物になっていただけという、最後まで影が薄い王だった。
問題は、王の退陣によって、王国があちこちから借金をしていたことが判明したことだ。
フェリシアーノ2世やメンドーサが悪政をしたというわけではなく、五十年ほど前からずっとそんな状態だった。
四百年の歴史があるヴェルディア王国は、実はもうとっくに終わっていたらしい。
天下を取ったはずの共和派がその借金の額を見て、慌てふためいて東奔西走するも、解決の糸口は全く見えない。
それでいて、無情にも時間だけは流れていく。
共和制移行決議までは、あと十四日。
◆ ◆ ◆
王家の紋章を剥がされた跡は、思ったより白かった。
市庁舎の正面壁。
漆喰の白が四角く浮き出て、周囲の煤けた石材とちぐはぐに並んでいる。
しかも、どういう原理なのかは分からないが、王家の紋章の絵柄が濃淡でうっすらと浮かび上がっている。
市庁舎が建ってから五十年にも満たないはずなのだが、これだ。
王城など、他の古い建物はこれからも当分王家が主張を続けるのだろう。
雨が降って汚れが流される度に、少しずつ周囲と馴染んでいくかもしれないが、王国という存在は、まだまだ傷跡のようにあちこちに残っていた。
エルネスト・サラサールはその壁の前を通り過ぎながら、帽子のつばを少し下げた。
眩しいわけではない。
ただの習慣だった。
王都、ラルカの夜明けは、三か月前と同じ匂いがした。
石畳の隙間から滲む湿気と、どこかの露店が立ち上げ始めた炭火の煙。
変わったのは広場の旗だけで、往来を行き交う人間の顔つきは、祝祭の興奮が抜けきった後の虚ろに染まっている。
色あせた垂れ幕が風に揺れていた。
「共和国万歳」と書かれた文字の端がほつれて、半分読めなくなっている。
その下で、老人が石畳に背を丸めて座っていた。
物乞いか、ただ疲れているだけなのか、判別がつかなかった。
変わった。確かに変わった。
ただ、何に変わったのかは定かではなかった。
◆ ◆ ◆
新政府庁舎の廊下は、書類の山で狭くなっていた。
壁際に積まれた書類束が、人の腰の高さまで迫っている。
廃棄する書類、作り直しが必要な書類、新体制で必要になる書類。
通るたびに端が崩れて、誰かが無言で積み直す。
その繰り返しが、朝からずっと続いているらしかった。
エルネストは担当官の執務室で、三十分待った後に通された。
「サラサール少佐、でしたか」
「そうです」
「なるほど、蒼炎隊の方ですね。子供の頃におとぎ話で読みました。巨大竜の幻想種と戦って勝った伝説って本当なんですか?」
「それは三百年ほど前の話で、最近の話ではない。役所にも当時の資料が残っているはずだ。対竜魔法にも耐えた終末の竜に対して世界各国が手を組んで――」
「――実話だったんですか!?」
男の話がいきなり脱線した。
「それは後で調べて欲しい。今は仕事を優先してくれ」
「失礼しました。えー、軍の移管については……」
担当官は書類を繰る手を止めないまま言った。
40代半ばの細面の男で、悪人ではなさそうだったが、見るからに酷く疲れていた。
初対面の人物だが、倒れる前に家に帰って休めとアドバイスを送りたくなる。
男はひたすらに書類の束を探しまくっていた。
十分くらいかかっただろうか。
ようやく何かの通達書面を発見したようだった。
「軍は再編が行われる予定です。それまでは現状維持でお願いしています。権限の整理は再編後に」
書類には「その他→現状維持。沙汰あるまで待機」と記されているのが見えた。
四百年の歴史ある伝説の部隊も、ついに「その他」になったようだ。
「再編はいつですか」
「それが……まだ委員会の審議中でして」
男は申し訳なさそうに書類の一枚をめくった。そこには大きく判が押してあった。
共和国移行準備委員会(仮)。
「仮」の文字が、妙に大きく見えた。
よく見ると「共和国」の部分も何度も変更した形跡が見える。
隣国であるヴァロワ共和国連邦と「共和国」が被っていると何度も揉めたらしい。
共和派が急げ急げと民主化を急かした結果、王国の歴史はすぐに終わったわけだが、手続きの方は、国の名前すら決まっていない状況だ。
共和国部分が確定するまで三か月。
そのくせ、税制度の移管だけは最速の三日で完了していた。
「(仮)が取れるのはいつですか」
「それもまだ、審議中でして」
エルネストは一拍置いた。帽子を手に取り、親指で穴をなぞる。
銃弾が抜けた跡。
縫って補修はしたが、癖で何度も触っているうちに、糸が解けて、また穴が開いた。
補修する、糸が抜けてまた穴が開く。また補修する。
その繰り返し。
この政府の手続きと何も変わらない。
塞がりもせず、広がりもしない、指を入れるのはちょうどいい穴だった。
「わかりました。権限が確定したら連絡をください」
「もちろんです。書類はお預かりします」
受け取られた書類には、受理印だけが押された。
◆ ◆ ◆
「で、上はなんと」
エスピナは石段に腰を下ろしたまま、煙草の煙を吐いた。
庁舎の裏口は、日当たりが悪く、昼でも薄暗い。
「預かるそうです」
「預かる、ね」
エスピナ大尉は短く笑った。
笑い方だけは昔から変わらない。
目の端の皺が深くなった分だけ、苦みが増している。
「俺たちの新しい国ってのは、始まる前から書類仕事で詰まってるのか」
「始まったばかりです」
「そういうことにしておこう」
エスピナは煙草をひと吸いして、脇に置いていた折り畳んだ紙を広げた。
「本題に入る。南部の港、カレタに三週間ほど前から傭兵崩れが集まっている」
エルネストは石段には座らず、壁に背を預けたまま聞いていた。
「しかも顧客は複数いて、傭兵たちは少しでも高い相手に雇われようと値踏みをしているという話だ」
エスピナが続ける前に、エルネストは内ポケットから紙を2枚取り出した。
「1枚は新政府の治安報告書。もう1枚はとある協力者からの書簡。どちらも貴族が、まるで戦争でも始まるかとばかりに準備を整えているという情報」
エスピナが眉を上げた。
協力者とはエルネストの幼馴染である、アデラ・モンテスからのもの。
モンテス家の親戚筋が私兵を集めているという情報だ。
「偶然の一致というには、揃いすぎているな」
「ええ」
「早いうちに動けるように上申する」
「さっき預かってもらったばかりだろう」
「もう一度する。申請すれば記録は残る。それが積み重なれば、上も無視出来ない」
エスピナは煙草の火を靴底で踏み消した。
立ち上がりながら、独り言のように言う。
「まあ、書類ってのは積み重ねるもんだからな。1枚じゃ机の重石にもならん」
◆ ◆ ◆
「こりゃ間違いないね。グラーシェ製のライフルだ。しかも新型の」
後方支援室に運ばれてきたライフル銃を見て、イネス・ヴェガはそう結論付けた。
イネスの所属する後方支援部隊は、管轄が陸軍に移管しただけで、部屋の場所、活動内容、人員、全て同じままだ。
あちこち変わった国だが、この埃と油臭い部屋だけは何も変わっていない。
「この銃をどこで?」
「密輸品の押収品だ。一昔前は、粗悪品ライフルといえば全てダルク製だったが」
「最近はグラーシェ製が増えてるね。しかも、今週の最新型というノリで、どんどん新型が出てくる。しかも、全部部品の規格が違うんだよ。量産化なんて何も考えてない。よほどのバカか金余りじゃなきゃ、こんな無駄なことはしない」
イネスが石壁の方を指さした。
そこには、まるで銃砲店かとまがうばかりに、様々なライフルが並んでいた。
中には金属色むき出して無塗装という、完全に試作型らしき銃まで並んでいる。
「これは実験ですね。試作品をうちの国に流せば、実用テストの上に改良案の要望まで上げてくれる」
選挙後は、この後方支援室に入り浸っているバレンティ・セルナも、ライフル銃を触りながら言った。
待機状態が続いており、暇を持て余して後方支援室で毎日のようにイネスと一緒に分析を行っている。
この男は、こちらの裏方の方が転職かもしれない。
「バレンティ、このまま後方支援室に転属するか?」
「それも良いんですが、安全地帯で農園をやることも考えています」
エルネストは冗談のつもりだったが、バレンティの口から意外な答えが返ってきた。
以前はまだ、前線で魔法に携わる仕事に対しての拘りが残っていた。
「メンドーサ派も失脚したのに、王国まで消えて、共和派は内輪もめばかりで宙ぶらり、そんな連中の下で働くことが幸せですか?」
「今のは聞かなかったことにしておく」
「そういうところですよ。故郷に住んでいる両親も心配ですし」
「両親はどちらに?」
「南部に小さな領地を持っている貴族です。でも、今の共和国政権が続くならば、いつ貴族の財産が狙われるかもしれない。自由派は貴族制の廃止まで言ってるでしょう」
「ああ。縮小は言うと思ったが、まさか廃止まで言い出すとは」
「それならいっそ、爵位も領地も自主返納して、小さい農地で農業でもやろうかと」
「『でも』で済ませられるほど、農業は簡単なものではないぞ」
「そこは大丈夫です」
バレンティはかなり器用だ。
発言も慢心ではなく、農業でもそれなりに成功出来るだろう。
「バレンティ君もうちに就職を決めようよ。法的にきな臭い案件を合法的にたっぷり分析出来るよ。しかも、うちの性質上、潰れることはない」
「遠慮しておきます」
「エルネスト君も」
「遠慮しておきます」
イネスはもう三十路だというのに結婚する気配はない。
初めて会った時と同じく、相変わらず油と埃にまみれている。
おそらく一生このまま、後方支援室に残り続けて、この部署のヌシになるのだろう。
情報は入手したので、去ろうとした時、背中にイネスからの声が掛かった。
「この試作品は、新型銃の搭載テスト品だ。次に実戦があれば、これの完成品が出てくるよ」
「何が出るんですか?」
「連射ライフル」
エルネストはイネスが持った銃に視線を向けた。
グリップ部分に縦に細長い筒のようなものが付いている。
イネスの話通りならば、その筒の中には予備の弾丸が入っており、自動的に銃身内に弾丸が供給される仕組みがあるのだろう。
しかも弾切れになれば、すぐに筒ごと交換出来る仕組みだ。
「そういうこと。マシーネガン……マシンガンだね。ばら撒ける弾数が増えるんだから、単純に兵力も三倍になると考えていい。まあ、弾切れも三倍早くなる――」
「――障壁魔法を改良します」
長くなりそうだったので、エルネストはイネスの話に強引に割り込んだ。
「そうやって、すぐに改良して対応出来るのは、世界でもエルネスト君と……ラウル君だけだよ」
「留意します」
「ああ、注意してくれ。どの道、このペースで改良が進めば、魔法使いの時代は終わりだ」
ヴェルディアの対応の遅さと反比例して、技術開発のペースは早い。
世界が大きく動こうとしていた。
◆ ◆ ◆
日中のラルカ市内を歩くと、わずかではあるが、活気を感じることが出来た。
在庫は少ないし、値段も随分と値上がりはしているが、市場の商店には品も並んでおり、市民は自由に買い物を楽しんでいる。
なによりも、以前には見かけなかった町で絵を描いていたり、広場で歌ったりする人々の姿がある。
「外国人の芸術家が入ってきてるのよ」
幼馴染のアデラ・モンテスはそう説明した。
改めて確認すると、ヴェルディア王国の人間ではない。
人種が異なる。
絵を描いている男は、震える手で筆を振るい、スケッチブックに何やら描きつけている。
その絵のモデルになっているのは、噴水広場の前で浮かぶ若い女だ。
最初はほとんど音にならなかった声が、やがて風に乗って広がる。
その横で奇妙な楽器を弾いているのは、女とは面識がない他人なんだろう。
それが、たまたま出会った女と息を合わせて楽器を奏でている。
歌に交じって、未だ改善されない待遇に対して、労働者がどこかでヒュプレヒコールを上げている声も聞こえてくるが、それらを止めるための軍が飛んでくることもない。
「無血で王政の廃止を成し遂げた理想の国。そんな話がどこからか広まって、夢を見る若者が外国からやってきている。この世の楽園だと」
「そんな良いものではない」
「私も分かっている。でも、隣の芝は青いと言うでしょう」
「モンテス家はどうなった?」
「共和国への手続きがごたついているので今は保留。だけど、自由党が主張している通り、貴族は全て再編されるわ。ネストの家もそうでしょう」
アデラは複雑そうな表情で答えた。
「サラサール家は、元々軍部との繋がりが大きかった。貴族としてのサラサール家は終わっても、屋敷などはそのまま軍の施設になるだろう。今までと何も変わらない」
「モンテス家は領主だったから、再編で地主という扱いになるわ。ただし、大半の領地は再編されて、小作農に分配される予定」
「国外に逃走するかもという話は?」
「それも保留。あちこちの貴族が一斉に家財を処分し始めたせいで、芸術品の価値が暴落した。だから、国外逃亡用の資金が手に入らないんだって……逃げる話ばっかりでバカみたい」
アデラは剥がれた石畳の欠片を蹴飛ばした。
王都の大通りだというのに、傷んで剥がれた石畳が補修されていない。
それなのに、補修工事が行われる様子などない。
だが、今まで下町で生活していた市民や、外国人はそんなことは気にしない。
昔から当然だった世界が少し広がっただけだ。
「ただ、過激な連中が、貴族を襲撃しているという話もあるわ。私の家もいつまで無事か分からない?」
「危険と思ったら私の家に来るといい。軍人の一族だ。安全は保障されている」
エルネストの言葉を聞いたアデラの足が止まった。
「――それはどういう?」
「国内が安定するまで避難する場所はあるという意味だ。家人や使用人も逃げ込めるくらいの空き部屋はある」
「ああ、そういう意味……知ってたけど」
この国はまだ未完成で歪な状態だ。
共和派による政府の運営も、手探りで危なっかしいところは多々ある。
国内の貴族も不穏な動きを見せている。
それでも、確実に良い世の中になっている。
そう信じたいと、エルネストは前を向いて進んだ。




