2章6話 「使者なき伝言」
朝の礼は短かった。
ケイポの遺体は執務室の奥のベッドに移され、白布で覆われている。
ラウルが最初に頭を下げ、次にイサベラ、オルロフ、ホアンが続いた。
フェリペとルシアも部屋の入口で頭を下げた。
一度も会ったことのない人間への礼だったが、二人とも黙って従った。
エルネストも同じように頭を下げた。
真実を知るわずかな兵士が、秘密を口外しないという書類にサインした上で、喪に頭を下げた。
部屋に煙草とカビ臭い匂いが残っていた。
昨夜と同じ匂いだ。
「いくら将軍が体調不良だからって、誰も事務仕事をやらないってわけにはいかないだろう」
ラウルが服の襟を掴んだ。
そして、ボタンを一番上まで閉じていく。
「お借りします」
そう呟くと、再度ベッドの上へ深く礼をした後に軍帽を被った。
あれほど嫌がっていたラウルが、自ら鎧をまとった。
氷の仮面を被り、感情を殺す。
民のための剣となり、炎となる。
そして、ラウルは執務室にあったペンを掴んだ。
ケイポ将軍が愛用していたペンだ。
「ホアン、当面はしばらく事務仕事を手伝ってくれ。オレ……私一人では、将軍と同じ量の書類を裁くのは無理だ」
エルネストは、ここでホアンの目が輝くのを見た。
だが、仕事を与えられたことで歓喜していることを目で訴えている。
「これからやることは多い。大変だが、皆、手伝ってほしい」
◆ ◆ ◆
広間に全員が集まったのは、朝食の後だった。
革命軍の中核となる隊長格が8名、壁際に並んでいる。
表情は硬い。昨夜の騒ぎが尾を引いている。
ラウルが前に出た。
昨日までの南の島に適応した開放的な服ではない。
支給されていた灰色の陸軍の軍服をまとい、襟のボタンは全て閉じた。
軍帽を深く被り、背筋は真っ直ぐに伸びている。
そして、自信なさげな語りではない。
いつぞやおどけてやって見せた、歌劇の登場人物のような演技で壇上に立った。
「ラウル・バルガスだ。ケイポ将軍は昨夜より体調を崩され、回復まで静養が必要な状態だ。その間、作戦指揮の権限を一時的に引き継ぐ」
声は短く、淡々としていた。
普段のラウルを知っている隊長格たちが、あまりの変わりように顔を見合わせた。
集まった面々の中にどよめきが広がる。
ケイポが姿を見せない理由、そして、それを引き継ぐというラウル。
そこから、ある一つの結論を導き出そうとしていた。
「それは――」
誰かがラウルに問いかけようとしたところ、それまで黙って様子を見ていたオルロフが一歩前に出た。
「グラーシェは、ラウル指令代行を全面的に支持します」
静かで、明確な声が、どよめきと、隊長たちの動きを一瞬で止めてみせた。
「繰り返します。我々グラーシェ人民共和国は、ラウル指令代行を支持いたします」
交戦に関しては慎重かつ消極策を取るケイポ将軍に対して、グラーシェの評価が下がっているという事実は隊長たちには知られていた。
このままでは支援も打ち切られるのでは?
そんな噂を、このオルロフは、ラウルの支持を表明することで、その疑惑を否定してみせた。
それは、最近滞りがちだった、武器と食料がこれからも継続して届くということだ。
隊長たちに、それ以上の言葉は不要だった。
エルネストは広間の端から、その光景を見ていた。
オルロフは今、ラウルを支持したのではない。
投資先を選んだのだ。
ケイポよりも、ラウルの方が望む結果を出してくれると判断した。それだけだ。
その違いを、この広間でエルネスト以外に読んだ者が何人いるか。
ラウルはオルロフの発言に礼を言わなかった。
ただ、オルロフに一度だけ目を向けて、軽く片手を挙げた。
それから隊長格たちに向き直った。
「解散。持ち場に戻れ」
それが、新たな革命軍の司令官による、最初の命令だった。
◆ ◆ ◆
報告書の作業は昼過ぎに始まった。
使われたのは税務署跡の一室だ。
テーブルに地図と書類が広げられている。
ホアンが報告書を書き始めた。
本国軍部の熟練の事務次官と比べても遜色ないくらい速い。
迷いなく、ペンが走り、白紙の紙を正式な書類へ作り替えていく。
メンドーサの一族は、先祖代々、剣で国に貢献してきた人物だった。
剣の時代は終わったが、この男は時代に対応して、剣をペンに持ち替えたようだ。
「以上だ。蒼炎隊隊長にして、伯爵家嫡男からの感想をくれ」
ホアンがエルネストに紙を差し出した。
エルネストは受け取って、目を通した。
軍人として、そして王国の貴族として、書類の可否を確認する。
書類の内容は整理された文章だった。
論点は三つ。
・ティアナ島嶼郡駐留軍の南部勢力は、本国より正式に命令を受けたヴェルディア正規軍の指揮系統を引き継ぐ者たちである。
・駐留軍の北部独立部隊は、物資の独占と島民への徴税強化によって私腹を肥やしている。これは公権力の私的乱用に当たる。報告が滞っていたのは独立部隊が権威を利用したことを本国に知られなくなかったためである。
・駐留軍南部勢力に在籍するホアン・メンドーサが、国家総監の意向を正しく体現する立場として、この報告を行う。
強硬派、革命軍という呼称は出しておらず、あくまでも駐留軍の一部が処罰を恐れて逃走した表現になっている。
「他にも書類を持ち帰って欲しい。北部の軍隊が住民や周囲の集落から略奪した記録を可能な限りまとめている」
そこには月と日と場所が詳細に記載されて、軍が何をやったのかが記録されていた。
奇しくも、その内容は、エルネストとラウルがトレントに提出した書類に酷似していた。
前回出した書類は命令番号と共に、記録されている。
そして、「前例」として、今回の事件で必ず参照される。
あの記録は無駄にはならない。記録は確実に軍を動かす。
「国家総監は息子が革命軍側にいると知れば、北部の連中を切り捨てるだろう」
ホアンはメンドーサを「父」と呼ばなかった。
あくまでも本国にいる政治家の一人であり、軍の最高司令官として扱っていた。
「北部軍が私腹を肥やしているという証拠を添えれば尚更だ。国家総監は不正、腐敗を嫌っている。自分の権力を食い物にされることが、何より許せない性質だから」
「父を利用するということか?」
「利用できるものは全て利用する」
ホアンは淡々と言った。
「国家総監が動けば、北部は正当性を失う。そうなれば、メンドーサが失脚する前に、この島の決着をつけられる」
「その後は?」
ホアンが少しだけ手を止めた。
「その後の話は、終わった後に考える、今は、北部強硬派をいかに倒すかの方が重要だ」
エルネストは報告書を机に置いた。
論理は通っている。
書類はホアンの直筆で書かれており、真贋はすぐに分かるだろう。
ホアンに接触せよという命令も達成出来ている。
弱点があるとすれば、これを届ける人間が信用されるかどうかだ。
「これを私に届けろということか」
「元蒼炎隊の隊長が、軍の調査任務で来島した。島の調査をした後に、帰国後に提出した報告書。それ以上でも以下でもない」
ラウルがテーブルの端で腕を組んでいた。
「断ってもいい。だが、これが届けば島の決着が早まる。本国にも動きがある。あとはお前の判断だ」
「……これは武器だ」
「その通りだ。剣と魔法の時代はもう終わったんだ。これからの武器は人を動かす言葉と情報だ。人に血を流させることなく、物事を動かせる」
エルネストは地図を見た。
アルマの南。ペスカ。その向こうにある海峡。
セドラの港。本国。
地図の上では、ただの線と点だ。
「分かった。これは必ず国家総監に届ける」
「助かる」
ラウルが短く言った。
礼ではなく、事務的な確認に近い声だった。
◆ ◆ ◆
夕方、エルネストは港近くの壊れかけた石段に腰を下ろしていた。
報告書の中身を頭の中で組み直していた。
ホアンの論理は正しい。
だが、エスピナへの報告書と内容が食い違う部分がある。
どちらを優先するか。あるいは、両方を出すか。
国のために繋がるのはどちらになるのか。
真実を曲げて伝えることに論理はあるのか?
「明日、出発するんですか」
フェリペが横に来て、同じ石段に座った。
ラウルはもう外に出てくることはないだろう。
指導者としての仕事が山積みだからだ。
「住民のために、幻想種の巣を潰しておくくらいはしておきたかったが、仕方がない」
「それだけはやっていきましょうよ。片手間で終わるでしょう」
フェリペの指摘する通りだ。
小さい漁船を借りて、巣と思しき場所に移動した後、攻撃魔法を撃ち込む。
並の魔術師や、手持ちの銃器ならば苦戦するだろう。
だが、エルネストやフェリペならば一撃で片がつく。
たったそれだけでそれで終わる。半日仕事だ。
それは十年前と同じだ。
「その時間も勿体ない。将軍の死を隠し通している間しか、この情報と報告書は生かせない」
「そうですか」
「明日には帰国する。例の船長とも連絡が付いている」
フェリペは残念そうにうなだれた。
「僕たちも一緒に?」
「お前たちの判断に任せる。ラウルと共に働くか、それとも本国で私と動くのか」
フェリペが石ころを拾い、海に向かって投げた。
水面に小さな輪が広がる。
「ラウル先輩、本当にリーダーになったんですね」
「なった」
「……複雑ですね。一緒に戦えると思ったのに」
エルネストは何も言わなかった。
もしもフェリペがラウルと一緒に戦うために残るというならば、それを止めるつもりはない。
「でも、隊長を一番信用しているのは、ラウル先輩だと思います」
フェリペがもう一度、石を投げた。
今度は、輪が出来る前に波に消えた。
「だから、報告書を託したんじゃないですか」
エルネストは答えなかった。
◆ ◆ ◆
日が落ちた頃に、今度はルシアが来た。
「私は島に残ります」
開口一番だった。
エルネストが顔を向けると、ルシアは続けた。
「村に負傷者がいます。手当が必要な人間が複数います。私に出来ることがある。それに、例の幻想種の相手ならば、銃を持った軍隊よりも、私の魔法の方が役に立つ」
「危険だぞ」
「戦わないといけない、と戦いたい、は違います」
「フェリペには説明したのか?」
「説明はしました。子供じゃないんですから、何が正しいのかは、自分で決断します」
ルシアはそういうと胸を張った。
「隊長は別にやることがあるんですよね。自分の仕事をこなしてください」
「ああ、もちろんだ。ルシアもラウルに迷惑をかけないように」
「隊長こそ、バレンティの面倒をお願いしますよ」
ルシアはそれだけ言って、踵を返した。
「ベラスコと呼んでください」という訂正はなかった。
足音が遠ざかるが、エルネストは止めなかった。
自分で考えた決断ならば、止める理由はない。
◆ ◆ ◆
夜になった。
ラウルは将軍として処理しなければいけない職務を、ホアンに協力してもらって行っている。
書類は山積みだった。
おそらく見送りに来ることもないだろう。
ラウルはこの島でやるべきことを見つけた。
ならば、自分もやるべきことをやるべきだ。
その覚悟と、計画は出来た。
部屋に戻り、翌朝の帰国のために荷物をまとめていると、机の上に紙が一枚置いてあることに気付いた。
文字は短い。
――明朝、出発前に来い。話がある。
署名はなかった。
だが、筆跡には見覚えがあった。
イサベラのものだ。
エルネストはその紙を折り、上着の内ポケットに入れた。
机の上の報告書を手に取り、もう一度、最初から読んだ。
ホアンの言葉が正確に並んでいる。
どこにも嘘はない。
ただ、書かれていないことがある。
エルネストはペンを取った。
自分の報告書を開き、そこに一行だけ書き足した。
それから、ランプを消した。




