2章4話 「イサベラ」
ラウルに案内されて回ったアルマの町は、規模の割には静かな街だった。
人がいないわけではない。
路地を歩く住民や荷を運ぶ若者。そして、至るところで見かける、見張りの兵。
だが、皆一様に歩く速度が速く、目は下を向いたままで、会話などが一切ない。
最低限の動きで生活をこなしている。
店も開いてはいるのだが、どの店も品揃えが少なく、どこか活気がない。
「隊長、見てください。ここの野菜、すごい値段が付いていますよ」
フェリペが服の裾を引っ張るので、チラリと陳列棚を見ると、野菜に本国の三倍ほどの値段が付いていた。
だからといって、この街の賃金が本国の三倍とは到底ながら思えない。
流通がまともに機能していないようだ。
そんな中、一見の食堂が目に飛び込んできた。
外の長椅子に老人が二人座って、中を覗き込むような動きをしていたが、値段を確認して、入れないでいる顔だった。
食堂の方も、煙が上がっていない。
客が来ないと分かっていて、下ごしらえもしていなければ火も入れていない。
「観光客として、この街の感想を聞かせてくれ」
横を歩くラウルが言った。
「あらゆる物価が高いし、そもそも品がない。だから、住民は買い物が出来ないために、商店も儲からず活気がない。悪循環だ」
「当たりだ。補給が細いから、あるものが値上がりする。なのに、住民の手取りは増えてない。最悪のスタグフレーションだ」
「分かっているなら何故放置する」
ラウルが少しだけ足を止めた。
「放置してるわけじゃない。値段を抑えろと命令したら、商人が品物を隠しやがった。統制経済ってのは難しい」
「それは、ケイポ将軍の方針か」
「オルロフの提案だ」
ラウルの声のトーンが、一段だけ下がったのをエルネストは聞き逃さなかった。
街の状況は思ったよりも悪い。
◆ ◆ ◆
アルマの港は漁港と輸送港が混在している。
だが、輸送路の方は、いつか見た港町トレインと同じように、すっかり寂れていた。
大きな商船はあるが、あちこちにフジツボがこびり付いたままで、海藻も絡みついている。
長期間動かしていない証拠だ。
一度大きくメンテナンスをしないと、これでは外洋での航海は難しいだろう。
漁船だけは出入りしているようで、手入れはされているが、静かなものだ。
突堤では毒があって食えないフグが道の上で干物になっていたが、食べられる魚を売っている店は見当たらない。
桟橋の先には海が広がっていた。
水の色が、本国とは違い、深い青ではなく、美しく透き通る、緑がかった青色だ。
まるで、底の砂が透けて見える。
それでも、大型の商船が通行出来るほどの深さはあるはずだ。
それだけ水が綺麗だと証拠なのだろう。
フェリペが欄干に両肘をついて、海を覗き込み、その横にラウルが並んだ。
「ラウル先輩、あそこに魚がいますよ。でかいやつ」
「あいつは食えないやつだ。棘があるし、頑張って調理しても身がパサパサだし臭いしで食えたもんじゃない。ただ、そこの岩陰に隠れてる黒っぽいやつは焼いても似ても美味い」
「詳しいですね」
「五年も住んでりゃ自然と覚える」
エルネストは二人の後ろで、港全体を見ていた。
物資を積んだ木箱が並ぶ桟橋があり、兵が二人、見張りのつもりなのか、その前に立っているが、まるで警戒している様子はない。
箱の積み方が整然としすぎており、荷降ろしの途中ではないことは分かる。
それでいて、倉庫に入れる気配もない。
ただ、木箱を置いて、何かが積み下ろしされているように見せかけているだけだ。
「昨日、グラーシェからの補給船が来た」
ラウルがフェリペと海の底を覗いたまま、振り返らずに言った。
エルネストが何を見ているか分かっていたらしい。
「中身は武器と食料だが、量は前回より少ない。来る度に量が減らされている」
「物資が減っているのか」
「ああ。ケイポ将軍の方針が消極的すぎると判断されている。投資対象として格を下げられた。とはいえ、ここで無理矢理戦闘を仕掛けたところで返り討ちになって終わる」
ラウルは海を見たまま続けた。
「オルロフは何も言わない。ただ記録するだけだ。だが、量が減るたびに、何かが決まっていくような気がしてならない」
エルネストは答えなかった。
◆ ◆ ◆
桟橋から去ろうとした時に「先輩! 隊長!」とフェリペが声を上げた。
振り返ると、フェリペが欄干から身を乗り出して海を指さしている。
続いて水面が、盛り上がっていた。
泡ではない。
何か大きなものが、下から押し上げている。
「久々に出てきたか。北部の連中がこっちに追い込んできてるんだ。漁村が寂れてる理由でもある」
ラウルが一歩後ろに引きながら言った。
水面が割れて、触手が出てきた。桟橋の杭より太いことに間違いがない。
根元から先端まで、びっしりと吸盤が並んでいる。
「ネストなら知ってるだろ。この海域に生息しているデカいイカだ」
「あいつか」
十年前にエルネストとラウルが討伐を命じられた幻想種だ。
当時に聞いた説明は、近隣の魚などの食資源を食い荒らし、漁船はもちろん、ティアナ海峡を通行する商船などにも襲い掛かる害獣というものだった。
だが、こんな人口の多い街の近くに出てくる生物ではないはずだ。
しかも、いきなり波止場に出現するのはおかしい。
自然の生態とは異なる動きをしている。
エルネストは疑問に思ってラウルの目を見た。
「北部強硬派がわざわざ面倒な手順で追い込んで、いきなり港に出るようにしてるんだ」
「漁船が出ないのはそういうわけか」
次の瞬間、触腕が桟橋を叩きつけられた。
木材が割れ、大きな波が立って波止場に押し寄せた。
「兵士は下がれ、お前らの装備じゃ無理だ! それよりも住民の避難誘導をしろ!」
ラウルが駆けつけようとした兵士たちに警告を飛ばした。
「こいつらに有効なのは軍艦からの砲撃だが」
「港に入り込みすぎている。船から狙えば、港湾施設まで巻き込む。それが連中の作戦だ」
「隊長! ここは僕らの出番ってことでいいですか?」
フェリペがエルネストを真っ直ぐな目で見た。
「ああ、実戦訓練だ。ラウルも成長したこの二人を見てやってくれ」
「任せて大丈夫なのか? 遅れると住民に被害が出る」
「問題ない。この二人も蒼炎隊だ」
「元ですけどね!」
フェリペとルシアが荷物から杖を取り出して身構えた。
「まずは周囲の状態を確認しろ。優先すべきは民の安全だ。それには民家や施設などの生活拠点の保全も含まれる」
「了解」
「ここで戦うと、港湾設備に影響が出る。そこの防潮壁に追い込む」
ルシアが素早く分析して、二人が動いた。
牽制代わりの小魔法弾を散発的に撃ちながら、高波を止めるための防潮壁に向かって駆け出していく。
幻想種は見事にその挑発に釣られて、二人の後を追った。
「海の敵には火も風も効果が薄い。電光?」
「ダメに決まってんだろ! ここは漁師の人が魚を獲る港だって言ってんだろ」
教科書通りのルシアが出した答えをフェリペが否定した。
エルネストの「周囲の状態を確認」という指示をよく聞いている証拠だ。
「なら、何を使うの?」
「氷だ。氷壁で動きを封じた上で魔法弾で痛めつける」
「フェリペのくせに的確」
作戦が決まったようだ。
フェリペがまたも小魔法弾を撃ち込みながら、巨大イカの注意を引き付ける。
その隙に、敵の後方に回り込んだルシアが氷壁の魔法を放った。
冷風が吹き荒れると、海の表面がたちまち固まって巨大な氷塊が浮かび上がる。
「なかなかやるな。この陽気な南の島であそこまでの氷の塊を作るとは」
「普段からの訓練の成果だ」
ラウルも二人の実力を把握したようだ。
もう巨大イカの処理は時間の問題だと判断したのか、腕組みして観戦に移っている。
氷塊は浮力で海面に巨大イカを巻き込んで一緒に浮き上がった。
巨大イカは逃れようと氷塊に向かって長い触腕を巻き付けるが、ルシアの魔力で作られた氷塊は簡単に破壊されないようだった。
それどころか、低温の氷に巻き付けた触腕に付いた吸盤が氷に張り付いた状態で固まってしまい、逆に拘束されたようになっている。
「ルシア、脚を狙え!」
「どっちの?」
「ノルマは二人で三本! 場所は適当に」
フェリペとルシアが右手を上げた。
そこへ光が収束していく。
そして、水面が光った。
次の瞬間、海の色が一瞬真っ黒に染まったかと思うと、大きな波が沖の方へ真っ直ぐ流れていった。
「なにこれ? あの怪物の血?」
「イカなんだからイカスミだろ」
「大きくてもイカってことか」
フェリペとルシア、二人共怪我はないようだ。
イカは逃げ際に暴れ、イカスミを吐いたが、それらは全て障壁魔法で防いでいる。
「逃げられてるんじゃねぇか」
「わざと逃がしたんだ。一度痛い目に遭ったイカは、当分この港に寄り付かない。仲間にも警告するので、メンドーサ派が追い込んだところで、素直にここへは来ないだろう」
「なるほど、そこまで考えてのことか」
ラウルが感心したように言った。
「ルシアは座学では優秀だが、現場の判断力はフェリペが上だ。なので、二人を組ませると良い連携で動く」
「良い隊員に育ったもんだ。やっぱりオレの目に狂いはなかったということか」
ラウルが海水でずぶ濡れになった後輩たちを出迎えに行った。
無傷だが、さすがに海の近くであれだけ暴れたら、波しぶきを被らないわけがない。
エルネストは波止場にしゃがんで水面を確認するが、もう近くに幻想種の姿はないようだ。
吐き出した墨も、すぐに拡散して、元の青く美しい海が戻ってきた。
「今回はたまたま私たちがいたから良かったものの、頻繁にイカが襲ってくるようならば、何か対策が必要だな」
「それだよ。いつも魔術師が近くにいるわけじゃないし、イカに銃は効果が薄い」
「分かった。この島にそれほど長居するわけではないが、何か対策を考えてみよう」
「ああ、助かる」
◆ ◆ ◆
港から引き上げる途中で、エルネストは気づいた。
何者かに見張られている。
路地の角の細い隙間に、エルネストを監視するような人影があった。
20代半ばの女性だ。
浅黒い肌に黒い髪だが、現地人ではない。
日焼けしているか、ヴェルディアと現地人のハーフか……はたまた全く別の人種なのかは判別しがたい。
装備は南の島らしく軽い。
革のベストに、腰に短銃一丁のみ。
兵士の目ではなく、もっと別の何かを測る目をしている。
エルネストが尋ねるよりも、ラウルがその女に声を掛けた。
「イサベラ。いつから聞いてた」
「最初から。ラウルがこの波止場に来て、幻想種の相手を始めたあたりから」
イサベラと呼ばれた女が足音を立てずに物陰から出てきた。
普段から音を立てない歩き方をしているからなのだろう。
動きに不自然なところがなく、滑るようななめらかな動きで歩いてくる。
「紹介するよ。こいつはイサベラ・クルス。オレの同僚で、一緒に革命軍に参加している仲間だ」
「エルネスト・サラサール。元蒼炎隊です」
「知っています。幻想種の対処は早かったですね」
イサベラは立ち止まった。
エルネストと正面から向き合い、わずかに顎を引いた。
礼儀ではなく、確認だ。
「ラウルの昔の仲間がここに来た理由を、ケイポ将軍はどう受け取っていると思いますか」
「問い方が回りくどいですね。直接聞けばいい」
「では直接聞きます。本国のメンドーサから、ここへ来る前に何を依頼されましたか?」
イサベラの質問にフェリペが硬直した。
ルシアは表情を変えなかったが、何かを考えている。
エルネストは少しだけ間を置いて答えた。
「情報収集と、接触相手への伝言です。あなたが思っているより地味な依頼ですよ」
「伝言の相手は」
「ホアン・メンドーサ。もう済みました」
ホアンの名を聞いたイサベラの目が一瞬だけ険しくなった。
「ラウルには、どのような話を」
「昔話と、島の現状確認です。報告書に書ける内容しか聞いていません」
嘘ではなかった。
あくまでも現状見たままを伝えるつもりだ。
その上で、ホアンが革命軍に参加しており、メンドーサ側は、メンドーサの命令を曲解して暴走していると伝えるつもりだ。
それで、この島のつまらないいざこざは解決に向けて大きく動く……はずだ。
イサベラは何も言わず、ただ、ラウルの方を一度だけ見た。
だが、ラウルはそれに答えず、腕を組んだまま、少しだけ目を逸らした。
「イサベラ。こいつはここに何日かいる。その間は案内を頼む」
「案内ですか? ラウルの命令ならば従いますが」
イサベラの声には棘があったが、ラウルの言うことは素直に聞くようだ。
彼女は踵を返した。
「夜に迎えに来ます。夕食はケイポ将軍を交えて食べるはずなので」
路地の奥へ、また音も立てずに歩いていく。
来た時と同じだった。
「怖い人ですね」
フェリペが小声で言ったが、ラウルは首を横に振った。
「普段はあんなやつじゃないんだがな。オヤジさんの意志を継いで頑張っている、根は真面目なやつだ」
「ラウルはここでもまた人を育てているのか?」
「そこまでじゃない。頭はここで一番いい。ティアナのことを一番分かっているのもあいつだ。オレは暴走しないように見守っているだけだ」
そう言って、ラウルも歩き出した。
エルネストは最後にもう一度、路地の角を見たが、イサベラの影はもうなかった。
◆ ◆ ◆
夕食は豆と干し肉の煮込みと黒パン。それと水だった。
質素だが、物価高の町で寂れた街並みを見た後だと、エルネストたちは文句を言うつもりなどなかった。
今も作戦行動中と考えれば、ごく平凡なことだ。
ケイポが上座に座った。
表情は昼と変わらないが、ただ、昼より少しだけくたびれている。
正規の軍の役職者はケイポとラウルだけだ。
ラウルが実質、左遷でここに飛ばされてきた以上は、正規軍人はケイポだけだ。
業務が集中するのも分かる。
オルロフはエルネストの隣に座った。さすがに食事中には手帳は持っていない。
イサベラはエルネストの向かい、ラウルの隣に座った。
ホアンだけが、少し遅れて入ってきた。
だが、全員と顔を合わせることはなく、興味はないとばかりに窓の外を見た。
「食べよう」
ケイポが言ったのを合図に、全員が祈りを済ませて食事を開始する。
しばらく、食器の音だけが部屋を満たした。
豆の煮込みは、思ったより悪くなかった。
干し肉が固いのは仕方ない。
「サラサール」
ケイポが口を開いた。
「本国はどう動くと見る。個人的な見立てでいい」
「メンドーサ体制の崩壊は時間の問題です。本国の中にも批判意見が多く、選挙があれば共和派が勝ちます」
ケイポだけではなく、オルロフもエルネストに視線を向けた。
「ただし、共和派がどこまで独立して動けるかは別の話です。メンドーサが軍を動かして、選挙は不正だったと無効を訴えるかもしれない。そうなれば、力のない市民が中心の共和派は蹴散らされます」
メンドーサだけならば分からないが、トレントのような腐敗の象徴のような存在が軍部にいる。
貴族以外の存在意義はないと考えているようなトレントが、市民に自分の地位が揺らがされるとなれば、何をするかは分からない。
選挙制度は他国に後れを取るなとばかりに導入されたが、選挙に当選したからと言っても、それほど発言力があるわけではない。
それこそ、トレントが一声かければ、たちまち潰される存在だ。
オルロフがパンをちぎった。
「どこかの後ろ盾が必要だと?」
「そうなれば、その『どこか』に借りを作ることになります。それが何を意味するかは、この部屋の全員が分かっているはずです」
ケイポとラウルがオルロフの顔を見た後に静かになった。
話を逸らすようにイサベラは水を飲み、逆にホアンは窓から視線を戻した。
「父とグラーシェの話をしているのか?」
ホアンが言った。
「一般論です」
「一般論にしては随分と具体的だ」
オルロフが穏やかに笑った。
だが、その目は一切笑っていない。
「革命には時間がかかります。焦りは禁物ですよ、ホアン殿」
ホアンは答えず、代わりにパンを一口だけ食べた。
◆ ◆ ◆
食事のあとは、与えられた部屋で、報告書を作成していた。
フェリペとルシアを先に寝室へ向かわせ、エルネストも一区切りついたので伸びをした時に廊下で慌ただしい声がした。
廊下に飛び出すと、ラウルも廊下を駆けているところだった。
執務室の扉が開いたままになっていた。
そこに兵士が立っており「将軍が」と震えながら声を発している。
ラウルが先に入り、エルネストが室内に入ると、ケイポが椅子に座ったままうつむいていた。
書類の上に顔を伏せているように見えるが、呼吸の音はせず、目も口も開いたままだ。
ラウルがケイポに駆け寄り、肩を掴むと、体が、椅子ごと傾いた。
床に落ちる前に、ラウルが支えたが、その体は力なくぐにゃりと横たわる。
ラウルが首筋に手を当てた。
一秒。
二秒。
ゆっくりと、ラウルが立ち上がった。
廊下では兵たちがざわめき始めていた。
声が広がる。人が集まってくる。
エルネストはケイポの様子を観察した。
外傷はない。
顔に苦悶の痕もない。
ただ、眠るように死んでいる。
食卓を共にして一時間も経っていなかった。
疲労は溜まっているようだったが、過労で倒れたにしてはおかしい。
書類の上に零れていた唾液を見ると、そこから何か薬品臭がする。
「毒か?」
イネスがこの島に来ていれば、豊富な知識で何か判別するか、分析出来るに違いないが、残念ながら彼女は王都の地下の研究室に籠ったままだ。
「……バルガス」
廊下の誰かが、声を上げた。
「まさかお前が……」
ラウルの背中が、石のように固まった。




