2章1話 「極秘任務」
エルネストは、路地裏で傘をさして鋭い目つきで立っていた男……以前に港町トレインでの捕り物で世話になったラモン・エスピナに近寄った。
エスピナは軍服を着ていない。
それだけで、これはあくまでも非公式。
軍事作戦としては存在しない会合だと分かる。
エスピナは無言で懐から一枚の紙をエルネストに手渡した。
「既に聞かされているだろうが、島で密偵をやってもらいたいとのことだ。正式な書類はこれだ」
エルネストは顔を上げず、書類に目を通した。
署名は陸軍将軍にして、国家総監メンドーサのもの。
個人名のみで、役職は書かれていない。
故に、この任務は、非公式なものだとエルネストは判断した。
ティアナ島嶼軍滞在中の駐留軍にいる、ホアン・メンドーサに接触して、情報を持ち帰る旨が記載されている。
事前の情報がなければ驚いていただろう。
だがティアナ島嶼郡で何かが起こっていることは事前に聞いている。
「出発は五日後の未明。セドラ軍港から漁船に乗り換える。詳細はそこに書かれている」
「今の貴方はどういう立場なんだ?」
「メンドーサの強引なやり方には軍の内部からも反発が出ているし、共和派に傾倒する者もいる。だからこそ、軍服を着た陸軍ではなく、傘を差した『元警備隊長』の自分がここにいる」
エスピナは最低限の内容だけをエルネストに伝えると、フードを深々と被った。
「陸軍は動かせない。だが、既に軍を辞めた人間が動き回る分には、誰も何も文句の付けようがない。それが以前から貴族に気嫌われている『元』蒼炎隊ならば尚更だ」
エスピナは「元」という部分を強調して言った。
「メンドーサは効率主義だ。軍という組織としての魔法使いは不要でも、完全に消えられると困る。その使い方を考えた結果が、今回の調査だろう」
「なるほど」
「ただし、蒼炎隊という看板がなくなっている。この秘密調査の件が表に漏れると、貴族は以前よりも苛烈に口封じをしようとするだろう」
「問題ない」
エルネストは端的に答えた。
自分には身を守る鎧がある。魔法もある。
「それと、サラサール。お前の家柄がどうとか、魔法がどうとか、俺は興味がない。使える人間は使う。使えない人間は切る。それだけだ」
エスピナはそのまま路地の奥へ消えていった。
◆ ◆ ◆
「そういうわけだ。ラウルと、もう一人、メンドーサの息子のホアンに接触する」
ごった返す騒がしい食堂でエルネストは受け取った書類に記載された内容を、フェリペ、ルシア。そしてバレンティに説明をした。
「これは極秘任務だ。給料は出ない。軍ではなく、軍を辞めさせられた私個人が、たまたま気晴らしに出かけた先がティアナ島嶼郡だったという設定で行く」
「ティアナって観光で行くような場所なんですか?」
フェリペから当然のように疑問が飛んできた。
「ティアナは基本的に何もない」
「フェリペはそういうところがダメ。座学でやったでしょう」
「確かにやったけどさ。ねえ、バレンティさん。説明をお願い」
エルネストを飛び越えて、突然に話題を振られたバレンティは、一瞬スープをすくっていたスプーンを止めた。
「私の説明は……」
「隊長の説明はわかりにくいので」
「はい」
バレンティはエルネストの顔を一度見た後に、咳払いをして続けた。
「えっと……ヴェルディア王国は大陸の一番端、突き出た半島の先にある王国で、周辺には小さい島々があることは知ってるな」
「それが『ティアナ島嶼郡』ですよね」
「半島と島々が作るのがティアナ海峡。なので、海峡の周りにある島は『ティアナ島嶼郡』。ティアナって島があるわけじゃない」
「なるほどぉ」
フェリペが手で鼓を打った後に、テーブル中央に置かれたパンに手を伸ばした。
パンを千切ってトマトスープに浸した。
「大陸にある国が、外洋に出るには、必ず、このティアナ海峡を必ず通らないといけない。だが、この島々の先住民たちは、海外の船が自分たちの縄張りを犯すのを良しとせず、諸外国と戦争を繰り返していた」
「それを抑えるために駐留軍がいるってことですか」
「そういうこと。ヴェルディアは、海峡の安全を確保しているという建前で、諸外国から協力費という通行料を少なからず徴収している。なので、防衛上では重要視はされていないが、いないと困る。それがティアナ駐留軍」
バレンティはスラスラと教科書を読み上げたような説明をフェリペにしてみせた。
やはり、この知識を無駄にするのは惜しい。
戦場ではなく、それ以外の場所で役立てて欲しいとエルネストは願う。
「バレンティが説明した通りだ。ティアナは大陸からは絶滅した幻想種も生き残っているし、現地民も武装して駐留軍を追い出そうとしている危険な場所だ。観光には向かない」
「尚更、観光名目じゃダメじゃないですか」
「そうは言われても……」
エルネストは眉を下げて困った顔を見せた。
「仕方ないですね。では、そこのバレンティさんには、隊長になってもらいます」
「えっ? どういうこと?」
突然に名前を呼ばれたバレンティがうろたえた。
「軍や貴族の偉い人が警戒しているのは、隊長だけです。なので、バレンティさんが隊長に化けて、ずっと自室に引きこもっているように装ってもらいます」
「なるほど、ルシアの作戦は良さそうだ」
「ベラスコです。名前を呼ばないでください」
ルシアはエルネストを睨みつけた。
「名前を呼んでいいのは親しい関係だけです。私とはあくまでも隊長と隊員という関係ですから」
「すまないベラスコ」
フェリペはその扱いでも良いのかとエルネストは考えながらも、ルシアを改めて呼んだ。
女性の考えは本当に分からない。
「それで良いんです」
理由は分からないが、ルシアの中ではそれで解決したようだった。
「では、私はずっと家に引きこもっている設定だ。留守を頼めるか、バレンティ」
「任せてくださいよ。それに隊長の部屋には本がたくさんあるんですよね。それを読んで待っています」
バレンティは少しだけ明るい返事をした。
銃の訓練を繰り返している時には見られない笑顔だった。
エルネストはやはりバレンティには内勤が向いているのではないかと考える。
「それで、今に行くのは隊長と私の二人ですか。優秀な二人での任務……悪くないですね」
「僕も行くに決まってるだろ」
「私は最悪、一人で行こうと思っていたのだが」
「隊長は黙っていてください」
「はい」
エルネストが黙った間に、フェリペとルシアが口論を始めた。
今のところ、2人とも同行するという方向で良いようだ。
「二人共、付いてくるのは良いが、一つだけ条件がある。現地では私の指示に従うこと。決して単独や、二人だけの勝手な行動は許さない」
エルネストが少しだけ声を大きくして言うと、二人は口論を止めて顔を見た。
「特に――ラウルを見つけても、勝手に接触するな。これを飲んでもらわなければ、私一人で行く。誰も連れて行かない」
フェリペが唇を引き結んだ。
ルシアも何かを言いたそうだったが、飲み込んだ。代わりにスプーンを握り直し、スープを飲んだ。
「もしかしてラウル先輩が国を裏切ったとか思っていたりします?」
「そんなことはない」
声を荒らげそうになるところを、エルネストは自制して淡々と答えた。
ラウルがそんな軽はずみなことをするわけがない。
氷の仮面を被り、表情を……感情を消す。
「他意はない。先程説明した通り、未熟な二人だけで行動させるには危険が多い。それだけだ」
「僕たちも成長していますよ」
「訓練だけだ。まだ実戦には出ていないだろう。だから、私が見本を見せるので、実際に体感して空気を覚えること。実地研修のようなものだ」
「そういうことなら……」
フェリペとルシアも実地訓練という言葉で納得したようだった。
「出発は三日後だ。それまでに用意をしておけ」
◆ ◆ ◆
三日後。未明。
ヴェルディア王国最南端の要塞都市セドラの軍港は霧に包まれていた。
港には軍艦が数隻停泊しているが、エルネスト、フェリペ、ルシアの三人が乗り込んだのは、その隅に係留された小汚い漁船だった。寸法も随分と小さい。
その漁船に乗って、約三日の航海だ。
「……これで海を渡るんですか」
「文句を言うな。目立たないのが目的だ」
船底から魚の臓物の匂いが這い上がってきて、ルシアが露骨に顔をしかめ、フェリペはいきなり海に向かって朝食を吐いた。
エルネストも同じ気持ちだったが、顔には出さなかった。
出さないのが先輩の矜持というものだ。
船頭は五十がらみの痩せた男だ。
名は名乗らなかったが、堂々と軍港に停泊させている限りは、軍が手配した協力者だろう。
帆が風を受け、漁船は霧の中を滑り出した。
距離自体は近いとはいえ、ティアナ海峡は波の流れが複雑で船は大揺れする。
ましてや、小さい漁船ならば尚更だ。
操船する船長の男は、長年船乗りをやっていそうな屈強な海の男だ。
万が一転覆などはさせないだろうし、操船も安定してはいるものの、それでも船は縦に横に激しく揺られる。
「最大の軍港があるのは北部にあるアミルーシュという町だ。だが、我々はそこではなく、ペスカという小さい漁村に向かう」
「ペスカってどんなところですか?」
船縁にもたれたフェリペが、なんとか吐くまいとばかりに、低い声で唸るように言った。
エルネストは水平線を見つめたまま答えた。
「小さい漁村だ。白い砂浜と、椰子の木と、干物の匂い。それだけの場所で、特に何もない」
「ラウル先輩と行ったんですよね」
「……ああ。もう十年ほど前の話だ」
以前にエルネストとラウルは一度だけ、ティアナ島嶼郡のペスカに渡ったことがある。
任務の名目は「ティアナの治安状況調査」
実態は、本部も持て余すほどの二人の若い実力者を島に飛ばし、生き残っている幻想種相手に戦わせて、痛い目を見せて世の中の厳しさを教えるというものだった。
教育隊時代なので、今のフェリペやルシアよりも若い、十五か十六の頃だ。
もちろん、二人共、その任務はただの嫌がらせだと分かっていてあえて受けた。
そして、島に生き残っていた幻想種の一種である巨大なイカの化け物を、島に着いてわずか数時間で討伐し、与えられた一週間の残り全部をずっと海辺で遊んでいた。
◆ ◆ ◆
「報告書には何て書くんだ、これ?」
ラウルとエルネストは砂浜に腰を下ろし、蒸れるブーツを脱いだ。
砂が足の裏に纏わりついて、ぬるい。
「『標的は未だ発見出来ず。当該地域の地元住民より聞き込みを行う。特記事項なし』。これでいいだろう」
「二行じゃねえか。しかも、地元住民から聞き込みしたのは『この魚は食えるのか?』だけだぞ。これで一週間の任務とか」
「言われる前に自覚しておけば心が楽だ。毎日、報告書だけは出している。論理と書類で積み上げる」
「お前、たまに貴族らしからぬ処世術を持ち出すよな」
ラウルが飾り気なく笑った。
エルネストも、親友以外誰もいないこの場所では、氷の仮面を被る必要もなく、屈託なく笑った。
「ネスト、こういう場所で暮らしたら、剣も魔法も要らないんだろうな」
「お前がそれで満足できるとは思えないが。町の暮らしがもう懐かしいだろう」
「……そうだな。こんな暇な場所で、しかもいるのは無愛想な男の相棒だけ。カミラも来りゃ良かったのに」
ラウルが砂を掴み、指の隙間からさらさらと落とした。
「ここの連中を見てると考えるんだ。俺たちが守ってるのは、この人たちなのか。それとも、あの人たちを搾り取ってる連中の方なのか」
エルネストは答えなかった。
◆ ◆ ◆
「あんた、昔のペスカしか知らないのか?」
船長がボソリとエルネストに言った。
「昔のとは? 私が以前に訪れたのは十年ほど前の話だが」
「そういうことか。現状を知らないならいい。どうせ、着けばすぐに分かるし、否応なく分からさせられる」
船長の視線の先には、霧の向こうに、かつて見覚えのない影があった。
見間違いかもしれない。
だが、エルネストの胸に、言いようのない違和感が残った。




