3.0
暦の上ではとっくに秋だ。残暑という言葉が全く似合わないぐらいに暑い。教室の窓は空調を効かせるために閉め切っているというのに、窓の外から蝉の声が微かに聞こえてくる。そんな声を聞いていると余計に空調の効果は薄く感じられた。
二学期の始業式の翌日から早速授業が始まり数日が経った。夏休みが明けてから間もない事もあり、生徒たちの雰囲気も、どこか浮ついたままだ。来年から受験生になるという意識はあるはずだが、今しばらくは考えたくないといった感じだろうか。
4時間目の授業が終わりを知らせるチャイムが鳴った。これから50分のお昼休みが始まる。この時間を使って多くの者は昼食を食べる時間となる。浮ついた気持ちの者たちも少し元気になったようで、教室内が少し騒がしくなる。教室内でお弁当を食べたり、部活動の部室へ移動して気心の知れた仲間たちで食事をする者、学食へ行くなど様々だ。私はお弁当をお母さんに作ってもらっているので、教室の自席で食べる事がほとんどである。
「やっとお弁当の時間だー」
今日は朝から気怠そうにしている百花が、少し元気になって私の前に来た。ちょうど私の前の席が空いていたので、机と椅子を回して私と対面になって座った。百花は毎回自分でお弁当を作ってきている。走るために、こういう食事が良いと考えた結果、自分で作った方が早いと思って、昨年の6月ぐらいからずっと作っているらしい。自炊が出来ない私からすれば本当に敬愛する。
私も百花に合わせてお弁当を広げようとしたときだった。
「すみません、綿抜さん、ちょっとよろしいですか」
どこかで聞いた事のあるような声に振り向くと、生徒会役員の相川君と、もう1名の女子がいた。その女子が私に向かって話をする。
「初めましてですね。生徒会の書記を務めている2年生の桜井と言います。あっ、座ったままで結構です。この度、生徒会新聞の特集記事の一つとして、各学年の成績上位者の数名にお話を聞いて『わたしの勉強法』と題した記事を作成する事になりました。恐縮ですが学年主任の先生と担任の先生の許可は先に得てありまして、綿抜さんは2年生の中での成績上位者と伺っております。そこで、綿抜さんの勉強方法を是非お聞きしたいと考えております。もちろん個人情報には配慮するので、匿名で記事を掲載する予定です。早速ですが本日や近日中の放課後など、ご都合はいかがでしょうか?」
聞いた事のあるような声というのは、普段の式典などの司会で聞いていたからだと直ぐに理解した。そして、事前に用意してきたであろう長い台詞を一切嚙まずに私へ伝えた。流石、生徒会の書記は式典で司会を務めるだけある。
帰宅部の私に放課後の予定などは無い。百花の方に視線を投げると「わたし今日部活~」と直ぐに察して返してくれた。既にお昼ご飯を口に運んでいる。放課後に一緒に帰る相手もいない。
「はい、私なんかでよければ、今日の放課後でも大丈夫です」と二つ返事で引き受けた。同学年ではあるが、終始敬語で話していたこともあり、私の返答も変な敬語になってしまった。この場合は「私でよろしければ」という返答が無難だったと感じ少し言葉選びに後悔した。
桜井さんは「ありがとうございます」と言って深く頭を下げた。その一歩後ろで相川君も頭を下げてから、今度は相川君が私に話しかけた。
「では、早速、本日の放課後の時間、生徒会室に来てください。生徒会室の場所は分かるかな?」
「えっと、1階の1号棟の職員室の近く?」
「はい、そうです。もし分からなければクラスのSNSグループから僕を見つけて連絡ください」
「分かりました」
相川君は少し砕けた話し方をしてくれたので、桜井さんの様に完全に敬語で話す事は無く、少しだけ心に余裕を持って会話が出来たと思う。
二人は再び頭を下げて私たちの席を離れた。
「夏帆すごいじゃーん」
百花はあまり興味が無さそうだが、褒めてくれている事は十分に伝わる。それだけで有難い。
相川君。そういえば、幼稚園・小学校・中学校・高校までずっと一緒だ。
でも、あまり話したことは無い。さっき話をしたのも、いつ以来だろうか。SNSのグループから相川君を見つける事は容易だったが、普段からあまり話したこともなく、この時だけSNSから連絡を取るという事も気が引けた。何となく生徒会室の場所は分かっていたので、放課後になっても特に連絡をすることなく一人で生徒会室に向かった。
生徒会室には初めて入る。
ドアの前で3回ノックをすると「はい、どうぞ」と桜井さんの声がした。その声を合図にドアを開けた。
生徒会室は教室を半分ぐらいにした広さのように感じた。出入口も一つしかない。まず目に入ったのは部屋の両側にあるロッカー。ここにはたくさんのファイルが並んでおり多くの書類がまとめられているように感じた。そして、少し高そうなカメラなどの機材も置いてある。奥の窓側には職員室においてあるような複写機まである。
幾つかの机と椅子はロッカー側にまとめて整理されて置いてあり、部屋の真ん中に長机が置かれていた。長机の向こう側には、私から見て右側に桜井さん、左側に相川君がいる。その手前の真ん中に1つの椅子が用意されていた。直ぐに案内されたので、そこに座った。私が座ったのを合図に2人とも座り、早速桜井さんが私に向き直った。
「お忙しい中、お越しいただきありがとうございます」
桜井さんが丁寧に挨拶をした。正直、忙しくはない。家に帰っても本を読むか、今日の授業の復習と明日の予習を行うぐらいであるが、一応「いえ、とんでもありません」と頭を下げた。
桜井さんの手元にはペンと原稿のようなものがある。相川君の目の前にはノートパソコンが置かれている。しかし、2人ともそれらに視線を落とすことなく、私の方を見ている。少し緊張したが、私の話に集中しようという姿勢が見えて、この期待に応えたいと少し感じた。
「改めまして、生徒会新聞11月号の特集記事の一つとして、各学年の成績上位者に、それぞれの勉強方法をお聞きして、『わたしの勉強法』と題した形で記事を掲載したいと考えています。早速ですが、まずは普段の勉強方法を教えてください。もし、独自で行っている勉強などがあれば、それも教えていただきたいです」
私が独自で行っている勉強法というのは、正直なところ無いと思った。
「独自……というものは、あまりないかもしれません。基本的には授業をしっかりと聞いて、疑問や質問があれば一旦ノートにメモを取っておきます。授業中にみんなの前で聞くのはちょっと恥ずかしいので……。なので、授業の後で先生に聞くこともあれば、聞けない時もあるので、それは家に持ち帰って学習するようにしています」
「なるほど」と呟きながら桜井さんが頷き、改めて質問が飛ぶ。
「それでは、ご自宅に持ち帰るという事で、ここではどのように勉強をされていますか。失礼ながら、綿抜さんは部活動には所属していないようなので、ご自宅での時間の使い方が上手いのか、若しくは塾などに通っているのかと思った次第です」
自宅での過ごし方は、どうだろう……。とりあえず、普段行っているようなことを話してみる事にした。
「塾には通っていません。小学校の時から、今でも基本的には自宅で勉強をしています。自宅に帰ってからは、まず宿題や課題があれば、それを最初に取り組みます。その後、今日の授業の復習や次回の授業の予習を行う事が多いです。先ほどお話したように、疑問点などはノートに書いてあるので、その解決に取り組むようにしています。今日開いた教科書のページを見て、そして読んでから、ノートにどのようにまとめたか、板書だけを写しているだけでは見えない肝心な部分が抜けていないか、よく読むようにしています。それで解決する事が多くありますが、それでも分からない時はスマホで調べたりしています」
桜井さんは、少し感心したような感じでさらに問いかけた。
「読む! とは少し興味深いですね。スマホで直ぐに調べたり、たくさん書くという方は、私の周りにも多くいますが、読むという部分に着目して勉強されている方は、綿抜さんが初めてかもしれません。その読んで学ぶといった原動力は、どこから来ておりますか」
これには、私なりに理由があるだろうと思えた。
「小さい頃から本をよく読んでいます。小さい頃は絵本。少し大きくなったら児童書。小学校の高学年ぐらいになったら感じも覚えてきたので、色々な小説を読むようになりました。特にこれと言って好きなジャンルはありませんが、本を読むのが好きなんだと思います。その本を読むような感覚で、教科書や、参考書、資料集も貰ったら全部一通り目を通しています。これが予習になっているかもしれないです。復習に関しても、今日書いたノートを再読する事で、教科書には書いていないポイントなども発見できますし、想像力も働かせながらイメージをして答えを導き出すような形で勉強しているかなと思います。あ、これがひょっとしたら、最初にご質問のあった、独自の勉強法……かもしれないです」
私の話が長くなったせいか、桜井さんは頷きながらも少し目線を落としてメモを取っている。相川君は私の目を見ながらブラインドタッチでパソコンを操作している。
不意にメモを取る桜井さんの胸元に目が行ってしまった。生徒会室も教室と同じで空調の効果は薄く感じられた。そのためか少しでも熱くなった体温を逃がすように、ポロシャツのボタンを全て開放している。胸元が開いている。斯く言う私も教室内は暑かったのでポロシャツのボタンは全て開放しており、そのままの状態で生徒会室にいる。少し前屈みになると、こんなに胸元が開いてしまうのかと思い、私はポロシャツのボタンを締めた方が良いかと一瞬悩んだが、却って不自然な動きになると思い行動には移さなかった。
こうして対面で座る機会は百花と一緒にお弁当を食べる機会ぐらいしか無い。小学生の時によく行った、班になって机を合わせて勉強をする機会というのは高校に入ると皆無となっていた。
それに、女子の胸元などあまり気にしない。パンツに比べて、ブラジャーが少し見えてしまうのは、しょうがないと諦めている女子がほとんどだからだ。そもそも、ワイシャツを着ると、多少はブラジャーが透けてしまう。その上にカーディガンやベストを着れば防止できるが、暑い時期にそんなものを着たくない。すると、結果的に紺色のポロシャツを着るのが無難という選択となる。それでも、体育の時間に着用する学校指定の体操着のTシャツは白地だ。透けないように努力しても、学校の制度がこうなのだから仕方がない。そうなると、ブラジャーを多少見られてしまうのはしょうがないと思うようになる。
この桜井さんの状況を分かっているのか、分かっていないのか、相川君は私に視線を預けたままだ。そんなことを考えていると、メモを取り終えた桜井さんが私に問いかけた。
「ちなみに、毎月どれぐらいの本を読みますか」
「10冊ぐらいは読んでいるかな……と思います。3日ぐらいで読み終える事が多いので」
「では、年間で120冊ぐらい読んでいますよね。凄いです!」
ここから、少し話が脱線した。桜井さんも本を読むことが好きみたいだ。私は特に好きなジャンルは無いが、桜井さんはミステリー物が好きという事が分かった。幾つかのミステリー本の題名を挙げたので、その何冊かは読んだことがあると答えると、さらに話が深まった。
この会話のおかげで少し緊張がほぐれたので、話をしながら相川さんの胸元に再び目を移す。私の方に向き直っているので、胸元の空間は無くなっていた。
「今日は貴重な時間ありがとうございました。お話をまとめさせていただきますと、綿抜さんの勉強法は『読む』ことを重点に置かれていますね。これは小さい頃から本を読みながら養われた力であると思います。この力を勉強にも応用して、読む事で難問を紐解く鍵に繋がっていると感じました。このような内容で掲載したいと考えていますが、よろしいでしょうか?」
大変上手くまとめられていた。「はい、お願いします」と直ぐに答えた。
これまでずっと話を聞いてきた相川君が口を開いた。
「では最後に、この同意書二枚に署名を書いてください。一枚は学年主任の先生に、もう一枚は担任の先生に提出します。この同意書が綿抜さん本人からの同意を得たと先生方に判断されて、正式に生徒会新聞掲載への許可が下ります。二枚ともコピーを取りますので、綿抜さんがこちらを保管してください」
少し高そうなボールペンを桜井さん、同意書を相川君から渡された。長机の真ん中で書きなれた綿抜夏帆と名前を書くが、慣れないボールペンを使うと、字の滑りが良すぎてあまり綺麗に書くことが出来ず、申し訳ない気持ちで一枚目を書き終えると、桜井さんが受け取った。
「ありがとうございます。では、コピーをとりますね」
桜井さんは一枚目の同意書を持って、後ろの複写機に移動した。
「あれ、相川君、コピー用紙ないんだけど」
「あぁ、紙が切れていたか。ロッカーに在庫があるはずだから、わるいけどセットしてくれるかな」
「了解」
既に場所は分かっているのだろう。桜井さんは迷うことなくコピー用紙を見つけたようだ。生徒会役員として、この二人は約一年間過ごしているからか、桜井さんの話し方は私とは異なり少し砕けた感じに変わった。
「少しこちらの要領が悪くて申し訳ない。では、二枚目の署名もお願いします」
「はい、二枚目は少し丁寧に書きます」
相川君から渡された二枚目は出来るだけ丁寧に綺麗に書くよう集中するため、少し前屈みになって、目と紙の位置を少し近づけた。
鎖骨の辺りに空間が生まれ、その空間に僅かながら空調の涼しい空気が入る。自分の胸元が開いているのが、目で見なくても分かる。
中学2年生で胸の成長は止まった。パンツと違って経血などがつくという事もないブラジャーを買い替える必要は多くない。派手なブラジャーも持っていない。だから、私は今、中学生の時から愛用しているジュニアブラジャーを着けているはず。体操着やワイシャツからはっきりと透けるのが嫌なので、白いブラジャーしか持っていない。この角度からなら、相川君に見られているかもしれない。
相川君の視線は変わっていないはず。もしかしたら、見られているかもしれないと感じた。視線を上げるのが怖い。でも、この怖いは、見られている事に対しての怖さではない。自分の中の何かに気付きそうな怖さだった。
(見せてみたい――)
そう思うと、綿抜夏帆という画数がそれなりに多い文字は集中して書くと時間を稼げる。不自然にならないよう、丁寧に時間をかけて書き終わると、一枚目のコピーを取り終わって戻ってきた桜井さんに二枚目の同意書を渡した。桜井さんは、こちらもコピーを取るために、再び複写機の方へ戻る。相川君の方に視線を移すと、爽やかな笑顔で私に話しかけた。
「ありがとうございました。では、まとまった段階で、一度連絡をします」
「はい、お願いします」
二枚目の同意書のコピーを受け取り、生徒会室を後にした。
夕方になると、少し日は傾き、日陰も多くなった帰り道は、朝と比べて歩きやすくなっていた。しかし、私の顔はお日様に照らされたように火照っていた。胸も激しく高鳴っている。
恥ずかしい。見られてしまったかもしれない。いや、自ら見せたのだと思う。
そして、この胸の高鳴りはなんだろう。恥ずかしいという気持ちとは少し違っていた。
あの7月の終業式の日。宮下さんのパンツを見てしまった日から、恥ずかしいという気持ちは何だろうと考えるようになった。
そして、その気持ちに高揚している自分に戸惑いを覚えていた。
しかし、今日少し確信があった。
私は、私の恥ずかしいを見せたい。
でも、多くの人に見られたくはない。
宮下さんのように、不特定多数の人に見られてしまうような危険性は避けたかった。
百花の様に同性の前で堂々と着替える事も違う。
異性に見せてみたい。
だからついさっき、男子が相川君しかいない環境の中で、私の好奇心がついに働いてしまった。
ひょっとしたら、私に隙があって、これまでも誰かに私の下着を見られていた可能性があるかもしれない。しかし、もしそのような場面があったとしても、そのことを思い出して高揚する事は無い。
そもそも、私は友達が少ない。男子と話をする機会もほぼ無い。恋愛に興味が無いわけではないが、それを意識するような相手と出会った事が無いと思う。だから、相川君という男子と話すというのは稀な機会だった。この機会を活かしたいと瞬時に思った。
相川君なら、私のブラジャーを見てしまったという事を誰かに話す事は無いだろうと思った。それは、隣で胸元が空いている桜井さんの方を一切見なかったからだ。硬そうな印象と、余計な事を話さない印象が今日の生徒会室のわずかな時間の中で感じられた。
だから、行動に移してしまった。私の恥ずかしいを見せたい。そして見せたはず。達成感のようなものもあるこの感覚にまだ戸惑いを覚えている。




