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性壁  作者: 香椎 結月


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エピローグ

 国立大学の敷地は通っていた高校の10倍はあろうかという広さだ。

 多くの建物と設備、緑に囲まれた様々な運動場、そして個性豊かに見える学生たちで、講義の有無にかかわらず、いつも賑わいを見せている。特に講義が終わった直後は、講義室から学生が一斉に出てくるため、まるで朝の駅の通勤・通学の時間帯の様に人混みで溢れる。

 私も今はこの溢れ出ている人たちの一人だ。文学部の必修科目の一つである4限の日本文学史が終わり、直ぐに講義室から出ると、大学のほぼ中心にある学食を目指す。しかし、この人混みの中では速く歩くことは出来ない。多くの学生がこの4限で1日の講義が終わることもあり、帰路に就くために最寄り駅に近い門へ吸い込まれるように歩いている。

 その流れに逆行するように進まなければならないのだから、余計に速く歩くことは出来ない。

 致し方ないので、少しだけ遠回りをすることにした。数か月通っていると、この広い敷地内の構造も覚えた。この道の方が安全で、快適に歩けるだろうという場所を選んで進むことにした。


 歩きながら頭の中で今日の講義の復習を始める事にした。

 4限の一つ前に受けた3限の講義は一般教養科目のジェンダー論だった。単行本の様な厚みのある教科書も既に読み終わり、今日の講義内容もノートに書き尽くしていたが、歩きながら教科書やノートを読むのは困難であるため、便利なスマホの検索機能に頼ることにした。今日の内容は性癖にまで話が及んだ。大学の講義は面白い。こうした点まで深く掘り下げてくれる。

 そこで『ジェンダー論 性癖』と検索をかけてみる。

『ジェンダー論は「社会・文化」が個人に与える影響、例えば男性らしさや女性らしさを探求する科目。一方の性癖は「個人の内面や身体」。例えば、誰に惹かれるか、どんな性行為を好むかを探求する。両者は性の多様性という大きな枠組みの中で関連しつつも、分析する視点が異なる。ジェンダー論は性差による不平等をなくし多様性を認め合うことを目指し、性癖(せいへき)(セクシュアリティ)は個人の自由なあり方を尊重する』

 以上の内容を検索では提示してくれた。講義でも同じような内容だった。残念ながら新たな発見は無かったが、もう少し性癖という部分について調べてみる。

『性癖は個人の内面における自由な部分であり、他人に迷惑をかけたり、法に触れたりしない限り、尊重されるべきプライバシーの一部である』

 つまり、私の性癖は自由である。迷惑をかけた事もなければ、法に触れた事もない。そのため尊重されるべきプライバシーの一部だと言える。

 なるほど。しかし、私における性癖は、特殊なものだと感じている。

 性という字は「さが」とも読む。「さが」とは、うまれつき。性質。と読める。

 癖という字は、かたまった習性。かたよった好み。と読める。

 この2つの単語を合わせて性癖という言葉が生まれる。

 しかし、この癖は、私にとっては「うまれつき」持っていたかもしれない「かたまった習性」や「かたよった好み」が更に高くなったような壁であるように感じている。とてもとても高い壁。そして、誰にも合わさる事のない歪な壁。

 壁という字は「へき」とも読める。よって、私にとっての性癖は性壁(せいへき)と言えるのかもしれない。


 そうした考えに耽っていると、いつの間にか学食の近くにまで来ていた。

 学食の前のスペースには幾つかのテーブルとイスが置いてある。

 ここが私たちの待ち合わせ場所。

 学部は違う。一緒に受ける講義も少ない。だけど、同じキャンパスの中にいる。これだけで幸せな事だった。

 学食の前まで歩いていくと彼の方が先に気付いた。

「夏帆」

「大智くん、お待たせ」

 一日の中で最も心地よい瞬間が訪れた。


 花火大会の後も勉強を一緒に行った。

 あの時の事も忘れるぐらい、お互い勉強に没頭した。

 そして、二人とも無事に第一志望の国立大学に合格した。

 学部は違う。でも、同じ大学に通う。

 これだけで嬉しかった。


 合格後、数日経ってから、帰り道で告白をされた。

「あの花火大会の後、自分の気持ちに気付いた。好きだ。僕と付き合ってください」

 人生で初めて告白されたので、よく覚えていないが迷わずに「はい」と伝えた。


 それからは名前で呼び合うようになった。

 相川君は私のことを夏帆と呼び、私は相川君を大智くんと呼ぶようになった。


 百花に話すと「今さらかーい」と少し呆れたように言っていたが、私としては受験が終わって落ち着いたこのタイミングで良かったと思う。そして、これもすべて百花のおかげ。百花を抱きしめて「ありがとう」と少し涙をこぼしながら感謝を伝えた。

 百花はすごく戸惑っていたが、小さい体で私をさらに強く抱きしめて、優しく頭を撫でてくれた。

「夏帆、よく頑張ったね」

 そう言われて更に泣いてしまった。同時に、豊満な胸の弾力を改めて感じてしまった。

 百花からしてみれば花火大会をセッティングしたに過ぎないと思っている。でも、百花があのトイレで着替えてくれたから、チャンスだよと言ってくれたから、勢いと言ってくれたから、私も行動に移すことが出来た。

 百花は私にとってかけがえのない親友。通う大学は遠く離れてしまったけど、今でも欠かさず連絡を取っている。夏休みに入ったら、一旦帰ってくると言っていたので、その日が既に待ち遠しい。


 そして、大学に入ってしばらくして、大智くんと初めて体を重ねた。

 私は実家から通っているが、大智くんは一人暮らしを始めた。実家から通えない距離ではないが、理工学部は実験や課題が多くあるので、勉強に集中するために大学の近くに住みたい旨を両親に伝えたところ、難なく了承してくれたらしい。

 その大智くんの家で初めてを経験した。

 そのときに確信した。

 正常な形だけでは上手くできない。

 だから、あの花火大会の時のように恥ずかしい素振りをしてみた。大智くんの体はそれに素早く応えた。


 私たちの性癖はお互いに歪んでいるはずだ。

 それは、まるで壁の様に高く、歪な形をしている。

 決して誰も越えられない壁。そして複雑な形。誰とも合わさる事が無いままだったかもしれない。それが、偶然が重なって、見事に合致した。


『女性として生を受けた者は、女性特有の恥ずかしさから身を守らなければならない』


 ジェンダー論の授業で自分が書いたレポートの題名を思い出した。

 その恥ずかしさを唯一届ける事の出来る人が私の運命の相手だった。

 これからもずっと、大智くんしかいない。

「じゃあ帰ろうか」

 大智くんがイスから立ち上がって私に声を掛けた。あの時と同じように大智くんの左手を私の右手でギュっと握りしめた。

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