6.0
つい少し前まで桜の花びらが舞う中を歩いていたと思っていたのに、少し上を見上げると、あっというまに葉桜へと変わっていた。夏の到来を感じさせる日差しを浴びながら百花との帰り道を楽しんでいた。
春は出会いの季節と言われるが、2年生から3年生に進級する際はクラス替えが行われない。受験勉強に専念するために、クラスを替えることで人間関係をまた一から構築する事で精神的な負担とならないような配慮を行っているらしい。新しい人間関係をつくるよりも、進学実績を上げる事の方が学校にとっては大切だという事が感じられる。
百花は5月の大会で引退となった。県大会には残念ながら進出できなかった。柳本君も100mを11秒台後半で走ったそうだが、こちらも県大会には出場できなかったそうだ。今年も陸上競技部から県大会に進んだ部員はいないと聞いていた。
そのため、陸上競技部の3年生たちは他の部活動よりも一足早く全員引退した。受験勉強に専念する期間に突入するが、百花からはあまり緊張感が伝わってこない。それというのも、大学の陸上競技部から推薦のお話があったらしい。
何故声がかかったのかを聞いてみると、大学では男女問わず陸上競技の長距離種目が非常に注目を集めているそうだ。男子はお正月の駅伝などを目にするが、近年は女子の駅伝も非常に人気が高まっているらしい。しかしその反面、女子は大学生になると陸上競技を辞めてしまう選手が多いらしい。それに伴い長距離を志す選手も減少傾向にあるということだ。また、強い選手は都心部に集まり、地方の大学は選手を集めるところから苦労するため、地方の大学関係者は全国各地で行われている大会を隈なくチェックしてスカウティングに勤しんでいるようだ。
そして、たまたま地方の大学関係者がいた大会に、たまたま百花が出場しており、顧問の先生を通じて声がかかったらしい。受験勉強をしなくていいと考えた百花は二つ返事で快諾したようだ。
その大学は今住んでいるところから飛行機で行くような距離になる。私が志望校に合格した場合、百花とは遠く離れてしまうことにもなる。初めてできた親友と離れてしまうのは少し悲しい気持ちもあるが、夢に向かって前進する姿はかっこいいと思う。たとえ距離は離れても、ずっと百花を応援し続けていきたい。だからこそ、百花と一緒に帰るこの時間も大切にしたい。そう思うと他愛のない会話の一つ一つが、すごく楽しいひと時だと改めて感じるようになった。
そんなひと時を楽しんでいると、百花から何処か心が弾んでいる様子が伝わってくる。もしかしたら……。そう思い聞いてみる事にした。
「そういえば、引退したってことは、もしかして柳本君とは……」
「フフフ」
不敵な笑みで直ぐに気が付いた。キスから先に進展している。これを私に聞いてほしかったのかもしれない。予想はしていた。身近に経験者がいるというのは、私も興味が無いわけではないが、あまり突っ込んで聞くのも失礼かなと思い、控えめに素朴な疑問を聞いた。
「どう……だった」
「いたっ! っていうのが最初の感想」
やっぱり痛いんだ……。
「あと、巨大な松茸が隠されてたよ」
松茸ね……。そのまま百花の話に耳を傾ける。
「もう、こんなの入らないでしょっていう怖さと、だんだん入ってきて、やっぱり痛いじゃん、こんなの気持ちよくないじゃん。最初はそんなのばっかり」
なんで、その行為をするのか分からなくなった。
「で、入れたら動くから、さらに痛くて『いやっ』とか『やだっ』っていうんだけど、それに柳本も興奮して、やめてくんないの」
周りに聞かれないように声のボリュームは抑えているが、かなり興奮した様子で百花は話し続ける。
「でも、段々慣れてきて、一つになってるのが、ちょっと嬉しくなってきた。そしたら、ちょっと痛みが消えて、私で気持ち良くなってくれるんだって思ったら、急に愛おしくなって手も足も彼の体に密着したら、すごく幸せな気分になれたな」
百花の話を聞いただけでは、まだ分からない部分はあるし、もう少し聞いてみたいこともあるけど、幸せそうな表情を見て、十分かなと思った。でも、想像したのは柳本君ではない。もし相川君だったら……。
「相川君とはどうなの?」
心を読まれたような気がした。
「えっ、どうなの……って言われても、勉強は図書室で一緒に行うけど……」
やれやれといった感じで両手を上げた。
「もう。前にチャンスだよって言ったでしょ。夏帆は相川君のこと好きなんだよ。絶対。好きじゃなきゃ一緒に勉強なんてしない。相川君の方だってそう。男だってそういうもんだよ」
「でも、勉強から、その先の会話に進んだことないよ……。昔の思い出話ぐらいはするけど、一緒に遊んだこともないし……」
「どっちも奥手なんだから」
そう言いながら百花は何かを思いついたようだ。ブレザーのポケットからスマホを取り出し、何かを調べたと思ったら、その画面を見せてきた。
「7月に花火大会あるじゃん」
「うん。去年一緒に行ったよね」
「今年も行こう。そして相川君を誘おう」
えっ? えっ? と困惑していると、百花は「ちょっと落ち着きなさい」と言ってから話を続けた。
「私が夏帆を今誘いました。夏帆が相川君を誘うのは無理だろうから、柳本に相川君を誘ってもらいます」
「相川君が断ったら……」
「その時は別の方法を考えればいいのよ!」
翌日の放課後の帰り道。今日も相川君は生徒会の仕事があるため、百花と一緒に帰っていると、満面の笑みで百花が話しかける。
「柳本から連絡きたよ。相川君OKだって!」
「あっうん、ありがとう」
「でもね、柳本は7月末に父方の実家へ帰省します。そのため、私たちは都合によりキャンセルします。あとはお二人で楽しんでください!」
あっ、やられたと思った。そういえば、昨年も柳本君は7月末に帰省すると百花は言っていた。だから私を花火大会に誘ってくれた。そのことをすっかりと忘れていた。
「二人きりで何すればいいの……」
「まったくもう、そこからですか」
まるで小学校の遠足の行程を確かめるように事細かに手順を教えてくれた。忘れないようにスマホに一生懸命メモを取った。
まずは待ち合わせの時間と場所を確認する。当たり前だが遅刻はしない事。遅れそうになったり迷ったりしたら必ず連絡をする事。
会話をちゃんとする。普段、図書室で話しているような内容で良いから、無言で終わらせない。スマホばかり見ない。自分の話ばかりしない。相手の意見も聞く。
服装も決める。花火大会は浴衣が良い。男は浴衣に弱いと言っていたが、これは百花の偏見みたいなものもあるかもしれない。
食事はどうするか。屋台で買うか、駅の近くのコンビニで買うか決めておく。混みあうから早めに決めておくように。
一番大事なのはプランを話し合う。花火をどこで見るか。大勢の観客が賑わっている雰囲気の中で見るか、少し離れた場所で落ち着いて見るか。初めましての相手ではなく、普段から勉強を一緒にしている相手なのだから、話し合えるはず。こうしたプランを考える事も楽しいらしい。
そこまで話してから、最後に百花が付け加えた。
「あとは勢い!」
「勢い?」
「そう。良い雰囲気になったら押してみて! 恋愛は駆け引き。引いてばっかりだと、相手は振り向いてくれないよ」
その日の夕方。全ての助言のメモを見ながら、読み込んだり考えたりしていたが、最後の勢いで押してみるという部分の想像が出来ない。一人でスマホの画面を睨むように見ているとメッセージが来た。相川君だ。通知が来た時点で花火大会の事だと直ぐに思った。
『柳本に花火大会を誘われたんだけど、綿抜知ってる?』
『うん、私も百花に誘われた』
『向こうから誘ったのに、急に二人とも都合が悪くなったみたいで、僕と綿抜の二人で行くみたいな流れになってるけど、それでも良い?』
『良いよ!』
百花の言う勢いを少し意識してメッセージを送ってみた。これが勢いで押したことになるのかは疑問だ。
その後、相川君から、待ち合わせ場所や当日の事など、詳しい事はまた改めて図書室で話そうというメッセージのやり取りをした。確かにプランをこれから考えるのは少し楽しそうに感じた。
メッセージのやり取りをしたものの、私の心は揺れていた。百花たちの策略で私と相川君の二人で花火大会に行く事に相川君は喜んでいるのだろうか。流れで仕方なく行く事になっていないだろうか。言いようのない不安が頭の中を支配しながら、家族そろっての夕食を食べていると、お母さんが話しかけてきた。
「夏帆、そろそろ誕生日ね。何か欲しいものとかある?」
6月に18歳の誕生日を迎える。
「あ、そんな時期か。相川君と7月の花火大会に行くから浴衣が欲しいな」
その瞬間、食卓が静まり返った。
しまった。
なぜ相川君という言葉を出してしまったのか。ついさっき相川君とメッセージのやり取りをした影響で、つい言葉に出てしまった。普通に「花火大会に行くから浴衣が欲しいな」でよかったのに。ここで言う場面ではなかったと気付いた時には手遅れだ。お母さんと妹は好奇の眼差しを向ける。お父さんは黙っている。
「あいかわ君ってだーれ?」
すごくにやにやした目つきでしずくが聞いてきた。
「あっ、あの去年の文化祭で、しずくがお世話になった男子がいたでしょ。その人だけど覚えてる」
「うん、覚えてるよ。あのまじめそうなイケメンのお兄さんだよね! お姉ちゃんつきあってるの?」
「へっ? いや、いや、あの、今、放課後に勉強を一緒にしてるの。その息抜きも兼ねてって事で、そんな話になっただけ……」
適当な言い訳になった。挙動不審になっているのが自分でも分かる。しずくのにやにやは止まらない。
今まで私は男子とお出掛けするような子ではないと思っていたであろうお母さんも、すごくにやにやして、話に乗っかってきた。
「可愛い浴衣を買ってあげるわよ! 良いでしょ、お父さん」
お父さんは何か言いたげにしていたが、口には出さず黙って頷いた。
「じゃあ決まりね。さっそく週末にでも買いに行きましょう」
浴衣を着るのは何年ぶりだろうか。小さい頃に着たような覚えもあるが着心地などは忘れてしまった。大型商業施設の試着室内にある姿見で自分の浴衣姿を見ても昔の事は思い出せない。
浴衣を日常的に着ていた江戸時代にはパンツが存在しなかった。浴衣は湯上り着や、暑い夏の寝巻き着、今でいうパジャマのようなものであり、そのまま地肌に着用するのが一般的だったと言われている。そこから、浴衣の下には下着を着けないという言葉が独り歩きしてしまっているようだ。
現代は違う。浴衣の下に下着は着けるし、浴衣専用の肌着というものも着用する。肌着を着用すれば下着が透けて見えてしまうような事も少ない。胸元が大きく開くこともない。足を大きく開かない限りパンツが見えてしまうようなこともない。恥ずかしさを届ける事など出来ないと感じた。
それでも、現代はお祭りや花火大会の様な特別な日にしか着ない浴衣を見ると華やかな雰囲気は生まれるかもしれない。
恋愛小説であれば、綺麗な花火を一緒に見てロマンチックな雰囲気となり、男女の関係に――なんて私たちはならないだろう。
大学生であれば、どちらかが一人暮らしをしていて、その家に二人で駆け込み、そのまま性行為に発展するなんていう話もあるが、高校生の私たちは当然のように二人とも実家暮らし。性行為を行う場所などない。
若しくは、告白をするとする。何を告白すればいいのだろうか。今は相川君の事が「好き」と自信を持って言えない。私の恥ずかしいを見てほしいと告げたところで、引かれるだけだ。言えない。誰にも言えない。言ってはならない。
「お姉ちゃん、まだー」
すぐ外にいるしずくの声で現実に引き戻された。
「待たせちゃってごめんね、あともう一着だけ試着させて」
「はーい」
三着試着してみて、最初に着た白地にピンクの牡丹柄の浴衣を選んだ。誕生日プレゼントなので、当然お母さんが支払ってくれた。浴衣に合うサンダルと巾着まで買ってくれた。支払いを終えると、お母さんが「じゃ頑張りなさい」と呟くように告げた。お母さんにとっては何気ない一言だったと思うが、私は少し衝撃を受けた。
勉強は小さい頃からまずまず出来たし進んで勉強をしていた。勉強をしなさいと言われたこともない。運動は小さい頃から苦手だったので私の運動能力に関しては家族全員が諦めている。だから「頑張れ」というような言葉は初めて言われたような気がする。お母さんとしては私の事を応援してくれているのかもしれない。
自宅に帰ってからも、考えてしまった。百花たちが機会をくれた。お母さんは応援してくれている。相川君も花火大会に行く事に同意してくれた。全てがお膳立てされている。
し かし、この機会をどうやって活かせばいいのだろう。どう頑張ればいいのだろう。想像が出来ない。
でも、考えよう。下着を見られる事や、おしっこの音を聞かれる事だけが、私の恥ずかしさではないはず。もっと、もっと、純粋に、まだ行っていない事が恥ずかしいと感じるかもしれない。
百花は行為をした。ここが恋人との最高到達点として考えてみよう。一昔前の恋愛小説を読んでいると、恋愛のABCという言葉を目にすることがある。Aはキス。Bは愛撫。Cは性交。このどれもが無理だと思う。そもそも恋人関係ではない。従って、この行為は全て除外する事にした。
そうなると、街中でよく見かける恋人たちの姿を想像してみる。腕を組んで歩く。これも大胆に感じる。無理だ。
手を繋いで歩く。これが無難かもしれない。駅前は行きより帰りの方が混む。花火大会終了と同時に観客たちが一斉に駅へと向かうからだ。その時に、はぐれないようにさり気なく手を繋ぐ。誰かに見られるかもしれない。手を繋ぐ場所を間違えてしまえば不特定多数の人に手を繋いでいる場面を見られてしまうかもしれない。だから、本当に大勢の人がいる時にだけ私から手を繋ぐ。相川君には「はぐれないようにお願い」と訴えれば分かってくれるかもしれない。混雑している中で多くの人たちは私たちの手に視線を移す事もないだろう。
でも、一緒にお出掛けをしてまで行いたいことなのかと問われると違う。
駄目だ。思考力が甘い。私の思考がここから先に進まない。
そもそも、相川君は私の事をどう思っているのだろう。百花の言う通り私に好意があるのに奥手だから何もしてこなかったのか。それとも、単に勉強仲間だから、友だちの一人として百花たちの策略に付き合ってくれているだけなのだろうか。
でも、一つだけ確かな事がある。相川君は私だけを見てくれている。いつも私だけを。だから、相川君だけに私の恥ずかしいを届けることが出来た。これを信じてみようと思う。私だけを見てくれていること。花火大会という普段とは雰囲気の異なる場所で何かが起こった時、それを最大限活かしてみようと思う。




