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性壁  作者: 香椎 結月


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10/16

5.0

 この季節の朝はまだ暗い。朝日を浴びて起きる事はなく、枕の横に充電をしながら置いてあるスマホのアラームで目が覚めた。

 朝6時。いつも通り、台所にいるお母さんに軽く挨拶をしてから、お父さんより早くトイレに入り、小用を足しながら膝元に下ろしたパンツを確認した。

 私は今、真っ白い無地の綿のパンツを履いている。

 数日前から、今日この日は、この上に黒パンを履かないと決めていた。こんなことはいつ以来だろうか。

 

 小学6年生の春ごろに初潮が訪れた。学校の授業でも習い、お母さんからも「そろそろかもね」と言われ、周りの女子も何人かは初潮を迎えたという声を聞いた。心の準備は何となくしていたが、実際に訪れた時は、トイレに入って少しお腹を壊したかなと思った程度だった。しかし、いつもとは少し違う場所から、何かが流れた感触があった。足を開いて覗き込むと、封水は真っ赤に染まっていた。あの時の衝撃は忘れることが出来ない。

 それ以来、生理用のパンツを履いている機会が増えた。生理用のパンツを見られたくないので、ずっと短パンか黒パンを履いていた。生理周期も安定していなかったこともあり、不安な気持ちもあった。

 しかし、高校に入学したころから、生理周期は概ね安定するようになった。それでも、短パンか黒パンを履いて生活する流れを変える事は無かった。


 外に出ると朝陽がともて眩しく感じるが空気はひんやりとしている。北風は、あまり強くなかった。

 三学期の始業式の今日、ペンケースと通知表を入れてあるファイル、万が一の時のためのサニタリーポーチだけしか入っていない通学用のリュックは非常に軽い。

 普段のリュックは重い。教科書・ノート・参考書を背負うとそれだけで疲労を感じるが、この重さはスカートのお尻の部分を抑える事になり、万が一突風が吹いても、後ろ側のケアをする必要性はなく、前の部分が捲れぬように気をつければいい。

 しかし、リュックが軽いと、突風が吹いた時に、お尻の辺りでスカートの後ろを抑えられないかもしれない。風と一緒にリュックとスカートが巻き上がってしまうかもしれない。そうなると、前後のケアが必要になると思っていたが、これぐらいの風であればスカートが捲れてしまう心配もない。

 少し安心したのも束の間。今日これからの行動を考えると、どうしても顔が紅潮しそうになる。その顔を今履いているパンツと同じぐらい真っ白なカシミヤのマフラーへ埋めるように歩いた。

 

 学校の正門に着くと、風紀委員会と生徒会役員が服装検査をしている。

 靴下を間違えていない事は朝確認している。

 正門に入る前に相川君に視線を送り軽く首を下げた。相川君も軽く頷いた。

 教室に入り、自分の席に向かいながら、リュックを下ろして、机の横に掛けた。授業のある日は、いったん机の上に置いて、教科書やノートを机の中にしまってから机の横にあるフックにリュックを掛けないと、机が傾いてしまう時がある。

 今日の軽さであれば重みで机が傾きそうになる心配もない。

 集中するのは席に座る時。誰かに見られてしまう可能性がある。不自然に丁寧な姿になりすぎぬよう、スカートの真ん中を両足で少し挟んでから、スカートの後ろを抑えて席に座った。

 ブレザーの右ポケットからスマホを取り出す。インカメラの画面にして、前髪を気にする素振りを見せながら、顔が紅潮していない事を確認してからマフラーを外した。横に掛けたリュックにマフラーを入れるのとあわせて文庫本を取り出した。雑念を入れず、出来るだけ物語の中に没頭できるような作品を選んだ。桜井さんが以前勧めていたミステリーの本をお年玉で購入していた。

 登場人物の多いミステリー作品は、まず冒頭に出てくる登場人物を覚えていく事に頭を使う。この人間関係を理解していないと、後半に訪れる謎解きの面白さが薄れてしまう。ページをめくりながら、時には少しページを戻しながら、舞台の光景を頭の中で描くように集中して読み進めた。

「夏帆、あけおめ! 今日は寒いね~」

 いつも通りの百花の声がした。少し安心した。当たり前だが、何も気付かれていない。栞を挟んで文庫本を閉じた。百花との他愛のない会話で時間が流れていく。


 三学期の始業式。校歌斉唱が終わった。

「それでは、腰を下ろしてください」

 司会の相川君が合図を出す。ここで腰を下ろす時も最大限気をつけた。

(相川君……)

 腰を下ろした後、演台の方を見ると少し目が合った気がした。文化祭の後、1回か2回で終わると思っていた一緒に勉強を行う時間は、お互いの都合がつけば、毎週のように勉強をするようになった。

 学校の図書室の空いている席を探して、左側に相川君、右側に私が座る。相川君が左利きで、私が右利き。自然とこのような座り方になった。

 放課後は百花と一緒に帰る日もあれば、相川君も生徒会の活動がある。

 決して強制される時間ではない。それでも、毎週一度は必ず行うようになり、いつしか当たり前の時間になっていた。

 お互いの少し苦手な科目を教えあったり、得意な科目を深く学ぶように考える日もある。勉強に少し疲れた合間には、昔話もした。進路についても話をした。

 小さい頃から、ずっと同じ地域で過ごしていたのに、なんで今まで話してこなかったのかが不思議だった。

 そして、百花とはまた異なる波長が合う事を感じていた。

 しかし、波長が合うと勝手に思っているのは私だけかもしれない。

私のことなんか気にしていないかもしれない。

 でも、相川君になら――。


 始業式の後、教室で通知表を担任に返却すると、簡単なホームルームが行われた。宮下さんが話している内容も、どこか上の空で聞いていると、いつの間にかホームルーム自体が終わっていた。

「夏帆はもう帰る?」

 百花の声がしたので自席に座ったまま振り返る。

「今日は図書室で勉強するから、今日は一緒に帰れない――」

 続けて「ごめんね」と言おうとしたのを百花が制止するように話し出した。

「だろうと思った。実は私も部活ないんだけど、1月にちょっとしたマラソン大会があるから、学校で走ってから帰ろうって思ってたんだ」

 この百花の言葉は本心なのかは分からない。一緒に帰れるなら帰っていたと思うし、帰れないと分かった場合は、こうするつもりだったように思う。そのまま、さらに私の耳元に屈んで囁いた。

「夏帆チャンスだよ。頑張ってね」

 そう言い残して、百花は教室を後にした。意図は直ぐに分かった。私もそう思っている。でも、お互いが思っているチャンスの意味は少し違う。言えない。とても言えない。


 教室でお昼ご飯を食べてから図書室に入ると、年が明けて、いよいよ受験というものを身近に感じてきた生徒が多いこともあってか、図書室は静かな賑わいを見せている。空いている席が無いかもしれないという不安が少しよぎったが、直ぐに相川君を見つけることが出来た。右側の席に荷物を置いて席を確保してくれている。私が近づくと直ぐに気が付いて、荷物を移動させて席を空けてくれたので控えめに「ありがとう」と言いながら軽く会釈をして座った。

 私は普段通り読む事を中心に勉強を進めた。まずは教科書を読み、疑問に感じた事をいつものようにノートにメモ書きとして書く。次は参考書や資料集を見る。そして読む。教科書の該当ページに合わせた部分を読み進めると、少し疑問が解決した。これもノートに書き記す。

 相川君は生徒会室で使っていたノートパソコンを、図書室でも使用している。軽いタッチでキーボードを打つ音は全く不快感が無い。時折、重要そうな単語を教科に関わらずノートに書きこんでいる。

 それぞれの勉強方法が異なるので、一見すると全く気の合わない勉強仲間に見えるかもしれない。しかし、お互いの長所と短所は理解している。私の場合、書いていない、読む事の出来ない情報をつかむことが苦手だ。そんな時に相川君にお願いして、パソコンで調べてもらう。スマホを操作するよりも、相川君のキーボード操作の方が速いパソコンでの作業は直ぐに目的の部分に達することが出来る。大変有難く感じている。

 一方で、相川君の方は、資料を見つけるのは上手いし、色々な事をよく覚えているが、それを授業内容に結びつけるのが少し苦手なようだった。そのため、私は「この部分に、こう記してあるから、こういう風に読み解くと結びつかないかな?」といった話をする。合点がいくようで、いつも感謝されている。

 長所と短所を補う事が出来るこんな関係だからこそ、勉強が上手く行えている。とても心地よい時間に感じる。勉強とはずっと一人で行うものだと思っていた。教えあう事や、話し合う事はあっても、最終的にテストは自分自身の力で解かなければならない。そのためには、自室に籠って勉強をすることが学力の向上に繋がると信じていた。

 しかし、相川君と勉強をするようになってから、私の中の常識が少し変わった。長所を活かし短所を補うという関係性がつくられると、勉強の効率は飛躍的に上がっているように感じる。すると、普段の授業の範囲内だけではなく、その先の予習、さらには受験に向けた勉強にも時間を使えるようになった。

 こうした心地よい時間は、時間の流れが早く感じる。気が付くと、下校時刻10分前を知らせるチャイムが鳴った。図書室の中にいるのは私たち二人と、受付にいる司書教諭だけであった。こうした事は何回かあったので、特に驚くことは無い。私たちは荷物をまとめて、図書室を後にした。


 図書室の近くにはトイレがある。下校時刻まで少し余裕があるので小用を足すことにした。

「ごめんね、ちょっとお手洗に行くね」

「うん、じゃあここで待ってるよ」

 その言葉に安心して、トイレのドアの近くに通学用のリュックを床に置いた。このトイレには男女ともドアがある。外からおしっこの音が聞こえる事は無いが、今の目的はそこではない。小用を足しながら、改めて黒パンを履いておらず、真っ白い無地の綿のパンツのみ履いている事を確認した。

 個室を出ると、洗面台の鏡の前に立って、手を軽く洗いながら、この後の行動を思い描いた。百花が「チャンスだよ」と言っていた。そう、これは私にとってチャンスが訪れる瞬間。胸が異常なほどに高鳴る。緊張で息が少し苦しくなる。顔は紅潮しそうになるが、何度か深呼吸をして、鏡を見た。いつも通りの顔色をしている。大丈夫。家で何度も練習したんだから大丈夫。


「お待たせしました」

 いつも通りの口調で言葉を発することが出来た。リュックを持ち上げようとしたとき、何かに気付いたように相川君に声を掛ける。

「ごめん、外寒そうだから、ちょっとリュックからマフラー出しても良いかな」

「うん」

 相川君の了承に合わせて、上げようとしたリュックを再び床に置き、リュックの正面を少しだけ左にずれた位置に立ち、両膝を合わせてスカートの後ろを抑えずにしゃがんだ。

 正面にいる相川君の足の位置は変わっていない。視線も変わっていないはず。だから、見えているはずだ。太腿の裏の付け根の辺りに三角形の真っ白い無地の綿のパンツの膨らみが。

 リュックからマフラーを丁寧に取り出して、しゃがんだまま軽く首にかける。その後に、リュックのチャックを締めてから、リュックを背負いながら立ち上がった。

「待たせちゃってごめんね」

「いえいえ」

 相川君の口調は変わらない。図書室の並びと同じように私は右側に並んで歩いた。私は相川君の方を見ずに、歩きながらマフラーを丁寧に首に巻く。

 図書室から下駄箱までは30秒ぐらいで着いた。そして、相川君よりも少し早く外履きに履き替えようとして一歩前に出て相川君を見上げた。出席番号順に並んでいる下駄箱の一番左上が相川君。一番右下が私。1歩前に出るのは不自然ではない。そして、この位置からだと一瞬横顔を見上げることが出来る。相川君の顔が少し紅潮しているように見えた。

 今日はお昼から、ずっと相川君の横顔を見ていたから、この少しの変化に気が付くことが出来た。何か変化が欲しかった。その何かを得た。

 それを確認してから、一足早く外に出た。

「やっぱり寒いね」

 外はすっかりと暗くなり、雪が降り始めてもおかしくないような寒さになっていた。

 寒さを凌ぐようにマフラーに顔を埋めた。私の紅潮が分からないように。実際はあまり寒さも感じていない。私の体は全身が熱くなっている。

 相川君の顔を再び見ると、いつもの顔色に戻っていた。


 私の恥ずかしいを見せてしまった。

 相川君になら――見せるチャンスがあると思った。


 先月頃、図書室に最後まで二人で残っている事が多い事に気が付いた。この機会を活かすしかないと考えていた。しかし、普段は授業がある。黒パンや短パンは履いておきたい。でも、授業が無い今日ような日はチャンスだと思っていた。

 ただ、生理が来てしまうと真っ白い無地の綿のパンツは履けない。しかし、生理周期は安定していた。予定では年末に訪れる。それでも、先月のテスト期間から終業式は少し不安があった。本当に予定通り来るか心配になった。しかし、予定通り年末に生理が訪れた。これで年始からしばらくの間は大丈夫だと思った。

 そう考えると、全てが噛み合うのは、この日しかないと思った。

 自室の姿見の前で姿勢の確認もした。制服のスカートだけを履いて、パンツが見える姿勢を何回も確かめた。両膝を下げてしまうと、スカートで隠れてパンツは見えなくなる。片膝を上げるとパンツは簡単に見えてしまうが、これは恥ずかしいというより、みっともないと感じてしまった。

 その結果、川端さんと同じように、スカートの後ろを抑えずにしゃがみ込むのが最善の策となった。しかし、図書室で勉強していてしゃがむ機会は無い。何かを落として、それを拾えば、その状況はつくれるが、どうしても不自然な光景になることが見えている。自然にしゃがむには、床に置いたリュックから何かを取り出す方法が自然だと感じた。だから、朝つけてきたマフラーをリュックに入れっぱなしにしていた。割と自然に出来た動作だと思っている。


 相川君と途中の道まで一緒に帰ってから分かれた後、気が緩んで、顔がさらに熱くなってきた。緊張が緩んだこともあり息苦しさは無くなったが、呼吸のリズムは少し速くなった。胸の高鳴りが止まらない。

これが恋なのかはよく分からない。

 でも、相川君になら――見せてみたいと思ってしまった。

 帰り道に、また明日も一緒に勉強をする約束をした。明日から授業も始まる。でも、明日からは、いつも通り黒パンか短パンを履こう。そうしないと私の心が持たなそうだった。

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