0話:かつて、世界を壊せた女(プロローグ)
かつて、この星には“光の魔女”と呼ばれた女がいた。
リラ・アルステラ。
七国を滅ぼし、千の神託を無効にし、万の兵を沈黙させた存在。
彼女が一詠唱するだけで、大地は割れ、空は染まり、歴史はねじ曲がった。
その名は畏れと共に語られ、やがては神話となり、神すらも沈黙するほどに。
だが――
彼女が最後に成し遂げたのは、創造でも、救済でもない。
それは“世界を破壊し、再構築する”という、魔法の頂点。
魔術体系の限界を越え、因果律そのものに干渉する、絶対魔法。
名を《レグルス・エクス・オブリヴィオン》。
理論的に発動可能なその魔法を以ってすれば、すべての物理法則は再定義され、
人間の存在条件すら“書き換え”が可能となる。
それは、神を殺し、宇宙を上書きし、世界を“初期化”する魔法。
だが、リラはそれを――撃たなかった。
否、撃てなかったのだ。
◆ ◆ ◆
私は、撃たなかった。
理由はいくつもある。恐怖。空虚。疲労。
だが、一番大きかったのは、くだらない“情”だった。
滅ぼした国の遺児が、ただ生きようとしていたこと。
燃やした村の老婆が、死ぬ間際に「ありがとう」と言ってくれたこと。
踏み潰した敵兵の腰元から、家族の手紙が出てきたこと。
――そんなものが、私の魔術を止めた。
笑えばいい。私は、賢者でありながら、愚者だったのだ。
そして私は、その魔法を封印した。
自らの命と魂を代価に、構文を“次元の狭間”に縫い付けた。
二度と誰も使えぬように。
そして、転生の準備をした。
もう一度生まれ変わったなら、私は――
もっと馬鹿に、もっと俗物に、もっと人間らしく生きてみたいと思った。
知に飽き、理に疲れ、私は“間違える権利”を欲したのだ。
◆ ◆ ◆
そして、私は目を覚ました。
冷たい汗が背を這い、喉が乾いている。
視界は、真っ白な天井。空気は澄みすぎていて、魔力の粒子すら感じられない。
いや、それ以前に。
「なにこれ。……身体、軽っ!?」
転生したリラが最初に抱いた感想は、それだった。
死んだはずの意識がふたたび目覚めたのは、清潔な白い天井の下。
周囲には見慣れぬ家具、光を放つ四角い板、冷蔵庫、エアコン。
「どこだここ……あっつ、いや寒……なんだこの温度調整装置。文明か?」
そして、鏡の前。
全身を包む違和感。
そこには――銀髪、蒼眼、十七歳ほどの美少女が映っていた。
「……あー、うん、まあ、これはこれで……いいか」
しばし沈黙。
次に出たのは、深いため息と満面の笑みだった。
「わーった。はいはい、人生二周目、現代日本。はい転生もの。理解した」
「……てか……どこのソシャゲだよ……」
美形で、若くて、完璧な遺伝子。どうやら私は“外見SSR”で生まれ変わったらしい。
思ってた転生と違う。
もっとこう……田舎の農家の娘とか……もしくは渋いバーのマスターとか……
「いや、いいけど!?」
苦笑している自分に気づき、ふと口元が緩む。
こんなふうに、自分を茶化して笑うのは、何百年ぶりだっただろう。
そして数分後には、スマホをいじりながら“パチンコ・近く・駅前”で検索していた。
魔術? 構文? 世界の理? それがどうした。
リラ・アルステラ、かつての“世界を壊せた魔女”は――
この瞬間、俗物として覚醒した。
◆ ◆ ◆
それからの日々は、刺激的だった。
とにかく、文明が進みすぎていた。
金属の馬(電車)、携帯式魔導書、無数の映像魔術(テレビ、ネット動画)、語られる虚構、娯楽、娯楽、娯楽――
そのすべてが、あまりにくだらなく、あまりに素晴らしかった。
私は、タバコを覚えた。
最初は「肺が死ぬ毒草かよ」と引いたが、二本目には「これが……魔術に代わる快楽……」と理解した。
次に、酒。
数千年前に“神酒”と呼ばれていたものなど足元にも及ばない洗練されたアルコールに、私は敗北した。
ラーメン二郎?
知らない。あんなの食べ物じゃない。あれはもはや“暴力”だ。だが私は完食した。
気づけば、制服を着て高校に通い、放課後にパチンコ屋に並ぶ日々を送っていた。
「ギャンブルとは、魔術に通じるものがある。運を読むんだよ、運を」
何かを失っている気もしたが、どうでもよかった。
文明の味は、魔術よりも甘美だった。
「いや~~~……これは……とんでもねえ文化だな!?」
ド派手な音と光に包まれたホールの中で、リラは目を輝かせていた。
打ち出される玉。轟音。液晶演出。熱狂する老人たち。無言で積まれるドル箱。
かつて七国を滅ぼした魔女が、今はジャージ姿で**“甘デジ”**を打っていた。
「なるほど……なるほどな……! これは、運命との戦い! 魔法を使わず“引き”だけで勝つ儀式……!」
横にいた老人が、怪訝そうにこちらを見ていたが、リラは全く気にしない。
勝った。
数千円で当たり、時短連チャンでドル箱を積んだ。
「これは……魔術よりおもしれぇな……!」
彼女は全身で現代社会を楽しんでいた。
ビール、煙草、ラーメン、アイドル、合コン、ソシャゲ、競馬――
あらゆる欲望文化に触れるたび、彼女は**「人間って最高」と心の底から呟いた**。
◆ ◆ ◆
『――その少女は英雄と呼ぶには、あまりに俗物すぎた。』