猫の願いと人の想い
──トン トン トン
「……失礼します、ご注文の品をお持ちしました。戸を開けてもよろしいでしょうか」
「あっ……はーい、いいわよー! 旦那様ありがとうね。立ちますよっとと……ほいっ。はーい」
シェイクスピアは吾輩を膝から下ろした後立ち上がり襖を開けた。
もう少しあのままでいたかったが食い物と奴を立ったまま待たせるわけにはいかんから致し方がない。
「はーい、おまたせしましたー。ご注文の粉物改めお好み焼きでございます。そして師匠にはいつものこれですね」
そこには湯気立ち昇る食べ物と何やら深めの器に入った汁物のような物が運ばれてきた。
「旦那様、前失礼します。こちらの右手の方にありますはお好み焼き、海の市場で仕入れた海鮮類を多く入れておりここらでは食べれないものをふんだんに使用しております」
お盆から粉物、ではないな。お好み焼きを下ろしながら食い物の説明が入る。
一度見たことがある物もあるが説明をするのはここらでは中々に珍しいな。律儀なのはいいことだ。
「これは知っておるぞ。あの店で食うたからな。こんなはようにもう一度食えるとは思わなかったな」
「おぉ! あの店のお好み焼きは召し上がられたことがあるのですね! このお好み焼きは大将が1から作り出した自慢の品でして初めて来ていただいた方には必ずオススメするほどのものなのです」
「あぁ、それで進められてな。それで中々あの味が忘れられなくてな。今この有様よ」
「あら珍しいわね。旦那様が盗るのではなくてちゃんと店に入って食べるなんて」
「失礼な! 吾輩だって入るなと示されておるところに無理やり入ったりはせんわ」
「それっていつもは盗ってるってことになりませんこと?」
「ちゃんと対価は支払ってるし人の子の姿で入っておるぞ」
そんなことを話しておるうちにシートンが静かになっていた。
その方を見てみるとシートンが考え事をしているかのように手を顎に添えている。
少しすればシートンが口を開く。
「……無理やり? 何か店にありましたか?」
口を開けばとんちんかんなことを申しておった。あれはあやつらが頼んだものではないのか。
「何を言っておる。あの店には縄張りが敷かれておったではないか? あれはそんじょそこらの使い魔どころの騒ぎではない何か、最低でも神の使い、もしくは……神本人が憑いておるかもしれんのぉ。くっくっく……良かったのぉ。あれは中々くたばらんぞ。数十世代は安泰だ」
そういうとシートンは目を大きく開き驚いたような表情を見せる。だがその表情の裏には少し安心したかのような気持ちも見え隠れしておる。
だがやはりこやつには何も聞かされていないようだな。もしくはその大将とやらも知らなかったかのどちらかか。
(まぁ秘伝の技を教わる当たりこやつの地位はかなり高かったようだから後者の方が正しそうだ)
「えっ……あのもう少し詳しくお話してくれませ『さてそろそろ食わんと飯が冷めるぞ』……そうですね。申し訳ありません。失礼しました。それではごゆっくり……」
──トッ……
「うむ、まだ店としての顔と知人に対しての顔が使い分けれおらんな。いやこれは吾輩が深いところまで話しすぎたのが悪いか」
「それは……いえ、それはあの子がまだまだなだけです。あんなこと言われたら気になるということはしょうがないこと。そう言えばそれまでですが商人としては三流。商いをする者としては少し目に余る。全く後でしっかり話しておくべきだな……。それはそうとしてそろそろいただきましょう! あの子の腕はたしかですよ」
確かにこやつとあやつでは切り替えの早さだけでなくいかに客を不快にさせないかを考えて行動しておる。
あやつは立ち去る時少しこちらに未練あるような雰囲気を隠しきれてなかったがこやつは一気に気持ちを断ち切り何事もなかったかのように振る舞う。
人によっては少し不気味にも思われるだろう。だが商いを扱う者にとっては気持ちを悟らせない為に使っているのだろう。
「旦那様? どうしましたか?」
「いや何でもない。そろそろ食べようか。では」
──パクッ
「あちっ……だがやはり美味いな。吾輩がまた食べたいと思ったのは間違いではなかったようだ」
上にかかっているソースが生地に絡みふわっとした香ばしい匂いと食感が歯に伝わる。
キャベツを食べればこれまたシャキシャキとした食感があり噛むのを飽きさせない。これまたソースがキャベツにかかり味が濃くなる。
食べ進めればイカやホタテなどが大きく切られゴロゴロと入っている。噛めば噛むほど海鮮の旨味が口に広がり口の中が騒がしい。
「くぅ……美味いなぁ…………。これは温かいまま食べたほうが美味いな。前は冷ましすぎたが多少熱いほうが美味いわい」
何か視線を感じる。十中八九シェイクスピアだろう。これはやらんぞ。
だが次に発せられた言葉は思いも寄らない言葉だった。
「それはそうとして旦那様どんな食べ方してるんですか……」
「……? あぁ、箸か。これは……日の国だったか? あそこは箸が基本と聞いてな。行く前に練習しておいたのだ。どれ上手いだろ」
「いえ……それは上手いのですが……その持ち方と言いますか、いや持ち方はお綺麗ですが……箸を持つためだけに念力を使うとは……前から思っていたのですがその力ってかなりの時間を要する技だった気が……」
「……? 綺麗だろ? 普段の食事はナイフとフォークを使っておるのだが日の国の食事はそれだと食べづらいと聞いてな。念力で箸を持つのは苦労したわい。それをいうならお主も綺麗ではないか」
「ええ、これは少し日の国に商売話があった時に急いで身につけたのでして、いえ、そうではなくてですね……いえ……もう大丈夫ですわ。はい」
たぶんまた呆れられたな。全く最後まで自分の主張を突き通さんとはこやつもまだまだのようだな。
「それではお食事も終わりましたし商売のお話をしてもよろしいでしょうか」
「あぁ、勿論。そのために来たのだろう?」
空気が変わる。
部屋には先ほど食べた食事の香りが漂っており雰囲気を多少緩ませる。だがそれで完全にごまかせるほどの空気感ではない。
「まぁそれもありますが……いやこれ以上私情を挟むのは御法度ですわ。ひとまず今までの契約内容の確認です。こちら書類です。どうぞ」
渡された資料そこには長年に渡り吾輩が探しだせと願い続ける内容が刻まれている。
「ああ、間違いはない。いつもの内容だ」
「えぇ、間違いはありませんね。それでは口頭での確認をいたします。まずこれは1年の契約、その対価は10万ゴールドです。しかしどの物であろうともこちら側で変換いたしますのできっちり契約金分あればどんな物でお支払いしていただいても問題はありません」
「毎度毎度助かっとるわい」
「それでは契約金をお支払いください」
「うむ、分かっておるぞ」
狭間から物を取り出そうと空間を開けた時シェイクスピアの顔が少し歪む。
だが普通の人の子なら見えないほどの速さで元の顔に戻り何事もなかったかのように次の行動を待っている。毎度しておるのだからいい加減慣れて欲しいものだ。
とりあえず少し前に狩った火蜥蜴を……をあった。
──ドサッ
次に日の国の時に狩って置けんかった多首の大蛇。
──ドンッ
デカすぎて店の前に置けんとは思わなんだ。あの時は結局大鯰を置いたんだがあれもギリだったかいの。
えー次は妖精の里の織物がなんぼだ。100か。
──バラッ
これは飯の対価を狩った時あやつらに結局バレてお礼として貰ったやつだがな。
あやつら小さすぎて分からんのだ。気づいた時には見られててあれはさすがに肝が冷えたわい。
(それと……あっこれもか『旦那様! もう大丈夫ですよ! もう充分いただきました!』……いらん物を押し付けとるだけなんだが)
「……旦那様が要らなくともこれはものすごく価値が高いものなんだよ!! 申し訳ございません。お客様になんて口の利き方を……いや毎度こんな物を置いていく旦那様が悪いのでは……?」
「吾輩はお主らに感謝しておるのだぞ? 吾輩は人の世の物流など知らん。だから吾輩が下手に売ると市場が大混乱になるのではないか? だがお主らはそれを引き起こすこともなく人の世に物を繰り出す。だからお主らに安心して預けられるのだ」
「お褒めにあずかり光栄でございます、が毎年これはかなりきついのです。物流を確認し色々なところに小分けにして売り出す。しかも旦那様がお出しになる物は品質が良いといった騒ぎではないほどの代物ですの。勿論旦那様のお陰で私たちヴェニスが潤っていますのでとても感謝しておりますわ」
「そうであろう。まさにウィン・ウィンの関係というやつではないか」
何やらシェイクスピアが顔を手で押さえる。ちらりと見える端正な横顔は青く沈んでいる。
「いえ……こちら側がウィンどころの騒ぎではなくてですね。もう利益しかなくて申し訳なくなるほどなのですのよ。毎年」
「別にいらんからお主に渡しとるだけだからそこまで追い詰めんでも良いぞ。むしろ受け取ってくれてありがたいわい」
「ですがねぇ……毎年申しておりますがこの品々の合計価格はざっとですが1000万ゴールドを超えますわ。しかも毎年……」
「なら契約金をそこまで引き上げればよかろう? そうすればそちらも悩まんで済むし、こちらもこれまで通り物を渡せる」
我ながら良い考えだ。しかもこれをすればもっと多くの品を渡せるぞ。
まだまだ在庫は多いぞ。
「駄目です」
「なっ……なんでじゃあ! そちらとしてもこれは利益にしかならんはずだぞ!」
「はぁ……旦那様のことですからあげた分もっと品を渡す気でしょう?」
(ギクッ……)
「なっ……なんで分かったんだ! まっまさか! お主も深層心理まで読み取れるようになったのか?!! やはりお主は天才だな!」
だがシェイクスピアは呆れたように微笑んでいる。
「まさか、そのぐらい思考を読まなくても分かりますわ。それより旦那様、貴方は読めるのですよね? 深層まで」
「あぁ、読めるが。それがどうした」
「まったく……どうりで私がいつもしてほしいことを的確に突いてくるのね……今理由がわかりましたわ」
「……? お主の思考など読んだことはないぞ。そんなことせんでもお主は言わなければならんことはちゃんと言ってくれるではないか」
「えっ読んでないのですか?」
「うむ、人の心の内など読んでも良いことは一つもないからな。表面思考ですらもう長いこと読んでない」
だからこそこやつにはちゃんと忠告すべきだと思ったのだがそれはまだ杞憂だったな。力を磨くのも良いがそれはまた使い方を誤れば自分に牙を剥き傷を残す。
まぁこやつはそうそうそんなことにはならんと思うがな。だが万一にもこやつが傷つけば……
(絶対に許してはいけぬ。必ず仕留める)
「旦那様、何をお考えですの? そんな物騒なことを思うなど旦那様らしくありませんわ。何か嫌なことでもありまして?」
しまった……思考が漏れておったか。吾輩もまだまだだな。少し感情が揺らぐだけで不安定になるとは。
「いや何でもない。ただ子を守る者の気持ちが多少なりと身についていることを再確認しただけだ」
「そーですか。そんなことでごまかされるほど私は貴方に甘くありませんので」
「ちっ」
「はぁ……もう毎年のことなので慣れましたわ。では話を戻します。お次は来年のことになります。来年も私たちと契約を続けますか。正直なことを申し上げますと私たち情報屋では貴方様の依頼を叶えることはかなり難しいです。それは貴方様も分かっているのではないですか? 本当にこの契約を続行いたしますか」
「くっかっか、お主は何を言う? お主ら意外にこの依頼を叶える者は居るのか? ならば是非紹介してほしいものだ。お主らが吾輩のために動いてくれているのは充分分かっておる。吾輩はこの願いを必ず叶えたい。吾輩のこの願いを叶えてくれるのはお主らヴェニスしかおらんのだ」
「っ……貴方様がそうおっしゃるなら私たちはそれに従いましょう。それでは改めてご確認を。情報屋ヴェニスは猫の旦那様と契約を結び貴方様の故郷並びに飼い主を探し出す。契約金、10万ゴールド。契約期間は1年間。ここに署名を」
シェイクスピアはある一枚の紙を差し出す。それはこの時代には珍しく羊皮紙などではない、木から生み出した真っ白で高価な紙だ。
吾輩は迷いなくその紙に肉球を押した。毎年のことだ。もう手慣れている。
毎年、毎年、やっている。インクが肉球につくことも、紙に肉球を押すために少し背伸びをすることも。
「はい……ご契約、ありがとうございます。私たちは旦那様の願いを叶えるため日々精進することをここに誓い必ずや貴方様の願いを届けましょう」
「うむ、よろしく頼むぞ。まぁ暇な時にでもやっておけば吾輩は充分だからな。無理にやるなよ」
シェイクスピアは泣きそうな顔をしながらこちらを見つめる。
「…………そう言われましても……私は……私はっ! ……いえ、ご忠告感謝いたしますわ」
「やはり無理をしようとする……それでお主自身が壊れたら皆が困るのであろう? もうその気持ちだけで吾輩は嬉しいぞ。はやる気持ちは災いをもたらす。さて堅苦しいのは終わりだ。久しぶりにおおたのだから今夜は付き合おう。色々な無効持ちだからいつまでも付き合えるぞ。金もある」
「……分かりましたわ。友がそう言うなら私も今日ばかりははっちゃけましょうか」
「うむうむ、今日は吾輩の奢りだ。好きなだけ飲め」
「はーい」
口と心ではそんなこと言うたがとうの昔に悟っておる。もうこの願いが叶うことも終わることもないことを。
だが吾輩は願い続け歩き続ける。そうでもしないとこの世に意味を持てぬのだ。
酒を持ちながら吾輩はそんなことを考えこやつの愚痴を聞く。どんな美味い物を食べようと、どんな景色を見ようともこの時間には勝てぬであろうな。