黒い毛玉の放浪者
吾輩は猫であった。名はもう無い。
今は昔、吾輩はただの猫であった。だがある日我が故郷は震災に見舞われ火の海になったことは覚えている。
だがその後どうなったかは吾輩自身覚えてはおらず又それを証言できる者は全て消えた。
今は我が故郷の場所、それがいつ頃であったかも分からずただ世界をさ迷う放浪者。
たまに街によっては店に並べられている商品を拝借しお返しとして吾輩が狩ったものを置いていく。人の子は吾輩が手に入れにくいものを持っている。これを活用しない理由は無い。
今は広々とした小麦畑が美しい、山を開墾してできたであろう小さな集落に滞在している。
今日もまた一つ美味しそうな料理があったため店に入り数個拝借した。なんでも“ぱん”というらしい。どれ早速一ついただくとしよう。
──パクッ フワッ
なっ……なんだこれは…………前に海を渡った先の島で食った物とはまた違う。美味い……。
その時は粉物と呼ばれていた物を食べたがあれもまた焼かれた生地に少し濃ゆいソースがかけられていて美味かったがこちらは生地で勝負してきている。ソースなどは無く少々塩がまぶしてある程度だが生地自体が甘いのか? いや塩があることで甘さが引き立っている。中はふわふわしており噛むたびにじわっと香りが広がる。
くぅ……これが旅の醍醐味だ。どこかに腰を下ろしてもよかったのだがその場に居座ってても見れぬ物、知らぬ物、情報がたくさんある。
──ンクッ
ふぅ……食った。残りはまた今度少しずつ食べるとしよう。取り敢えず持つのも億劫だし……しまうとするか。
──ブウンッ ペイッ
空間がそこだけ切り取られたように暗くなる。これはいつの日かは忘れたが少し前に寄った森でちょいっと狩りをした時にたまたま人の子がおってな。その時にお礼として授けられたものだ。吾輩はただ腹が減ったから取っただけで助けたつもりは無かったのだが……。
この術の理屈をあやつは分かってはおらずあげるものがないから貰ってくれと言っておったのだがこんなのただ空間の狭間に干渉しておるだけで大して難しくは無い。
それにしてもあやつは勿体ないことをしたな。あやつは空間の狭間を理解しておらずただ相手を鈍らせる物として扱っておった。
今思うとあやつ吾輩を猫だからだと舐めておったな。吾輩は命の恩人だと言うのに。あの時は面倒すぎて流しておったがあやつにも一発喝を入れておくべきだったか。
ごっほん……取り敢えずこの町の酒場はどこだ。情報を仕入れるのはこれが一番手っ取り早い。
旅の経験からして基本的に町の中央に人の子にとって重要な機関が多くある。まずはそちらに向かおう。
うむ、ここが。昼間から酒を飲んだくれている荒くれ者の気配がする。
まったくこやつらは番を持とうという気は無いのか。まぁ吾輩も番を持つ気はとうに無いのだからお互い様か。
もう大事な者の別れは経験しとうない。
─カラン カラン
開けたと同時に鈴の音が店内を駆け巡る。だがそれに注目するものはおらずただ日常が通り過ぎていく。
吾輩もあやつらに干渉する気は毛頭ない。吾輩の目的はここにある依頼を確認するだけだ。
かなり前のことだがお礼としてそこらにおったきれいな羽を持つ鳥狩って置いていったのだがそいつが何やら滅多に見ない生き物だったらしく危うく店の者が村八分されるとこだった。
その時はたしか、ちょっと……まぁちぃと……ね、記憶をいじってその後鳥を供養していたのだが、あんな苦労はもうしとうない。
さぁ依頼はっ……と。うむどうせなら一番高いもんを渡そう。そちらの方がお礼になるだろう。
──トッ トッ トッ
少し古臭い床を歩き受付の横にドンと置かれていたコルクボードを見上げる。
別に浮かんでも構わないがある程度気配に敏感な者にはバレるからな。首の痛みくらいは我慢する。
うむ今はあの翼蜥蜴が高いな。あとは……三つ首犬か…………ん?
▽
この個体は魔法ブレスや身体強化魔法を使わず物理攻撃だけで攻撃してきます。
ですが鱗だけでなく体全体が硬く、ある一定の装備が必要です。依頼受給者の被害が多く被害が広がりつつあるこの状況のためお手数おかけしますが受給される方の装備チェックを行っております。
ご理解いただけると幸いです。
たまに居る老龍、堅物か。物理だけでくる誇り高き狩人なのは構わんが若人のように魔法も使わんとな。
まったく人の子は何をしてくるか分からんと言うのに……今までもそれで狩られていった奴を見てきた。
己が持つ最大限を使ってこそ向かってくる者への敬意だと思うがここは考えの違いか……ただ身体能力だけに頼ってちゃいつか種族全体で痛い目に遭うぞ。
まぁ吾輩には関係ないことだ。さっさと狩ってあやつに礼をするぞ。
うむ目撃情報が多いのはここだな。ということは……。
「すぅ…………ぐっ……ニ゙ャ!!!」
──ビュッ トォ ン
肉球に力を込め地面めがけて一気に叩き解放する。
これは一種の誘き出し術だ。力をため吾輩を中心とした円状に力を薄くまく。
これでどんなに鈍感な奴でも縄張りに異物が入ったことを認知させ喧嘩を売れる。
さてもうそろそろかな。
「ギャアオオオォオ!!!」
空を見上げると四肢を持つ一匹の火蜥蜴が宙を舞っている。
うむ、どうやらハズレを引いたようだ。翼蜥蜴はあんな四肢を持っておらん。近縁種だがあいつじゃ駄目かの。
だがまぁ誘き寄せたツケ分はちゃんと払うのが筋だ。こいつは吾輩が責任持って狩って帰ろう。
断じてこやつの肉が美味いとかではないがとにかく責任は取るべきだろう? よし、さぁ来い。
「ギャアオォ!!」
──ビュッ
突進してきた者をひらりと躱し奴を観察する。体をよく見ると何か焦げたような痕と切り裂かれたような傷痕がある。
うむ、どうやらこやつはさすらいの者のようだ。ここらの老龍は火など使わぬようだし若人も火蜥蜴に喧嘩を売るような阿呆は居ないじゃろ。
──グワッ ガブッ
お、こやつできるな。飛び上がった吾輩を即座に視界に捉え噛み付きしかも首に丁度牙が当たるように調整する。ちょっとやそっとの芸当ではできないな。
だがこの程度吾輩の毛の前には体の肉にも届かんよ。いやー痒くもないわ。……ん?
──グッ……ビカッ
あっ……これはちいとばかしまずいかぁ。
──ゴォォォオオ! ──ザリッ
「ギャアッ!」
迫りくる炎を避ける理由もなく正面から受け、そのまま口内を掻っ切る。
炎を正面から受けることによって無駄な動きをする時間を減らし更にこうすることで口内に隙ができるから反撃するのが楽になる。
まったく……炎なんかに頼りきって油断するから隙ができる。もっと多彩な技を磨け。来世があればな。
それじゃあそろそろ終わりにするか。
すこーし嫌だが喉奥の方に滑り込み爪に力を叩き入れ爪先から気を捻り出す!
「……すぅ……ふぅ……ニ゙ャ!」
─ガァリッ ──ゴトッ
首に一直線の亀裂が走る。火蜥蜴が動くその瞬間、動きに耐えられず首が落ちそこから這い出る四肢の猫。
赤い絨毯から出てきたとは思えないほどその毛は黒く美しい。
よく胃に侵入して腹を裂く奴がおるが内側から首を掻っ切る方が速いだろうて。
さぁ……首落としてしもうたしこのまま血抜きするか。
少し行ったところに手頃な川を見つけた。流れがあまり速くなくなおかつ川幅がある程度広い。近くには木があり吊るすのに丁度いい。
桶でもあれば吊るした状態で血を溜めて捨てることができるのだが……まぁ狭間に入れても取り出す時が面倒だ。今回は諦めるとしよう。
それじゃあ取り敢えず運ぶとするか。
「……ニャッ……ッ、ニャ」
──ポワッ
重いのは嫌だから浮かして……あー……ついでに血が落ちぬよう結界を引いて……それから木々に傷がつかんよう一時的に肉体を幽体化して……っと、うむ、これで充分かの。
さっきの川に戻り火蜥蜴を水に漬け血を抜く。そこだけ川が一瞬血に染まるがすぐにいつもの綺麗で澄んだ水の姿を取り戻す。
流石に川を血で汚すわけにはいかんからの。大量の魔素を取り込んだ物を流すとその場の生態系が崩れる。
今は火蜥蜴の肉体に浄化の術を貼っておるから何とも無いが浄化の術を持たぬ場合は注意が必要だ。
まぁ浄化の術なんて幼子が最初に学ぶ術だから使えぬといった者は滅多におらぬがな。
そういやあの筋肉バカの小僧はまだ元気なんじゃろうか。術が使えぬから筋肉を鍛えてやるとか申しておおたが今でも吾輩が教えたことをしておるのかの? だがあれはかなり昔のことだ。もうすぐあやつも寿命、もしくはもうこの世にゃおらんかもしれぬな。
うーむ、たまにはあやつらの顔を見てやらんとか……一度巡った場所にまた帰るのも悪くないのかもしれぬな。
おおっと……もうそろそろ良いかの。
──ザバァ
火蜥蜴を水から挙げ全体に少し風を吹かせ水を落とす。
これをすることで水にあまり濡れずに済む。薄く結界を張っているとはいえ濡れぬのは嫌だからな。
極力しなくても良い嫌なことは全力で避ける。これが猫生を少しでも軽くし、いいものにする方法だ。しなければならぬことは逆に全力でやったほうが後々楽にはなるのだかな。これこそ楽するために苦労するだ。
うむ……これで十分じゃろ。よーし吊るせー。
──ガンッ
……火蜥蜴の体は地面にぶち当たり斜めに反り返り海老反りのような状態になっている。角度にして約80度くらいだろうか。
これでも一応処置はできるが…ちょっとデカすぎたようだ……はぁ……仕方がないの。
「ニャァ」
──シュンッ
目の前で火蜥蜴の体が光る。眩しい…………目をつむり光が収まるのを待つ。この光にはなかなか慣れないの……光を抑える為に修行すべきか……。
少し待ち目を開けると大体吾輩の二回り上程の大きさだろうか、縮んだ火蜥蜴の肉体がぶら下がっていた。
これほどであれば木が折れる心配も肉が汚れる心配もない、更に解体も楽な大きさだ。
いいことづく目でほんと便利な術である。本当にこの光を抑えるために鍛えるべきか……。
ふむ、この大きさならば数秒あれば処置ができるであろうな。
美味いものは鮮度が大事だ、今は肉体を結界で保護しておるが切ったそばから結界を張るのは吾輩でも骨が折れる。だからこそ。
風を尾の先から少し出し、薄く……鋭く…………。
「ひゅー……ニ…………ニャッ!」
──ピッ ──ピシッ
肉体を少しでも空気に触れたくない? なら触れる前に処置をし、また結界を張り直せばよいではないか。
まったく……解体の為に鎌鼬に教えを請うて良かったわい。あんなに精密な術の操作が行えるのはあやつら意外に思い当たらんわ。
さぁ……こいつを狭間に入れ次なる獲物を待つとするか。
……こないのぉ。えっまさか絶滅っちゅうもんになってしもうたんか? それは困るのだが……。
あぁ……そうだな、もう魔界と人間界の狭間で魔物の調整処理をしていた時代とは違うのだ。個体数は魔界進行の時代よりは減っておるだろうて。
何を馬鹿なことをしていたものだ。こんな簡単な事を失念しておおたとは……。
(なかなかあの感覚が抜けんの)
あの時代は待っていれば獲物が湧いて出とったからな。今は待つ狩りより追う狩りのほうが効率がいいわい。
時刻はもうすぐ夜になろうか空が赤く染め上がり端のほうはすでに暗くなっている。我らが猫の独壇場だ。
これも久しぶりに使うな。
目をつむり視界が黒一色となるが視界など意味を持たない。
元より猫はヒゲにより空気の流れを感じ取り物体の距離、大きさ、そして感情を読み取り。
相手のすべてを把握する。
──ピィィン
うむ……時計の針にして9時の方角、その先に火の霊、翼蜥蜴、両者の反応あり。
翼蜥蜴は火の霊と共生関係、ここが火蜥蜴との大きな違いだ。火蜥蜴は自身で火を起こせるが翼蜥蜴は火の霊と契約をし火術を借りておるらしい。
これが老龍共が火を使わぬ大きな要因の一つである。なんでも一流の狩人は誰の手も借りず仲間を養う者だと。誇りで腹は膨れぬというのに……。
ひとまず一匹貰うぞ。ここからは伝わぬが覚悟しておれ。
闇に潜みその黄色の目を光らせ地を駆ける。その目は光の尾を引きすぐに消える。
周り見れば不思議と森の木々が意思を持つように彼の者を避ける。
まるでこの森の主と認めておるかのように。
夜が明け只今時刻は午前5時、この集落唯一のパン屋の1日が今日も始まる。
「んーー……あーいい朝だな! 昨日はパンが数十個会計もされずにどこかへ消えてたがどっかの悪ガキの仕業か……もはや感心するぞ。いつ盗み出したんだかまったく分からねぇ。ふっ……いつか見つけ出して捻り潰してやる。ん……? なんだこれ? 石か?」
「ニャンッ」
男が足元にあったキラキラとした石のような物体を拾おうとしたその時鈴のように凛とした鳴き声が辺りに伝わっていく。
──ボンッ
「えっ……うわぁあぁぁあ!! なんや?! 何が起こったんや! えっ……これは…………まさか?!」
突然物体は煙に包まれ煙が晴れるとそこには爬虫類の鱗のような物があった。だがそれが普通ではないことは一目で分かる。
一つ一つの大きさが15cmほどあり太陽の光に照らされて赤く燃え上がるようにキラキラと光り輝いている。更にそれが山のようにある。ぱっと見でも数百枚はあるだろう。
「えっ……いやっ……えっ? なん……え?」
男が狼狽えている後ろにある小さな路地裏の暗闇に一匹の黒猫が彼をじっと見つめている。
一瞬目を離し視線を戻してもそこには何もいない。だが目を離すその一瞬黒猫は満足そうに笑っていた。




