第八話
ウェインボードを発ったヴィクターらはやがてヘイズ伯爵領に侵攻する。グリフィス軍は一万。ヘイズ伯爵はどう頑張ったところで四千集まるかどうかと言ったところであろう。これまた戦う前から勝敗の行方は明らかであった。
「さっさと降伏してくれれば楽なのだがな」
ヴィクターはレイノルズに言った。
「降伏勧告の使者を騎士団長は送っているようです。返事次第では無血開城もありましょう」
「そうか。敵には理性ある行動を望みたいところだな」
しかし、使者が戻ってくることはなく、それどころかヘイズ伯爵は軍を率いて四千余りの兵で打って出てきたのだ。
アルバートは全軍に通達した。
「身の程知らずのヘイズが自殺行為を図ってきた。敵は窮鼠と化すやもしれぬが、恐れるにあらず。我らグリフィス家の騎士の鉄の意志を知らしめる時だ。情けはいらぬ。剣を振るう敵には相応しい罰をくれてやろう」
グリフィス軍は沸き立った。
斥候のスクリーニングにヘイズ伯爵軍が掛かり、進軍ルートが明らかになると、グリフィス軍も自ずと戦場の選定に取り掛かった。恐らく敵軍と交戦するであろう平原地帯を確認すると、グリフィス軍もそこにむかって行軍を開始した。
「敵は正気か? 我が軍の半数にも満たぬ兵力で野戦に挑むとは」
ヴィクターはアルバートに問うた。
「さて、何か策でも用意しているのか。とはいえこの戦力差を覆すのは困難でしょうが……」
「奇襲攻撃には注意が必要だな。まともに野戦に出てくるとは限らぬ。二十四時間体制で斥候は飛ばしておくべきだろう」
「確かに」
アルバートはヴィクターの進言を入れて、斥候を飛ばした。
しかし、ヴィクターの懸念は結局杞憂に終わった。ヘイズ伯爵は正面から向かってきたのだ。兵力差を恐れないのか。それにしても無謀な戦いである。グリフィス家の騎士団は張子の虎ではない。
そして双方ともに野戦の舞台となる平原に展開した。
アルバートは先制して全軍に総攻撃を命じた。
敵はグリフィス軍の半数にも満たぬ。勝敗は明らかであった。グリフィス軍は敵を半包囲する形で敵陣めがけて加速していった。
ヘイズ伯爵の騎士たちも沸き立って雄たけびを上げる。
だがグリフィス軍の騎士たちにとっては無駄なあがきとしか映らぬ。勢いをそのままに伯爵軍に激突する。
最初の一撃で伯爵軍の戦列は切り裂かれた。
ヴィクターはすれ違いざまに敵の首を切り飛ばし、次なる獲物を探す。レイノルズもヴィクターの傍らについて、敵の騎士を叩き伏せる。
ヴィクターは敵陣深く切り込んでいく。敵の胸当てを砕き、貫き、首を刎ね飛ばしていった。
「何なんだこいつらは……。死を恐れないのか? 何か自信でもあるのかと思ったが大した敵ではない」
ヴィクターは敵の騎士を十人は殺した。さらに奥深くへと進む。レイノルズはヴィクターの傍にあって、手綱を引いた。
「公子様、深追いは禁物です。味方と離れすぎです」
「そうであったか。これは迂闊であったな」
ヴィクターはいったん後退する。
アルバートは中央にあって全体を見渡していた。
「アルバート」
「公子様」
「何か変だぞ、こいつらは。狂っているとしか思えない。全く引く気配を見せないし、奇声を発しては無駄に突撃してくる」
「確かに変ですな。私も同じことを考えておりました。部下たちも違和感を覚えているようです」
「そうだ。何事かが起こっているのではないか? おかしいぞ」
「ヘイズ伯爵を捕らえれば降伏するやも知れません。敵を包囲するのは時間の問題です」
「よし、私はもう一度戦場に戻ってヘイズ伯爵を探してみよう」
「注意なさるがよろしいでしょう」
「ああ」
そしてヴィクターは再びレイノルズと戦場に戻った。
敵はほぼ包囲下にある。しかし伯爵軍は意気も盛んに前進しては命を落としていく。
「こんなものは戦とは呼べんぞ。いつまで戦う気だ敵は」
ヴィクターは敵の剣を弾き飛ばして、降伏を勧告した。
「お前たちは完全な包囲下にある。降伏するのだ。無駄に命を散らす気か?」
「我々はセイセス・セイセス、死など恐れぬ。死は最後の安寧だ」
「何だって? セイセス・セイセス?」
「お前たちには分からぬ。あのお方の偉大さは。あのお方こそ乱世を治めるにふさわしいお方」
「何を言ってるんだお前は」
「我々はここで死すとも、あの方の足跡を残すことにこの命、惜しむことはない」
そう言うと、騎士は襲い掛かってきた。
ヴィクターはその剣撃を弾き飛ばして、相手の胴体部に打撃を加えた。鈍い音がして、胸当てが砕ける。恐らく肋骨が何本か折れたはずだ。それでも騎士はふらふらになっても剣を振り下ろしてきた。ヴィクターは剣をその手から弾き飛ばし、最後通告をした。
「まだ分からないのか。これでも戦うのか」
「我々は……セイセス・セイセス……!」
そう言うと、騎士は腰の短刀を抜いて襲い掛かってきた。ヴィクターはやむなく敵の首を刎ねた。ついに敵は崩れる。
やがて敵はほぼ壊滅状態となり、残すは数百人程度となった。
ううううう……があああああああああああ……!
敵は咆哮して襲い掛かってくる。
「何なんだこいつらは……? 狂ってるぞ」
しかしグリフィス軍は鉄の意志で敵をことごとく切り捨てた。ついに、伯爵軍は全滅した。ヘイズ伯爵がいたのかいなかったのかも分からない。
戦は確かに終わった。しかし、伯爵を捕らえるにも至っていない。
そこでグリフィス軍は伯爵の拠点テオシムに向かうことにする。何の抵抗も受けることなくグリフィス軍はテオシムに入った。住人たちは怯えた様子でグリフィス軍を見守っていた。
「何を恐れているのだこの者たちは」
ヴィクターは言った。
「何かが変ですな」
レイノルズも何かがおかしいと感じるようであった。
グリフィス軍は宮殿を包囲して中に入った。静かである。
ヴィクターらは馬から降りて宮殿の中へ入っていく。本能的に剣を抜いた。何かがおかいし空気だ。うなじが逆立ってぴりぴりしている。
奥に進んでいくと、徐々にその正体が分かっていた。死体が廊下のあちこちに転がっているのだ。服装からして使用人であろう。死体は何かに食い殺されたように、異様な傷跡が付いていた。アルバートは傷跡を確認した。
「何か獣に食われたようだ」
「どういう事なんだ」
ヴィクターは眉をひそめた。
「分かりません。この怪異の正体は……」
と、異様なものを一同目にすることになる。使用人と思しき人物が、がつがつと死んだ使用人を食らっているのである。一同絶句した。一体何事が起っているのか。
怪異の人物はこちらを見やると、咆哮して襲い掛かってきた。レイノルズがヴィクターをかばうように前に出て、怪異を真っ二つに切り裂いた。鮮血が飛び散る。怪異は絶命して動かなくなった。
「どういうことだ?」
さらに一行は進んでいった。あちこちに惨殺死体が転がっている。そして廊下の奥に、一人の人物が壁を見上げて立っていた。黒衣のローブをまとった人物だ。その周りには二体の怪異がいる。黒衣の人物はヴィクターらを見やった。フードの奥に深紅の双眸があった。百戦錬磨の誰もが凍り付くような冷たい目であった。黒衣の人物は笑みを浮かべると、二体の怪異に何事かを命じる。使用人であった怪異は、四つん這いで駆けては加速してくる。ジャンプして天井に張り付くと、ヴィクターの頭上から飛び掛かってきた。ヴィクターは自然と体が反応して怪異の攻撃をかわすと剣を薙いで真っ二つにした。もう一体の怪異はアルバートが切り捨てた。
騎士団長は剣を構えたまま声を荒げた。
「貴様一体何者だ! 怪しげな術を操りおって!?」
「わしは……」その低いざらざらした声は一同の背筋に冷たいものを感じさせた。「ふふ……そのうち分かるであろう。人間たちよ」
「セイセス・セイセスとは何だ!」
ヴィクターは叫んだ。
「ふっふっふ……」
黒衣の人物は、腕を持ち上げると、手から衝撃波を放った。その場にいた十数人の屈強な騎士たちが全員吹き飛ばされた。
ヴィクターは舌打ちした。
「何だあいつは!? 人間か? 今何をした!?」
「ふふふふ……はははははは……」
黒衣の魔導士は、笑声を発すると、黒い霞に包まれて消え去った。
一同はしばらく茫然としていた。
ヴィクターは口を開いた。
「馬鹿な……あんな奴が存在するなんて……妖術? 魔導士か? 何者だ?」
アルバートが答える。
「分かりませんが、恐らく伯爵軍の奇怪な行動と無関係ではありますまい。何者でしょう。黒衣の魔導士……」
「化け物か。実在するんだな。人外の魔術を操る魔導士……伝説か神話の話かと思っていた。奴の目的は一体何だ?」
「魔導士の考えることなど分かりませんな……」
「戦の世を混沌の中へ放り込む気ではないか? あの伯爵軍は恐らく魔導士の妖術に支配されていたとしか思えん」
「ふむ……このことはグリフィス公にもお知らせしませんと」
「そうだな」
ヴィクターは同意した。
「町の民が恐れている様子なのはあの魔導士のせいではないのか」
「その可能性はありますな」
「ではひとまず魔導士が去ったことは伝えてやるべきだろう」
グリフィス軍はテオシムの民に魔導士が去ったことを告げた。それを聞いた民の顔に笑顔が戻った。やはりそうであったのだ。グリフィス軍は百人程度の騎士たちを残しておく。
そうして、グリフィス軍はテオシムから立ち去った。