第六話
宮廷に軍を束ねる騎士団長、騎士隊長、それから侯爵伯爵級以下、貴族たちが集められた。この席にはブライアンもコーディも同席している。
ヴァイオレットはまず言った。
「みなも知っての通り、ウィリアムズ家が先陣を切って動き出したわ。エイブラハムは周辺の中小勢力の平定に出た模様なの。先陣切って、目立つのが好きなのよね彼は」
ヴァイオレットは微笑んだ。
「ただ、我が家もこれで静観しているわけにはいかないの。みなに集まってもらったのはそのためよ」
するとまずは最初にオグデン伯爵が言った。オグデン伯爵は三十三歳、茶髪茶瞳の中肉中背の人物だ。
「公爵夫人、では出兵はもう決定したと考えてよろしいのですね」
「ええそうよオグデン伯爵。あとはみんながどこへ行くか、それだけね」
そう言って、ヴァイオレットは卓上の地図に目を落とした。
「最初から無理をする必要はないの。こちらの兵の損耗を押さえておかないと、これでお終いではないのだから」
そしてパークス伯爵が言った。パークスは三十四歳。黒髪茶瞳の偉丈夫である。
「では私は早い者勝ちと言うわけではありませんが、キーズ男爵領に向かいましょう」
「そう、ではそちらはあなたに任せるわ。みんな、待っていないでどんどん意見を言って」
「では私は……」
次々と各自攻撃目標を決めていく。全員の目標が出揃ったところで、ヴァイオレットは全体を見渡し、目標の入れ替えなど微調整を家臣たちにお願いし、意見を取りまとめた。
「まあこんなところかしらね。ではみんな、行ってちょうだい。ソーンヒル家の名誉にかけて。軍神の恩寵あらんことを」
「ははっ!」
ヴァイオレット夫人の言葉を受けて、各指揮官たちは立ち上がって敬礼すると、次々とアラソネアを出立していった。
ブライアンとコーディは騎士団長ガーランドの軍にあってこの戦に参加していた。ガーランドは三十八歳の偉丈夫で、黒髪茶瞳をしていて、その体格は年を重ねているとはいえ鍛え上げられていた。ガーランドは一万の軍勢を以てウィルビー伯爵領に侵攻していた。すでに伯爵領内を進んで二日、斥候の騎兵スクリーニングに敵が掛かっても良さそうなものだった。
ブライアンはガーランドに言った。
「敵はぎりぎりまで引き付けてから我が軍を迎え撃つ気かな」
「その可能性はありますが、いずれにしても伯爵に勝ち目はありません」
ガーランドは余裕だった。
「この戦はすでに勝敗は決したも同然。ウィルビー家はどうあがいたところで三千から四千の兵しか集められないでしょう。既に我が軍の完勝なのです」
「それは分かるが、何か気になるな。奇襲攻撃などへの警戒をすべきではないか?」
「奇襲?」
「ああ、夜襲とか。地の利は敵にあるし、空気に雨の匂いがする。そんな可能性はないか」
「なるほど……公子様の言には一理ありますな。それは考えておりませんでした。敵が一発逆転の手を打つならそれはありでしょうな。二十四時間体制の警戒を敷きましょう」
ブライアンはガーランドに比べればひよっこに過ぎないが、この時騎士団長は確かに何か、嫌な予感がしていたのである。ブライアンの言葉がそれを覚ましてくれたと言ってもいい。
ブライアンはコーディのもとへ馬を寄せた。
「コーディ、気を付けた方がいい。団長にも言ったことだが、敵は奇襲作戦で来るかもしれない。ここまで動きがないのは変だ」
「奇襲ですか?」
「ああ、何か嫌な感じがするんだ。アマチュアの俺が言うのもなんだが。ガーランドには夜襲に警戒すべきではないかと言っておいた」
「夜襲ですか……確かに、ここからウィルビー伯爵の城まで行けば丁度夜間になりますね」
「そうだろう? 警戒するなら今日あたりじゃないかと。そして雨の匂いも気になる」
ブライアンは不安げに空を見上げた。
そこで軍は停止した。
「どうしたんだ?」
程なくして、全軍に強行軍の指令が出た。今日の太陽が昇っている間に伯爵の城まで一気に進軍するとの伝達であった。ガーランドはブライアンの懸念を真剣に考え、今日中に敵との交戦に持ち込まんとしたのであった。城にまで兵が迫れば、さしものウィルビー伯も大人しくはしておれまいとガーランドは考えた。
ソーンヒル公爵軍は動き出した。全軍馬の速度を上げる。付いていけない者は構わず置いていくことにする。ソーンヒル軍は午後半ばには伯爵城に迫る勢いであった。
すると斥候から早馬が飛んで来た。ガーランドの下に、ウィルビー伯爵軍三千余りが前方から行軍してくるとの報告がもたらされたのであった。
「ようやく出てきたか。これはさもあれば公子様の読みが当たっていたのかもしれんな」
ガーランドは独り言ちたが、いずれにしてもこれで有利な野戦に敵を引きずり込むことが出来た。全軍の速度を落とすと、ガーランドは軍を再編しつつ、後方から遅れてくる者たちを待った。一時間ほど待ってから、ほぼ全軍を整えたガーランドは前進を開始する。兵は一万を割っていたが、三千の敵に対するには十分であろう。
ブライアンはコーディと話していた。
「どうやらガーランドは俺の言葉を聞き入れてくれたのか?」
「そうかもしれませんよ。急な強行軍に敵軍の発見。偶然とは思えません」
そうして、夕刻になる前に、ソーンヒル公爵軍はウィルビー伯爵軍と相対することになる。
ガーランドはこのまま夜になるのを待つつもりはなかった。敵を視界にとらえると、すぐさま全軍に総攻撃を命じた。
「大軍に区々たる用兵など必要ない。全軍を以て正面から敵を叩く! 突撃!」
ソーンヒル公爵軍は勢い盛んに総攻撃を仕掛ける。
ブラアインもコーディも先陣を競って馬を走らせる。
ウィルビー伯爵軍は戦列も整わず、明らかに浮足立っていた。ソーンヒル公爵軍の最初の騎兵突撃で伯爵軍の戦陣は一撃で打ち砕かれた。公爵軍は敵を包囲していき
、兵力で圧倒した。
ブライアンとコーディは敵陣中央にあって、目立つ金細工を施した胸当ての人物と、色付きの肩当てをしている一団を発見した。
「コーディ! あれを見ろ! 敵の首級に違いないぞ! 味方を呼ぼう!」
「はい!」
ブライアンとコーディは友軍の二十名ほどに敵将の発見を告げると、彼らとともにその方向へ向かった。
ブライアンたちは護衛の騎士を半分ほど片付けると、言った。
「敵将ウィルビー伯爵と見受ける! もはや勝敗は明らか! 野戦に持ち込んだ時点で我が軍の勝利であった! 降伏せよ! ソーンヒル公爵軍は寛大な処遇を以て卿らを扱うであろう! 降伏せよ!」
すると、ウィルビー伯爵は兜を脱ぎ捨て、馬を降りて膝をついた。
「確かに私はウィルビー伯爵である。まんまと卿らの行動に乗せられて野戦に踏み切ったのは誤りであった。だがそれも戦の結果。降伏を受け入れましょう。これ以上の流血は無意味でありましょう」
そうして、ウィルビー伯爵の降伏が告げられると、全軍剣を収め、伯爵はガーランドの前にやってきた。ウィルビー伯爵は膝をついた。ガーランドは言った。
「ウィルビー伯爵ですな」
「はっ」
「降伏は良い判断でしたぞ。汝は愚か者ではないようだ。以後ソーンヒル公爵夫人に忠誠を誓ってもらおう。よろしいな。卿の家臣らにも寛大な処遇を約束しよう」
「承知いたしました。これも乱世の倣いでありましょう。これより我ら、ソーンヒル公爵に忠誠を尽くします」
「よろしい。では戦はこれまでだ。クラーク!」
名を呼ばれたサー・クラークは、ガーランドのもとへやってくる。
「はっ、団長」
「汝はしばしここに駐屯し、戦の事後処理に当たれ。百人ほど部下を残していく」
「了解いたしました」
かくして、ウィルビー伯爵領を制圧したソーンヒル公爵軍はアラソネアに帰還する。完勝であった。
「母上!」
ブライアンとコーディはヴァイオレット夫人に戦勝報告へ向かった。他の軍もどうやら無事に勝利を収めることが出来たらしい。母親の表情がそれを物語っていた。
戦から帰還した息子二人を出迎える時にはヴァイオレットも母親に戻ってしまう。子供たちも昔のように抱きついたりしないが。チークキスを交わす程度ある。
「無事で良かったわ。ブライアン、コーディ」
「完勝でしたね」
「そうなんです。多分兄上の進言が良かったのかも知れません」
「何にしても二人とも五体満足で帰ってきてくれればそれでいいのよ」
ヴァイオレットは二人をそれぞれ抱きしめた。
クリスティーナは恋人のオーガスト侯爵の訪問を受けていた。オーガスト侯爵はクリスティーナより一歳年上の二十三歳。金髪碧眼、長身でハンサムさんの宮廷人である。
「クリスティーナ、帰ったよ。どうやら軍神はまだ私を見捨てずにいたようだ」
「オーガスト……」
二人は抱き合うと、キスを交わした。オーガストが若くして侯爵位を賜っているのはひいき目に見てもヴァイオレットの働きかけがあった。娘の恋人が下級貴族では釣り合わぬ。二人の気持ちは尊重するが、ヴァイオレットはそれ以上にオーガストに箔をつけたものだった。
そこへ、ブライアンの恋人であるアンジェリア、コーディの恋人クリスタルもやってきた。アンジェリアは十九歳、金髪茶瞳の伯爵令嬢。クリスタルも十九歳、黒髪茶瞳のこちらも伯爵令嬢である。
アンジェリアはブライアンの胸に飛び込んだ。
「ブライアン! 良かった! 無事に戻ったのね! 久しぶりの戦ですもの……私心配だったわ」
「大丈夫さ。今回も圧勝だった。ウィルビー伯爵ごときに後れは取らないさ」
「そう……でも戦場では何が起こるか分からないでしょう?」
アンジェリアは上目遣いでブライアンを見やる。ブライアンは恋人の金髪を撫でた。
「でもこうして僕はここにいる。それで十分だろう?」
「ええ……」
二人はキスを交わした。
クリスタルはコーディの前まで来ると、微笑んだ。
「ご無事でお戻りになって何よりですコーディ様」
「ただいまクリスタル」
コーディはクリスタルにキスした。クリスタルはコーディの腰に手を回した。やがてコーディが口づけを放すと、クリスタルは身を引いて微笑んでいた。
「戦は大勝利だった。クリスタル、今夜はどこか食事に出かけないか」
「はい……コーディ様が仰るなら、喜んで」
「よし、この間オープンした店があるんだ。いつかクリスタルと行きたいと思っていたんだよ」
「嬉しいです……そのお言葉だけでも嬉しく思います」
「じゃあ決まりだね」
コーディは今夜の大作戦に思いをはせて口許に笑みが浮かんでいた。クリスタルは夜になると別人の顔を見せるのだ。
ヴァイオレット夫人は息子娘たちみやり、目元が緩んでしまう。この子らの未来のためにも、負けるわけにはいかないのだ。
今回の戦はいずれも大勝利で終わった。まずは緒戦であり、ここで引くわけにはいかない。他の諸侯らはどう動くであろうか……。ヴァイオレットの頭は次の戦へ向けて動き出していくのだった。