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第三十話

 東方グリフィス家においては諸勢力の動きは続々と入ってきていた。


 そんな折、公子ヴィクターは、妻のシャーロットから妊娠の報告を受ける。


「ほんとかいシャーロット? 俺たちの子が?」


「嘘を言ったりしませんよ……」


 シャーロットは微笑んでいて、少し上気した頬は赤くなっていた。


「やったな」


 ヴィクターはシャーロットを抱きしめた。シャーロットは幸せを感じて涙があふれてきた。もしかして子供が出来ないのではないかと思っていたのだ。


「父上のところへ行こう」


「今すぐ?」


「そうとも!」


 ヴィクターはシャーロットの手を引いて父の下へ向かった。


 セオドリックは各地の情勢を確認していて、仕事に集中していた。


「父上」


 ヴィクターは声をかけた。


「んん? ヴィクターとシャーロットか。どうした二人して、珍しいな」


「出来たんですよ」


「何が?」


「シャーロットが妊娠したんです」


「何と!?」


 さすがのセオドリックが驚いた様子で立ち上がった。セオドリックはシャーロットの前にやってくると、


「ついに出来たか?」そう言って彼女の肩に手を置いた。


「はい……一カ月ほどだそうです」


「そうか。ついに出来たか……おめでとう二人とも! これは触れを出さねばならんな。間もなく戦支度をせねばならんところだが、軍神からの贈り物かも知れんな」


「とんでもないことですセオドリック様」


 シャーロットは緊張を隠せなかった。セオドリックはそんな彼女を察して、「あとは二人で話し合いなさい。おめでとう」と、ヴィクターとシャーロットに祝辞を述べた。


 ヴィクターは妻を気遣い、そっと肩を抱いて歩き出した。本当はシャーロットは嬉しくて天にも昇る気持ちだったが、心の内で歓喜し、夫の腕に寄りかかるのだった。



 それから程なくしてセオドリックは諸将に招集をかけ、ヴィクターも呼ばれることになる。言うまでもなく、カーティス侯爵との決戦についてである。カーリー侯爵、ディルク侯爵、アットウェル侯爵、オリヴィエ伯爵、ラドフォード伯爵、ピアース伯爵、リトルトン伯爵、リチャーズ伯爵、ゲッテンズ伯爵、ローウェル伯爵、そして騎士団長アルバートら主だった諸将が招集され、セオドリックから東部最終決戦の旨を伝えられる。一同緊迫した面持ちであった。カーティス侯爵もまたこれまでの例にもれず、ここまで上り詰めた人物であり、過小評価は出来なかった。


「しかし」セオドリックは言った。「兵員数と部隊の練度、そして汝ら家臣団、全てにおいて我々は勝っていると確信している。我が軍は五十万の兵を動員する。もはや予備兵力を残している意味はないからな」


 一同頷く。それからセオドリックは暫定的な部隊配置を決めると、家臣たちに出陣を命じる。


「東部最後の大戦だ。勝利を我が手に! 軍神の加護があらんことを!」


 一同立ち上がって敬礼すると、急ぎ出兵の準備に取り掛かった。



 五十万の兵の補給物資を揃えて準備するのには兵站部の仕事が欠かせない。敵地に入れば地理不案内な場所であっても周辺の都市や町村の倉庫から補給物資を引き出して兵を食べさせなければならない。その点において、いずれの勢力であっても兵站部は有能な仕事をするが、野戦での敗北は実戦部隊の失敗である。


 その点において、セオドリックは十分理解しており、敵軍より勝る兵力を動員するのは当然の策であり、ほぼ全軍を出動させたのであった。


 カーティス侯爵領に入り、やがて騎兵スクリーニングに敵軍が検知される。


 セオドリックらは地図を囲んで戦場の予測を立てた。決戦の地はサレアシア平原となるであろうと予想された。


 グリフィス軍は行軍縦隊で敵地を前進し、およそ三日後、サレアシアに到着した。遅れること数時間、カーティス侯爵軍も戦場に姿を見せる。その兵数は約三十万であった。


 日も落ちかかっており、両軍ともにこの日は野営した。


 翌朝、両軍は戦闘隊形を整え始める。


 セオドリックは中央本陣にカーリー侯爵、ディルク侯爵、オリヴィエ伯爵、ラドフォード伯爵を置き、右翼にアットウェル侯爵にピアース伯爵、リトルトン伯爵を充て、左翼に騎士団長アルバート、リチャーズ伯爵、ゲッテンズ伯爵、ローウェル伯爵らを充てた。


 カーティス侯爵軍は攻撃縦隊を敷き、全軍突撃の構えであった。セオドリックはこの陣を見て、意図を見抜いた。恐らくは最前列でこちらの攻撃を受け止めつつ後陣の攻撃縦隊が左右に分かれてくるはずだと。そこでセオドリックは諸将にこのままの布陣で正面からの攻撃に当たることを告げる。


「敵は攻撃縦隊を取っているが、いずれにしても我が軍を突破できるはずはない。このまま敵が左右に分かれたとしたらかえって兵力分散であり我が軍は一気に突破できるであろう。また敵が分かれることなく突撃するならば我が軍は中央で受け止め翼部隊で包囲するまでだ」


 セオドリックはこうして敵の意図を諸将に告げてから、攻勢に転じた。兵力で勝る自陣に小細工など必要ない。敵の先手を取れば余計な策をとらせる時間も無くなるであろう。


 グリフィス軍が前進を開始すると、カーティス軍もまた前進を開始した。


 両軍は加速して前進を続ける。と、そこでカーティス軍の後陣は左右に分かれてグリフィス軍の両翼にそれぞれ襲い掛かった。


「父の読みは当たったか……」


 ヴィクターは中央にあって敵とぶつからんとしていた。


「だが……これでっ」


 両軍は激突する。


 ヴィクターは最初の一撃で敵騎士の首を刎ね飛ばした。敵の戦列は薄い。確かにこれならば一挙に突破できそうだ。ヴィクターは最前線にあって前進した。襲い来る敵騎士を叩き伏せていく。


「皆の者! 敵の戦列は紙の如き薄い防御だ! 一思いに突破するぞ!」


「おお!」


 ヴィクターは勢い前進した。


 グリフィス軍はヴィクターを先頭に敵軍の戦列を突き破った。


「あっけなく終わったな。カーティスめ、策を誤ったわ」


 セオドリックはカーリーとディルクに敵右翼の背後に回るように指示を出すと、自身も兵を率いて敵左翼後背に回り込んだ。


「父上!」


 ヴィクターはセオドリックの下へ駆けつけた。


「ヴィクターか。よくやった。味方の士気は高い」


「このまま敵を包囲なさるおつもりですね」


「勝敗は決まったがな。カーティスめ、降伏を受け入れればよいが」


 戦況はカーティス軍にとって加速度的に悪化していく。戦線が崩壊し、騎士たちは各個撃破されていく。


 しかしカーティス軍の士気は高く、グリフィス軍もこれを抑え込むのに全力を有した。だがその勇戦も空しく、カーティス軍の戦闘不能者は増えていくばかりである。その数は半数以上に達していた。


 セオドリックはアットウェルと連絡を取り、敵を包囲していることを確認すると、カーティス軍の前に出た。


「カーティス侯爵! いるならば出てくるがいい! 私はセオドリック・グリフィス! もはや戦闘の勝敗は明らか! この上は降伏して我が軍門に下るがよい!」


 カーティス軍はざわめき、やがて、騎士たちの戦列を割って、カーティス侯爵が姿を見せた。


「セオドリック」カーティス侯爵は言った。「どうやら我々の完敗のようだ。降伏を受け入れよう」


「クライヴ」セオドリックは侯爵のファーストネームを呼んだ。「卿らはよく戦った。だが最後の戦術はまずかったな。我が軍の多数の前では無力であった」


「いずれにしても勝ち目はなかった。だが、我々は度し難い生き物だ。そうは思わぬか。何事を進めるにも流血無くして道は開けぬ」


 カーティス侯爵の言葉にセオドリックは肩をすくめた。


「今は感傷に浸る気にはなれん。とにかくも、戦闘終結を全軍に伝えよう」


 そうして、全軍にカーティス侯爵が降伏したことが伝わると、やがて侯爵軍の騎士たちは剣を収めた。それから落ち着いたところで、セオドリックは言った。


「ではカーティス、汝の都まで案内してもらおう。降伏の合意文書を取り交わし、民衆にもこのことを広く知らしめねばならん」


「分かった。その前に負傷兵の救護に手を貸してくれ」


「うむ」


 そうして戦闘は集結した。グリフィス軍に損害らしい損害はなく、完勝であった。


 その日は両軍野営を張って、負傷者の救護に夜を徹して当たった。


 翌日、昼過ぎになってからようやく両軍は動き出す。カーティス侯爵の都へ、行軍縦隊を組んで歩み始める。


 一週間ほどで都へ到着すると、セオドリックとカーティス侯爵は宮廷に入って合意文書にサインを交わした。カーティス侯爵がグリフィス家に組み込まれること。領土は安堵されるがカーティス侯爵はウェインボードへの出仕を命じれたこと。これより民の主はグリフィス家となることなどが盛り込まれていた。


 セオドリックはディルク侯爵に一時の統治を任せ、千人程度の騎士を残していった。そうして、グリフィス軍は帰途に就く。



 ウェインボードに帰還したヴィクターは、シャーロットのもとへ帰った。


 愛妻はヴィクターを出迎えて、二人はキスを交わした。


「ようやく、一段落だな、これで」


 落ち着いたところで、ヴィクターは長椅子に腰かけ、ウイスキー入りの紅茶に口をつけた。


「ウィリアムズ家、フリートウッド家、ソーンヒル家、そして我がグリフィス家、この四大公爵が各地を抑えたことになる」


「これからどうなるのでしょうか?」


「さあてね。簡単に想像は出来ないな。この四家が本格的に争うことになれば、またしても大陸全土を巻き込む大乱に発展するかもしれないし……」


「私、怖いですね……あなたのことが心配です」


「はは。俺は死にはしないさ。簡単にはね。生まれてくる子供のためにも。グリフィス家の将来のためにも、死ぬわけはいかないんだ」


 ヴィクターはシャーロットを抱き寄せると、言った。


「大丈夫。君を悲しませたりしない。君は俺にとっての世界一なんだ」


「ヴィクター……」


 シャーロットは夫の腕に顔を寄せた。そうだ。この人が死ぬはずがない。シャーロットはそう信じて、自らに言い聞かせるのだった。



 こうして、激動の一二八七年が終結する。アラドメキア大陸は四大公爵家による大陸四分時代に突入する。


 そして暗躍するザカリー・グラッドストン。


 この情勢がこれからどこへ向かうのか、それを予測し得る者は誰もいなかった。

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