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第二話

 北部の肥沃な土壌地帯を勢力下に置くウィリアムズ家は十万の騎士団を有しており、これは大陸最強とも言われる。エイブラハムは春に入って半ば、周辺の伯爵以下の中級から下級貴族の併合に乗り出した。


 エヴァンは騎士団長ブランドンとともに一万の軍勢に同行し、ミューア伯爵領に侵入していた。ここに至るまで小さな抵抗はあったが、まだ伯爵の本隊とは遭遇していなかった。


 エヴァンはブランドンの傍にあって、兜をかぶり、戦闘服の上に胸当てと肩当て、アームガードにレッグガードを付けている。ブランドンや騎士たちも衣装や形状は違えど、概ねそのような装備をしている。


 そこへ斥候からブランドンの下に報告がもたらされる。


「閣下、この先に伯爵軍およそ五千、我が軍の侵攻を妨げんと前進してきております」


「ほう、戦うつもりか」


 ブランドンの表情は戦場の武人であった。戦場の空気を楽しんでいるかの余裕があった。


「伯爵にその気があるならば我が軍も躊躇はしまい。全軍を以てこれを叩く」


「いよいよだな」


 エヴァンはブランドンに言った。


「エヴァン様、無理はなさいますなよ。父君からお預かりしている大事な御身です」


「私も戦うためにここに来たのだ。父上もそれは分かっていよう」


 エヴァンは高揚感に包まれていた。


 天気は晴天。やがて前方に伯爵軍と思しき軍勢が姿を見せる。五千という数字は間違ってはいないようである。


 ブランドンは全軍を停止させると、部下たちに指示を出す。


「ハンフリー、右翼に付け! クリスは左翼に! 翼部隊で敵を半包囲する! 中央は私が指揮する! 中央と連携して両翼を前進、敵の側面を突け!」


「了解しました!」


「承知!」


 騎兵部隊が戦闘隊形を取り始める。エヴァンはいつでも出る心づもりをした。そしてブランドンが部隊から少し間を開けて全軍の位置を確認すると、陣頭に立って敵の方を向いた。


「全軍! 突撃せよ! 勝利を我が手に!」


 ゆっくり、ゆっくり、だが確実に、騎士団は加速していく。大地に響き渡る軍馬の怒涛。そしてエヴァンらは騎兵の波涛となって伯爵軍に襲い掛かった。


 だが伯爵軍は臆することなく雄たけびを上げて突進してくる。


「猪か、暴徒と化したか伯爵軍」


 ハンフリーとクリスは側面に回り込み、ブランドンは正面から激突する構えである。


 そして。


 両軍はぶつかった。


 エヴァンは敵騎士と打ち合い、相手の腕を切り落とし、馬から突き落とした。続く相手の打撃を弾き返すと、剣を薙いで首を切り飛ばした。さらに怯むことなく押し寄せる伯爵軍相手に、エヴァンはその敵兵の命を奪っていく。


 戦況はウィリアムズ軍の優勢であった。ミューア伯爵軍は正面を突破することも出来ず、側面を突かれ徐々に包囲されつつあった。


 エヴァンはいったん後退して戦場を見渡した。


「伯爵軍はお終いだな。まだ戦う気か」


 もはや伯爵軍は千にも満たぬまでに兵を減らしていた。一方ウィリアムズ軍に損害らしい損害もなく、情勢は決していた。


 エヴァンはまた戦場に戻った。伯爵軍に切りかかり、これを討ち取っていく。大した若様と言うべきであろう。そして、エヴァンは敵軍中央にて、煌びやかな装備をして護衛に守られている人物を発見した。エヴァンは敵の首級に違いないと、周囲の味方と言葉を交わし、これを多数で討ち取らんと試みた。


「確かにあれは敵の首級に違いありません、公子様」


「だろう? ミューア伯爵かも知れんぞ」


「仲間を集めます」


「よろしく頼むぞ」


 そして、エヴァンらは十数名の騎士たちでこれを狙い撃ちした。護衛の騎士は四人程度。これを排除すると、大将と思しき人物を包囲した。


 エヴァンが言った。


「敵の首級と見受ける! ミューア伯爵であれば降伏せよ! 貴君らはもう十分戦ったであろう!」


 すると、その人物は兜を脱ぎ捨てた。


「確かに私はミューア伯爵だ! さすがは大陸最強の呼び声高いウィリアムズ軍! 完敗だ! 負けを認めよう! だが私もこの乱世に生を受けた者! 情けはいらぬ! この首、討ち取るがいい!」


 伯爵は言って馬から降りてきた。エヴァンは言った。


「我々は人間だ! 獣ではない! 流血で理性を失うことはない! 戦の勝敗は明らか! もう一度言う! 降伏されよ!」


「人間なればこそ! 敗者に情けは無用! この世は弱肉強食! 我が命はこれまで! それが天命なり!」


 そう言うと、ミューア伯爵は剣を自身の首に当ててそのまま切った。鮮血が噴き出し、伯爵は倒れて絶命した。


「愚かな……」


 エヴァンは伯爵の亡骸に目を落とした。友軍の騎士が声をかける。


「公子様のなさりようは我々が見届けました。間違ってはおりません。我々が証人となりましょう」


「ああ。ブランドンにこのことを伝えねば。伯爵は死んだ」


「私が」


「よろしく頼む」


 エヴァンはそう言うと、後方に下がった。友軍も大部分が後退している。


 さすがの伯爵軍も降伏し、戦闘は終結しつつある。


 ブランドンがエヴァンのもとへやってきた。


「エヴァン様、報告を受けました。お見事です。敵も戦意を喪失した模様です。間もなく戦は終わりましょう」


「こう言っては何だが、後味の悪い戦であったな」


「他人の心は意のままにはなりませぬ。ミューア伯爵には彼なりの価値観があったのでしょう。確かに愚かなことでしょう。ですが公子様は手を差し伸べられた。それで十分ではありませんか。戦もまた結果です。そしてまた次の戦がありましょう」


「そうだな」


 エヴァンは吐息して肩をすくめた。


「各戦線の味方は無事だろうか」


「大丈夫でしょう。格下の貴族相手に後れを取ることはありますまい」


「それでも心配は心配だ。ところで我々は一時帰還するのかブランドン」


「伯爵領の城に入場し、我々の勝利を領民にも彼の家臣らにも知らせねばならぬでしょう」


 戦は完勝であった。というわけで、生き残ったミューア伯爵軍の捕虜を伴って、エヴァンらは伯爵領の都ギグレブに向かって行軍した。


 その様子を、畑仕事をしている農民たちは手を止めて不安そうに見つめていた。


 ギグレブに到着したウィリアムズ軍は、ブランドン他上級騎士数名、エヴァンらが都の中へ入った。


 ギグレブはウィリアムズ家の都に敵うことはないが、それでも市場や繁華街は活気づいており、これを支配下に収めることが出来るのは大きいだろう。


 ギグレブの宮廷に残っていた貴族らに、ミューア伯爵の死を伝える。


「これより伯爵領はウィリアムズ公爵閣下の一部となる。汝らには公爵閣下のために働いてもらう。心して頂こう」


 相手は貴族だが、勝利した軍の指揮官であるブランドンは遠慮なく言った。


 貴族たちは男爵子爵たちである。主君の死を知って動揺していた。いずれにしても彼らに選択肢はない。抵抗したところですぐにウィリアムズ軍がやってくる。彼らはブランドンの言葉を受け入れ、ウィリアムズ公爵の麾下に入った。ブランドンはハンフリーと百名程度の騎士を残して一時ウィリアムズ家の都グラドベルムに帰還することにした。



 グラドベルムはウィリアムズ公爵領最大の都であり、この動乱の中にあっても秩序を保っている。麾下の貴族たちの私邸が多数あり、宮廷には多くの貴族たちが出入りする。それ以外に、魚介類から畜肉、新鮮な野菜などが所狭しと並ぶ巨大マーケットがあり、多数の職人たちのギルドがあって店舗を構えている。小売店や飲食店も多数店舗を構えており、都の活気はウィリアムズ家の繁栄を映し出していた。


 エヴァンが戻ってきたときには多くの貴族たちがいまだ戦に出払っており、宮廷は閑散としていた。


「公子様、お戻りでしたか」


 出迎えてくれたのはマレット侯爵であった。中肉中背の男で、灰色のシャツにベージュのズボン、ショースに革靴を身に着け、群青色の外套をまとっている。現在三十八歳。黒い髪に茶色の瞳をしたウィリアムズ家の実質的にナンバーツーである。


「ジョン、味方はまだ戻らないのか」


 エヴァンは侯爵のファーストネームを呼んだ。


「いえ、レドモンド伯にダックワース子爵、サー・エグルストンが帰還しております。我々は各地で勝利を収めております」


「そうか、それは良かった」


「先ほどエイブラハム公爵閣下から連絡が届いております。プラント伯爵を降伏させたとのことです。程なくして帰還されるでしょう」


 マレット侯爵の言葉にエヴァンは喜色を見せた。


「まずは北方を完全に収めなくてはならないな。この勢いで勝利を手にしたいものだ」


「お兄様!」


 スカーレットであった。妹は駆け寄ってくると、エヴァンの胸に抱きついた。


「良かった! ご無事でしたのね!」


「ああ、スカーレット。無事に決まっているだろう。俺が死ぬとでも?」


「兄上」


 リオンも来ていた。


「兄弟そろって出迎えか。ありがとう」


「やはり兄上が負けるはずがありませんね。数的にも有利な戦、大勝だったのでは?」


「ああ。まあな」


 エヴァンはスカーレットの頭を撫でながら答えた。


 それにしても、とエヴァンは思う。恐らくこれ程大規模に兵を動かしたのは我が家が初めてのはず。これに続いて諸勢力も動き出すのではないか。戦は瞬く間に大陸を飲み込みだしてしまうような気がしてならない。のんびりと情勢を見る時間は終わりを告げるのではないか。我が家も後れを取るわけにはいかない。もしかすると、急に忙しくなりそうな予感がするな。


「お兄様? 難しい顔をして、何を考えておいでですの?」


「いや、何。まあ、俺にも色々と思うところもあるわけさ」


「戦のこと?」


「まあそんなもんさ」


 エヴァンはスカーレットを両手で持ち上げると、笑った。


「まあ、我が家の姫君を悲しませるような真似はしないさ」


 それからスカーレットを軽々と床に置いた。スカーレットは兄にコンプレックスを抱いてしまいそうで複雑な気分だった。同い年の貴族の子弟にこんな強い男性はいないから。妹のそんな気も知らずに、エヴァンはスカーレットを優しく撫でた。


「もう! そんなに頭ばかり撫でないで!」


「おや、そうかい」


 エヴァンは笑って手を引っ込めた。


 そこへまた娘が現れた。エステル・マレット。マレット侯爵の娘である。年齢は十八歳。長い黒髪に茶色の瞳、しなやかな麗しき侯爵令嬢である。今は青いドレスを身に付けている。そして。


「エヴァン、おかえりなさい」


 エステルは言うと、エヴァンにキスした。そう、エステルはエヴァンの恋人であった。


「無事で何よりよ」


「エステル、ありがとう」


 エヴァンは今度は自分でエステルを抱き寄せるとキスをした。


「あなたが戦に出るたびに不安になって仕方がないのよね。今日は生きて帰ってくるだろうか……。大怪我をしたりしていないだろうか……とか。私にとってあなたは特別だもの」


「そいつは嬉しいね」


「私、本気で言ってるのよ」


「分かってるよ。でもね、いつかその心配もなくなる日が来るさ。必ずね」


 このまま多分エステルと結婚して、自分も家庭を持つのだろうとエヴァンは思う。それもそう遠くないだろう。あと二年か、三年もすれば。また周りが放っておかないだろうし。


 エステルは不思議そうな顔でエヴァンを見ている。


「戦はすぐに終わるっていうの?」


 エヴァンは答えた。


「それもある。でももっと先、俺はいつか王になる」


 エステルは驚いた様子だった。


「何を言ってるの?」


「驚くことは無いだろう? 父上が王座に就かれれば、その跡を継ぐのは俺なんだし」


「ああ……そうね」


 だがエステルは目を丸くしていた。


「私そんな風に考えたことなかったわ」


「想像するのは自由だからね」


 エヴァンは面白がって笑った。



 数日が経つうちに、続々と各方面に出ていた貴族や騎士たちが凱旋の帰還をしてくる。エイブラハムの姿もそこにあった。


「父上!」


 宮廷にて、子供たち、エヴァン、リオン、スカーレットらはエイブラハムに駆け寄る。公爵は三人の子供たちを受け止めた。そして妻セシリア。


「あなた。ご無事で良かった」


「ああ。なかなか手ごわい相手だった」


 他の貴族たちも家族らとの再会を喜んだ。また騎士たちもそれぞれに家庭がある者もいれば大切な人がいる者もいる。生き残った者たちは再会を喜んだ。


 全軍が帰還して、エイブラハムは主だった家臣団を集めると、ひと演説打った。


「皆の者! 勇者たちよ! よくぞ最後まで戦い抜いた! 我が軍の全勝である! 今回の勝利は誰が大陸の覇者たるのかを知らしめるものであろう! 敵は恐れおののき、ウィリアムズ家の双頭の鷲の軍旗を目にするものは、誰もが我らが何者かを思い出すであろう! 我が軍の完勝である! ひとまずこの最初の勝利を祝おうではないか! 軍神に感謝を! 乾杯!」


 家臣団は歓声を上げて乾杯した。一二八五年春、ウィリアムズ家は周辺の制圧に乗り出した。そしてそれは、ついに諸勢力をしてウィリアムズ家同様の武力行使に踏み切るきっかけを与えるものとなるのであった。

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