第十七話
大陸東方のグリフィス家は、先年の怪異の事件があってから極秘にその後を追っていたが、さしたる収穫を得ることも出来なかった。
そんな中にあって、ヴィクターは大陸中央の中立地帯、かつての王都ライアンウォードに数カ月滞在していた。王立図書館でザカリーの件を知ることが出来ないか、調べ事をした。王立図書館にはウェインボードとは比べ物にならないほどの蔵書があり、ザカリー・グラッドストンに関する本も見つけることが出来た。
かつてザカリーは人間であったが、闇の神々との契約によって不死身の肉体を手に入れた。だがその代償として命を捧げることになる。つまりザカリーは死人であり、上位のアンデッドモンスターであることが分かった。その力は絶大であり、国を一つ死人の大軍を以て滅ぼしたという。当時大陸は七つの王家が存在していたが、そのうちの一つが滅ぼされた。七つの王家は「神の谷」と呼ばれるゴッドマウンテンの渓谷に七人の勇者を派遣した。そこでは神との交信が可能であるとされていた。神の谷に関しては七王家も最初から把握していたわけではなく、それを見つけるのに七人の勇者は半世紀を要した。人生をかけたクエストであった。すでに勇者たちは老人となっていたが、神の谷で神々との交信に成功し、アンデッドと敵対する光の神々の力を借り、七本の剣を授かる。それは七世神器と呼ばれるもので、闇の力を無力化できる力を秘めていた。そして邪悪を封じる強力な神霊封印を施すことが可能な触媒でもあった。勇者たちはそれを持ち帰り、七つの王家はザカリーの死の軍団に立ち向かうこととなる。神器の力は圧倒的で、ひと振りで百や千のアンデッドを葬り去るほどであった。神器の力を恐れたザカリーは北へ逃亡し、結界を張った。しかし人類は勢いづき、ザカリーを猛追し、神器で結界を破壊すると、ついにザカリーを北の極地に追い詰める。そして新たな若い七人の戦士が戦場に向かい、神器をザカリーの体に突き刺し、神霊封印を施すことに成功する。ザカリーは封印空間に閉じ込められ、七人の戦士は命と引き換えに闇の魔導士からこの世界を救った。
ざっくりとではあるが、ヴィクターは本をあさってこうした情報を手にした。本を写し取り、ウェインボードに帰還した。
そしてヴィクターはセオドリックにその写しを見せながら、調べ事の成果について語った。セオドリックは息子の話を聞きながら写しに目を通していた。
「ゴッドマウンテン……神の谷か……」
「父上には何か心当たりがおありですか?」
「いや」セオドリックは即答した。「聞いたこともない。ゴッドマウンテンなどと言う山も神の谷とやらのことも。現在の地図には載っていない。だが……」
「何かご存知ですか?」
「この類の話をするなら、錬金術師を頼ってみると良い。エイマーズ伯爵家、他家の領地を横断しなくてはならんが、北のバラメア山にその筋では有名な錬金術師がいると聞く。名はブレット・カッター。生きておれば六十歳は越えている老人だ」
「ブレット・カッター……」ヴィクターは呟いた。「では父上、私がそのカッターなる人物のもとへ向かいましょう」
「うむ……注意することだ。ザカリーの件は徐々に知られている。ソーンヒル家のヴァイオレット夫人から文が届いている。北のウィリアムズ家でもゾンビが出たらしい。ヴァイオレットは各地の貴族たちに注意を喚起している。まあ、どこまでみなが信用するかはさておき。そうだ、レイノルズを連れていけ。一人では心もとない」
「はい」ヴィクターはそう言うと、父に問うた。「ところで、父上はどうされるのですか? 戦の支度も進んでいますが」
「そうだな。ひとまずザカリーの件は今回お前に任せる。だが現実問題にも手を付けねばなるまい。まだ他家を抑えねばなるまい。そうだな、どうせならエイマーズ伯爵を攻めてみるか。お前の援護射撃にもなろう」
「はっ」
ヴィクターは軽くお辞儀した。
そしてグリフィス家は北のエイマーズ伯爵領に侵攻を開始した。総兵力は十万である。エイマーズ伯爵は五万余の兵力で迎撃に出る。
ヴィクターはそれを脇目に、レイノルズとともにバラメア山を目指した。戦に忙しい伯爵領を無事に通過していく。ヴィクターは無事にバラメア山のふもとへ到達した。
「ここがバラメア山か……。こんなところに住んでいる老人とは相当の変わり者だな」
「錬金術師というのはだいたい頭がおかしい、というか常人には理解しがたい存在ですからな」
レイノルズは言った。
「ひとまず地元の集落で聞き込みを行いましょう。まあ、セオドリック様がご存知のくらいですから、地元では有名人でしょう」
「そうだな……」
そしてヴィクターは麓にある集落に入った。
集落の人々はヴィクターらよそ者を警戒して見ていた。こんなところに軍馬に乗って武装した男が二人、確かに珍しいのであろう。
ヴィクターは気にする風もなく、レイノルズとともに村の酒場に入った。
ここでも視線を一身に受けることになる。
ヴィクターとレイノルズはカウンターの席に座ると、水とパンを注文した。
「ところでご主人」ヴィクターは言った。「この辺りにブレット・カッターという錬金術師がいると聞いたのだが、ご存知だろうか?」
すると酒場の主は驚いた様子で二人を見やった。
「何だあんたら、あの変人爺さんに会いに来たのか」
酒場の空気が一変した。村に危害を加えに来たわけではないことが分かると、人々は安堵した様子だった。
「そうだ。知っているか?」
「まあそりゃあな。地元じゃ有名な変人だからな。時々村に降りてきては食料を買っていくよ」
「その老人に会いに来たのだ。どこにいる?」
「そうだな……おい! 誰かこの二人をカッターの爺さんのところまで連れて行ってくれる奴はいないか」
マスターが大きな声で言うと、中肉中背の男がヴィクターの方へやってきた。
「俺が案内してやってもいいぜ。手数料を頂くがな」
「そうか。なら……これくらいでどうだ」
ヴィクターは腰の巾着袋から金貨を十枚ほど出した。男は驚いた様子であった。
「決まりだ! 若いの、安心しな。この俺がきっちり爺さんのところまで案内してやるよ」
ヴィクターは金貨を男に手渡すと、「ではすぐにでも発ちたい」と言った。
「分かった分かった。じゃあ今から連れて行ってやるよ」
男は言って、「ついてきな」と歩き出した。
レイノルズは「信用して大丈夫でしょうか?」と囁いたが、ヴィクターは「信用するしかあるまい」と応じた。
男の案内でバラメア山に入った二人は、一応馬でも何とか通れる道を進んでいく。
そして夕刻前、男は「あそこだ」と指さした。見ると、小さな小屋が建っていて、煙突から煙が出ている。
「この時間だ。俺も爺さんのところで一泊させてもらおう」
男は言って先に歩き出した。それにヴィクターらも付いて行く。
馬を木につなぐと、ヴィクターらは男とともに小屋に入った。
「おいブレット爺さん! あんたに客だ! それも金持ちの若様だ!」
しばらくすると、奥からローブを身に付けた白髪で伸び放題の白い髭を生やした老人が姿を見せた。
「なんじゃ大きな声出しよって。悪童コリーか。誰じゃ? 客だと?」
ブレット・カッターは男を見て言った。
コリーはヴィクターらを促した。
「この爺さんがお探しのブレット・カッターだ」
「ありがとうコリーとやら。助かった」
ヴィクターは礼を言った。ブレット・カッターはヴィクターらを見て髭を撫でた。
「あんたらどこから来た? 随分と高貴な身なりをしているな」
そこでヴィクターは言った。
「私はヴィクター・グリフィス。セオドリック・グリフィス公爵の嫡男だ。こっちは付き人の騎士レイノルズ」
コリーはあんぐりと口を開けてヴィクターを見やる。老ブレットも驚いた様子であった。
「公子殿か? 一体この老人に何の用かね?」
そこで、ヴィクターはザカリー・グラッドストンの件について話しだした。昨年の事件から、王立図書館で調べたことなど。ブレットは思案顔でその話を聞いていた。そしてヴィクターの話が終わると、ブレットは言った。
「錬金術師があらゆる人外の専門家と言うわけではありませんが、我々の学術の中に不老不死の妙薬を作り出すことが存在するのもまた事実。そして不死人に関することも無論知っております。ザカリー・グラッドストンも元は錬金術師だったのですからな」
「そうなのか」
「そうです。ザカリーが残した膨大なレシピは我々の間では化学の遺産として受け継がれております。ですが、ザカリーは単なる研究者に留まらず、不死人の伝承に取りつかれ、悪の道に走った。愚か者です」
ブレットはそこでいったん言葉を切った。
「ゴッドマウンテン……神の谷……これらは今となっては伝説ではありますが、中央の旧王都ライアンウォードの地下のことを指しています。ライアンウォードはもともと山でした。ザカリーに勝利した人類が、神の奇跡を授かった場所として、山を切り開き、今の都が建造されたわけです。そして、神の谷は都の地下にあります。現在は封印されているはずですが。谷を守る番人がいて、門を守っている……と。しかし、いずれにしても、そう簡単に神々と交信できるとは思わない方がよろしい。ことは単純ではありません。何も知らない一般人が神と交信したところで精神崩壊をきたし死んでしまうでしょう」
「ではどうすればよいのだ」
「時が来れば分かります。今お話ししたことは公子様にとって大きな前進でしょう。ですが、機が熟してもいないのに、人間の都合で神々はやっては来ません。全ては時間が解決することです。こう言っては完全にファンタジーですが、時が来れば神々のお告げありましょう。待つしかありません。またザカリー・グラッドストンの件については、どうやって復活したのかは不明ですが、我々の世代で決着がつかないこともあると申し上げておきましょう」
「そんな……そんなことなのか」
その晩、ブレットはザカリーの件について知っていること、伝説の戦の話などを交えながら語ってくれた。ヴィクターにとっては収穫が大きなものだった。だが、今はどうすることも出来ないと知って、残念であった。どうあがいても手の届くものでもないと知って不安が増す。
一晩をブレットの小屋で明かして、翌朝、ヴィクターらは礼を言って発った。集落に到着してコリーにも礼を言う。
「世話になったなコリー」
「とんでもありません若様。闇の魔導士とやら、倒すことが出来ればいいですな」
「ああ。ありがとう」
そしてヴィクターはウェインボードに向かって帰路に着く。
エイマーズ伯爵はどうやら敗北した様子であった。駐屯するグリフィス軍に立ち寄って、騎士団長のアルバートと会うことが出来た。アルバートはやや驚いた様子であった。
「これは公子様。どこかにおわすのかと案じておりました」
「ちょっと野暮用でな。戦の様子は? この様子では勝利したのか」
「はい。エイマーズ伯爵は降伏しました。これでグリフィス家は東部第一の勢力となりましょう」
「そうか。それは何よりだ。父上は?」
「セオドリック様であればウェインボードに凱旋帰還されております」
「そうか。ではここはよろしく頼む」
ヴィクターはそう言って、自身も再びウェインボードに向かった。
ウェインボードはセオドリックの凱旋帰還に沸き返っていた。市場や繁華街では売り出しの看板が大きく出ていた。
ヴィクターは何人かの市民たちと言葉を交わして宮廷に向かった。そしてセオドリックの執務室に向かう。衛兵が敬礼してヴィクターを出迎える。ヴィクターは部屋に入った。セオドリックは紅茶を飲んで一服しているところだった。
「ヴィクターか。どうであった、収穫はあったか」
「大収穫でしたよ父上」
ヴィクターは答えた。ブレット・カッターから聞いた会話の内容を父に告げる。
「何と……ライアンウォードにそんな秘密が……」
「ですが父上、ザカリーの件はどうにもならないようです。時が来れば神々の方からやってくると」
セオドリックは眉をひそめた。
「にわかには信じられん話だが……今は放置しておくしかないのか」
「そのようです」
ヴィクターは話題を転じた。
「ところで、戦の方は勝利したと伺いましたが」
「うむ。エイマーズの軍は散り散りに霧散した。我が軍の圧倒的勝利だ」
「これで東部では我が家が第一の勢力となりましたな。ザカリーの件は警戒するとしても、どうにも手の届かぬことに時間を費やすなら天下統一に集中すべきかも知れません」
「そうかも知れんな。……ザカリーか。確かに手の出しようがない」
「ひとまず次の戦に備えましょう。私も戦場に出ます」
ヴィクターは言って、父の前を辞した。
それからヴィクターは婚約者のシャーロットの下を訪れた。
「やあ、お姫様」
「何を言うのヴィクター」
二人はキスを交わすと、シャーロットがヴィクターを家に入れた。
「結婚式も上げないとな。風の便りに聞くところだと、他の公爵家でも結婚ラッシュだったらしい」
「そんな大仰にしなくてもいいのですよヴィクター。身内だけで静かに式を挙げても」
「そうはいかないよ。公爵家の結婚式なのに市井の民のような真似をしていたら他の家臣たちが気を遣うだろう。お金はかけるところにはかけないと」
「そんなものなのですね」
「そうだよ。式場は大聖堂で、大四輪馬車で都内を巡って市民たちにも知らせないと」
「まあ」
そうして、それから一月後、二人は挙式して、めでたく夫婦になったのだった。大聖堂に千人規模の人が集まり、都内の沿道には数十万の民が詰めかけた。この晴れやかな日をシャーロットは忘れないだろう。人生で最高の日だった。