第十六話
ソーンヒル家でも盛大な挙式が行われた。三組のカップルが同時に挙式を上げ、集まった人々は数千人に達した。
ヴァイオレット公爵夫人は人知れず涙を流した。
しかしいつまでも感傷には浸っていられない。ヴァイオレット夫人のもとにまたフランクが戻ってきたのである。
「怪異?」
ヴァイオレット夫人はフランクの口から飛び出した言葉を聞いて眉をひそめた。
「左様です夫人。まだ大事にはなっていせんが、これはとんでもないことです」
「具体的にはどうなの?」
「民がゾンビと化して他の村人に襲い掛かり、少なくとも三桁の被害が出た模様です」
「ゾンビ? それで? その化け物だか何だか知らないものは始末されたの?」
「ええ。地元の騎士が全て葬り去ったとか。人間の武器は通じるようです」
「フランク、あなたはどう思う?」
「かなり危険です。我が領内でも同じ事案が発生すれば、場所によってはパニックになるでしょう。それに、これは自然に発生したものではないでしょう。恐らく人災」
「人災ですって?」
「ええ。いかに自然界が我々の知識を越えていようとも、人間をゾンビに変えてしまうような病原菌があるとも考えにくい。であれば、考えられるのは人災ではないでしょうか」
ヴァイオレット夫人は眩暈を覚えて眉間を抑えた。
「あなたは人災と言うけれど、そんなことが出来る者がどこにいると言うの」
「お伽噺をご存知ですか? 黒衣の魔導士のことを。闇の魔術の使い手、ザカリー・グラッドストン」
「なんですって? あなた正気なの?」
「この怪異の説明がつきます。大陸中の伝文をあさっても、死人使いの名はただ一人、ザカリー・グラッドストンなのです」
フランクは言って、肩をすくめた。夫人は憮然としていた。
「確か……その魔導士は封印されたのよね」
「確かに。伝説ではそうなっておりますが……」
「フランク、ではあなたにグラッドストンのことも調べてもらえるかしら」
「無論です。そのつもりでおりました。ですが、国内の警戒も怠ることなく」
「と言って、皆に何て言えば良いの? 死人使いに気を付けろとでも?」
「怪異の類の事件についての注意、ゾンビが出たらすぐに始末することです」
「……そうね。私たちに出来ることは余りに少ないわ。各地の貴族たちに文を送り
ましょう」
「では私はこれにて。また北部の調査に戻ります」
「気を付けてフランク」
「心得ております」
そしてフランクは風のようにいなくなった。
ヴァイオレット夫人はパイプ煙草に火をつけると、一服した。
「何てこと。今の話を現実にしないといけないの?」
しかし夫人はフランクの意見を容れた。各地の貴族にザカリー・グラッドストンの件に関して伝文を送ったのである。
それからヴァイオレット夫人は表の仕事に戻った。南部平定に向けた動きを加速させなければならない。諸勢力は昨年に増して勢力を拡大している。この件は放置しておくわけにはいかなかった。
ヴァイオレット夫人は騎士と貴族らの上級指揮官を招集すると、南部平定の話を進めた。
「周辺の諸勢力は今のところ我が家に敵うものではないけれど、のんびり構えているわけにはいかないわ。我々が有利なうちに手を打っておかないと」
騎士団長ガーランドは夫人の意見に賛同した。
「夫人の懸念は尤もなことです。敵が強大化する前にその芽は摘んでおくべきでしょう」
「私もガーランド殿の意見に賛同いたします」アッシャー侯爵が言った。「我々は今のところかなり有利な位置にあると言ってよいでしょう。ですが来年にはどうなっているか分からぬ。今のうちに打てる手は打つべきです」
グローヴ伯爵、ガネル伯爵ら、主だった面々も出兵に賛同し、ソーンヒル家は軍事行動に出ることとなった。
この軍事行動にはオーガスト侯爵にブライアンとコーディも参戦した。今回の目的はホール伯爵とマクナイト伯爵の併合であり、ダブルヘッダーとなる。
兵力で圧倒的に勝るソーンヒル軍はひと月もかからぬ期間でこのダブルヘッダーを制した。ソーンヒル家は南部で再び大きく躍進し、他家との差を広げた。
アラソネアに帰還したオーガストはクリスティーナのもとを訪れた。クリスティーナは休んでいてベッドにいた。
「大丈夫かい?」
「うん……ちょっと気分が悪いだけ。みんなこんな風なのよね」
「ゆっくりお休み。無理しないで」
「ええ……御免オーガスト。今はちょっと話す元気がないわ」
「分かった」
オーガストはクリスティーナの手を軽く握って、妻の下を後にした。
ブライアンは「ただいま」を言いにアンジェリアの下を訪れた。
「おかえりなさい!」アンジェリアは元気だった。「あなた、どんなに心配したか。ひと月も戦場に出るなんて……何とかならないの? 公爵夫人にお願いしようかしら」
「今日は調子がよさそうだね」ブライアンはアンジェリアの髪を撫でながら言った。「大丈夫だよアンジェリア。それに、これは母上の子として生まれた僕の使命だよ。安全な場所にいて安穏としていては誰も付いてこないよ」
コーディも妻の下に帰った。
「ただいまクリスタル」
「おかえりなさいませ……旦那様。お勤めお疲れ様です」
クリスタルは相変わらずであった。いつでも微笑んでいる。
コーディはクリスタルと軽くキスを交わすと、妻のお腹を撫でた。
「この子は僕らの話を聞いているんだろうか」
「そうだとしたら……きっと旦那様の優しさが分かっているでしょうね」
「僕らの子だ。元気な子であって欲しい」
「大丈夫ですよ……旦那様のお子ですもの。この子は必ず元気に生まれてきます……」
「この子のためにも、ソーンヒル家の繁栄に尽くさなくては。やがては我が家の一員となる子だ」
コーディは言って、赤子の未来を神に祈った。