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4.一時の穏やかな時間

鳥のさえずりで目が覚めた。

窓から射し込む陽光に目を細めながら身体を起こしたが、すでに隣にいたはずの騎士の姿はない。


ベッドから降りて部屋の窓を開けると、騎士が町服のまま白馬に餌を与えていた。


ナタリーは窓枠に手をついて、その様子をぼんやりと見つめる。


こうやってしていると、自分が罪人として逃走している身だということすら忘れてしまいそう…


目線の先で、餌を食む愛馬の毛並みを手で整えながら、騎士がふっと優しく微笑む。


あ、あんな顔もするんだ…


いつも無表情かしかめているかしかない騎士の顔を思い起こしていると、トントンと部屋の戸を叩く音がして、扉が開いた。

そこにはパンやスープなどがところ狭しと乗った、大きな盆を両手で抱えた宿屋の娘が立っていた。


「目覚められましたか?お食事お持ちしました」


「ありがとう」


娘から食事を受け取りながら、部屋のテーブルへと並べていく。


パンにスープに、サラダにチーズに…卵にお肉…?


「これ、朝食よね?ちょっと多過ぎない?」


「ダメですよ!お嬢様!ちゃんとしっかり食べないと身体に障りますよ?お一人の身体じゃないんですし」


娘が両手を腰に当てて仁王立ちをして見せた。


「はい??」


「だって、夕べは体調が優れなかったのですよね?今朝騎士様から伺いました。それってつまり、そういうことでしょう?ご懐妊されて…」


「ち、違う違う!そうじゃなくて、ただ疲れて寝てしまっただけで…」


ナタリーは慌てて手をブンブンと目の前で振った。


「なんだ…そうなんですね」


急にがっかりとする娘を前に、何となく居たたまれなくなってしまう。


「あー…でももしかしたら、その可能性もないわけではないから、お食事は戴くね」


ぱぁっと娘の顔が明るくなった。


可能性はゼロだけどね。


ガタっと音がして、騎士が部屋へと戻ってきた。


「あ、騎士様。お食事お持ちしましたので、お召し上がり下さい」


「ありがとう」


棚の上に置いていた布切れで手を拭きながら、騎士が礼を述べた。


「お嬢様のお身体お気遣い下さいね」


そう言って、宿屋の娘が騎士に笑顔を向けてから部屋を出ていったのを見届けてから、騎士が不思議そうな表情で首を傾げて席に着いた。


「気にしないで。あれ、私が夕べつわりで体調崩してたと思ってるだけだから」


騎士が口に含もうとしていたスープを吹き出しながら、ゲホゲホと咳込んだ。


「どうしてそうなった?!」


「あなたが体調崩してるって話したんでしょう?」


ナタリーはちぎったパンを口に放り込む。


「俺は、少しゆっくり身体を休めたいようだから、食事は後からでいいと伝えただけだ」


騎士が眉を歪めて見せた。




昼になり、数日分の水やちょっとした食糧を積み込むと騎士と共に馬に乗った。

甲と上半身の鎧は食糧と一緒に馬にくくりつけられている。

騎士は下半身の鎧だけ身に付け、上には白い町服を着ていた。

全身鎧のままよりは確かに目立たない。


白い大馬の横で、宿屋の娘が心配そうな顔持ちでこちらを見上げていた。


「くれぐれもご無理されませんよう…」


「あ、ありがとう…」


複雑な心境でお礼を伝えると、その後ろで騎士がさらに複雑そうな顔で笑いを堪えていた。


「何かあればまたお立ち寄り下さいね!きっとですよ!」


馬でその場を離れながら、宿屋の娘に手を振る。


「あの娘、よほどお前と仲良くなりたいようだな」


「え?!そうなの?」


「そう見えるが?」


「そうなんだ…また会いたいなぁ」


「もう戻ることは二度とないがな」


…そうだった。隣国へ逃げたらもうアバロンへは来れない約束だったんだ…


「今日は少しでも歩を進めておきたい」


頭上で騎士が言った。

白馬は一定の速さを保ったまま走り続けている。


「一晩ゆっくり休めたし、大丈夫!妊娠もしてないし」


「アーロンの子でなければな」


笑いを誘うつもりで言っただけだったが、騎士が心なしか不機嫌になった気がして驚いた。


あ、そっか。

ナタリーはアーロンとの姦淫罪で処刑されるはずだったんだ。

それはつまり、アーロンの子を身籠っていてもおかしくはないってことよね…


もし時期国王の子をナタリーが妊娠していたとしても、処刑してしまえばそれも関係ない。

処刑にする理由の一つでもあるに違いない。


うーん…でも…

女の勘だけど、妊娠してるとは思えないのよね。


そもそもナタリーは祖国のためとはいえ、本当にアーロンを誘惑までして手に入れようとしたのかな…


私はこの小説を何度も読み返してきた。

それはこのナタリーではなく、主人公であるシャーロットやアーロンの愛に溢れる恋模様が好きだったからだ。


一人の男に見初められ、愛し愛される幸せな結末を迎える主人公。


それを壊そうとする邪魔者ナタリー。


でもそんなナタリーにも人生があって、感情があって、どうにもならない葛藤を抱えていたのかもしれない。


本当は他に愛する人がいたとしたら…?

祖国のために泣く泣くアーロンと結ばれようとしたのなら…?

本当に愛する他の誰か…


ナタリーはそっと騎士を盗み見た。


「なぜ、脱走などという危険な真似をした?」


それに気付いたのか気付かないのか、ふと騎士が聞いた。


「えっ…?」


「すぐにその場で捕らえられでもしたら、死神が呼ばれることもなく、すでに処刑されていたはずだ」


「それは…」


「一国の令嬢がそこまでの度胸を兼ね備えていたとは、正直驚いたが」


「だって…あのまま処刑されるだけの運命なんて嫌じゃない?たとえすぐに捕まったとしても、最後の最後まで足掻いてみたかっただけ」


騎士は人知れずふっと笑みを浮かべた。


「なかなかいないな、そんなことを考える令嬢など。アーロンみたいなつまらん男には勿体ない女だ」


ナタリーが、そっと騎士を見ると、騎士の顔がほんの少しだけ緩んでいるように見える。


時折見せる、そのナタリーを愛しむような瞳は一体どうして…?

この二人には何かあるの…?




それから2日ほどは野宿だった。

正確にはほぼ夜通しで走るような状態で、きちんと休めてもいなかった。

実際に走っているのは馬とはいえ、さすがに体力にも限界がきている。

食事といっても保存がきく軽食ばかりだし、お風呂だって入れていない。

その最初に立ち寄った宿屋で調達した食べ物や水も、底を尽きかけていた。


「今夜は宿で休もう」


「やったー!!」


騎士の声に思わずナタリーは声を上げた。


「やったー?」


また騎士の頭上にはてなマークが飛んだ。


つい、こちらにはない言葉が口をついて出てしまう。


いけないいけない。気を付けなきゃ…


宿屋に着くと、部屋に通される前に風呂へと促された。


どれだけ汚いと思われてるのよ…


数日ぶりに身体を流すと、気持ちも落ち着く気がしてくる。


この世界にきて、何日だっけ?

すごい年月が過ぎてるような気がするけど、まだ数日なのよね。


落ち着ける時間が増えると、ふと元の世界が恋しくなる。

長年住んでいた家も、何もない田舎が嫌で飛び出した実家さえも、もう戻れないかもしれないと思うと急に悲しみが込み上げる。

親も友人も、最近はケンカばっかりだった彼氏のことも…


ふと涙で視界が滲んだ。


仕事がツラかったのだって、自分で前向きに捉えようとしていなかっただけで、本当に逃げたかったわけじゃない。

この世界に来て、生きることが簡単ではないことを思い知った。

命を失うこともすぐ身近にある。

今なら元の世界を有意義に過ごせるのに、もう私はこの先ナタリーとして生きていくしか道はないのかな…



風呂から出て、部屋へ入ると温かい食事が用意されていた。

一軒目で立ち寄った宿屋があまりに対応がよかったからか、ここの宿主が無愛想に見えたが、サービスは行き届いている。

騎士の金払いが良いせいだろう。


国王お抱えのアバロンの最強の騎士ともなれば、それなりに裕福ではあるのかもしれない。


ふと奥に目をやると、また大きなベッドが一つだけ置いてある。


「またベッドは一つ…」


「仕方ないだろう。夫婦とでも言った方が入りやすい」


先にテーブルについていた騎士が平然と言ってのける。


「夫婦?!駆け落ちから夫婦設定に進化してるし」


ナタリーも騎士の向かいに腰を下ろした。


テーブルには、キレイにカットされたパンや美しく盛り付けられた肉や野菜が並べられている。

その横には赤いワインのボトルも置かれていた。


「え…?ワイン?」


「ワイン…?あ、葡萄酒のことか」


「あ、そう葡萄酒。飲むの?」


ここでは、ワインとは呼ばないのね。

それにしてもお酒まで用意されてるなんて。


「頼んだわけじゃないが、店主が持ってきた。飲むか?」


うんと頷くと、騎士が目の前のグラスにルビー色の液体を注いでいく。

注ぎ終わると、今度は自分のグラスにも注いだ。


「お酒は強いの?」


「それなりに。出身が葡萄酒の名産地だったからな」


騎士が一口葡萄酒を口に運ぶ。


「出身はアバロンではないの?」


「違う。これから向かう南の地の、さらに南」


「故郷が恋しくはならない?」


ナタリーも葡萄酒を口に含んだ。


「………いや、故郷はもうない」


「え?」


「滅んだんだ、子供の頃に。そこから様々な国を転々として何とかここまでなったが」


騎士がレアに焼かれた肉にナイフを入れる。


「そうだったんだ…」


言葉を失ったまま、ナタリーは切り分けられているトマトをフォークに刺して口に運んだ。


「雇われの騎士の身の上など、大体似たり寄ったりなものだ。国と国の争いが頻発する昨今ではやむを得ない。己も今やその戦いに荷担して、金を得ているのだから馬鹿にもできん」


「ツラくない…?」


「そういう世の中だ。今まさにお前もそれに否応なく巻き込まれているんじゃないのか」


そう。

この人はそんな境遇の私を処刑するどころか逃がそうとしている。

それは同情…?

それとも別の理由が…?

だとしたら、きちんと言わなくてはならない。

彼にとって、私が生かす価値のある者なのかどうか。


「私がもしナタリーではなかったら、それでもあなたは私を助けた?」


急に神妙な顔で問うたナタリーに、どういう意味だとでも言いたげに騎士は眉をひそめた。

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