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スマホの検索画面に「藤堂詩織」と打ち込んで、自分でウケた。僕は藤堂詩織についての小説のノートを失くしてしまって、詳細な箇所が出て来なくなってるのが思いのほかショックで。気休めに、というか慰めに、というか。僕の知ってる藤堂詩織については何も知らないはずのWEB検索機能に頼ったのだ。結局どこにもいなくなってしまったのなら自分で書き直すしかない、そんなふうに踏ん切りをつけたかったのかもしれない。でもそれが間違いだったのだと思う、多分。あまりにも膨大な数の藤堂詩織は、なぜか僕をちっぽけに見せ、どこにも居場所がないような気分にさせた。それでも僕は藤堂詩織に縋り付くしかなかった。むしろ膨大な数の藤堂詩織の存在だけ、今まで以上に僕は彼女に執着し始めたのだと思う。藤堂詩織のファンアート(?)というか、書き手の中にはイラストが趣味の人もいてその絵を見てこんなのは全然藤堂詩織じゃないとケチをつけたり、小説の中の心理描写に勝手に辟易したりしていた(藤堂詩織はこんなこと考えない。書き手の読み込みが甘すぎるし妄想を押し付け過ぎ)。もちろんコメントには何も書き込まない。そもそも藤堂詩織を知る人間であることが知られるのが嫌だったし、他の書き手と仲良くするつもりはなかった。万一、藤堂詩織についての情報交換会めいたことに発展してしまったら、僕だけの藤堂詩織について知っている事柄を無理やり渡せと迫られるかもしれなかったからだ。
「ねえ、いつもスマホで何見てんの?」
東野さんは多分友達がいない。女子で一人で弁当食ってるようなやつはたいてい友達がいないのだと、ある書き手の藤堂詩織の友達がそう言っていた。藤堂詩織はそんなこと言わない。
「いや、別に、SNSとかだけど」
嘘ではない。SNSにも藤堂詩織の小説の断片が落ちていることがあった。
「アカウント持ってるの? フォローしていい?」
距離感やばいなこいつ。だから友達いないんだよとか思いつつ
「アカウントは無くて、たまに検索して見るくらいだから」
と、ここでは嘘をつく。社交上の嘘だ。藤堂詩織の小説をつぶやく人間を直接フォローせずミュート機能でマーキングしてその足跡を辿れるようにするのと同じ。誰も傷つけないような社交上のテクニックだ。
「そうなんだ……」
と言ってスマホをしまう東野さん。
「じゃあ、今日部活来る?」
「ごめん家の用事が……」
といういつも通りの建前会話。東野さんと僕は偶然にも同じ部活だった。その半数が帰宅部みたいなものだが。
「そうなんだ…………」
東野さんはやっと話しかけるのをやめ、改めて弁当に取り掛かろうとしていた。どうでもいいけど食事中にスマホは触らない方がいいと思います。