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七人の子供たちは皆、それぞれ好きなように私のことを呼んでいた。

二番目にうちに来た子は私のことをいつも少し嬉しそうに「おかあさん」と呼んでくれたし、三番目に来た子は「かあちゃん」と優しく微笑みながら私のことを呼んだ。四番目にやってきた双子はよく二人で声をそろえて「ママ」と話しかけてくれたし、五番目にやってきた子はまだ幼くて舌足らずだったけど一生懸命に「おかあ」と叫びながら可愛い笑顔を見せてくれた。最後にうちに来た子は私のことをよく「クソババア」とか「てめぇ」と呼んでいて、いつも「まだババアって呼ばれるような年齢じゃない」って怒っていたけど、今となってはそれもいい思い出だ。

そして、ルカはいつも私のことを「イェルダ」と名前で呼んだ。時に呆れながら、時に優しく微笑みながら。ルカは出会った時からずっと私のことを名前で呼び続けた。私はルカにそう呼ばれるのが好きだった。

もちろん、子供たちに「おかあさん」とか「ママ」と呼ばれることも本当に本当に嬉しかったし、好きだった。だけど、ロイさんが亡くなってめっきりと呼ばれることがなくなった私の名前を彼はいつも大切そうに呼んでくれたから、私はそう呼ばれるたびに他の子たちに呼ばれる嬉しさとはまた少し違うくすぐったさを感じていた。

だから、実をいうとさっき「ジゼルさん」と呼ばれたとき私はもう「イェルダ」ではなくなったのだという実感と一抹の寂しさを覚えた。もう過去は過去なのだと。


でもよく考えてみればそれは当たり前のことなのだ。私だって、新しい家族がいて、友達がいる。

だからこうして少しずつ過去の思い出と折り合いをつけていこうと、そう思っていたのに―――。



「いつまでそうやって固まってるつもりですか、イェルダ」


やはり聞き間違いではなかった。

ルカは私のことを見てもう一度はっきりと「イェルダ」と口にした。


「な、んで」


最早白々しく嘘をつき通す余裕もなく、呆然と漏れた声は思っている以上に小さく、掠れていた。


「なんで?それは何に対する疑問ですか?嘘が見破られたこと?それとも貴女がイェルダだって気づいたこと?」

「ぜ、全部」

「嘘についてはさっき言った通りですよ、貴女は噓を吐くのが下手なんです。思ってることがすぐに顔に出るし、嘘を吐くときは決まって耳を触る」

「そ、それじゃあ私がイェルダだっていうのは、いつから……」

「初めて会った時からです」


は、初めから?な、なんで!?


「貴女が、王宮で歌っていた東洋の歌。あれ、貴女が好きでいつも口ずさんでいた歌でしょう」


予想外の答えが返ってきて私は「へ?」と間抜けな声を漏らす。


そういえば、この前もそのことについて聞かれたけど、じゃあ、あの歌を歌っているっていうだけで私に気づいたっていうのか?いや、さすがにそれは少し発想が飛躍しすぎじゃないか?


ルカは首を傾げる私に気づくとスっと目を逸らした。その様子はなぜか少し気まずそうに見える。


「⋯⋯イェルダは、いつも同じところで音を外すんです。歌いまわしも原曲と比べるとかなり独特ですし。それで王宮で聴こえてきた鼻歌も同じところで音を外していたので気になって」



……なん、だと。


遠回しに告げられた音痴宣告に私は思わずカっと目を見開いた。

確かに思い返すと、ロイさんは私が歌うのをいつも何とも言えない微妙な表情で聞いていたし、子供たちにもよく「変な歌だね」と言われていたけど、まさか全部私が音痴だったのが原因なのか?!



「それで、その聴こえてきた鼻歌に気を取られていたので前から来る貴女に気付かずにぶつかってしまったという訳です」

「そ、それじゃあ、ルカはあの歌だけで私がイェルダだって気付いたの?」

「いえ、確信したのは貴女が僕を引き留めた時です。でも今はそんなことはどうでも良い」


え、全然どうでも良くないですけど?と抗議する前に机の上に置いていた私の手をルカがそっと包み込んだ。


「イェルダ、僕は怒ってるんです」

「え?」


その顔には言葉とは裏腹な綺麗な微笑みが浮かんでいた。


そう言えば、と昔の事を思い出す。

ルカは昔から怒りの感情がピークまで達すると笑う人だった。

最初は普通に怒ってお説教をするのだが、同じことを何度も繰り返したり、いつまでも反省しないでいると、今みたいにお手本のように美しく微笑んで実力行使に出るのだ。

前世でも何度かルカを本気で怒らせて大変な目にあったというのに、どうして今まで忘れていたのか。


というか今日はやけに笑顔が多いと思っていたけど、もしかしてあれは上機嫌だったわけではなく、ずっと怒っていたのだろうか。


「あ、あの、怒ってるって、どうして?」


恐ろしすぎる可能性に戦慄したものの、心当たりがないので素直に聞いてみた。


「……あの時、王宮で会った時、どうして本当の事を話してくれなかったんですか」

「そ、それは」

「貴女は僕に気付いていたはずだ。それなのに何も言わなかった。もし僕が気づかなかったら、あのまま終わらせるつもりだったんでしょう?」


否定しない私にルカは乾いた笑みを漏らした。


「生まれ変わったら僕は他人扱いですか。もう関わりたくもないですか。貴女にとって僕はそんな簡単に切り離せる存在だったんですか」

「ち、違う!そうじゃない。そうじゃなくて、勿論今でも貴方達の事はとても大切に思ってる。だけど生まれ変わりだなんだ言って現れたら混乱させちゃうかと思って」

「混乱?」

「だってイェルダが死んでからもう十六年も経ってるのよ。決して短い時間じゃないわ。きっとみんな、それぞれの人生を歩んでる。それなのに今更目の前に現れても、なんというか、反応に困るでしょう?」


子供達がどんな風に成長したのか、見たい。

だけどそれはあくまでも私の個人的な願望であって、自己中心的な考えだ。

子供達からしたら死者である私はきっと過去になっているだろう。

それなのに見覚えのない人間が突然現れて生まれ変わっただなんだと言い出したら、普通は困惑する。もしかしたら頭のおかしな人間だと思われるかもしれない。私自身、こうして自分が体験するまで生まれ変わりなんてもの本当にあるとは思っていなかったし。


「何の因果かこうしてイェルダの記憶を持ったまま新たな生が始まったけど、私は皆の人生の邪魔にはなりたくない。過去は過去のままで終わらせた方がいいんじゃないか、このまま貴方達には関わらず生きた方がいいんじゃないかって、そう思ったの」


慌てて話し始めたから少し説明が支離滅裂なものになってしまった。

ルカは私の話を聞くと握っている手に込める力を強めて、言った。


「あんた、本当に馬鹿ですよね」

「⋯⋯ん?」

「昔っから馬鹿だ馬鹿だと思ってはいましたが、久しぶりに会ったので貴女の馬鹿さ加減を忘れてました。そういえば、貴女はただの馬鹿じゃなくて大馬鹿野郎でしたね。僕としたことが失念していました」

「いや、あの、え、ル、ルカ?」


怒涛の馬鹿発言に目を白黒させている私をルカが睨みつける。


「イェルダは僕達が貴女をどれだけ大切に思っているか、分かっていなさすぎる。反応に困る?関わらずに生きて行った方が良い?意味不明なこと言わないで下さい、はっ倒しますよ」


は、はっ倒す。


戸惑いながらも、美しい顔に似合わない言葉遣いに私は少しの懐かしさを感じた。

ルカは昔から怒ると少し口が悪くなる。彼自身は元々育ちが良くないせいだとその性分を嫌っていたが、私はいつも完璧な彼が時々見せる隙が嬉しかった。


「それじゃあ聞きますが、仮に今僕が死んだとして、歳月を経て生まれ変わりイェルダの元に再び現れたら貴女は会いたくなかったって思いますか?自分の人生において邪魔な出来事だと思いますか?」

「お、思うわけないじゃない!!ルカはどんな姿でもルカだし、会えたら嬉しいに決まってる!……って、あ」

「僕達も同じです。貴女がたとえ、異形になっていようとゾンビになっていようと、イェルダがイェルダであるならば、僕達はその再会に心から感謝します」


ルカが目を伏せる。


「貴女は昔から自分を勘定に入れようとしないし、自分の価値を理解していない節がありましたけど、生まれ変わってもその癖は治らなかったんですね」

「……え、え?そ、そうかな?」


自分では全く無自覚だったので、そう言われてもあまりしっくりこない。


目を泳がせる私をルカが眼光鋭く睨みつける。


「そうですよ。昔っから貴女は何でもかんでも自分のことは後回しで、その癖、人にはお節介を焼いて。いつもいつも自分の身よりも赤の他人のことを優先させるんですから。僕は何度も何度ももっと自分のことも大事にしろって言っていたのに……って、なんですかそのにやけ顔は」

「え?」


指摘されて気づいた。

確かに口元がだらしなく緩んでいる。


「人が怒ってるって言うのに、貴女は何をそんな上機嫌に笑ってるんですか」

「……ご、ごめん。ルカが変わってないのが嬉しかったのかも」


あまりに昔と変わらない怒り方をするものだから、説教されている側だと言うのに、つい懐かしさを感じてしまった。


「貴女も外見以外は何も変わってませんよ。呆れるほどにね」

「えーっと、それ褒めてる?」

「ノーコメントです」


言いながら、ルカは私の手をそっと離した。

温もりがなくなり僅かな寂しさを感じていると、彼は席を立ってこちらへやってきた。


「どうしたの?」

「⋯⋯おかえりなさい、イェルダ」


一瞬、呼吸を忘れた。

それはあの日、私の生が終わった日、当たり前に聞けると思っていた一言だった。

家に帰って「おかえり」と出迎えてもらって、私は皆を抱きしめる。それが、当たり前に出来ると信じて疑わなかった。まさかあんなところで終わってしまうだなんて、夢にも思わなかったのだ。

そして、またこの子の口からその言葉を聞くことが出来るとも思っていなかった。


「た、だいま」


一気に目頭が熱くなる。振り絞った声は無様に震えていた。そんな私をルカは何も言わずに抱きしめる。

その優しさとぬくもりに少しだけ泣いた。




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