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「このお店、こんな素敵な個室があるんですね。入ってきたときはわかりませんでした」
メニューを見ながら、気になっていたことをルカに聞いてみた。
確か、以前の店にはなかったはずだ。
「ええ、数年前に改装したときに新しく作ったそうですよ」
なるほど。ヴィリアム昔から店をもっと自分好みに可愛く改装したいって言ってたもんな。
「初めて来たお店ですけど、雰囲気も居心地も良いしすごく素敵なところですね」
私もまたここに通っちゃおうかな。だけど、それだとルカと鉢合わせになったりしちゃうかな。
「……ところで、ジゼルさんは何か嫌いなものとかありますか?」
「なっ、い、です」
カテリーナとか誘ってここでランチとかもしてみたいな、なんて考えているところに突然ルカに今世の名前を呼ばれ、動揺しておかしな返答になってしまった。
自分はルカのことをオーバリ様と呼んでいるくせに、ルカからその名前で呼ばれるとものすごい違和感がある。
さも喉の調子が悪かったかのようにわざとらしく咳払いをしてみたが、はたしてこれでごまかせただろうか。ルカの方をうかがうと、彼は「そうですか」と微笑むだけだった。
「ここの料理は全部おいしいので何を頼んでも間違いないですよ」
「オーバリ様のおすすめは何ですか?」
心の中でうんうんと同意しながらも、一応初来店という設定なのでおすすめの料理を聞いてみる。
「鶏の香草焼きですかね」
香草焼き!
想像しただけで口の中が涎でいっぱいになる。
鶏の香草焼きは前世の私も大好きでよく食べていた料理だ。ここのお店の香草焼きは鶏がジューシーなうえにふわふわしていてとっても美味しいのだ。お店特製の少しスパイシーな味付けもたまらない。ああ、さすがルカ。料理チョイスのセンスまで良いとは、恐ろしい子だ。
「それじゃあ、私は鶏の香草焼きにします」
久しぶりに好物が食べられることに口元がにやけそうになるのをこらえながらそう伝えると、ルカもそうすると言うのでヴィリアムを呼んで注文をした。のだが、なぜか彼女は注文を聞くとわずかに驚いた表情を見せた。
「えっと、二人とも鶏の香草焼きでいいのよね?」
ヴィリアムは戸惑ったような、それでいてどこか観察するような目でルカを見ながらそう問いかけた。
「ええ、お願いします」
ルカはその視線に気づいていないわけがないのに、平然と言葉を返す。
一瞬の不自然な空白の後、なにか見定めるようにルカを見ていた彼女はふっと表情をやわらげた。
「かしこまりました。私の腕によりをかけて最高に美味しい香草焼きを作るわね」
「楽しみにしてます」
ヴィリアムは私にもニコリと笑いかけるとそのままえらく上機嫌な様子で戻って行った。
あの意味ありげな反応は何だったんだろう。私の気のせいだろうか?
内心首を傾げながらも、軽く雑談を交わすこと数十分。
ヴィクトルが出来立ての香草焼きを持って戻ってきた。部屋中にスパイシーな良いにおいが広がる。
「お待たせいたしました、こちらが当店特製愛情たっぷり鶏の香草焼きになりま~す」
「ありがとうございます!」
目の前の料理についテンションが上がり、大きな声でお礼を言うと彼女は少し悪戯っぽく瞳を細めた。
「ふふ、それじゃあお邪魔虫はさっさと戻るわね。どうぞごゆっくり~」
……やはり、何か猛烈に勘違いされている。
「それじゃあ、いただきましょうか」
どこか微妙な気持ちになっていると、ルカが微笑んだ。
そうだ。とりあえず、今は細かいことは気にせずに目の前の料理を楽しむことだけを考えよう。現実逃避ともいう。
「いただきます」
小さく呟いて、食べやすい大きさに切った香草焼きを口に運ぶ。
……美味しい。そうだ、この味だ。
皮はパリッと、中からはじゅわぁっと肉汁が溢れ出てきて、少し癖のあるスパイスが舌を刺激する。
それは昔と何一つ変わらない、思い出の味だった。
懐かしさと幸福を噛みしめながら、勢いよく食べ進めているとふと視線を感じ、顔を上げる。
どこか嬉しそうに細まった水色と目が合った。
⋯⋯しまった、いくら美味しいからってがっつき過ぎただろうか。
不安になりながら「あの、なにか?」と聞いてみると、ルカは口元を綻ばせた。
「ああ、失礼しました。あまりにも美味しそうに食べているのでつい。香草焼き、気に入って頂けましたか?」
「そ、そりゃあもう!本当に美味しいです」
食い意地が張ってると思われたかも知れない、と恥ずかしく思いつつも香草焼きが美味しいのは嘘偽りのない事実なのでコクコクと何度も首を縦に振る。
「それは良かったです。僕もこの料理を食べるのは久しぶりなのでなんだか懐かしくてより美味しく感じます」
言いながら、ルカは最後の一口を頬張った。
「あ、そういえばこの料理には食後にジェラートが付くんですが、フレーバーはどうしますか?三種類から選べるんですけど」
そう言えばそうだった。
香草焼きは食後にストロベリーとグレープとレモンの三種類のうちから一つ好きなシャーベットを選べるのだが、私は特にレモンの爽やかな味がお気に入りでいつも必ずそれを選んでいた。
「それじゃあ私はレモンにします」
「僕もレモンにしようかな」
久しぶりにあの濃厚な美味しいジェラートを食べられると心躍らせている間にルカは手早くヴィリアムを呼び、レモンのジェラートを注文してくれる。
「楽しみですね」
「そうですね。あ、そうだ。これ忘れないうちに渡しておきますね」
そう言うと、ルカは鞄の中から魔術書を数冊取り出した。
「こっちが最新版の基礎的な魔術が載っている本でこっちが少し特殊な魔術が載ってる本になります」
ペラペラと本を捲ってみると、いくつか見たことの無い魔術が載っているのが見えた。どれも丁寧に説明がされていて読み応えがありそうだ。
「すごい。こんなに立派な魔術書、本当に借りて良いんですか?」
「ええ。返すのはいつでも大丈夫ですからゆっくり読んで下さい」
「お気遣いありがとうございます。読むのが楽しみです!」
「喜んでいただけて良かったです」
こんなに沢山の魔術が載ってるなら、そんなに魔力量の多くない今の私でも使える新しい魔術が見つかるかもしれない。
家に帰ったら早速読もう、といそいそと鞄に魔術書をしまった所でヴィリアムがジェラートを持ってきた。ナイスタイミングだ。
「ところで、一つお聞きしたいんですけど」
ありがとうございますとお礼を言って早速食べようとジェラートを口の中に入れる直前にそう言われ、私はスプーンを置いて「なんでしょう」と首をかしげる。
「ジゼルさん、本当はこのお店に来るの初めてじゃありませんよね?」
「へ?」
間抜けな声が漏れる。
彼の口調は質問というよりは確認に近いものだった。
「ど、どうしてそう思ったんですか?」
驚きで声が上ずる私にルカはにこりと笑った。
「まず理由の一つとしては貴女が紹介される前からヴィリアムを知っていたから」
「あの人は気づいていなかったようですが」と続けられた言葉に、あの時私がうっかり口にした彼女の名前をルカが聞いていたことを悟る。
「二つ目は先ほどのジェラートのくだりです」
「ジェ、ジェラート?」
「はい。僕は三種類のフレーバーの中から選べるとしか言ってません。それなのに貴女はその中にレモンがあることを知っていた。ここに来たことがある証拠です」
ルカが鋭すぎるのか、私が間抜けすぎるのか。嘘はすぐに見破られてしまった。
だがしかし。こんなこともあろうかと、私は香草焼きを食べながら初来店ではないとバレた時の言い訳もちゃんと考えていた。
なにせ、相手はあのルカだ。念のためにともう一つ言い訳を考えておいて本当に良かった。
「そ、そうなんですよ。実はこのお店、小さい頃に一度来たことがあって」
「……ではなぜ初めて来たと?」
「さっき、お店に入ったときにヴィリアムさんの顔を見て来たことがあるって思いだしたんですけど、彼女は覚えていないようだったのでわざわざ訂正するのもな、と思って」
どうだ、これなら辻褄は合うはずだ。
若干苦しい気がしないでもないが、この話題を終わらせるには充分な言い訳だろう。
なんて自信満々に考えていたのだが。
「うそつき」
ルカは形の良い唇を三日月に歪ませて笑った。
「貴女は小さい頃ここに来たことなんてないでしょう」
そういう彼の口調は表情とは裏腹に先ほどよりもわずかに語気の強い、どこか責めるようなものだった。
「こ、今度はどうしてそう思うんですか」
戸惑いながら問いかければ、彼は「理由なんてなくても分かりますよ」と言った。
「貴女は昔から嘘が下手だから」
続けられた言葉に頭が真っ白になる。
今、なんて……?
固まる私を見てルカは彼らしくない乾いた笑みを漏らした。
「何をそんなに驚いているんですか。僕があなたに気づかないとでも?そんなわけないでしょう、何年一緒に過ごしたと思ってるんですか。ねえ―――イェルダ」
もう二度と呼ばれることはないと思っていた名前がルカの口から紡がれた。