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翌日。
「くれぐれも失礼のないようにね」と神妙な顔つきをしたカテリーナに見送られ店の前で待っていると、待ち合わせの時間である正午ちょうどにルカは現れた。急いでやって来たのか、少し息が上がっている。
よし。今日は考えなしに発言しないようにして、慌てず冷静に会話するぞ。平常心だ、平常心。
心の中で呪文のように唱えながら私はひとつ息を吐くと、彼に話しかけた。
「こんにちは」
「こんにちは。すみません、遅くなりました」
「いやいや、まだ時間前ですし全然大丈夫ですよ。仕事お疲れ様です」
「ありがとうございます。因みにもう食事は済まされましたか?」
「え?いえ、まだですけど」
「なら一緒に食事でもどうですか?」
「はい?」
お食事、だと?
てっきり魔術書を貸してもらって解散だと思っていた私は間抜けな声を出して固まってしまった。
そんな私を見てルカは「良かった」と呟いて笑みを浮かべた。
どうやら今の「はい?」をOKの意味に取ってしまったらしい。
「あ、いや、今のは」
了承した訳ではなくて――
「それならちょうど近くに僕が好きなお店があるのでそこでも良いですか?」
と、誤解を解こうとしたのだが、その前に心做しか声を弾ませたルカにそう言われて何も言えなくなった。
「ハイ、ダイジョウブデス」
そして気付けば私は承諾の言葉を口にしていたのだった。あれ、デジャヴ。
……意志が弱い人間だと笑いたきゃ笑えばいいさ。私にとって第一に優先すべき事項は最愛の子供たちの笑顔だ。大丈夫。食事をしている間、私がボロを出さないよう気を付ければいいだけの話だ、と必死に自分に言い聞かせる。きっと、多分、大丈夫、なはず。いや、決して現実から目を逸らしている訳ではなくて。
「それじゃあ行きましょうか」
やはりどこか楽しそうなルカの言葉に私はもうなるようになれと、半ばやけくそになりながら「はい」と答えた。
◇◆◇
道中改めてお互いの自己紹介を終わらせ、当たり障りのない世間話をしながら人混みの中を歩く。
「そう言えば、今日も認識阻害の魔術をかけてるんですか?」
周囲の人間がルカに何の反応も示さないのを見てそう問いかけると、彼は「ええ」と首肯した。
「出かける時は基本的にいつもかけてますよ」
「いつも?!」
「はい。そうしないと日常生活を送るうえで少し不便なので」
やっぱり有名になるとそう言う弊害も出てくるのか。
「ただでさえ仕事でお忙しいのに、さらに日常生活でも魔術を使わないといけないだなんて大変じゃないですか」
「まあ、面倒に思う時もありますけど、自ら進んで得た地位ですから多少の面倒は我慢します」
私はルカが苦笑しながら言ったその言葉に引っかかった。
てっきり、彼は権力には興味がないとばかり思っていたから。
昔から事あるごとに「自分はこの街でゆったりと生きていければそれで良い」と話していたことを思い出す。別に以前と考え方が変わったからと言って何か文句を言うつもりはない。が、ただ彼が何を思って今の地位に就いたのか気になった。
「どうかされましたか?」
でもそんな踏む込んだことを私が聞いていいものかと悩んでいると、ルカが私の顔を覗き込んできた。
「へ?」
「なにか聞きたそうな顔をしているように見えたので」
そんなにわかりやすい顔していただろうか。
少し躊躇いはあったが、やはり先程の話が気になってしまい、私は恐る恐る口を開いた。
「あの一つ聞いてもいいですか」
「なんでしょう?」
「オーバリ様はどうして魔術師長を目指していたんですか?」
ドキドキとうるさい心臓をおさえながら返答を待っていると、ルカが横目で私を見た。
「内緒です」
「……へ?」
人差し指を唇にあてて艶やかに微笑む様は壮絶なまでに美しい。
つい見とれてしまった。
「他のことなら大抵答えられるんですけど、魔術師を目指し始めた理由は少し人に言いづらいことなので」
「……あ、そ、そうなんですね。すみません、変なこと聞いてしまって」
人に言いづらいことって何だろうか。
猛烈に気になるが、本人が言いたくないと思っている以上は追及できない。モヤモヤとしたものを抱えていると、ルカが「あ」と声を上げた。
「もう見えてきましたね。あれが目的の店です」
「え」
彼の言葉に視線を上げると、少し離れたところに綺麗なレンガ造りの建物が見えた。
これ以上の質問の機会を失ったことに気付きながらも私はただ「可愛らしいお店ですね」と笑った。
店に着くとルカが扉を開け、エスコートをしてくれる。
居心地の良さそうなあたたかな雰囲気のお店だ。
私も前世はここら辺によく来ていたが、こんなお店があったなんて知らなかった。最近できたお店なのだろうか。
「あらあらあらあら!ルカくんじゃな〜いっ!お久しぶりねっ」
店内をキョロキョロと観察していると、奥の方から興奮気味な野太い声が聞こえてきた。
あれ?この声⋯⋯。
「ここ最近来てくれなかったから、アタシ寂しくて寂しくて」
そう言ってルカの背中をバシバシと乱暴にたたく髭面の人物の名前を、私は知っていた。
店の外観が変わっていたから気づかなかったが、生まれ変わる前は時々子供たちと彼、いや彼女の店に行っては美味しい料理に舌鼓を打ったことを思い出す。いつもここへ来る度に明るくて優しい彼女に元気をもらっていたっけ。男前な見た目とは裏腹にゴリゴリの乙女思考な彼女の名前は―――
「ヴィリアム」
ポロリとこぼれた声がルカのそれと被った。
「もう!あたしの事はその名前じゃなくてヴィーちゃんって呼んでって言ってるでしょ!」
彼女は私の呟きには気づいた様子はなく、不満げな顔をしてルカに抗議をする。
そうそう、彼女は皆が名前で呼ぶとヴィーの方が語感が可愛いからと、いつもこう言って怒っていた。
十六年もたっているのに全く変わりなくてなんだか嬉しくなってくる。
「……って、あら?あなた、このお店に来るの初めてよね?」
なんてノスタルジアに浸っていると、ルカの後ろにいた私を見てヴィリアムが首を傾げた。
生まれ変わった私の事をヴィリアムが分かるはずない。そんなこと分かっていたはずなのに、その距離感に少しだけ胸がチクリと痛んだ。
「はじめまして。アタシはこのお店の店主のヴィリアムよ。気軽にヴィーちゃんって呼んでね。今日は一人で来たのかしら?」
「あ、いえ。私は―――」
「彼女は僕の知り合いです」
なんと説明すれば良いのか戸惑っていると、ルカが代わりに返答してくれた。
ヴィリアムは彼の言葉にこれでもかという程に目を見開いた。
「あら、あらあらあら!貴方のお連れさまだったの?!ごめんなさいね、ルカくんがここに人を連れてくるなんて珍しいことだからてっきり別々で来たものだと思い込んでたわ」
顔の前で両手を合わせ謝るヴィリアムに私は「気にしないでください」と返す。
「出来れば個室が良いんですけど、空いてますか?」
「なるほどね。ふふ、そう言う事なら大丈夫よ。奥の部屋が空いてるからそこで水入らずアタシのとっておきの料理を楽しんでちょうだい」
……何がなるほどなのか。何がそう言う事ならなのか。何故、語尾にハートがついてるように聞こえるのか。そしてこの人はどうして、私に向かって意味深なウィンクをしてくるのか。なにか盛大に勘違いをされている気がする。
弁解する余地もなく、鼻唄でも歌いだしそうなヴィリアムによって私達は店の奥へと通される。
「この部屋で良いかしら?」
案内されたのは日当たりの良い素敵な部屋だった。
ヴィリアムの趣味なのか内装は可愛らしくまとめられており、小さめなダイニングテーブルと椅子が二つ置いてあった。
入り口は幕で仕切られており、中に誰がいるのか分からない仕様になっている。これならルカも少しは気を休ませられるだろう。
私が頷くと、続いて隣に居たルカも「大丈夫です」と返答した。
「それじゃあ、メニューはそこに置いてあるから決まったら呼んでちょうだい。どうぞ、ごゆっくりぃ~」
最後にヴィリアムは強烈な投げキッスを残し、去って行った。
その背中を見送ったルカと私は二人顔を見合わせ、嵐のような彼女の勢いに思わず笑ってしまったのだった。