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「確かにあれは東洋の歌ですけど……」
私が肯定すると、ルカは少し表情を和らげた。
「ああ、やっぱりそうでしたか。実は私もあの歌が好きなんです」
「え。ル、オーバリ様もあの歌好きなんですか?」
「はい。聴いていると不思議と穏やかな気持ちになれますし、なによりあの歌には沢山良い思い出が詰まってるので私にとってはとても大切な歌なんです」
「そ、うなんですか」
ルカがあの歌をそんな風に思ってくれているのだと初めて知り、言いようのない気持ちがこみ上げてくる。
何もかもが変わってしまった今でもルカは一緒に過ごした時の事を覚えてくれている。私にとってその事実は、泣き出してしまいそうなほどに嬉しかった。
「でもここら辺の地域ではあの歌を知っている人は滅多にいないでしょう?それなのにどこであの歌を知ったのか気になってしまって」
「どこでと言われても……」
何も考えずに、ロイさんが昔から歌ってくれていた歌だから、と答えてしまいそうになって慌てて口を噤む。
「えっと、幼い頃によく子守唄代わりに歌ってもらってたんです」
「誰に?」
「は、母に」
ルカもロイさんの事は私から聞いて知っているので、わざと濁したのに何故かそこを追求され、咄嗟に嘘をついてしまった。
「……そうですか」
少しの沈黙の後、ルカは美しく微笑んだ。
だが、表情とは裏腹にその目に鋭い光が宿っているような気がして私は肌が粟立つような感覚に襲われた。彼の笑顔は何度も見ているはずなのにこんなに落ち着かない気持ちになったのは初めてだ。
「おーい、ジゼルちゃん!」
見たことのないルカの様子に、何か変な事を言ってしまったのだろうかと戸惑っていると不意に誰かから名前を呼ばれた。
声がした方へ振り返ると、少し離れた所にカテリーナのお父さんが立っているのが見えた。
慌てて「こんにちは」と頭を下げると、おじさんは人のよさそうな笑みを浮かべながら小走りで駆け寄って来た。
「ちょっと道が混んでて予定より帰ってくるのが遅くなったしまった、ごめんね。あと店番ありがとう」
「いえいえ、全然大丈夫です!おじさんの方こそ、お仕事お疲れ様でした」
「ありがとう、ってあれ?もしかして今ジゼルちゃん、話し中だったかな」
「え、ええ、まあ」
おじさんにそう聞かれ、私は目の前のルカをちらりと見ながらつい引き攣った笑みを浮かべる。
「うわ、ごめんね!僕、気が付かなくて普通に声かけちゃった。どうもお話の邪魔をして申し訳ありませ……ん?」
私と話していた相手に悪いと思ったのだろう。おじさんは眉を八の字にしながら謝罪の言葉を口にしかけ、そしてルカの姿を見て「ん?」と不思議そうに首を傾げた。
「……貴方もしかして、あれ、え?」
目の前の存在が信じられないのか、おじさんは戸惑ったような声を出しながらゴシゴシと目を擦る。
「な、なん、え、こ、このひと、オ、オ、え?え?」
恐らくどうしてここにこの人がいるのかと聞きたいのだろうが、驚きすぎて最早言葉になっていない。
「あの、大丈夫ですか?」
私達を交互に見ながら目を白黒させている様を見て心配になったのか、ルカがそう声をかけた瞬間。
「ぴえっ」
おじさんは新種の生き物の鳴き声のような不思議な声を漏らしたっきり、何も言わなくなってしまった。
「お、おじさん?」
あれだけ慌てていたにもかかわらず、突然うんともすんとも言わなくなってしまったおじさんに私も心配になり顔を覗き込むと、なんと彼は白目をむいていた。
そう。つまりおじさんはルカに話しかけられたことにより、立ったまま気絶してしまったのだ。
◇◆◇
「あ、ジゼル戻ってくるの遅かった……って、え、あれ?ええええ?!な、え、ど、え、どういう事?!」
何度肩をゆすっても意識が戻らないのでやむを得ず、ルカに気絶したおじさんを店の中まで運んでもらうと、中に居たカテリーナがその姿を見て絶叫した。うん、やっぱりそうなるよね。
が、しかし、どうしてこうなったのか事の経緯を話すと状況を理解した彼女は顔を青くさせ、素早くルカに向かって頭を下げた。
「こ、この度はご迷惑をお掛けしました!!な、なんとお詫びをしたら良いか」
迷惑をかけたのは私もなので一緒にカテリーナの横で頭を下げると、ルカは困ったように笑った。
「僕は迷惑をかけられたなんて思ってないですからどうか頭を上げてください」
「で、でも」
「こうして頭を下げられたままだと逆にどうしたら良いか分からなくなってしまいますから」
そう言われて頭を下げたままでいるわけにもいかず、私とカテリーナはおずおずと顔を上げた。
「それに今日は身元がバレないように認識阻害の魔術を自分にかけていたのでその方が気づかなかったのも無理はありませんよ」
「認識阻害の魔術、ですか?そんな魔術があるんですね、初めて聞きました」
初めて聞く魔術の話につい好奇心が刺激されてしまった。
「使える人間が少ないので普及はしてないですけどね。それに今日は軽い認識阻害魔術しかかけていないので、さっきのようにじっくり観察されてしまうと見破られてしまうんです」
「あれ?でも私の時は最初から認識できてましたよ?」
「貴女に話しかける時は貴女だけを対象に魔術を解除してましたから認識阻害がなかったんだと思います」
「ああ、なるほど」
相手を一人に限定して魔術を解除できるなんて、やっぱりルカは凄い。
改めて能力の高さを思い知ると共に久しぶりに魔術の話が出来るのが楽しくて、つい前世の魔道具屋の血が疼いてしまった。
今世は魔力がそこまで多くなかったので魔道具屋にはなれないと泣く泣く諦めたが、今も魔術自体は好きなのだ。 時々、図書館に行っては一人魔術書を読んだりしている。
つい話を聞く姿勢も前のめりになってしまう。
そんな私を見てルカが目を細めた。
「魔術お好きなんですね」
「はい!まあ、魔力があまり多くないので本当にただの趣味なんですけどね」
「確かによく図書館から魔術書借りてきてるよね」
カテリーナの言葉に頷く。
「あ、でも最近の魔術に関してはあまり知らないです。図書館に行ってもほとんどが古い魔術書ですし、なかなか新しい情報が入ってこなくて」
「それなら僕が持っている魔術書をお貸ししましょうか?」
「は?」
信じられない言葉が聞こえてきて思わず低い声が出てしまった。
彼は、今なんと?
咄嗟に隣に目を向けると、カテリーナも私と同じようにぽかんとした顔でルカの事を見ていた。
どうやら私の聞き間違いではないらしい。
「最新の魔術書もいくつか持っていますし、もしよろしければ」
「いやいやいやいや。そんなご冗談を。ハハハハハ」
つい昨日知り合ったばかりの一般人に何を言ってるんだ、この子は。
慌ててルカの言葉を遮ると、彼はその端正な顔にふわりと笑みを浮かべた。
「いえ、本気ですよ。それに私も魔術好きの人と話せるのは嬉しいですから」
「で、でも、私の知識なんて全然大したことないし……」
「大事なのは知識よりも熱量ですから」
「ル、じゃなくて、オーバリ様もお忙しいでしょうし」
「別に毎日来るわけではありませんし、貴女の元を訪れるくらいの時間はありますよ」
遠回しに断ろうとしてもルカはやたらと食い下がってくる。何故。
そりゃあ、私だってまた会えるのなら会いたい。でもルカの事を思ったら私はこれ以上会わない方が良いんじゃないかとも思う。たとえ適度な距離を保てたとしても、彼と関わるうちに前世と今世の境目が曖昧になって今世の私が知りえない情報を口にしてしまったらと考えると怖い。
あんな言い逃げをした人間が何を言っているのかと言われるかもしれないが、自分と言う存在がルカの人生を邪魔したくないという思いは紛れもない本心なのだ。と言うかむしろ、あんな言い逃げをしてしまう人間だからこそポカをやらかす可能性が高い。
こちらの事情でルカの善意を無碍にするのは気が引けるが、万が一怪しまれるような事態になったら目も当てられないし、ここはやっぱりきっぱりと断って……。
と、覚悟を決め顔を上げたのだが。
「あの、もしかして迷惑だったでしょうか」
悲し気な表情のルカを見た瞬間、考えるより先にちぎれんばかりの勢いで首を横に振って否定していた。
あ、いま首、ごきゅって言った。
「ま、まさかそんな訳ないじゃないですかっ!!!魔術書、ぜひ貸してほしいです!!!!」
そうして気づけばこれ以上ない元気さをもって、考えていたこととは真逆の言葉を口にしていたのだった。
さようなら、理性。こんにちは、意志薄弱な私。
若干、いやだいぶ声量を間違えている気もするがもう構わない。
カテリーナが隣で「まじかこいつ」みたいな顔をして私を見ているが、構わない。
今ここで提案を断ることによって万が一にでもルカの顔が曇るようなことがあれば、私は即座に土下座する自信がある。間違いなく全身全霊をもって謝り倒す。
私の言葉にルカは「良かった」と小さく微笑んだ。はい、可愛い。
この微笑みを見れただけで断らなかった価値がある。
その後、話し合いをして明日の正午にこのお店の前で待ち合わせすることになった。
「それでは取り敢えず今日のところはこれで失礼します。明日、またお会いできるのを楽しみにしてますね」
ルカは続けて、未だ呆然とした様子のカテリーナに「お騒がせしてすみませんでした」と頭を下げると、颯爽と店を出て行った。
カランッと扉につけられたベルの音が店内に響き渡る。
その音が完全に消えた頃、冷静になった私は少しの後悔の念を抱えながら「いや、一回だけ、一回だけ魔術書の貸し借りをしたらそれで終わりだから」と誰に言うでもない言い訳を心の中で繰り返していた。
本日20時にも投稿予定です。
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